平成27年度第3回第2部:真の感性を高める

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾

平成27年度講座内容

【第3回講座】 リベラルアーツ実践 -応用編
第2部:真の感性を高める

講師
川上 真史氏 (ビジネス・ブレークスルー大学大学院教授)
場所
岩崎育英文化財団岩崎学生寮 (東京都世田谷区北烏山7-12-20)
放送予定日時
平成28年02月13日(土) 12:30~13:30 ホームドラマチャンネル
平成28年02月13日(土) 06:00~07:00 歌謡ポップスチャンネル

※以降随時放送
詳しい放送予定はこちら(ホームドラマチャンネル歌謡ポップスチャンネル)

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川上 真史
(かわかみ しんじ)

ビジネス・ブレークスルー大学大学院教授
明治大学大学院 兼任講師
株式会社タイムズコア 代表取締役

京都大学教育学部教育心理学科卒業、産業能率大学総合研究所研究員、ヘイコンサルティンググループコンサルタント、タワーズワトソンディレクターを経て現職。2005年4月よりビジネス・ブレークスルー大学院大学専任教授、ボンド大学非常勤准教授。2013年4月より明治大学大学院グローバルビジネス研究科兼任講師。数多くの企業の人材マネジメント戦略、人事制度改革のコンサルティングに従事する。

講義内容

川上:
それではこの後は第2部ということで、真の感性とは何かということを申し上げていきたいと思います。それを分解しながらどうすればそういったものが高まるのかというお話をしていきたいと思います。

そもそも人を見る目があります。それが対人的な感性ということになってくるのですが、皆さんは人を見る目とはなんだと思いますか?実は多くの方々がこれを誤解しています。違って捉えています。どういうふうに誤解をしているか。こう思っている方が多いです。人を見る目を知っている。相手に関するある特定の少ない情報を一つ取っただけで、その特定の少ない一つの情報から相手の本質を見抜くことができる、これが人を見る目だと思っている方が多いです。これは違います。私が今、申し上げた相手に関する特定の少ない情報を取っただけで、そこから本質を見抜くことができる。これはどういうことかと言うと、例えば、世の中でよくこういうことを言っている人はいませんか?大体、人間の本質的な特徴はその人のご飯の食べ方一つ見ただけで全部分かる。こういうことを言っている人はいませんか?分かりません。

では、人を見る目とは何か。こちらにスキーマという言葉が書いてあります。これは心理学用語です。人間の心の中にある絶対的な思い込み。これがスキーマというものです。ただ、心理学上でスキーマというときに少し条件があり、その絶対的な思い込みは何にも根拠がないということです。別に何も根拠がないのですが、とにかくこれはこういうものだ、そういうふうに思い込んでいるのです。当然、結果的にはゆがんでいるケースが多いです。

こちらに二つ書いています。人間に関するスキーマ、自己スキーマ。自分は絶対にこういう人間であると何も根拠はないのですが、とにかくそう思い込んでいるのです。他者スキーマ、あの人は絶対にこういう人間であると、これも何も根拠はないのですが、とにかくそう思い込んでいる。こういうものをつくってしまうと、人を見るときにそちらにゆがめると思われませんか?人を見る目の基本、相手に対する他者スキーマ、これを最後の最後までつくらないで耐えきれるかどうかです。これが基本になってしまいます。1回、スキーマをつくってしまうと、それに合うことだけを記憶にとどめ、合わないことは全て無視というようなことが起こります。人間に関する人を見る目、人に関してスキーマをつくらないということです。

感性的な人というのは、いろいろなことに対して、人間に対してだけではなく、こういったスキーマをつくらないで耐えられるかどうか、これが本来の感性的な人であるということをまず押さえておいていただきたいと思います。ということで、感性というものは何なのか。一般的にということで、また、これを申し上げると、物事を深く知覚する力といわれています。そこから善悪や美しい、そうでもないなど、そういったことを判断できる力を合わせたもの、プラスその判断を他者とも共有できる力というものがあって、三つが合わさると、その人は感性的な人であるということになります。ということではあるのですが、この物事を知覚する力ということなのですが、まずそこからいきます。

知覚する力、二つの知覚があります。直感的な知覚と感覚的知覚というものがあります。これは気を付けてください。直感と感覚というときに特に感覚の方に気を付けてください。なぜか。世の中で日本の中では感覚的にとよく言いますよね。感覚的な判断などはイコール直感的判断のことを言っていませんか?違います。これはどこでどういう誤解が生まれたのかはよく分からないのですが、実は感覚的判断は直感の対極にある判断です。

よろしいですか?直感的判断は一般に言われているとおりです。別に明確な理由はなく、根拠はないのですが、とにかくこれはこういうものではないのかというものが何か無意識の中から湧いてきます。これを直感的判断といいます。

それに対して感覚的判断です。先ほど言いました。具体的操作のところで操作的思考のところで申し上げました。感覚器を通じた判断が感覚的判断です。感覚をよくセンスと言いますよね。センスの語尾を変えてください。センサーになります。センサーとは感覚器のことをいっています。そういう感覚器を通じて何をするのかと言いますと、観察をするということです。色や形を正確に、目を通じて見極めて観察をします。音を耳で聞き分ける、味を舌で感じ取る。それだけだと弱いので、人間の感覚器だけだとゆがむこともあるので、観測機等やを使ってデータを取ります。例えば、心理学なら調査を設計して、その調査でデータを取る。そのデータを自分の意図は何も入れず、統計的に解析したらこういう結果が出てくるというようなもの。これを全て観察によるもので感覚的な知覚ということで捉えておいてください。よろしいでしょうか。ここを間違わないでください。

こういった直感と感覚という捉え方があるのですが、直感的なものというのは、例えば、連想というようなところがあるのですが、無意識から湧いてくるものなのです。これを、今、座られているお隣の方にしてください。ここに五つの言葉が書いてあります。交代でしてみてください。今のこの直感というものは無意識からのメッセージです。人間は今までいろいろな経験をし、いろいろなことを体験してきて、それは全て記憶されているのですが、意識上に残っている記憶のほうが少ないわけです。全体的に無意識の中にあって、忘れているというケースが多いわけです。その忘れていることを無意識の集大成の中から直感は出てきます。というときに、直感が当たる人と当たらない人が結構いるのです。何か無意識の中に妙なものが入っている人は直感がゆがみます。素直な人はゆがみません。

今、連想していただいたのですが、これはユングという精神分析家の言語連想法というやり方なのです。これは皆さんご存じですか?ユングの場合は、この単語を別のものを100個使っているのですが、何を連想するかという連想された単語はどうでもいいです。何を見ていると思いますか?反応時間を見ているのです。連想語を思い浮かべるまでどれくらいの時間をかかっているかです。例えば、評価というものに関して連想語が出てくるまでとても時間がかかる人は何が起こっているか。評価に関して嫌な思い出があったり、嫌なことが無意識の中にあったりすると、それを避けようとするのです。避けるために何かそれに引っ掛からない良い単語がないかなというのを連想で考えようとするから時間がかかる。ということで100個ぐらいの単語で連想時間をずっとこちらで隠れて測っているのです。

長い単語を集めてくると、何かそれの共通性でこういうところに嫌なことがあるのではないかなど、無意識に何かあるのではないかが見えてきます。これが言語連想法というやり方です。皆さん、大丈夫ですか?連想に時間がかかった単語はありませんか?少し浮かびづらかったものはありませんか?それが直感をゆがめる要因として、コンプレックスといいます。

コンプレックス的なものがある方は直感がゆがみやすいです。気を付けておいてください。なぜかというと、コンプレックスというものを正確にご理解いただきたいのですが、世の中ではかなり誤解されて違って捉えられています。実はコンプレックスというのは一般用語でいうと、皆さんは劣等感のことだと思われていませんか?劣等感とコンプレックスは全く別物です。英語が詳しい方、コンプレックスという英単語に劣等感という意味はないですよね。複合したとか複雑に絡み合ったという意味ですよね。なぜ、この二つがこんがらがったというと理由は簡単です。コンプレックスの一番典型的で代表的なものは劣等コンプレックスと言われます。劣等コンプレックスと劣等感がこんがらがったということが基本です。この二つも違うものなのです。どう違うか。

劣等感からいきます。劣等感というのは一般に言われているとおりです。自分自身はこのようなことができない、このようなところが駄目だ、このようなところが人と比べて劣っているということを強く意識し過ぎて、自信をなくして自分は駄目な人間だと思って不安になっている人です。劣等感のある人です。

ところが、劣等コンプレックスのある人は全く別タイプです。どういう人か。皆さんはこういう人に会ったことはありませんか?やたらと自慢話ばかりするのです。自分はこのようなこともできる、あのようなこともできる、これほどすごい人間だ。延々と自慢話をするのです。ところが、その自慢話を聞けば聞くほど、この人はもしかしたら本当は自信がないのではないだろうかと思ってくる。そういう人を見たことはありませんか?劣等コンプレックスに振り回されている典型タイプです。

その人の心の中で何が起こっているのか。劣等と付くので最初は先ほどと同じです。自分自身はこのようなことができない、このようなところが駄目だ、このようなところが人と比べて劣っている。ここから先が違うのです。ということは、見たくもないし、気付きたくもないとなるわけです。見ないようにします。自分の気付かない無意識の中にそれを押さえ込んでしまうのです。押さえ込んでもこれが意識上に出てこないようにするためにはこのことに関して、常に何か精神的エネルギーをかけ続けておかないといけないですよね。そうしないと、すぐに意識上に出てきてしまうのです。その押さえ込む精神的エネルギーとして何をするのか。まず、自分自身に言い聞かせ続けます。自分ほどできる偉い人間はいないはずだとずっと言い聞かせ続けます。

それでもまだ見てしまいそうになるので、周りの人たちに訴え掛け続けます。自分はこのようなこともできる、このような偉い人間だ。延々とそれをします。これによって、見たくないこと、思い出したくないことを押さえ込んでいる。この押さえ込まれたものがコンプレックスです。人間は多かれ少なかれ、そのようなものはいろいろありますので、それを整理しないでぐちゃぐちゃと絡み合った状態で押さえ込んでいるので、コンプレックスという単語を使っています。

こういうものに振り回されている人は直感がゆがみます。コンプレックスにゆがまされます。なぜかというと、大体、コンプレックスがある場合には三つの反応が出るのです。これらに思い当たることがあったら解決しておいてください。そうしないと直感がずれます。要は無意識の世界は忘れていることとコンプレックスがあるのです。コンプレックスは思い出したくないという意図が働いています。その意図が働いているが故にいろいろなところからこうではないということがゆがみます。

まず、同一視です。こういう人です。今の自慢話ばかりしている人は同一視の典型です。自分自身ができないことがあったとします。できている人が世の中にはいます。その人を見て、こう考えるのです。自分だってやれば、あの人と同じことぐらいできるはずの人間だ、やればできる、たまたま今やっていないだけなのだと思うことで自分を納得させようとします。これが同一視といいます。

反動形成はこういうものなのです。こういう人を見たことはありませんか?他の話、話題、テーマはどうでもいいのに、ある特定のテーマ、話題が出ると必ずいつもそれを拒絶する。極端に感情的に批判する。こういう人を見たことはありませんか?例えば、典型タイプはこれです。他の話はどうでもいいのに、お金持ちの話になるとやたらと感情的に拒絶したり否定したりする人はいませんか?お金を持っている人間にはろくなやつがいないと、ああいう人間たちが日本を滅ぼしているのだ、などとそこまで言うのかというぐらい批判をするのですが、その批判を聞けば聞くほど、この人はもしかしたら本当はお金が欲しいのではないだろうかと思ってくる。これが反動形成です。自分自身ができないこと、得られないもの、それは能力の問題ではない。そのようなことができても何の意味もない、そのようなものを獲得しても何の価値もないでしょうと決め付けることで自分を納得させようとする動きです。

投影です。これは自分自身がこのようなことができないのはあの人のせいだ、こういう状況のせいだ、人のせい、状況のせいにしていきます。それで自分を納得させます。この三つの反応が極端に出てくるのです。もしもこういうものが思い当たる方がいらっしゃいましたらコントロールしてください。簡単にコントロールできます。どうすればいいか。この三つの反応を覚えておいてください。自分自身がしてしまったときに、やってしまったなと思う、この癖を付けておいてください。今、少し偉そうに言ったけれども、これは同一視で言っただけだよな。今、批判したけれども、これは反動形成だよな。こういう形でこういう反応を自分がしていることを気付いていただけるとコントロールできるようになります。ということで、直感はかなりコンプレックスに振り回されるとゆがみが出ます。

では、直感と感覚ということで、これも少しやってみていただければと思います。今のディスカッションはこういう部下にこういうふうな指示を出したときに、こういう反応を示した何々さんがいるという話をしてください。今の若い人はこういう指示をすると、こういうことを言ってくる、これは直感的判断です。よろしいですか?だから実名を出してください。何々さんがこういう反応を示した、20代の誰々さんがとおっしゃってください。よろしくお願いします。こうやって言われると難しくありませんか?これが直観的判断と感覚的判断の違いなのです。

直感的には今の「若い人は~」こう思います。では、感覚的にです。これを観察と言いました。目で実際にそういう動きを取っている人を観察し、20代で、どういう動きを取っているのかを自分の意見や自分の思い込みを関係なく観察をしたらこういう結果だったというのが感覚的なほうです。ここを混同しないでください。実は日本人は感覚的にものを知覚していくことが比較的苦手な人が多いです、今のように。そうでしょう?学校であまりこういうものを教えられないでしょう。皆さんは統計学などをしたことをありますか?実験計画法などをしたことはありますか?実験計画に基づいてデータの集め方をきちんと考え、それで正確にデータを集め、これを統計的に解析した結果、こうである。自分の意見は直感的に思っていたのはこうだけれども、実は事実としてデータを集めてみるとこちらだった、こういうことをしたことがありますか?

意外とこれをしたことがある人が少ないです。あと、皆さんは感覚器を鍛えていますか?皆さんは絶対音感を持っていますか?あれはよく天才のように言われていますが、誰だって1年、2年で付けられます。私は持っています。別に天才でもありません。私は小さい頃から音楽をしていたので、ずっとしていたら分かります。これは日本の教育で、学校教育で聴覚、味覚、視覚、そういうものを鍛える教育はないのです。

だから、私のように音楽を別途していたとか、そういう人でないと、こういう感覚器は鍛えられていないのです。だから、今のように直感的にはこうだけれども、感覚的にはこちらのほうを正確に観察すると、こうだよなと、こういう見方をする習慣を少し付けておいてください。ぜひ、この二つの知覚がまずできるようになっておいてください。両方とも、正確に。これがまず感性を高める第1歩です。

2番目、知覚したことを判断する軸です。これも二つあります。思考と感情です。思考は論理です。だから、普遍的な正解を出そうとします。ただし、良いか間違っているか、善なのか悪なのか。これを論理的に考え、間違いなく積み重ねます。

感情、これは普遍的ではなく個人的です。自分の気持ちがどう動くかによる判断を行います。なんか好きとか、なんか嫌いとか、感情による判断です。これは快、不快、好き、嫌いという、こういう判断です。両方できるようになっておいてください。感情的判断は必要なのかと思われますよね。ビジネスの世界などで。必要です。お客さんがどういう感情が出るか、市場にどういう感情が出るか。これを感じ取ることができなければビジネスは失敗します。

例えば、自動車を買うときに論理的に買っていますか?例えば、先ほどの感覚を入れて、しかも、論理で全部のデータを集めてみたときにこの予算内で買える一番いい自動車の正解がこれであるとか、そのようなことで買っている人はいますか?感情ではありませんか、どちらかというと。なんか、この自動車に乗っていたら気持ちよさそうだな、かっこよさそうだな、すごく心地よさそうだよなという感情がより引き出されるものを買いませんか?

意外と市場は感情で動いています。だって、一番の典型は株価で、動きはほとんど感情ではありませんか。論理的な動きではないではないですか。だから、嫌悪を示すとか、市場に嫌悪がありとか、なんか、そのような言葉を使っています。感情は意外と大事です。ということで、思考と感情、これの両方で判断できるようになっておいてください。

思考をゆがめる要因、気を付けてください。条件付けです。パブロフの犬です。ベルの音が鳴ったらよだれが垂れるという、あれです。AとB、ネズミを飼って、両方に同じベルの音を聞かせます。Aのほうは必ずその後に餌、Bは電気ショックを与えていると、Aのネズミは、最初はベルの音に反応しないのに、餌が来ますからベルの音を聞いただけで心地よいという感情反応が出るようになります。Bのほうは恐怖という感情反応、震えるという生理反応、逃げようとする行動反応、これが起こるようになります。そうなった後に餌も電気ショックも与えないとやっても、いつまでたってもAのネズミはベルの音を聞くと心地よいという感情が出ます。Bは恐怖という感情が出ます。これは条件付けが成立した段階です。

条件付けは論理をゆがめます。なぜかというと、条件付けは理由のない思い込みがまずできるというのを覚えておいてください。ある行為、行動に罰や褒美が伴うことで出来上がるのです。あることをすると常に上司から褒められた。あることをすると常にこっぴどく叱られた、これは絶対にしてはいけない。1回、それで条件付けが成立すると、理由がなくなります。ここでもう消しています。餌をくれたから、電気ショックがあったから、この理由がなくなるのです。とにかくこれはこうしないといけない。なぜか。なぜかってそうしないといけない、決まっているではないか、という論理付けになっていきます。ということは、結果的にこうなるのです。気を付けておいてください。下に変なことが書いています。人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいと書いています。これは条件付けられるとこうなるという考えなのです。

人間は当然、論理的に考えているときもあります。この状況を分析的、論理的に捉えていくと、これこれ、こういう状況になっている。これは非常にこういう理由で悲しい状況であるという判断があって泣く人もいます。泣いているケースもあります。ただ、人間は子どもの頃からたくさん条件付けられているので、ある特定条件をそろえた条件に置かれると、条件付けで涙が出てしまうのです。皆さんもありませんか?なんか知らないけど、この曲を聴くと悲しくなるとかありませんか?別に悲しい曲でもないのに。これが条件付けなのです。

ここからが大事です。それで泣いてしまうのですが、泣いた後、後付けで論理を付けるのです。「なぜ自分は今泣いたか」という論理を後付けで付けていくのです。これが悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいです、となると同じ論理でこれをいえませんか?人間は頭にきたから怒るのではなく、怒るから頭にくる。これはいえませんか?パワーハラスメントは大体これなのです。人間の論理は感情によってゆがめられます。という中で、感情に個人差が出るというのも、単純に申し上げますと、今の条件付けです。ある事象を経験したときにどのような誘因がきていたかによって、同じことを経験してもポジティブな感情が出る人、ネガティブな感情が出る人に分かれるということは押さえておいてください。それだけの話です。

結論にいきます。本当の意味で感性がある人はどのような人なのか。人間が持っている二つの知覚と判断軸。直感、感覚、思考、感情、この四つをいつも全てにおいてフル稼働できている人です。よろしいでしょうか?この四つを全てフル稼働できている人です。

合わせ技も申し上げます。正確に観察し、データを集め、それを解析し、その結果から何が起こっているかということを論理的に考えていくと科学的判断になります。科学はまず事実のデータを集めますよね。これが科学的判断です。左上、直感的にひらめいたことに論理を付けていく。これは推論になります。推論的判断です。しかし、企業は全てにおいて科学的判断ができるとは限りません。そこまでデータを集めるということがかえって効率が悪いということもあります。データとして事実を集められないような事象にも取り組む必要があります。そうなると推論も必要になります。

ただ、直感がゆがむ人は推論もゆがみます。前提がゆがみますから。先ほどのように、なんか、こういうのは嫌とか、そういうのが出てゆがみますから気を付けてください。直感的にひらめいたことを感情で判断すると心条的判断になります。自分の持っている心情です。なんか、こういうのはいいと思うし、なんか、こういうふうに信じていたら自分は心地いいから。これは心条の世界です。例えば、一番分かりやすいのは宗教などの世界は心情世界です。なんか、神っているよと、直感的に。いると信じていたほうが自分は心が安定して、感情も気持ちいい感情のほうが出てくるから、という話だけです。

では、企業の中に信条的判断があるのか。あります。例えば、一番の典型は企業のコアバリューを決めるときなどです。これはもう心条のほうがいいと思いませんか。なんか、うちの会社はこういう会社ではないですかと、直感的に。そういうのが好きな人が集まっている会社なのだから、これをコアバリューにしようよと。これのほうがいいコアバリューができると思いませんか?科学的に実証されたコアバリューなどはあまり魅力的ではないでしょう。絶対量のデータを集め、統計的に解析した結果、当社のコアバリューはこうなりましたって誰もそのようなものは魅力を感じないですよね。

右下です。感覚器で捉えたことに論理に持っていきません。感情で判断していくと芸術的判断になります。そうですよね。音楽などもそうです。耳で聴いたことを感情に持っていきます。絵もそうです。目で見たことを感情に持っていきます。これが芸術的判断です。合わせ技で、かつ、この四つもできると。これが本当の意味で感性的な人なのです。

この中で日本人が一番苦手なのはどれかご存じですか?芸術的判断が苦手な人が多いのです。なぜか。先ほど申し上げたように感覚器を鍛えるとか、データを取って解析するとかということを鍛えられていない人が多いです。一方で実は日本人は感情的判断が苦手なのです。人間の感情は何種類あるかご存じですか?大体、約50種類です。ありとあらゆる種類の感情があります。それを時と場合と条件に応じて常に出せる人、いろいろなものが豊かに次から次へと出てくる、これが本当の意味の感情的判断です。皆さんはできますか?

なぜ、これができないのか、理由は簡単です。教育の問題です。日本は子どもの頃から感情には正解があると習っていませんか?例えば、音楽のテストなどでもそうではありませんか?この曲を聴くとどのような気持ちになるか、次の四つから正解を選べとなっていませんでしたか?例えば、ウィリアムテル序曲などを聴かされて、勇壮とかって、それに丸を付けないと×になるわけです。どのような感情が出るかは人によって違います。この四つが全てフル稼働できると感性的ということなのですが、少し事例でご体験いただきます。

それぞれの役割を守り通してください。思考の方は論理的にということでおっしゃってください。今の市場のニーズ、年末のニーズはこういうことであり、そこの論理から発展させると、これが一番売れそう。

それから、感情の方はこれを見ていると、このような感情、気持ちが出るのですと。世の中の人も多分、そのような感情が出ると思うので12月に出る感情はこうではないですか、だとしたらこれですね。感情から言ってください。

直感の方、ひらめいてください。なんか、この絵を見ていると直感的にこういうのが連想されるのです。そうすると、やはり年末に合うではないですか、この連想や直感が。だから、売れそうですね。あるいは、もう直感的にこれと決めていただいても結構です。コンプレックスなどに振り回されていない自信があれば、直感的にこれが一番売れそうでも結構です。

感覚の方、恐れ入ります。色や形や、その他を徹底的に観察してください。それが年末に合うか合わないかということでお願いします。ということで、少しお一人ずつおっしゃっていただきつつ、どれが一番売れそうかグループの中で決めてください。よろしくお願いします。

A:
私たちのチームでは2番の絵が一番売れると判断しました。まず、思考的なところからご説明しますと、年末に買うという条件がありましたので、年末に買う際には一つのイベントだけではなくて、複数のイベントが開催されます。クリスマスや、また、年末年始のお正月などが想定されます。なので、そういった行事等に全て対応できる絵という視点から考えた場合、2番というのは華やかさも演出できて、全ての行事に対応できるだろうというのが思考的な判断のところです。

2番目に感情的な判断になりますが、1番、3番、4番の絵から浮かび上がる感情よりも2番の感情の絵は華やかさや豪華さといったところで年末年始といった部分のところと合致するので2番という結果です。直感的な部分に関しましては、2番と3番が少し議論になりました。もし、クリスマスという部分を意識するのであれば、3番がプレゼント的な要素を連想するので3番がいいのではないかという意見もありましたが、年末の年の瀬の終わりや、そういったいろいろな人たちが集まってくるといったところをイメージした際、2番のほうが3番よりもすごく、とても一緒のイメージとして、イメージがすごくできるということで2番です。また、感覚的な部分でいきますと、最もこの4枚の絵の中で色彩の量が多いのが2番です。そういった色彩が多いといった点で、いろいろな行事等にも合わせられるのではないかといった部分から2番です。どの思考パターンを用いても2番が最も売れるのではないかという結論に至っています。

川上:
かしこまりました。ありがとうございます。今のご説明の中で直感的に私は感じたことがあります。なんか、結論ありきで理屈を後から付けているのではないかと直感的に感じました。というのが、実は直感のときのご説明が直感のご説明ではないのです。直感的にクリスマスということで考えれば、プレゼントとして考えると論理的に3番がいいのではないかというふうになっていましたよね。それは論理なのです。直感的にどれが売れると思いますか?

B:
僕は直感で3番だと、パッと見たときに思いました。それはイメージとして。

川上:
「それは」と言うと論理になるのです。

B:
確かに。

川上:
ここから連想されたことはなんですか?なんか、分からないけれども、ひらめいたことはなんですか?

B:
3番は暖かい暖炉がある家のイメージで、それがクリスマスっぽかったから3番だった。

川上:
かしこまりました。直感というのはそういうことです。とにかく、なんか、これが売れそう。なんか、よく分かんないけれども、他のとは違うと思うという、そこを強い信念を持って、というようなイメージです。ということで、こちらは2番ということですね。直感的には3番と思われて判断をされていたのですが、論理と感情と感覚に負けて2番ということですね。かしこまりました。ありがとうございます。こちらのグループはどちらになりましたでしょうか?

C:
私たちのグループは結果的には1番の絵になりました。まず、直感で選んだ方は1番の絵を選びました。理由は2番の絵は夏っぽいです。3番の絵は今更トイプードルの絵を買うのかなというところです。4番の絵は冬に冬の絵を買ってもなっていうところで。

川上:
途中で申し訳ございません。今のは感覚的判断になります。そこを観察したらこういうふうな色使いなので、それが夏っぽいという、少しそういう感じを私は受けてしまいましたので、直感的に1番というのは何か連想されることはなんですか?別に直結しなくてもいいのですけれども。ご担当の方はどなたですか?

D:
望郷というか。

川上:
なんか、望郷のような感じがあった?

D:
はい。

川上:
やはり年末だと帰りたくなるような、みたいな。大丈夫です。どうぞ。すみません。申し訳ございません。続けてください。

C:
次に思考ですけれども、3番を選びました。それは温かみがあり、家庭的なところで犬のかわいい絵を選ぶのではないかというところになりました。感情は3番です。子犬のかわいさや年末ということで家族が集まったりして、かわいいね、というふうな温かい感情になるのではないかと思って3番を選びました。最後に感覚ですけれども、感覚も3番の絵を選びました。それは、僕は仕事的にテレビ局の仕事をしているのですが、子犬の映像や動物の映像の番組は結構、視聴率がいいです。広く浅くではないのですが、老若男女、若い人からおじいちゃん、おばあちゃんまで好きな、好感度の高い絵だから、この3番が買われるのではないかなと思いました。結果的に皆さん、議論を尽くされて、直感で直感の人が選んだ1番を選びました。以上です。

川上:
ありがとうございます。1点だけお伺いしたいのですが、直感を最重要視した理由というのはなんですか?

C:
最重要視した理由は時期が年末ということで、国民の財布のひもが緩まるということで、直感で決めてしまうのではないのかと、購買者が直感で決めるのではないのかと思ったからです。

川上:
なるほど。かしこまりました。ありがとうございます。どうもありがとうございました。では、そちらのグループさんにいっていただきまして。よろしくお願いします。こちらは何番になりましたでしょうか?

E:
結果的には3番にしました。

川上:
分かれましたね。

E:
各人、それぞれが1番がいい、2番がいいというのはあったのですが、結果的に3番です。思考と直感が3番というところで、半面、少し多数決のような形です。直感はそういうそのままの理由です。感情的なところについてはのどかであるという理由があったりしました。冬場ですので、のどかな絵のほうが好まれると。感覚の部分では、これも少し感情に近いところではあるのですけれども、冬場で癒やしが、色彩が豊かにあるので、この人は2番ということで言ったんですけれども。最後は思考的な部分においては、冬場であるということで多少やはり明るいものがいいのではないかということがまず1点です。あとはどういう購買者がいらっしゃるかと。その辺りのマジョリティーを考えたときにだいぶ若い世代の方は多分、それほど買われないかと、まだ。12月なので移動の時期でもないので、多分、頻繁に家を替えたり、賃貸で。多分、あれされる方もそこまでいないということで、比較的年配の方が多いというふうに思って。多分、独り身の方もいらっしゃるということで、やはり多少キュートなほうが選ばれるのではないかということで、実際はそういうところで2番か3番ということで迷ってはいたのですけれども、少し犬のほうがお年寄りのほうが。これで犬が嫌いだと言われたら困るのですが、そういう理由で結果的に直感と思考が多数決で3番に決まりました。

川上:
かしこまりました。ありがとうございました。これも1点だけお伺いさせていただくと、最終的にやはり犬であるというのは何を最重要視されたのですか?

E:
ご年配の人をイメージしました。ターゲットとして、購入をされる方です。そうなってくると旦那さんが亡くなったり、どちらかが亡くなったりとなったときに多少、画廊に入って犬も飼いたいけれど、世話が大変だと思うから、トイレに行ったときにでも犬がいたら癒やされるのではないかという形です。

川上:
この3枚の中で唯一動物がということで。

E:
そういうことです。生きているものということで。

川上:
そういうことですね。なるほど。ありがとうございました。ということで、どうもありがとうございました。意外と難しいでしょう。その難しさという中で一番あるのがご自分の得意、不得意というのが少しありませんでしたか?思考による判断は割とできるけれども、直感で何もひらめいてこないとか、感情があまり何も出てこないとか。観察はしっかりできるのですが、どうも論理的に考えることができないとか、人によってこれは得意、不得意があるのです。という中で、四つ、常に今後、意識しておいてください。何か判断するときにこの四つでいくと、ということを考えておいてください。

論理的にということでいくと、ニーズというのを考えたときにどうなるのか。クリスマスというものをまず一つターゲットに考えたときに、クリスマスのニーズはどういうものなのか。飾りたいのはクリスマスの色、赤と緑と白というものを全て満たしているのは1番ではないかとか、という論理は成り立ちますよね。しかし、年末ということを考えて、大みそかと考えたときに大みそかに皆は何をしようとするのか。この1年の嫌なことを全て忘れ、まっさらになってもう一度新しい1年を迎えたい。となってくると、色が全く付いていない4番というのがニーズとして合うのではないかとか、論理的に考えるとそういうことが言えると思います。

それで、感情ということでいくと、これは人によって違うのですが、多くの人が出てくる感情は1番はいろいろなものがあって、いろいろな感情が入り交じって出てきて、逆に相殺されそうだという、そういう感情になりそうな感じがあります。私はこの1番を見て、あまり感情は出ません。2番は皆さんがおっしゃっているような温かいとかが出てくるような、そういう感じがありますよね。温かさのようなものが出てきますよね。3番は愛らしさやいとおしさのような、そういう感情が多くの人は出ますよね。4番は冷たさとか、なんか、そういう感情が出そうですよね。

では、年末だとどういうものがいいのか。歳末の助け合いとかいろいろあるというところで多くの人が出てくる感情はやはり3番になるのかなというところがあります。感覚で言うと、今のように1番はこれは論理とニーズと感覚を合わせてしまっていますが、1番のところは先ほどのようにクリスマスの色に合いそうかもしれない。しかし、感覚器で正確にこれを観察すると、どう見てもこれは紅葉の時期です。となってくると、これは11月です。ずれています。2番目はオレンジ色が強調されています。何となくハロウィーンっぽい、そういう色の使い方になっています。となると、これは色的には10月なのかな。3番、これは感覚的には茶色、プードル、季節感などは特に関係ないです。

4番、この色を見ると、真っ白、何も景色がないです。これは年末の12月よりも2月というイメージがあるかな、という感覚器で捉えると1番、2番、4番はずれています、年末から。となると、3番という季節性のないもののほうが以外と売れるかもしれないというような判断は感覚器では感覚的判断だと出るかも分かりません。直感では私は4番は嫌です。この景色を見ると、意識をなくしたのを思い出します。頭が痛かったのは嫌ですから、直感的には私は嫌です。というような形で見たときにやはりそれぞれどれによって判断したかによって判断がずれるのです。

なので、もう一つの考えを入れておいてください。時と場合によって、どの判断を重視するのかが変わります。それを押さえておいてください。例えば、次にそれが書いてあるのですが、思考的な判断が有効なときです。多くの人に対する根拠ある納得が求められるのであれば思考を重視してください。例えば、これはどこかの大規模小売店に提案していくと。クリスマス商戦でどれが売れるかということで、そういう小売りのお店に提案をしていくということであれば納得感が必要です。ということで、根拠が必要です。論理を重要視してください。感情、他者への心情的な配慮が必要なときです。これは誰かにプレゼントするときはどれがどういう感情が出そうかなという、そこが当然、プレゼントしたりとかは大事になりますよね。

それから、感覚器、感覚的判断を重視。これは事実や正解が存在しているときはこれを重視してください。これは存在している可能性があります。要は1,000人の人に四つのうち年末に買いたい絵はどれかというのを回答してもらったときにどれが一番多かったのかという取り方をすると事実を確認できます。

それから、直感です。これはもう正解がなくて、極めて複雑な判断が求められるときは直感を重視してください。ただし、先ほどのコンプレックスの問題は解決しておいてください。コンプレックスに振り回されて直感で判断するとずれます。これは実は心理学の調査があります。複雑形における意思決定です。要は選択肢が無数にある。今回は四つだけですが、無数にあり、かつ、その中でのどの選択肢を選ぶかの判断基軸が無数にあるというマトリックスの中でやる意思決定が複雑形の意思決定です。無数の選択肢の中から無数の判断基軸で判断をするとき、どういう判断が一番いいか。えいやで決めるのがいいっていう結論がでています。えいやです。それが最も幸福な意思決定になっているというふうになっています。

例えば、学生のかたがただと就職先とかはそうですよね。無数の選択肢がありますよね。どこに就職するか決めます。山のように判断基準がありますよね。というとき、この企業かなと思ったところに決めると大体ずれていないのです。これはスーパーコンピューターでも確認しているらしいのです、その研究は。それを全部コンピューターで計算させたときに、大体の人がこれかなと選んだものがコンピューターで全て計算させてもそのとおりの判断になっているのです。だから、意外とそういうときに人間の判断はずれていないのです。どういう状況における判断かによって、どの判断を使うか。これを重視しておいてください。

思考のそれぞれを高めていくということなのですが、思考力を高める上で論理を高める上では先ほど申し上げたメタ認知力、これをかなり高めておいてください。ここの論理は相当、第1部で申し上げましたので、あれをお願いいたします。

感情を鍛えるときに共感力の向上をお願いいたします。共感性というのは基本的には親がどういう人であるかで子どもの感情の出方が変わるという研究があります。親が共感的だと子どもも共感的になります。先ほど、感情の出し方には正解がないと言いましたが、やはり親が子どもに対して、例えば、ものすごく困っている人がいたときに、あの人、なんかしてあげたいよね、なんか、こういう困っている人を見ると、なんか、こういう困っている人を見ると、こういう気持ちが出てくるよねという言葉を言っていると、言うだけでそういう気持ちがそういうときに出てきやすくなるのです。こういうのって絶対に許せないよねという、そういう言動をいろいろなところでいろいろな感情についての言動を親が取っていると、子どもは感情が豊かになるという、こういう研究があります。

ということなので、それを自分でやるとしたらいろいろな人を見てください。感情はやはり人との関係の間で生み出されるものですので、いろいろな人に会い、いろいろな人を見、そのときに自分の中でどのような感情が出てくるかを考えてみてください。感じ取ってみてください。

感覚です。感覚は比較で出ます。いい音楽とそうではない音楽と一般的にそれなりの人が聴いて、いいと言っている音楽と演奏とそうではないと言っている演奏、これを聞き比べたときにどこに違いがあるのかという、こういう比較から感覚器は鍛えられていきます。だから、骨董品でもいいものをまず見ろと言いますよね。いいものばかりを見ていると、悪いものとの比較で、その違いが明確に見えるのです。なので、いろいろなものを比較してみてください。その中から感覚というのは高まってきます。

もう一つは統計の理解です。これはぜひしておいてください。別に多変量解析までする必要はありません。簡単に申し上げると、三つだけで結構です。N数というのを意識してください。N数というのはデータ数です。もう一つは差の有意差というものを押さえておいてください。統計的に見て、明らかにこのグループとこのグループの間に明確な差が存在しているのかどうかというのを考えてみてください。チームで申し上げたように一人っ子で育ったら甘えるという場合、では、一人っ子で育った子どもとそうではない子どもを絶対量のN数を集めたときに明らかに明確に統計上も一人っ子で育った人のほうが甘えるというパーソリティー傾向が高く出ているというのが証明できるかどうかです。もう一つは相関です。これが高まれば、もう一つも高まるか。こういう視点で物事を見てください。そうすると、もう一つの意味のデータなんかからの正確な観察という力が出ます。

それから、直感力です。多くの経験をしていってください。ありとあらゆる経験をしていき、それを無意識の中にきれいな形で蓄積していってください。そうすると、安定した直感になります。コンプレックス、言いましたよね?先ほどの三つの反応、これを覚えておいてください。あ、やってしまったなと気付く癖を付けると、ああいうものが出なくなってきます。そうすると、直感はより正確になり、幸福な意思決定ができるようになります。ぜひ、こういったことで高めていってください。

実は最後に少しこれを申し上げて、今日は終わらせていただきたいと思うのですが、感性というものは当然パーソナリティーの安定が必要になります。安定したパーソナリティーではないと、先ほどから申し上げてきているように、いろいろなところで判断がゆがみます。感性もずれます。という中で、実は心理学の世界でパーソナリティー論は今、ビックファイブ理論というものになっています。ビックファイブ、要は100年以上前から人間のパーソナリティーに関して心理学の世界ではもう山のような研究があります。ずっと100年以上研究され続けた結果、結論が出たのです。人間のパーソナリティーはこの5項目で分かるということです。他のものはもうこれを分解したものであったりとか、合わせ技のものであったりで基本はこの5項目であるというものが出てきて、これがビックファイブ理論といわれるものです。

この五つです。外向性、周囲の状況に関心を持って、外向きに活動しようとする傾向です。調和性、他者に関心を持ち、他者と融合しようとする傾向です。誠実性、自身の言動に責任を持って、公平公正であろうとする傾向です。開放性、新しいことに興味、関心を持って受け入れようとする傾向です。情緒安定性、心の状態が常に安定して明るく前向きでいようとする傾向です。こういった五つが基本になるということです。この五つが安定していれば、人間的にも安定しているし、感性としても安定してくるということになります。

外向性というのは社会と関わろうとする基本的な傾向です。ということで、これは感性を高めるベースになります。それはそうですよね。社会と関わろうとしない。自分の中だけでこもっている人は絶対に感性は高まりません。残りの四つが先ほどから申し上げている四つです。調和性、共感的な形で感情を理解できるかどうかです。誠実性、正確な感覚を持って、事実ではないようなことをうそのように、さも事実のように言ったりとか、そういうことなく、正確に観察をし、正確に全てを観察して捉えていこうとする。自分の感情などに振り回されないことです。開放性、前向きに論理的に物事を考えていく、創造性につながるということは申し上げました。情緒的安定性、これがないと安定した直感が出ないと、コンプレックスなど、ああいうものに振り回されないでくださいということは申し上げました。ということで、こういったものと感性は関わっています。

ただし、安定という言葉をパーソナリティーは使いましたので、極端でなければ大丈夫です。要は脱線していなければ大丈夫です。この五つが脱線するとこうなります。大きく欠落すると問題が起こります。

ただ、過剰になっても問題です。そう思いませんか?外向性などは極端に高い人はなんかうっとうしい感じがしませんか?過剰になり過ぎても駄目です。しかし、なくても駄目です。ほどほどのところできちんと安定しているというのがいいのです。外向性が大きく欠落すると引きこもりになります。過剰に強過ぎると自信過剰になります。調和性、自己中心になります。過剰だと他者依存が出ます。誠実性、逸脱します。大きく欠落するとルールを守らない、うそばかりをつくなどです。しかし、過剰だと硬直します。とにかくルールはこうだからこうしか駄目でしょうという、これはこれで問題ですよね。開放性が低い人は停滞して何も新しいことは考えられません。ただ、これが強過ぎる人は散漫になります。次から次へと新しいことを考えてする。結論も出ていないのに。情緒安定性、不安定な人は過敏になって、すぐ感情的になりますが、これが全くない人は鈍麻という言葉になるのですが、一般には普通はあまり使わないです。よく自分はストレスなんかは何も感じないと偉そうに言っている人がいますが、鈍麻ということです。普通は感じます。というようなことがあるので気を付けてください。ぜひ、こういった五つの項目を少し安定させていくというようなこともよろしくお願いいたします。

最後に一つだけ、私が言い忘れたので、これだけ申し上げて終わらせてください。先ほどの四つを高めるときのもう一つの重要なポイントがあるので、これは押さえておいてください。これから先に皆さんが議論をするときに、いろいろな人と。自分が意見を言うときに必ずどれの判断軸で考えたことなのかを付けて言ってください。この癖を付けてください。要はこういうことです。これは単に自分の感情的な好き嫌いの話だけれども、こっちのほうが好きだと思う。これは単なる直感だけれども、なんか知らないけれども、こっちだと思う。これは論理的に考えるとこういう理由でこういうことだからこうだと思う。これはこういうデータがあって、そのデータから判断するとこういうことがいえると思う。という形で、あの四つの中のどれを使って言っている意見なのかということを常に付けながら言う癖を付けてみてください。これをしていくと、今の四つがフル稼働させられるようにだんだんなってきます。ぜひ、そういったところも引っくるめて、感性を高めていただければと思います。

ということで第1部、論理的思考ということと、第2部、感性ということで申し上げてまいりました。ぜひ、こういったことを意識していただいて、思考力、判断力、そういったものを高めていただければと思います。どうもお疲れさまでした。