平成21年度第4回:地域の実像と再生戦略

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岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成21年度シリーズ

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第4回:地域の実像と再生戦略

講師
林 宜嗣 先生(関西学院大学経済学部教授)
日時
2010年2月10日 14:00pm~15:30pm(予定)
場所
岩崎学生寮1Fホール(東京都世田谷区北烏山7-12-20)TEL: 03-3300-2600

林 宜嗣 先生 (Yoshitsugu Hayashi)

関西学院大学経済学部 教授

51年 大阪市生まれ
78年 関西学院大学大学院修了
88年 同教授、現在に至る
92年~93年 ロンドン大学客員研究員
94年~96年 旧経済企画庁経済研究所客員主任研究官を兼務
01年4月~04年3月 同経済学部長

専門: 財政学、都市経済、地域経済
著書: 「分権型地域再生のすすめ」「新版 地方財政」「新 地方分権の経済学」

講義内容

後編へ

前編

こんにちは。今日は「地域の実像と再生戦略」というテーマでお話をしたいと思います。
なぜあえて「実像」というのをこのテーマの中に盛り込んだのかということなんですが、いま地域が疲弊しているとか、衰退しているというようなのがイメージとして非常に強く行きわたっている。しかしながら、今後再生戦略を立てていこうと思うと、もう少し分析も踏まえて実像把握をしなければいけない。特に足元の問題といいますか、現状だけではなくて将来どうなるんだろうということをきちんと踏まえた上で再生戦略を立てないと、何のための地方分権なの、何のための地域主権なのというところがどうもよく分からないままに、制度論的な議論がなされているような気がするからです。
そこで実像というのは、やはりあまり景気のいい話にはなりません。これは地方も日本全体がそうなんですけれども、しかしながらそこをきちんと把握した上でないと効果的な戦略は立てられないということで、しばらく辛抱しながら聞いていただければという具合に思います。

1.地域の実像
(危ぶまれる持続可能性)

それでまず1つは、景気が持続できるのかどうかという問題ですね。平成の大合併で基礎自治体の数が随分減りました。しかしながら、仮に過疎地域と過疎地域が合併しても、やはり過疎地域なんですね。だから過疎地域からそうでないようなところに移っていくためには、やっぱりそれなりの合併後の努力というのが必要になります。いま国立社会保障人口問題研究所が将来の人口がどうなるだろうかということを、これは日本全体と、それから地域別、府県別ですね、そして、市町村別に推計をしています。2005年から2035年にかけてどれぐらいの人口の減少になるんだろうかということを調べているんです。それについて少しご紹介をしたいと思います。

2ページ目をご覧下さい。1番人口の減少率の大きいところは東北の秋田県です。これは予測ですよ。いま地方から大都市へ、とりわけ首都圏に人口が移動しているというトレンドがこのまま続いたらどうなるだろうかというふうように推計したのが「開放」と書かれているところです。そして、人口移動がなかったならばどうなるだろうかという、つまりその場合には「誕生」と「死亡」という自然動態を前提にして、移動がないという前提で推計したのが「封鎖」です。秋田県は実は30年間に人口が約3割減少するという予測なんです。そして、もし仮に人口移動がなかったならば、高齢化が進んでいくというようなこともありますので、それから出生率がどんどん低下しているということがありますから、それでもやっぱり22.6パーセント減少する。ところが東京はどうなっているかというと、実は東京都は人口が増加するんですね。これはやっぱり東京一極集中という流れの中で人口が増加していくということになります。

ところがこれは封鎖人口でいきますと、地方の人口の減少がやや緩和されます。そして、逆に東京都の人口は15.5パーセント減少しますよということになります。いま地方にとって重要なことは、トレンドとして大都市、あるいは東京に集中している人口をいかにして地方に食い止めておくかというところが、これがもう最大の課題です。地域の存続のベースは、やはり人です。人がいなければ経済活動が起こりませんし、社会活動も起こらない。という意味では、人口の動向というものが非常に地域の実像を把握するためには非常に優れた指標だというように考えて下さい。そして、人口が減少するということは、当然高齢化も進んでおりますし、若い人たちが都市に出て行くということになりますと労働力の減少につながっていきます。

3ページです。先ほど人口減少が3割を超えると申しあげました秋田県は、実は労働力人口でいきますと実に42.9パーセントの減少になるという具合に、これはわたくしが推計をいたしました。もう半分近く労働力人口が減少してしまう。このことは当然いわゆる働き手がいなくなる、マーケットが小さくなる、企業が来なくなるというようなことの中で、企業活動にも影響を与えていきます。そして、企業がではそこへ工場を配置しようと思っても人がいない、あるいは事業所を立地しようと思っても人材がいない。ということになりますと、投資が行われなくなる。これをいわゆる「民間資本ストック」と言いますが。だから労働力も減少する、民間資本ストックも停滞するということになりますと、当然ポテンシャルが小さくなって、その地域の経済というのは減少をしていくということになります。いまいろんなところで非常に財政が悪くなっているというようなことがよく言われています。

しかしながら、この財政が悪くなっている根本的な原因は何にあるのかというと、もちろん地方自治体が効率的な財政運営をしなかったという問題もありますけれども、むしろ問題なのはやはり人口が減少し、そこで税収があまり入ってこなくなってしまった。その入ってこなくなった税収を補填をするための国の制度が、国の財政も非常に悪くなっているためにどんどんいま縮減されてしまっているという、そういう実態の中で地方の財政が悪くなっている。だからその収支尻を合わせようというのが、いまの地方公共団体の行政改革の目標なんですけれども。実は収支尻を合わせるというのは、そんなに難しくない。必要なサービスを削ればいいわけですね。ですけど、それでは真の財政再生にはならない。

真の財政に結びつくためには、地域の再生を実現しなければいけない。つまりいままでの日本は、財政に支えられた地方でした。しかしながら、これからは財政を作り出す地方でなければいけないというように思います。従って真の財政再生は、真の地域再生と同じことなんだという発想の中で、財政改革をしていかなければいけない。そのためには、やはり自治体の力がなければいけない。人材も要るでしょう、お金も要るでしょう。そういうようなことを、どうやってこれから確保していくのかということが、地域の再生戦略ということになります。

いま非常に難しい状況にあるというお話をしなければなりません。それは実は高度経済成長期にも地方から大都市に向けて人口の移動がどんどん起こってまいりました。そのときには国民大移動なんていうようなことを言われたぐらいに、地方から大都市に人口が移動したんですね。同じような状況がいま起こっているわけですけれども、実は高度経済成長期の大都市への人口移動というのは、東京も、大阪も、名古屋もすべて人口が増えていたという、そういう時代であります。だから地方対大都市というような比較的単純な構図で、その格差問題を描けることができたわけですね。

ところがいまの人口移動というのは、実は同じ大都市圏でも首都圏が1人勝ちのような状況になっている。愛知を含めた東海地方も比較的良かったわけですけれども、やはり自動車の問題もあり景気が悪くなると輸出が減る、その結果東海の産業も停滞を始める。ということになってまいりますと、大都市は一律ではないということをまず1つ押さえておかなければいけない。そして、人口の集中は、例えば九州でいきますと、九州地方の人口は福岡に集中をしております。これは北海道だったら札幌、東北地方だったら仙台というように、それぞれの広域的な地方のブロックの中でいわゆる地方中枢都市に人口が集中をしているという状況が起こっている。しかしながら、では福岡は人口が増えているのかというと、増えているんですけれども、それは九州から吸収しながら増えているだけで、やはり福岡からは東京に人口が移動しているわけですね。そのように単純に大都市対地方というような構図ではなくなっている。しかも、例えば鹿児島県だったら、いまは鹿児島市に人口が集中をするというような、鹿児島県下でも格差が拡がっていくというような状況がいま現実に起こっている。

ですから大都市対地方というような単純な構図の場合だったら、大都市への企業立地を抑えて、そして、地方に分散するような政策をとれば格差が比較的縮まるようなことになってきた。

(格差問題の重層化)

しかしながら、いまの格差問題というのは、いま申しあげたように格差が重層的になっている。集中問題も重層的になっている。ということになりますと、ただ単にいわゆる大都市は抑え地方を活性化するんだといったような単純な政策では、もう難しくなってきているという実態があります。よく国土の均衡ある発展が誤りだったのではないかといったようなことを言われるんですね。国土の均衡ある発展という、わたし自身は理念とか目標は誤りではなかったというように思っています。

しかしながら、高度経済成長期のような国土政策、つまり大都市を抑え地方に分散させるといったような政策では、いまの格差問題には十分には対応できないというような状況になってしまっている。従ってなぜ地域主権なのか地方分権なのかということを考えたときに、それぞれの地域で起こっている問題を国が画一的な制度でそれに対応することができなくなっているということをきちんと認識をしていけば、おのずから地方分権の流れというものは出てくるはずなんですね。ところが何か地方分権というものが目標であるかのように考えられて、そして、制度改革論に陥ってしまっているところがある。いまの国と地方の関係だとか、地方財政というのはものすごく難しいテーマですから、制度的な理解をすることは困難です。そうすると地方分権の動きに対して国民的な関心があまりない。これはもう当然のことなんですね。

それぞれの地域が自らの地域の問題としてその地域の問題を捉え、そして、地方分権をその延長線上に捉えていくならば、もっと国民的な関心になっていくんだろうというように思っています。そういう非常に難しい問題をいま抱えている中で、市町村レベルでいきますと、やはり人口規模の小さいところほど人口の減少率が大きいという実態が見てとれます。先ほど言いましたが、合併で随分町村が減って市が増えています。しかしながら、いま合併をしてもそんなに効果が上がらなかったなんていうようなことがよく評価として言われるわけですけれども。実は合併をしてまだ間がないわけですね。だからそうやって合併をすることによって地域の力が付いたはずだから、これを人口の減少率の歯止めになるような、そういう政策にもっていけるかどうかということが、これから問われているわけですね。だからいまの流れでいくと、小規模なところほどトレンドから言えば人口減少率は大きくなるというような状況を、これをいかにして食い止めるのかということを考えていかなければなりません。

(人口流出と財政)

そこで、では人口減少というのが地域の政策にどのような影響を与えるんだろうかということを考えたいと思います。6ページです。人口の流出というのは、財政の収支の両面に影響を与えることになります。例えば人口360万人の横浜市は市長さん1人ですよね。この市長の給与をこれは納税者の数で割り算をすると、1人当りの負担はそんなに大きくないですよね。ところが人口3万人の市だったら、市長さんの給与を支えるにはやはりそれなりの1人当たりの負担になる。行政サービスというのはそういうように社会全体で利用するものが非常に多いですから、人口が減れば減るほど1人当りの経費は割高になるんですね。今度人口が増えると、これは逆に割安になる。だから人口が減少すればするほど、財政の支出面で圧迫を受けるようになってくる。

もう1つは、今度は収入面です。先ほど言ったような高度経済成長期の人口移動、若い人たちが大都市に人口が移動したわけですけれども。その大都市への人口移動というのは、どちらかというと農村部で余剰労働力だったんですね。つまり農業の生産性がどんどん上がっていく。いままでだったら機械が入っていなかったから、大量の人数で農業をしなければいけなかったものが、機械化が進んでいきますと人手が要らなくなってくる。しかも出生率が高かったですから、例えば二男・三男は農業をする必要がない。そうするとその人たちはどこへ行ったかというと、高度経済成長期には東京とか、大阪とか、名古屋といった工業都市に人口が流れていったわけです。そのときには、いわゆる金の卵なんていうようなことを言われて、そういう意味では受け入れる側も送り出す側もどちらもハッピーだったの。

ところがいまの労働力の移動というか、人口の移動は、長男であろうが長女であろうが移動していくわけですね。だから日本人も、昔のようにふるさとで一生を送るんだという人ばかりではありません。やはり働く場も問題であるし、いろんな意味で他のところに出て行って一生を送っていくという人が非常に多い日本になっておりますから、そういう意味では働き手が大都市東京に移動していくという実態が起こっている。そうすると、当然のことながら税収に響いてくるわけですね。ですから人口が減少するということは、経費の面も収入の面も両面から財政力を弱めることになってしまうということになります。

その結果人口減少率の高いところほど財政力は弱くなっています。こういう状況をどのようにして解決をしていくのか。いま財政が非常に地方で悪くなっている。でもその原因はこういう人口が減少して収支両面から圧迫をするといったようなことを解消していかない限り、真の財政の構造改革にはならないというわけです。

ですからそこで財政が悪くなったときには、いったいどういう状況になるんだろうかということについて、少しお話をしたいと思いますが。わたくしは「負の連鎖」、「負のスパイラル」という具合に呼んでいます。日本でいま「デフレスパイラル」なんていうようなことを言いますよね。だから、どんどん、どんどん悪い方向に行く。これがいい方向に回転するならば、今度はプラスのスパイラルになっていく。これをプラスのスパイラルに転換していかなくてはいけない。そうでなければこの負の連鎖をどこかで断ち切っても、それが仮に対処療法的な断ち切り方であったり、あるいは事後的な社会保障的な断ち切り方であったら、その断ち切る政策がなくなってしまったら、また再び負の連鎖に戻ってしまうという、そういう恐れがあります。

そこで、負の連鎖について少しお話をしたいと思います。

(経済・財政と負のスパイラル)

8ページです。いま人口移動、あるいは産業立地が何らかの形で起こったとします。そうすると経済力の格差が拡がってまいります。その結果として地方税収の格差が拡がり、財政力格差に結びついていきます。その財政力格差が、実はかつてはこれは非常に日本で複雑な構造を持っていると言われている地方交付税という国から地方への財源移転がありますが、この地方交付税という財政手段によって、財政力格差があっても標準的な行政水準が達成できるように、財政力の弱いところには補填をする、財政力の強いところはもう補填しないというような形で、格差を埋めるような政策をいままでやってきています。もちろんこの政策は、これからも続いていくだろうと思います。

しかしながら、この地方交付税がものすごく大きな金額になってしまっていて、国の財政にも圧迫をしているんじゃないか。あるいは地方交付税があることによって地方公共団体の歳出が膨張してしまっているのではないかといったような批判がこれまで随分出てきました。その結果地方交付税の縮減ということが行われたんですね。そのためにこの負のスパイラルを断ち切る遮断装置としての地方交付税の機能が若干弱まった。そのために行政水準だとか、あるいは地方税の税率の差にこれから結びついていく可能性があるということなんですね。

例えば東京都下の自治体の保育料なんて、ものすごく安いです。ところがそれに対して地方に行きますと、同じ年齢で同じ所得水準であるにもかかわらず、保育料は非常に高くなっている。あるいは子育て支援策、これも東京都下の自治体だったら、中学校に入るまでは医療費の自己負担はなしですよというところもある。ところが地方に行くと、そんなものはない。それから、これからは税率を引き下げるという動きも出てくる可能性があります。いま現実にそういうことができないだろうかということで、これも東京都下の自治体では、そういう検討を始めている。

ところが夕張市は財政再生団体になって、一般よりも高い税率で課税しなければならなくなっている。こういう状況が続いていくと、やはり人々はでは子育てするんだったらどこで育てるのが1番いいかということを考えると、やっぱり地方よりは都会で育てるほうがいいなということになるわけですね。そうすると、ますますまた人々が出て行って格差が拡がるというような、財政というメカニズムを通じた負の連鎖、これが起こりつつあるという実態です。

ですからこの負の連鎖を断ち切るためには、確かに交付税はそれなりの役割を果たすわけですが、この負の連鎖を断ち切る根本的な断ち切り方ではないですね。つまり格差が拡がっていって出てきた財政の格差を事後的に埋めようとしているのが交付税ですから、あまり有効ではない。しかも財政を通じたメカニズムだけではないんですね、負の連鎖は。ここにもちょっと書いていますが、人々が生活をするための基盤には、いろんな基盤があります。教育もそうでしょう。しかしながら、基礎的な基盤として、まず働く場がなければいけない。働く場がないから地方から東京の大学に出て、そして、そのまま東京で就職をする、そういう若い人たちが増えてきているわけですね。だからやはり地方で働く場がなければならない、これが1つ目です。

それから2つ目は、買物の場です。この買物の場というのが、これは非常に重要なんです。日本は経済成長によって消費水準が非常に上がりました。消費の高度化・多様化というようなことをよく言われる。これだけもう贅沢な暮らしをするようになってしまって、しかも東京ではこういうおいしいレストランがあるとか、こんなブランドが入っているとかといったような情報がどんどん流れてくると、やはりそういうものを手にしたくなるというのは、これはもう当然のことです。そういう手にする買物の場が地方から消えていっているという実態ですね。百貨店、デパートが地方都市からどんどん撤退をしているというような状況。そして、いま例えば九州だと高速道路が通りましたから、鹿児島の若い人たちがどこへ買物に行くかというと、高速バスに乗って博多に買物に行くんですね。そうすると鹿児島のデパートは若い人たち向けのそういう商品を、やっぱり売れなくなりますから、当然置かなくなります。というような状況になっていくと、やはり大都市に行かなければ買物ができないというようなことが起こってきている。

それからもう1つ重要なことは、健康維持の場です。この健康維持の場というのは、特に医療機関です。医療機関がいま医者がいないというような地方が随分増えてきているわけですね。北海道では、例えば年収数千万円出すからお医者さん来て下さいというようなことをやっているところがあります。当然それは財政負担になります。ところがやはり医者がなければ暮していけないわけですね。では民間の医療機関はどうだろうということで考えますと、民間のお医者さんはやはり生活をしなければなりませんから、やっぱり患者さんがいないと診療所の経営が成り立たないわけですから、そういう意味では過疎化しているところからはやっぱり撤退をしていかざるを得ない。そして、では公的な医療機関を維持しておくべきであるということになるわけですけれども、実はいま地方財政が非常に悪い中で、病院も含めた公営企業を連結で財政状況を判断しようというような動きが出てきているわけです。つまり交通だとか、病院だとか、そういうところに、財政の本体から繰り出しをしているわけですね。だからそれを受け入れるところもやっぱり財政が悪いんだったら、それも全体を見て財政の判断をしなければいけないというようなことの中で、真先にやり玉に上がっているのが公営交通だとか、市バスを止めよう、町営バスを止めよう。それから公立病院だって赤字だから、こういうものはもう閉鎖していこうというような動きがあります。

(揺らぐ生活基盤)

9ページをちょっと見ていただきたいんですけど。9ページには、「自治体経営医療施設の推移」というのを表にしています。これをご覧下さい。都道府県の病院もどんどん減っている。市町村立の病院も減っている。病床数だって同じだ。それから一般診療所の数もどんどん減っている。しかも民間では経営が成り立たないから、地方から撤退をしていく。そうするといま医療保険が大きな問題になっていますね。この医療保険の財政をどうやって立て直すんだということが、大きな問題になっておりますが。実は医療保険というのは、こうやってかかった医療費をどのようにして財源を調達していくかというファイナンスの問題にすぎないんですね。だから医療保険の財政が改善して、そして、強化されたとしても、医療を受けるチャンスがなくなってしまったら、これは全然意味がないということになります。

ですからこれが段々生活を維持するために必要な健康を守るための場も、地方から徐々に消えつつある。よく言われるシャッター商店街というような問題もありますね。これは買物の場が段々消えていっているということなんですが。しかしながら、このシャッター商店街、あるいはシャッター通りと言われている問題の本質は何だろうと考えたら、やっぱりマーケットが小さくなっているということが1つあるわけですね。だから売れない。でも売れないけれども、商店主ももう高齢化していっていますから、もう自分たちの世代でこの商売はたたんで構わない。子どもは都会に行って働きに出ている。という具合に考えると、シャッターが降りていますけれども、もう商売をしようという気ではなくて、むしろ商店の中で生活をする。いわゆる住宅代わりなんですね。だからシャッター商店街を何とかしなければいけないと、そこで商業政策だと言ってモニュメントを作りましょう、アーケードをきちんとやりましょうなんていうことをいくらやったって、これはシャッター商店街、シャッター通りの問題の解決にはならないということなんです。

ですからやっぱりそういう意味では、こういう生活の場をどうやってそれぞれの地方で維持をしていくのか。そのためには行政サービスも必要だ。でもそのためには体力が必要だ。だから自治体が合併をして大きくなって、そして、体力をつけて行政サービスを提供していこうではないかというのが平成の大合併だったわけです。それから生活基盤も揺らいでいるし、それは同時に産業基盤も揺らぐということにもなるわけですね。マーケットは小さくなりますから、当然企業はそこから撤退せざるを得ないような状況になってしまっている。そうするとますます働き口がなくなる。こういう3つの財政・産業、そして、生活。この要素が複雑に絡み合いながら負の連鎖に結びつき、地域の衰退に拍車をかけているんだということをいかに正確に理解をするか。このメカニズムをどうやって断ち切るのかというところが、ものすごく重要な課題になっています。

いま1票の格差問題、これは大きな問題ですよね。ではその格差問題、これをどうやって解決するかというと、まず真先に考えられるのは議員定数の是正ですよね。人口の多いところに議員をもうちょっと多く配分して、人口の少ないところからは国会議員の配分を少なくする。しかも一方で国会議員の数を減らしたほうがいいんではないかなんていうような声も一方であるぐらいですから、そうするとますます地方の声が届きにくくなっている。でも地方分権社会だったら、別に中央に東京に地方の声が届かなくても構わないんですよね。その地域で解決できるわけですから。ところがいまのような中央集権型のシステムの中では、地方の声が東京に届かないと地方の活性化にはつながらない。そこで東京はものすごく有利な状況にあるわけですよ。

そういう地方分権というのはなぜ必要なのかというと、やっぱり地方のことは地方で自らの手でやれるようにして欲しい。そのための財源・人材・情報、そういうものを地方でまかなえるようにして欲しいというのが、地方分権の本来の姿なんですね。ですから定数是正をやることによって1票の格差が、これは確かに縮まります。しかしながら、いまの人口移動をそのまま放置しておきますと再びまた格差が拡がっていって、もうどんどん、どんどん地方からは議席がなくなっていくというような、そういう状況になりはしないだろうかという心配をするわけです。ですからそういう意味では、人口が減少することをどうやって止めるのかということを考えていかないと駄目なんだということなんです。

いま地方からは財政が悪い大変だということで、地方交付税を増やして欲しいという要望が、これは出てきます。もう悲鳴のような形で出てきているわけですね。もちろん悲鳴を無視するわけにいきませんから、それは背景にはやはり国は地方に対していろんな仕事を義務付けています。これをやりなさい、これだけの人を配置しなさいといったような形で義務付けをやっている。それを忠実にやろうと思ったら、やっぱりお金が要るわけです。そして、地方税でまかなえないところがいっぱいあるわけですね。しかも地方税というのは地方税法という国の法律で国会で決めますから、地方税は地方で決めるわけではない。そうなると、やっぱりどうしても財源が足りなくなる。交付税で埋めてもらわなければ仕事をやれないよというようなことを地方から言ってくる。それに対しては、もう当然のことながら地方交付税を増やしていかないと地方行政はやれないという状況になっている。だから大事なんですね。緊急避難措置として地方交付税を増やしていくということは、これはやっぱりやらなければいけない。

しかしながら、それで地域の活性化が実現するということには決してならないわけです。国のお金を地方に配分するのか、大都市に配分するのかということで、大都市と地方の間でせめぎ合いが行われてきたわけです。それで地方のほうで何か得票が伸びなかったなあとなると、今度は地方にお金を渡す。今度は大都市の住民が反乱を起したとなったら、大都市にお金を落とすというような形で来たわけですね。でもそれだったら、もういわゆる日本の国民は振り回されてしまうということになる。だから根本的に解決をしていって負の連鎖をメカニズムを断ち切る。こういうことをやろうと思ったら、それなりの智恵を出さなければいけないということなんです。だからいままでのような地方交付税に依存する、公共事業に依存するといったような地域政策では、格差の縮小ということには絶対につながらないということをやはり認識をしなければいけないという具合に思います。ふるさと納税というのがありますよね。

ふるさと納税というのは、これも1つの大きな進歩なんでしょうけれども。実はこれも地方から大都市に若い人たちが移動をしていくということを、もう前提にした税制です。つまり若いときに、子どもの頃は地方で幼稚園に行ったり、小学校に行ったり、中学校に行ったりした。お金がかかった。でも働き口は大都市だと。そこで税金を納める。それではちょっと地方は困るんではないでしょうかということで、ふるさとに税金を一部返しましょうというのがふるさと納税なんですね。だからこれもやっぱり事後的な再分配、地域間再分配なんです。こういうものがもう前提になった制度であると、地方はやっぱりこれから発展していこうと思ってもなかなか難しいのではないかというような気がするわけです。

2.地域政策におけるパラダイムシフト
(地方分権は地域再生の環境整備-中央集権型地域政策の問題点-)

そこで地方分権なんですね。なぜ地方分権なのかというところを少しお話を申しあげなければならないという具合に思います。

ある程度やっぱり地方分権は大事だなというようなことは感じていらっしゃると思いますが、もう少し具体的にお話をしたいという具合に思います。地域政策においてかつてのいわゆる中央集権的なもうパラダイムでは駄目だということが明らかになってきているわけです。それはどういうことかというお話をしましょう。まずわたしたちは日本という国に生きています。そして、ある地域で生活をしています。その地域というのは、わたしたち人間、あるいは企業、そういう民間の経済活動を行っている主体をそこで入れる入れ物、容器なんですね。入れ物なんです。だから、ヤドカリが大きくなればまた変えていくように、地域の民間の活動、経済活動・社会活動にその地域の入れ物が合わなくなったら、これは困るわけですよ。

ところが合わなくなることが、もう普通なんですね。というのはなぜかと言うと、例えば土地利用だとか、住宅だとか、自動車の台数だとか、こういうものはすべて日本の場合にはマーケットメケニズム、市場のメカニズムで決まります。だからわたしたちはどこに住むかといったときに、1番自分の満足を最大にしてくれるところに住むわけですね。それから企業だってどこに工場を建てるか、投資をするかということを考えたら、やっぱり1番収益率の高いところに投資をするというのは、これは当たり前なんです。これがけしからんというわけにはいかない。だからマーケットメカニズムで民間の経済活動は動いていきます。

しかしながら、これはものすごく速いスピードで動いていくわけですね。そこで入れ物が合わなくなってしまう。だから入れ物を何とか変えなければいけないといったときに、その入れ物はハードなインフラであったり、制度であったり、いわゆるソフトインフラですね。インフラ整備をやらなければいけない。ところがこのインフラ整備をやるのは誰が決めるかといったら、住民なり国民が決めるわけです。つまり政治で決めていくわけです。市場のメカニズムが先行し、政治のメカニズムがそれを追いかけるというのが実態なわけですね。

ところがその実態はどういうことになっているかというと、政治はやっぱりどうしても遅れるんですよ。つまり地域でどんな問題が起こっているか。つまり容器が地域の活動に合わなくなっているという実態をきちんと認識をしなければいけない。そして、その認識をして政策立案をし、それを予算化し、そして、実現をしていくというようなやっぱり回りくどいことをやらなければいけないわけですね。

そこで問題なのは、いわゆる政治は遅れがちなんだけれども、その遅れがちなところを中央集権であるがゆえにさらに遅れる。日本の政策の1つの大きな問題はスピード感がないことです。いろんな政策をやろうと思っても、なかなか名前をどうするんだとかいったようなことで時間がかかってしまって、なかなかそれが実現しないというような実態があります。そういう問題があるんだけれども、中央集権であるがゆえに地方で起こっていることをまず認識をしなければならないですね。

先ほどちょっと地方から中央に対して問題点を話をもっていかなければいけないという具合に言いました、中央集権の場合には。だから中央でやっているときには、東京の問題はリアルタイムで政治家にも官僚にも情報として入ってくるわけですよ。ところが地域で起こっている問題というのは、実は地方の選出である議員も日常生活は東京でやっているわけですね。だから週末に地元に帰って何か活動をするというぐらいで、普段の生活はもう東京で行っているということになりますと、地方で起こっている問題を正確に認識することにずれが生じる、タイムラグが生じる。そこで今度はやっと認識ができたとしても、それを政策として実施するためには、またこれを国会で議論をしなければいけないわけです。そうすると大都市の人もいれば地方の人もいる。北海道の人もいれば沖縄の人も議員の中にはいるわけですね。そうするとなかなか意見がまとまらない。そうすると実施をするためのラグが出てくるという問題。こういう問題の中で地域という入れ物が地域の活動の実態に合わなくなってきているのに対して早く入れ物を変えたいと思っても、実際には意志決定をするための権限もない、お金もない。そして、いままで国依存型で来ましたから人材も育っていないといったような中でどうしてもタイムラグが生まれてしまって、容器入れ物が地域の実態に合わなくなってしまうという問題がいま起こってきているわけです。

そうすると民間活動はそんなのはドライですからね、地域が合わなくなったんだったら、もっと新しい自分たちに合った入れ物を探し移動していくわけですよ。これがまさに東京一極集中というところになっているわけですね。だからやはり政策は迅速でなければいけない。民間活動はものすごく速いスピードで変わっている。そういう中で入れ物としての地域を変えていく、それを早く変える。遅れるにしても出来る限りタイムライグを小さくするということを実現しようと思ったら、やはり意思決定、そして、お金、そういうものをすべて地方が手にしていなければ迅速な政策形成実施、これができないということになります。

それからもう1つ申しあげなければいけないのは、日本の地域というのは部品は立派なんだけれども設計図がお粗末だということです。いろんなところに行くと、各自治体に図書館はある、美術館がある、博物館がある。でもよく見て下さい。あまり人が大勢押しかけているというような状況ではないですよね。施設は立派なんだけれども集客力はあんまりなというような状況。それはなぜかと言うと、いまの日本の場合には立派な部品をどこかに作れば、そこに人が来てくれるだろうという、そういう箱物重視の箱物依存の地域政策だったわけです。だから美術館とかいうのを作るときには、どちらかというとあまり人が来ないようなところ、そこに作っているところが多いですよね。でも例えばコンサートを鑑賞して、そして、余韻にしたってあとで何かお茶でも飲みながら少し語り合いたいなと思っても周りには何にもないというのが実態。だから非常に不便なところにそれを作ることによって、そのあたりが活性化するんじゃないかという期待があるわけです。しかも補助金はそういう施設に対して出てきますから、施設と施設をもっと有機的に結びつけることによって地域の活性化を図るというようなことが設計図で必要なんですね。

だけどいまのは部品は立派だけれども設計図ができない。いまのようなものすごく多様な地域がいろんなところで出てきているということになっていきますと、国が画一的な設計図を作ってこれに当てはめないさいよというようなことは、ものすごく難しくなっている。それぞれの地域で優先順位も違うでしょう、インフラ整備の。それからソフトインフラだってもっと柔軟に変えていきたいというようなところもあるでしょう。そういうものが総合的にうまく結びついて相乗効果を与えながら、そして、地域の活性化を実現していくためには、それなりに立派な設計図が必要なんです。いままでのように、国が設計図を描くから地方は部品を補助金を使って揃えていきなさいというようなもう時代ではない。これが地方分権の1つの大きな目的だということを、認識をしていただければという具合に思っています。(後編に続く)


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後編(前編より続く)
(公共投資改革は地方分権の本丸)

中央集権的なシステムがいかに大きな弊害を持っていたかということを更にお話をしたいと思いますが。まずわたくしは地方分権の本丸は、公共投資にあると思っているんですよ。やっぱりインフラ整備は大事なんですね。九州だっていろんな食材があるにもかかわらず、やっぱり物流の機能が弱いためになかなかうまくいかないとか。あるいは観光客を呼ぼうと思っても、交通機関が十分に整っていなければ、やっぱり非常に不便だから観光客も来てくれない。そういう意味では、インフラ整備はものすごく大事です。

しかしながら、どのようなインフラにどれだけのお金をつけるのか、あるいはどの地域にどれだけのインフラを整備するのかということは、これはやっぱり国が考えるんではなくて、地方が考えなければいけないわけですね。そういう意味で、公共投資は地方分権の本丸だという具合に言いたいわけです。

そこで13ページをご覧下さい。従来型公共投資はいかにうまく機能していなかったのかというお話をいたします。横軸にちょっと分かりにくいですけども、行政投資の地方圏のシェアをとっています。これはシェアが大きくなればなるほど、つまり地方にお金が多く下りているという、だから右側に行けば行くほど地方のシェアが高いということですね。それから縦軸は、これは1人当りの県内総生産の金額の格差です。これは変動係数というところで表示をしております。変動係数というのは、格差が大きくなればなるほど変動係数は大きくなります。格差がゼロになれば変動係数はゼロということで、上に行けば行くほど格差が大きいということなんですね。

そこで公共投資の地方圏のシェアと1人当りの県内総生産の格差の関係を見てみましょう。そうするとどうも右下がりの傾向が見えるようだという感じですよね。その傾向を表しているのが、右上のちょっと直線で書いたところです。1960年代日本の高度経済成長期は、このあたりにあります。変動係数が高い。地方圏のシェアもあまり大きくない。1970年代に入って公共投資を地方圏にどんどん重点的に配分をするようになります。その結果右のほうにシフトしていくと同時に、変動係数が小さくなっていますね。だから右下がりの線が描けるわけです。そのときにどういうことになったかと言うと、さあこれでいよいよ地方の時代だ。もう大都市の時代は終ったというようなことをよく言われました。いままで大都市に人口が移動していたものが逆転するんですね。こういうJターンとか、Uターンとか、こういうような状況が1970年代に起こったわけです。「ふるさと創生」だとか、「一村一品」だとか、「地域おこし」「町おこし」こういうものも全部1970年代です。

この1970年代に地方の時代だと言っていたところが、実は1980年代に入りますと国の財政が極端に悪くなります。そこで国の財政を良くするために公共投資の予算を抑えるんですね。この公共投資予算を抑えるときに、実は大都市の公共投資というのは下水道をはじめとしたいわゆる生活関連型にシフトしていっていますから、大都市の公共投資を抑えるのはなかなか難しいわけですよ。そうすると公共投資予算を削減しようと思ったら地方の産業基盤型の公共投資を抑えるということになって、その結果地方圏のシェアが段々小さくなっていくと同時に変動係数が大きくなる。また再び格差が拡がっていくという状況になってしまった。そうすると1970年代にこれだけ地方に重点的に公共投資を配分したにもかかわらず、地方の経済構造、これが根本から改善されていなかったというのはいったいなぜなんだろうということに気がつかなければいけない。

本来ならばそこで気がつくべきところが、実は今度1990年代に入ってバブルが起こって、そのバブルがはじけて景気が悪くなって経済対策だということになるわけですね。その経済対策をやはり公共投資でやるわけです。その結果地方の公共投資のシェアがまた大きくなっていくと格差が縮まっていく。その公共投資もまた財政が悪くなるということで抑えられていくと再び格差が拡がっていくといったような、もう地域間格差が公共投資に左右されてしまっている。ある意味で振り回されてしまうという状況なんですね。公共投資というのは、本来ならばそれによって地域の活性化ということが実現できなければいけないわけです。

ところが、そうならなかった。ちょっと公共投資との関連で、実は経済の状況がマクロで良かったらどうなるんだろうかというのを計算で示しております。これで見ると、ちょっと左上のところに数式が書かれています。これをご覧いただきますと、実質GDP成長率というのがありますね。その前に0.0031という数値が書かれていて、重要なのはその符号です、プラスです。つまり日本全体のマクロパフォーマンスが良くなると格差が拡がる、景気が悪くなっていくと格差が縮まるという傾向にあるということなんです。これは大きな問題なんです。いまようやく、ようやくと言ったら言葉にちょっと語弊がありますけれども、景気が悪くて東京でも働き口を探すのが大変だということになってくると、地方から大都市東京に移動する人がちょっといま頭打ちなんですね。しかも景気が悪いですから、地方の人たちが大都市東京の大学に通わせるのはものすごくお金がかかるから止めておいて、地元の大学へ通わせようということになりますね。だから景気が悪くなると格差が縮まるんですよ。

いまよく言われるのは、もう東京一極集中に歯止めが掛かったなんていうようなことを言う新聞もあります。だけど確かに規模から見るとそうなんです。だけどその背景には何があるかといったら、東京でもなかなか働き口を探すのが難しくなったということなのであって、景気が良くなるとまた再び東京シフトというのは起こります。大学だって一緒です。つまりこの符号をむしろマイナスにしなければいけないということなんだと思います。

つまり日本の景気が良くなれば格差が縮まるんだと。でも実は地方の景気が良くなって格差が縮まれば、日本の経済が良くなるというように考えなければいけないわけですね。これが多分この塾のテーマではないかという気がします。つまり地方が良くならなければ日本は良くならないよということなんです。

いま日本が良くなったら格差が拡がりますよという状況が、これまでずっと続いてきているということなんですね。だから公共投資というのは、実は先ほどから言っているようにインフラ整備のためのものです。ところがいままでの公共投資というのは、景気対策なんですよね。景気が悪くなったから経済対策で公共事業をやりましょうという、いわゆるケインズ政策。経済学で言えば偉大なる経済学者ケインズが、景気が悪いときには財政赤字を出して公共事業をやろう。景気が良くなったら、その代わり財政は黒字にして景気を冷やそうというのが、これがいわゆるケインズ政策です。

日本はそのケインズのやり方ということに対して批判的な考え方がありました。1980年代にいわゆる福祉国家の建設をやっていったことが大きな問題なのではないかということで、1980年代に入るといわゆる「新自由主義」という考え方の中で、むしろ働く意欲だとか、企業の投資をする意欲だとかというようないわゆる供給側の側面を重視するような政策をとるべきだということで、ケインズ政策というのはむしろ需要型の政策ですから、これを反省をしようではないかということで、ケインズ経済学をやっているというのは先端の経済学をやっていないような感じで受け取られたことがありました。しかしながら、景気が悪くなると日本人は1億総ケインズ案になるんですよ。そういう状況の中で、公共投資というのが考えられてきているわけですね。

ところが公共投資というのは、インフラ整備が目的です。インフラ整備というのは、ストックなんですね。公共投資というのは、フローです。毎年毎年これだけの金額がお金が流れていきますよ。でもストックというのは、そのお金が流れたそれを蓄積したものがインフラです。大事なのは、このインフラからどれだけの事業効果が出てくるかということなんですね。事業効果というのは生活の利便性が高まっているのか、あるいは産業活動にとってその地域がふさわしいものに変わっていったのかといったような、そういうインフラから出てくる事業効果を高めるということがインフラ整備、つまり公共投資の目的なわけです。

ところがいままでは、景気対策がメインだったんですね。その景気対策というのは、これは実は財政学の考え方からいくと国の役割だと言われています。つまり地方が個別に景気対策をやったって意味がないよと。日本全体でかさ上げをするような取り組みをしなければいけないということで、景気対策は国の役割。だから公共投資も景気対策だから、国の役割という具合に言われてきたわけです。

ところがその結果どういうことになっているかと言ったら、金額は大きかったんだけれども、いま先ほどの変動係数と地方圏のシェアの関係で見たように、公共投資が地方圏に重点的に配分されたにもかかわらず、1980年代になるとまた再び格差が拡がっていくというのは、公共投資が事業効果を十分に発揮していなかったということの証左なんですね。そのことで、いま公共投資が無駄が多いというようなことが言われるわけですよ。だから例えば道路を見ても、車が走っていないような道路を作ってどうするんだというようなことがよく言われる。そうなってくると、いままでは公共投資というのは景気対策なんですから、別に極端なことを言えば道路であろうが、ピラミッドであろうが、何でもいいわけです。そうすると無駄が多いという具合になってきて、そこで金額を減らさなければいけないという話になるわけです。そこで対前年度比何パーセント削減というようなことになってくるわけですね。

ところがこの数値目標、つまり量的な削減なんですよ、いまの公共投資の改革は。だからいままでのような従来型の公共投資で国が何を作るか決めるといったようなそういうシステムを続けたままで量的な縮小をやったって、これは財政収支の帳尻を合わせるための改革にすぎない。むしろ大切なのは、その地域にとって事業効果を高めるためにはどのようなインフラ整備をしなければいけないのかということを考えていくことなんですね。だからわたしは公共投資は地方分権の本丸だという具合に言ったのは、まさにその地域に合ったインフラ整備ができるかどうかというところが地域の活性化にものすごく大きく影響するということがあるからです。関西で国土交通省近畿地方整備局が大戸川ダムというのを整備するかしないかというところで、ひとつ地元と国交省との間でバトルがありました。かつて近畿地方整備局が、それを計画を作ってダムを作りますよということを決めたわけです。ところがそれに対していまの地元が、そんなに立派なダムは要らないんではないかというようなことで、ちょっと対立をしてきたわけですね。

そこでよく考えてみると、いくつか問題があります。1つは、国がダムを作ると決めたら、もう地方がそれに対して負担を義務的にしなければならないという、そういう仕組みがいまあるということなんですね。これを「直轄事業負担金」という具合に言います。だから国が東京霞ヶ関でダムを作りますよと決めると、それを作れば地方はそれの何割かの地元負担をしなければいけない。それの理屈は当然ダムを作れば確かにこれは国の政策なんだけれども地域にとってプラスになるはずだ、利益を与えているはずだから地域の住民だって負担をして下さいねというのが直轄事業負担金の根拠なんですね。

財政が良かったときには、地方は分かりましたと。例えば3割の負担をすれば7割は国がお金を出してくれるわけですから、そういう意味ではものすごく巨額の補助金が出るみたいな思いでダムを作ることに大賛成とやってきたわけです。だけどいまはもう財政が悪くなっていますから、そんなところに義務的にお金を払わなければならないというのだったら、ちょっと待って下さいよと。むしろ地方にはもっと違う優先順位の高いインフラ整備があるんではないかと、お金の使い方があるんではないかというようなことで、これは財政が悪くなったために地元から反対が出てきたんですね。

そこでわたしは自治体の方に、では直轄事業負担金がなくなったらいいんですか。つまり100パーセント国が負担するんだったらそれでいいんですかと聞いたら、それだったら構わないかなあということを言ってくれるわけですよ。確かにその通りなんですけど、実は大事なのはそのダムを作るための経費が、費用が、支出が全額地方にもし回ってきたら、地方はもっと違うお金の使い方ができたのではないかというところが大事なんですよ。だから直轄事業負担金がなくなれば万々歳ではないんですね。

そこで国交省でじゃダムが大事ですか、道路に優先順位の高いものをつけますかというと、それは比較できないわけですよ。ダムはダムで大事、道路は道路で大切ということにしかならないんですね。でも資源というのは限りがあるわけですから、その限りがある資源の中でその地域にとって何が1番優先度が高いインフラ整備なのかということは地元でなければ分からないわけです。だからそういうことを地元で行えるようにしていかなければならないという意味で、公共投資は地方分権の本丸だという具合に位置づけています。そして、これからちょっとお話をするのは、国が1つの画一的な政策の中で意思決定をやっていくということは、もう日本は限界があるのではないかというお話です。

(豊かな小国)

「豊かな小国」というお話をいたします。いま日本のGDP国内総生産はいままでは2位だった、アメリカに次いで2番目の大国だったと。それが中国に抜かれるという可能性がありますね。それはもう当然なんですね。これだけの規模が、人口規模だって全然違うわけだし当たり前なんですが。いままではよく言われるのは、やっぱりGDPが全体が世界で何番目かというところで、大国かそうではないかということの比較をしてきたわけです。

だけどいま大事なのは、1人当りのGDPがどれぐらいあるのかということを考えていかなければいけないわけですね。だから中国の場合は、1人当りのGDPはやっぱり日本の10分の1ぐらいです。それは人口が10倍ですからね。そこで1人当りのGDPが高いところはいったいどういうところなんだろうかということを、ちょっと紹介したいと思います。15ページです。これを見ると、OECDといういわゆる先進国の仲間に入っている国々のデータなんですね。

これを見ると、1位がルクセンブルグ。2位がノルウェー。これはドル換算をしていますので、為替レートが変わるとだいぶ順位が変わります。ですけども一応国が出している統計で1番直近のデータを使ってやっています。これはちょっといま117円でこれを計算しているので、いま円高ですから日本の順位はもっと上がります、ドル換算ですので。ですけどもこのときの順位でいくと、ルクセンブルグ・ノルウェー・アイスランド・アイルランド・スイス・デンマーク・スウェーデン・オランダ・フィンランド、いかがでしょうか、小国ですよね。スウェーデンだって、人口1,000万人ぐらいですよ。大国で1人当りGDPが高いのは、イギリス・アメリカ。そして、日本の南関東はこれだけ経済が活性化しているんだからどうだろうと思っても、実はオーストリアと同じぐらいなんですね。

そして、ずっと行って東海地方がドイツとイタリアの間にある。そして、日本がこのあたりに来る。中国地方・近畿地方・北陸・スペイン・ニュージーランド、そして、東北・北関東・四国・北海道・九州・沖縄、そして、ポルトガル。これを見ると日本の1人当りGDPってそんなに高くないですよね。これから考えなければならないのは、1人当りのGDPをもっと大きくするパワーキャピターでいこうということなんですよ。それが豊かさを感じさせるかどうかということなんですね。そこで、ではなぜ日本はこれだけ規模が大きいにもかかわらず、1人当りGDPが小さくなっているんだろうかということに疑問を感じなければならないわけですね。そこでアメリカはこれだけ巨大な国だけれども1人当りでも高い水準にあるというのはなぜかと言うと、アメリカは徹底的にマーケットメカニズムに依存した、そして、地方分権国家であるということなんですね。連邦制をとっている。アメリカは確かにニューヨークに経済は集中していると言われますけれども、実はニューヨークに集中している企業というのはいわゆる金融・証券そういうところなんですね。いわゆる製造業というのは、いろんなところに本社があります。いまグーグルアースというところで、例えばグーグルの本社ってどこにあるんだろうかということでクリックすると、ずっとズームインしていきますよね。そして、とんでもないところに連れて行ってくれる。だからいまアメリカでは、やっぱり各州に本社がある。アメリカ人と話をすると、当たり前でしょうと。どうしてあんなニューヨークのような地価の高いところ、人件費の高いところに物価の高いところに本社を置かなければいけないんですか。それよりもっと遠いところでも、地価が安くて、人件費も安くて、人材が豊富で、そういうところに本社を置くのが当たり前でしょうというのがアメリカ人の考え方なんですね。

ところが日本では、これだけ地価が高くて交通混雑があり通勤地獄である東京にまだ本社を置かなければいけないというのはいったいなぜなんだろうと考えると、その背景にはやっぱり中央集権的な意思決定システムというのがあるわけです。つまりわたしたちは情報化社会というのが、実は地方分散を進めるのではないかという具合に思ったわけです。つまりこれだけ情報化が進んでくると、インターネットでリアルタイムで地方で情報が入ってくる。そしたら何も東京に意思決定機関を置かなくても構わないじゃないかと思ったわけです。

ところが逆だったんですね。これはなぜかと言うと、1つは情報というのはいろんな媒体を通じて情報が入ってきます。その1つはインターネット、あるいはテレビ、いろんなものがありますが。そういう情報というのが入ってくると、わたしたちは知らなければよかったのに知ってしまったために、もっと深い詳細なことを知りたいという気になってくるわけです。だから知らなければよかったのに知ってしまったために、ではインターネットですべての情報が手に入るかといったら、そんなことはありません。やっぱりインターネットだって一部しか情報は提供してくれませんから、そういう意味ではもっと深いところまで知らなければいけない。

そういう機会を通じた情報量が増えてくればくるほど、フェース・ツー・フェースの情報の重要さというものが大きくなっていくんですね。従って確かにインターネットは便利になった。だけどそれに比例して、フェース・ツー・フェースの情報も重要になってくる。だから規制が日本では非常にきついです。いわゆる規制社会だと言われている。これがもし仮に規制が緩ければ、別に役所にお伺いを立てなくたって構わないということであれば、それほどフェース・ツー・フェースの情報は重要でないかもしれない。だけどいまのように微に入り細に入り、地方だって例えば小学校の教室の天井の高さを何メートルというようなところまで決めたりというようなことまでを忠実に守ろうと思ったら、やっぱり中央へ行ってフェース・ツー・フェースの情報から情報を得るというようなことを考えなければいけない。

でもアメリカは実は連邦制ですから州で権限を持っているわけですね。そうしたら別にワシントンでなくても構わない、ニューヨークでなくても構わないということがあるので、1人当りのGDPはあれだけの大国だけれども高いところにある。日本に比べると、イギリスだってもっと合理的です。いいところはいいということで、政権が変わっても継続してやりましょう。そして、ものすごく合理性のある国民ですから、そういう意味では高いのかもしれない。そこで日本がこれだけ経済規模が大きくなっているにもかかわらず、1人当りでいくとそんなに高くないのはなぜなんだろうかというところで、やっぱり国の国土政策・地域政策にひとつ大きな問題点があったのではないかということを考えていかざるを得ないわけです。

つまりここで上位に挙がっているスウェーデンにしても、ノルウェーにしても、北欧の国々は分権国家です。それから実験国家です。そして、福祉国家なんだけれども、その背後には産業は福祉の糧であるという考え方が国民の間に拡がっています。だからただ単に福祉をやっているだけではなくて、やっぱり産業を活性化しなければ福祉はできないんだという考え方。これはかつてスウェーデン病なんて言われて、働くよりは社会保障を受けているほうがいいよというようなときがあったんですね。これに対する反省があって、やっぱり産業の活性化を図らなければいけない。そのためにはいろんな実験をやらなければいけないというようなことの中で、実験をやり地方分権を進め、そして、いわゆる多国籍企業なんかの本社がスウェーデンに立地している。あれだけ国民負担率が高いにもかかわらず、経済状況はいいというのが小国なんですよ。

ところが日本の場合には、中央集権で国が意思決定をします。迅速ではない。それから部品は立派だけれども、総合的な政策ができないというようなこと。そして、何よりも問題なのは、実験ができないということですね。実験をしようと思ったら、やっぱりそれなりの成果が上がらないとなかなか実験はできません。日本は1億2千万人、1億3千万人の国民を相手にして国が画一的な政策をやろうとしているわけですから、すべての国民から納得を得られるような政策でなければなかなか実験はできないわけですね。だからようやく最近は構造改革特区のような形で特区を作ってそこで実験をやりましょうというようにはなりましたけど、これは実はなかなか実験ができない。わたくしが住んでいる関西で1995年に阪神淡路大震災が起こりました。そのあとの復興を何とかしたいと言ったときに、関西から神戸市・兵庫県が何とかこういう制度を作ってもらえないかというようなことを国に陳情に行ったわけです。ところが特別扱いはできないというようなことで断られました。もちろんわれわれは復旧の段階はこれは国のお金なんですね。だけど復興ということになってくると、地域づくり町づくりですから、特別扱いをして欲しいというのもなかなかこれは言いづらいところはあるわけです、国に対して。国だってなぜ阪神間だけが特別扱いされるのと言われるのはやっぱり困るわけですから、そういう意味ではやっぱり1億2千万人~1億3千万人を対象にしてコンセンサスが得られるような政策にどうしても行かざるを得ないわけです。そうするとあまり思い切った実験はできないですよね。

だからそういう意味では、小国が実験国家だというのは、やっぱり機動力があるからですよ。900万人ぐらいで、あるいは1,000万人ぐらいで。そして、しかも地方分権を進めていますから、それぞれの自治体で一度やってみようと、実験をやろうと。もし駄目だったら、それはあんまり被害は大きくないわけですね。だから地方分権で1つ大きなメリットは、やっぱり実験がしやすいということです。その実験もそれぞれの地域に合った実験ができるという。だからよく道州制の議論のところで、例えば関西はどこどこの国に匹敵するぐらいの経済規模がありますよとか、九州は1国に匹敵するぐらいの規模があるんだというように規模でよく議論をしているんですけど、大事なのは規模よりはむしろ1人当りのGRP(域内総生産)、これがあまり高くないですよということで。では高めるためにはどうしたらいいんでしょうかということで、比較をしたほうがいいのではないかという気がします。だからいま道州制という議論が出てきておりますけれども、実はこの道州制も紆余曲折があります。考え方もだいぶ違います。

わたしは実は道州制というのは単なる制度改革ではなくて、地方分権を進めるための、そして、ある意味地域の活性化のための道州制というように考えているんですね。それはなぜなんだろうかということを、ちょっとお話をしたいと思いますが。そのためには地方が、あるいは地域が再生するための条件とは何だろうということを考えていかなければならいと思います。

3.地域再生の条件
(地域再生における「自律」要素と「自立」要素)

そこでまずいまいろんなところで疲弊しているとか、衰退しているとかと言いますけど。とにかく地方分権時代、あるいは地域主権時代なんだから、地域は自立しなければ駄目ですよというようなことをよく言われますよね。そこで自立をしたいわけですけど、ここで重要なのはわたしは活性化において自立というのが2つの自立があるという具合に思っています。1つの自律は律するほうの自律、もう1つは立つほうの自立です。この自立がわりとあまり注意を払わない形で、どちらかと言うと立つほうの自立が多いですかね。実は律するほうの自律というのは、これはやっぱり自ら発展するための要素、あるいは芽ですね、シーズですね。これが地域内にもう既に内在している。それを使えば発展していくというのが律するほうの自律要素です。実は農業を中心にしていた時代には、その地域で農業を、あるいは漁業で第1次産業でそういうシーズがあるわけですね。だから発展も可能だったわけです。

ところがいま日本のいろんな地域を眺めたときに、この律するほうの自律の要素を持っているところ、つまり公的な部門が関与しなくてもその地域が自然発生的に発展してというような要素、これを持っている地域がどれぐらいあるかということを考えると、もう殆どそういう地域はなくなりました。かつて神戸、これは大阪の隣にあって人口100万人を超える、いま150万人か160万人ぐらいだと思いますけれども、「神戸市株式会社」ということを言われた時代がありました。

つまり神戸市は大阪に比べると民間の力がそれほど強くはありません。しかしながら人口100万人を超える人たちの生活を維持していかなければならないわけです。そうすると神戸は何にその活路を見出したかというと、自立は律するほうではなくて、むしろ神戸市を自立させようと。そのためにはどうするかと言うと、山を削る、そこに住宅地を作る。そして、削った山の土を海に持っていって島を作るというような大規模公共事業をやったんですね。あるいは民間の力ではどうにもならない、例えばよく言われるのはデイズニーランド、これは完全に民間ですよね。

ところが大阪にあるユニバーサル・スタジオ・ジャパン、これは第3セクターなんですね。なぜそういう同じテーマパークであるにもかかわらず第3セクターと民間なのかというと、やっぱりマーケットの大きい関東だったら民間でちゃんとやれるんです。ところが関西だとやっぱり第3セクターでないとなかなか経営が厳しいということになる。それと同じことが神戸でもあったわけです。そこで神戸は株式会社と言われて外郭団体をいろいろ作って、そして、そこでいろんなサービスを提供する。そこに人材を派遣して経営のノウハウを学んで、また本体に戻すということをやってきたのが神戸市でした。つまり神戸市には律するほうの要素があまりなくて、大阪のようにはなかったために自立をしなければならないということで立つほうの要素を身につけていったわけですね。いま大阪ですら律するほうの要素がなくなっている。

いま日本でわたくしの直感では、律する要素、自律を持っているのはもう東京ぐらいではないだろうかと思います。神奈川県だって東京があるからこそ発展しているわけで、埼玉も千葉もそうですね。だから何もしなくても自然発生的に発展していくというのは、もう東京ぐらいだ。だから自律の律するほうの要素がいまなくなってきているということを考えると、どうしても立つほうの要素を身につけていかなければいけないわけです。つまり発展しようという意欲、そして、それを実現するための能力、こういうものを原動力とした発展、これがいわゆる自立なんです。

そこで地域によっては自立をしよう。そこで工場を呼んでこよう。企業立地をもっと促進させよう。これも立つほうの自立の要素です。これは大事です。ですけど、それだけでは駄目なんですね。自立の要素を律するほうの要素に変えていくということが大事なんですよ。経済が発展するというのは、いま域内総生産とか、県内総生産とか、そういうので測りますよね。でも経済的な成長というのは公共事業を呼んでくれば域内総生産は増えますから、それでも成長するんです。工場を誘致してきても成長するんです。でもそれで終ってしまったら、いままでのような外発的な発展なんです。

これから大事なのは内発型の発展にそれを転換していかなければいけない。つまり自立の要素によって呼んできた企業を、その地域の住民にいかに転換していくのかというところなんですね。それが徐々に律するほうの自律要素を作り上げていくことになるわけです。いま工場誘致で地域の活性化を図ってきたということが、いままでの日本のあり方でした。その結果いわゆる国土の均衡ある発展の中で、どんどん地方で工場立地が進みました。大都市は大都市で抑えていきましたから、工場を追い出したわけですね。大学だって大都市から追い出されたというような状況の中で、確かに工場は地方で増えた。

しかしながら工場は増えたけれども、結局地方はどうやってきたかと言うと、スペース(空間)これを提供していたに過ぎなかったんですね。だから工業団地を作りますよ、だから工場は来て下さい。でもそのときには国内で比べるとその地方の地価は安い、だから魅力がある。だけどいまは人件費だって地価だって日本の国内の地方よりももっと安いところがいっぱいあるわけですから。そういう意味では単なるスペースを提供するだけでは、これは駄目なんですね。

企業の論理から言えば、当然それよりももっと立地条件のいいところがあれば移っていきます。これはまさにグローバル化社会の1つの側面なわけです。そう考えていくと、いままでのように団地を作りましたよ。工業用地を提供しますよ。埋立地を提供しますよ。だから来て下さいということだけで来てもらったとしても、そこでやれやれで終ってしまうと、結局はまだもっと有利なところがあれば抜けてしまうということになりかねないわけですね。だから工場誘致というのは、実は自律型、律するほうの内発型の発展のいわゆるスタートラインなんだという捉え方をしなければいけないわけです。いまの自治体はどちらかと言うと、知事も市長さんもそうなんですけれども、わたしは工場を呼んできました。これで雇用もできます、それから税収も増えます。だから成果がありましたと言ってしまっているわけです。それだったら、もうかつてのやり方と一緒なんですね。それをいかにして発展の原動力にしていくのか。自立、立つから律するに転換していく、それがまた立つほうに変わっていくというような、そういうメカニズムをいかにして作っていくかということなんですよね。そのために大事なのは、1つはやっぱり「人」です。

(地域再生リーダーとしての自治体へ)

地域が活性化しているところというのは、必ずといっていいほどリーダーがいます。例えば湯布院にしてもそうだし、いろんなところで地域のリーダー、民間のリーダーが頑張ってやったところは発展していっているんですね。ですけどもこれだけの地方がある中で、すべての地域がそういう民間のリーダーに期待できるかといったら、これはなかなか難しいです。

本来ならば東京に出てきて、そして、いろんなものを身につけて地元に帰って、そして、そこでリーダーになってその地域の活性化に尽くしてもらいたいという具合には思いますけれども、なかなか難しい。そうすると結局民間のリーダーに頼れないところは、自治体が頑張らなければいけないわけですよ。いままでのように行政は役所が最大の産業であるなんていうのは、これは要するに雇用の吸収源であり、それから公共投資の発注元ですよね。そういうような状況の中で役所がいままでは生きてきたものが、これからは地域においてリーダーにならなければいけない。

そのためには、やっぱり人材が能力をつけなければいけない。いまのような小規模な自治体では、1人の人が税金のこともやらなければいけない、窓口もやらなければいけない、いろんなことをやらなければいけないような状況の中で、地域の活性化のために必要な人材というものを生み出していくのはなかなか難しいわけです。そういうようなことで、合併をしていくことで人材を生み出していくということも1つあるかもしれない。

そして、自治体は、とりわけこれは首長さんがそうなんですけど、やっぱりシナリオライターでなければいけないんですね。それから場合によっては、主役を演じるということも必要なんですよ。舞台のセットもやらなければいけないというのが自治体なんです。だからいままでのような、ただ公務員として雇って給与を払いますよということだけではなくて、地域の活性化のためのリーダーとして自治体がどれだけの力を発揮できるかというところが大事なんですね。そのための努力をしていかなければならないということが1点。

そのためには人材が要る、お金が要る。いまのままの単独の自治体では、冒頭で申しあげたようないわゆる財政規模が小さければ、人口規模が小さければ財政負担が大きくなる。だからもっと大きくすることによって財政に少し余裕をもたせて、そのお金をそういうところに使えるような仕組みをもっと考えていかなければならないということ。それから律するほうの要素は、実は単独の資源ではなかなか難しいんですよ。

新しいものが生み出されるというのは、いろんな技術やいろんな資源が多様な資源が融合されてはじめて新しいものが生み出されるんですね。だから異業種交流というのが大事だというのは、そういうことなんですよ。だからそういうことを考えていこうと思ったら、やっぱり隣の自治体と連携をして手を結んで、隣の自治体の優れているところも、そして、自分の自治体の優れているところとうまく手を結びながら連携しながら発展をしていくことによって律するほうの自律要素を作っていくという努力も必要になってきます。

4.地方分権と連携はコインの表裏

ですから地方分権を進めていくということは地域の活性化の環境整備なんですけれども、地方が連携をするということもものすごく重要なことです。

これは実はEUを見れば明らかです。EUというのは、いまどんどん、どんどん拡大していっていますよね。それからユーロに加入するかしないかというところでも、いろいろ国の間で議論をしておりますよね。ユーロを使うという、つまりいままでだったらドイツのマルクだとかフランだとか、そういう国の固有の通貨があったわけです。しかも国が独立しているときには、いわゆる為替レートが変わることによって貿易収支の赤字とか黒字の調整メカニズムがあったわけです。

ところがいまはユーロ圏になってしまうと、そういうものもなくなるわけですね。ユーロとしての価値が決まってしまうわけで、そういう意味ではいままでのような為替の調整メカニズムが使えなくなってしまっている。それでも、いいんだと。それはなぜなんだろうと考えたときに、ヨーロッパがこのままでそれぞれの国が独立して自らの国のことしか考えていなければ、巨大国であるアメリカに飲み込まれてしまう。ヨーロッパとしての生き方これがもう希薄になってしまって、もうヨーロッパらしさがなくなるということに危機感を感じて、そこでヨーロッパが1つまとまりましょう。そうすることによって、アメリカに対抗しようと。いまユーロがものすごくやっぱり強くなりましたよね、かつてに比べると。こういうことは実は広域的な取り組みのように見えるんだけれども、実はそれは巨大なアメリカに対してそこから独立をするためのEUなんだという具合に考えると、連携というのはただ単に地域を大きくするということではなくてむしろ地域を活性化させる、そして、その地域らしさを発揮するための自律の要素、そして、内発的発展を実現するための連携なんだというように考えていかなければならいのではないかという具合に思っています。

(道州制を考える)

いま道州制の議論がとりわけ九州で活発に起こっています。わたしもつい先日鹿児島県で講演をいたしました。実は鹿児島県議会が音頭をとって、そして、九州の沖縄も含めた各県の議員さんの研究会をやりましょうと。「九州・沖縄未来創造会議」というのを立ち上げて、そして、みんなで道州制について議論をしましょう。これをもっとオープンにして、そして、九州の県民がそれを見れるようにしましょうというような、そういう取り組みをいまやっているんですね。

ところが一方で道州制という話になると、もうそれは何か駄目だというように言ってしまう方もいろいろたくさんいらっしゃいます。これではやっぱり困るんですね。道州制というのはまさに地域の問題ですから、地域発の発想でいかなければいけない。そういう具合に考えると国がその地域政策をどうあるべきかということを考える時代ではなくて、むしろ地域から発信をしていっていま地域ではこんなことをやりたいと思っている。だからこういう制度でなければ困るんですというようなことを地域の住民と一緒になって議論をしていく中で関心が高まり、そして、地域の活性化についてのいろんなアイデイアが地域から出てくる。それが地方分権への大きなエネルギーとして発揮されていくのではないかというように思います。

地方の問題というのはこれは非常に大きな根深い問題ですけれども、足元の問題だけではなくてやっぱり10年、20年、30年先の地域を見据えて、いまどうすればいいのかということが重要です。

最後に日本の政策の問題点を申しあげますと、長期的な視点がかなり欠けているということです。確かにいまの行政はやっぱり次の選挙をにらんでいるとか、いま足元に起こっている問題を何とか解決しなければいけないということで行政が行われているわけですけれども、実はそれの積み重ねが将来を決定付けるわけですね。でも30年先を見据えていけばこれからの10年先というのは長い話ではなくて、30年後の内の最初の10年という捉え方、こういう捉え方をすることによってかなり展望が開けてくるということと。そして、もう1つはイノベーション、小さなイノベーションでもいいんですね。別に画期的なイノベーションでなくてもいいんですよ。いままでこんなことが不便だったなあと思うようなことを意見聴取して、企業誘致をするんだったらどういうところに気をつければいいんだろう。例えば交渉事だってワンストップサービスでやったほうが企業にとってはものすごく助かるわけですね。こういうようなものの積み重ねが実を結んでいくという、小さなイノベーションの積み重ねということも非常に重要なのではないかというように思います。

ということで、「地域の実像と再生戦略」、本当はもっと具体的なところまでお話をしなければならないんですけれども、実は具体的な戦略というのはそれぞれの地域で考えなければならないことなので、わたしは言うべきものではないだろうという具合に思います。わたしは関西については言う資格はありますけれども、むしろ地域でそれぞれの方々が考えていくべき問題だという具合に思うところであります。以上でございます。

質疑応答(前編・後編)

質問者:
先生は道州制などのメリットを挙げられておりましたが、メリットがあるということは、デメリットもあるわけですよね。それは、どのようなものでしょうか。またそれに対する対策は、どのようなものが考えられますか?

林先生:
改革というのは、必ずメリットとデメリットがあります。ただデメリットというよりは、副作用とわたしは言ったほうがいいのかなと思ったりするんですが。道州制に対するデメリットは、例えば九州だったら道州制になってしまったら福岡に更に集中が起こって、そして、他のところは取り残されてしまうのではないかというようなこと。それから住民から遠くなってしまうから、県よりも広くなりますからね、だから声が届きにくくなるんではないかといったことが、よく言われるわけです。

だけどそんなデメリットは、あるいはそんな副作用は消せるんですよね。ここにもちょっと書いていますけども、今日はお話しできなかったけれども、福岡集中は民間経済活動は例えば熊本県・長崎県・佐賀県というように分かれていても福岡に集中するんですね。ところが県に分かれていると、福岡に集中したことによって出てくる果実、これは福岡の独占状態になります。それをもっとみんな九州全体の果実に変えていきませんかというのが道州制なんですね。

だから確かに役所がひょっとすると総合州庁のようなものが、州都が福岡にできれば、役人は福岡に多くなるんでしょうね。だけどそうならないような道州制にすればいいんですよ。つまり経済の州都、例えば経済産業省は福岡に置きましょう、農林水産省は宮崎県に置きましょうというような、そういう分都型、つまりドイツ型の連邦政府にあるような中央省庁を分散させればいいんですよ。それは州が考えればいいんです。

何も東京で九州の州都は福岡だとか、熊本がいいんではないかとか、そんなことを考える必要は全然ないわけで、むしろ州都をどうするかというのは州で議論しなければいけない。だからいま例えば九州で州都が福岡になるんだったらわたしは反対という方は多分いるでしょう。でもそれだったら、そうならないように考えればいいんですね。何も別に道州制の州都はどこどこに置かなければならないなんていうようなことを国が決めたら、わたしは反対しますから。だからそういう意味では、役所がもっと分散するような形の道州制にすればいい。

そして、州の役割をできるだけ減らせばいいんですよ。つまり大事なのは、国がやっている仕事を州で地元でやれるということなのであって、いま府県がやっている仕事を全部州がやるということではなくて、むしろ府県がやっている仕事は基礎自治体である市町村に委譲すればいいんですね。そいうようなことを考えていくということが大事。だから道州制のデメリットを主張して、だから道州制は反対という方もいらっしゃるんだけれども、このデメリット副作用はこれは解消できます。だけども連携をしないままで、いまのままで中央集権的なシステムのままでいったことによって出てくる副作用は、これはもう解消のしようがないという具合に思っているんです。だからデメリットは確実にあるんですね、副作用はあります。だから副作用をどうやって消して、どのような道州制だったらオーケーだということを議論をして欲しいと思っているんです。

いま知事さん方にお聞きしても、道州制の姿が見えないからとか、府県がいまどうなるか分からないので何とも言えないなんていうようなことをおっしゃる方もいるんですね。でもそれはちょっと人ごとのようにわたしは感じられて仕方がなくて、むしろどんな府県にするのか、どんな道州であればいいのかということをきちんと議論をするということが大事なのではないか。そして、もう1つは道州制というのはあくまでも民間の経済活力を増進することが目的なので、役所が仮に福岡に集中したらそこに経済力が集中するんではないかというのは、従来型の役所が地方にとっての最大の産業であるという発想の延長線上なんですよ。

そういう延長線上にある役所の捉え方を止めて、役所はむしろリーダーとして地域の民間の経済活動の活性化のための役所だという具合に考えていって、それを実現するのが道州制だというような発想でいけば、わたしはその反論に対しては答えられるのではないかという具合に思っています。

質問者:
今日はお話をありがとうございました。ちょっと1つだけ教えていただきたいんですけど資料の中に、京都にあるグローバル企業はなぜ東京に本社を移さないか、とあります。とてもわたくし昔から興味がございまして、先生は関西のご出身ということなので、先生のご見解を是非お伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

林先生:
今日はちょっとこの話ができませんでした。

京都の企業というのは、実は本社を移していないんですね。日本経団連の人と話をしても、京都の企業が経団連に入ってくれないんですよといったようなことをおっしゃる。それはなぜなんだろうと考えたときに、実は京都の企業にとってみれば、京都という地域は特別なんですよ。

つまり単なるスペースではないんですね。つまり京都というのはやっぱり特別な思いがあって、それはどちらかと言うとテリトリーのような捉え方をしているんです。

ところが大阪の企業は、実は大阪というのを京都の企業ほど愛していないんですよ。つまり同じグローバル企業であったって、大阪で生まれた企業はどんどん東京に本社を移す。本社を移していかないようにするためには、大阪なり関西がその企業に対してどんなことをすればいいのかということの発想が殆どないんです。

つまり大企業というのは、これは大阪だけではないんですけど、マネーマシーン、つまり税金を払ってくれるものであるという具合に考えているところがありますね。だから標準税率で課税するところをもうちょっと上乗せをするという超過課税と言いますが、この超過課税だって大企業に対しての超過課税が殆どなんですよ。しかも法人関係での超過課税だって、大規模企業に対してのみ超過課税をやる。これだって暫定措置として緊急避難的に超過課税をやったはずなのが、もう恒久措置として残ってしまっているというんですね。そこで企業の側からは要望としてこの超過課税を止めてくれというのが必ず出てくるわけです。もう毎年のように出てくるけれどもなくならない。つまり中小企業に対しては手厚いことをやるんです。確かに中小企業は大事なんですけれども、でも大企業がなくなってしまったら中小企業も駄目になりますよという発想がどれだけあるかどうかなんですね。そこがやっぱり地域の取り組み方の違いだと思います。

繰り返しになりますけれども、要するにスペースではなくて、テリトリーとして地域を企業が捉えてくれているかどうかということなんです。だからやっぱり京都の企業だっていまのような中央集権システムだったら、東京に本社を置いたほうが本当はいいのかもしれない。だけどもやっぱり東京に行かないで京都にいるというのは、やっぱり京都に対する特別の思いがあるから、だから今度は京都の経済界は京都をもっといい京都にしたいという思いがものすごく強いわけですね。だからそういうお互いに企業は単なる企業ではなくて、要するに京都市民のようなそういうものになっている。それを行政がそのように環境整備をしていっているかどうかというところが、非常に大きな分かれ目なのではないかと思います。

わたしは実は研究者も東京一極集中なんですよ。わたしはだからいま東京で会議がものすごく多くて、ひどいときには週に2回ぐらい東京に日帰りで来たりするわけです。これは早くもう東京に来なくてもすむような社会になればいいなと思って来ているんですけど、どんどん増えていくわけですね。そうするとやっぱり東京で大学に勤めているほうが便利だということになるわけですね。ですけどもわたしは関西大好き人間ですから、そういう意味ではもう東京で暮す気はまったくないわけで、そういう地域であり得るかどうかということですね。だからただ単に税金を払ってくれる人であるとかというような、企業をそういう捉え方でそれなりの待遇をしなければ、それはもう企業は逃げていきます。というやっぱり京都の歴史、京都の風土、それと大阪の風土の違いなのではないかなという気がちょっとします。

質問者:
今日はどうもありがとうございました。先生の資料の中に「内発的発展」という言葉がありまして、わたしはすごく大好きな言葉で、実は先生が3人目の内発的発展という言葉を使われた方ではないかなと思います。1人目は夏目漱石が内発的発見ということで「私の個人主義」という本の中で書かれていまして、あともう1人は鶴見和子さんが「内発的発展論」ですね。やはり地域には、やっぱり地域の良さがあると。それを愛する人間がその地域の発展を担うというような考え方を話されて、わたしはそこにすごく共鳴をして心を動かされました。

まず先生は大学の先生という立場で、やはり若い人が地域に定着をしてその地域の発展を担う人材として育っていくということが僕は大事かなと、先生の話を聞いてそう思いました。そこでいま大学の教育ということを考えますと、どうも東京に行けばいろんなことを学べるんではないかなということで、わたしもその1人なんですが、地方の学生がわざわざ東京に来て学んで。4年間学びますとだいたいこの地域が大好きになりまして、そのまま就職してしまってやっぱり地域に帰るチャンスを逃してしまうということが結構あるんではないかなと。やはり地域で学ぶ、あと地域の発展のために担うというような人材をやっぱり育てていくことが非常に大事かなというときに、いまの大学の教育のあり方というのを先生の意見をお伺いしたいなと思います。

林先生:
大学というのはいろんな分野がありますから、一律には言えないんですね。例えば哲学なんていうようなことをやろうと思ったら、これは別に東京でなくたって、むしろ東京だったらまずいかもしれませんね。でもわたしたちが経済学のような社会科学をやろうと思ったら、現実の社会で経済的に動いているところでないとなかなか身につかない部分もある。ですけども大学教育というのは、大学間でそんなに差があるわけではありませんね。もちろん最近では、もう本当に補修校のようなこともやらなければいけないような大学もあるし、大学院大学にしていくという大学もあります。だけどそれは教えることの難易度の違いであって、カリキュラムに関して言えばもうこれだけ文科省がいろんなことを言ってくる時代ですから殆ど違いはないわけです。

そうすると、では例えば九州大学で学ぶのと東京大学で学ぶのは中味は違うかといったら、若干経済学なんかですとマルクス経済学か近代経済学かでやっぱり教師によってだいぶ少し違ったりすることはありますけど、それほど大きな問題はないと思います。だけどやっぱり大学を卒業してからの、社会に出てからのことをやっぱり考えますよね。そうするとやっぱり東京の大学に行っているほうがいいんじゃないかというのは、別に大学で東京のほうがいいということではなくて、大学間競争で地方が負けているのではわたしはないと思うんですね。

やっぱり地域の競争の中で地方の大学が負けている。だからわたしは関西の大学で、関西学院というのはもともとローカル大学で近畿圏からの学生が多かったわけですけど、わたし自身は本当に手作りで一生懸命学生のサービスをやったりしていると思っているんですね。そんなこともやっているんですかと言われるぐらいにやっているんですよ。だけどやっぱり東京で就職する人が多くなってきている。そうなってくると、やっぱり同じ働くんだったらチャンスが大きい東京のほうがいいということになると、やっぱり東京の大学のほうが情報も入ってきますし、それから就職活動だって有利ですよね。

昔バブルの時代だったら就職活動をするときにすべて企業もちという時代がありましたが、いまだったらそんなことはないわけですから。やっぱり東京の大学のほうが有利ということになっていくので、東京以外の大学が厳しい状況にあるというのはやっぱり地域のメリットがやっぱりハンデイキャップを背負った形の競争をやらざるを得ないというところだと思っているんですね。わたしの大学でも、東京オフィスを実は数年前に立ち上げたんですよ。大学で関学よお前もかという具合に言われるぐらいにいままでずっと我慢していたわけですけど、やっぱり例えば研究費を貰おうと思ったらどのような書類の書き方をすれば貰いやすいのかとか、いろんな情報がやっぱりフェース・ツー・フェースの情報でないと入ってこないものがいっぱいあるんですね。そういうようなこととか、それから就職活動の情報だって東京のほうが有利だということで、もうオフィスを作らざるを得なかったという状況になっている。

こういう状況が続く限り、やっぱり若い人たちが東京でもし仮に大学を出て地方に戻って、そして、地域のために尽くすということが、これはやっぱりなかなか難しいんではないかという気がするんですね。

最後にもう1つだけですね、わたしがスイスに行ったときに連邦政府と、それから州政府の両方に行きました。そのときに優秀な人材がどちらに行きますかと、連邦政府ですか州政府ですかという具合に聞いたら、これは州政府に行くんだと言うんですね。つまり州のほうがいろいろやることがあって面白いし権限もあるしと言うわけです。それがもし仮に道州制とか地方に権限ができれば、いまでもかなり県の役人とか、政令市の役人、あるいは役所・地方公務員に優秀な人が多くなってきています。試験も非常に難しくなってきているし。それがもっと地域でいろんな権限があって腕が振るえるということになれば、もっと人材が集まるんじゃないかというような気がするんですね。

だからよく地方分権を進めても、いまの人材ではなかなか難しいですよねというようなことをよく言われるんですけど、ちょっと待ってくださいと。それはいままでのような地方に権限も何も与えないで、考える力もつかないような仕組みを作っておいて、地方が力がないからというのはおかしいじゃないかと。むしろ失敗するかもしれないけど、一度地方に権限と財源を与えてみたらどうでしょう。そうすると、それは絶対自己責任になりますから、やらざるを得ないですよね。そうなったときにはじめて、それでもやっぱり地方に人材が集まらないんだったら、もうしょうがないと思いますけど。やりもしないで人材がいないと言うのもおかしい。やっぱりそういうような東京に集中していくようなシステム。国連が将来の大都市の人口推計をやっているんですね。

パリにしても、ロンドンにしても、ニューヨーク、それぞれの国で1番大きな都市の対全国比の人口比率、これは殆ど一定です、パリもニューヨークもロンドンも。逆に若干低下するぐらい。だけど日本だけは東京、これは埼玉とか千葉とかが入っていますけど、比率がどんどん上がっていくという予想なんですよ。これはまさに途上国です、はっきり言って。先進国だったら、それぞれの地域でもっと自発的に自己責任で頑張っていく。規制も緩やかにしてというようなのが、やっぱり先進国、大人の国だと思うんですけど。やっぱり中央でそうやって規制をしながらやっていくというそういう時代が日本でもあって、それが功を奏したときはあるんですね。

発展途上のときは、日本だってそれが必要だったんですよ。だけどもう日本が先進国の仲間入りをして、むしろもっと1人1人の能力を上げていくというようなことを考えていくんだったら、むしろいままでのシステムを変えて分権型に変える、緩和するということをやっぱり先進国型に変えていくということが必要なのではないかというように思いますね。