平成21年度第3回:日本経済の推移と展望

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾
岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成21年度シリーズ

講座についての感想、ご質問はこちらから

平成21年度シリーズのご感想・ご質問の受付は終了いたしました。

第3回:日本経済の推移と展望

講師
飯倉 穰 先生(元 日本政策投資銀行設備投資研究所長)
日時
2010年2月10日 11:00am~12:30pm(予定)
場所
岩崎学生寮1Fホール(東京都世田谷区北烏山7-12-20)TEL: 03-3300-2600

飯倉 穰 先生(Yutaka Iikura)

新都市熱供給株式会社代表取締役社長

47年 生まれ
70年 日本開発銀行(現:日本政策投資銀行)入行
92年 鹿児島事務所長
93~94年 鹿児島経済大学経済学部、鹿児島女子短期大学非常勤講師兼務
94年 地方開発局地域開発企画部長
95年 地方開発局地方開発営業部長
99年 設備投資研究所長
04年 東北大学大学院環境科学研究科非常勤講師兼務
07年 新都市熱供給(株)兼新宿熱供給(株)代表取締役社長(現職)

著書: 「日本のエネルギー計画」「電力」「あえて言わせてもらえば」

講義内容

こんにちは。これから1時間日本経済の話をしたいと思います。皆さんはいまの日本経済について非常に心配している方も多いと思います。いったいこれからどうなるのかと思っていらっしゃる方も非常に多いと思います。その日本経済について、なぜいまのように大変不安を抱くような状況になってしまったのかということを少しお話してみたいと思います。そのあとに日本経済にどういう展望を持つべきだろうか。そして、最後に日本経済の問題、それから地域はこれから何を考えていけばよいのかということを少しお話ができればと思います。

1.日本経済の推移

2000年以降の日本経済について少し振り返ってみたいと思います。

経済に奇跡なし、軌跡あり

経済についていろんな見方があると思いますけれども、経済というのは「奇跡」はないんです。そして、「軌跡」があるんです。どういう意味かと申しますと。経済にはミラクルということはないんです。突然何か良くなるとか、そういうことはないわけであります。どちらかと言うと、経済は軌道の軌跡。要するにあることをやってきたからいまの現在があるということです。これが1番重要なことだと思います。政権はミラクルを起そうとしていろんなことを考えますけれども、実はそういうミラクルというのは簡単には起きないということでございます。

ITバブル崩壊から戦争・ファンドバブルそしてその崩壊

2000年以降の経済の姿をちょっと振り返ってみたいと思います。2000年に、皆さんはまだ若いときで分からない人もいるかも分かりませんけれども、丁度ITバブルというのがありました。そのITバブルがアメリカで始まって、日本も若干ITバブルだったわけであります。そのITバブルが2000年に崩壊しました。
2001年と2002年はITバブルが崩壊しましたので企業が一生懸命リストラを行いました。「選択と集中」という言葉が、その頃はやりました。そして、雇用のところではなるべく人件費を抑えなければいけない、固定費を低くしなければならないということで、随分首切りが行われたわけでございます。2003年に入りますと、そういうリストラが一段落しました。これからどうなるのかと思うところで、2003年3月にアメリカがイラク戦争を始めました。イラク戦争を始めた結果どうなったか。アメリカは膨大な軍事予算の支出を行っています。いろんな試算がありますけれども、これまでアメリカはそれに1兆ドル使ったとか、ステイグリッツというノーベル賞受賞経済学者は3兆ドルぐらい使ったんではないかと言っています。

戦争経済効果

2003年の10月から日本の輸出が増え始めました。アメリカ向け、他の国向けですね。結局アメリカが戦争経済に入ったということであります。アメリカの戦争経済が2003年10月以降非常に効果を持ってきました。そして輸出がどんどんアメリカ向けに増えて日本経済も立ち直りました。輸出しますと、そのお金がどんどん日本に貯まってきます。日本銀行は金融緩和措置をそのまま続けました。

資産価格上昇へ

そうしますとどういうことが起きたかというと、2004年10月から株とそれから土地の価格が上昇してきました。わたくしはそのときに不動産関係の仕事もしていました。知り合いの不動産会社の人と話をしたら、最近丸の内とか、日本橋とか、京橋とか非常に上がってきて、ちょっと採算が合わなくなってきているという話をよく耳にしました。日本では、銀座の土地が、原宿の土地が上がるというときに、ブランドショップが出るので土地の値段が上がっているというような説明でした。2005年になりますとそれが更に顕著になって、東京都心とか他の土地でも土地の価格が上がってまいりました。2005年10月に亀戸の不動産屋さんで私はいろんな話を聞いてきたんです。その頃は東京都市開発という会社の役員も兼務していました。そのときに会社へ戻ってきましたら、あなたちょっと悪いことをしてきたんではないかというわけです。どういうことって聞いたら、実を言うとこの会社に地上げをやっているという苦情が入ったと言うんです。われわれは、そういうことはしてきていません。東京都市開発は、東京都内に同じ名前の会社が3社あるんです。わたしどもの会社は、3セクで非常に硬い会社です。そういうことをやる筈がないでしょう。それはそうですねと。よくよく聞いたら、電話をかけてきた方は、亀戸に6階建ての賃貸アパートを持っている。ファンドの人から毎日のように電話が来て、それを売りませんかと言われているということでした。どうも同姓同名の会社だったようです。国民生活センターに苦情を言ったら、当社の電話を紹介したということでございました。簡単に言うと、当時かなり地上げが行われていた。わたしも大手不動産会社の担当の人に聞いたら、やっていますと言っていました。

2006年になりますと、それが更に加熱いたしました。2006年になりますと土地の価格が都心を中心に値上がりした。前にお話をした不動産屋をやっている人は京橋の土地を坪500万円で買ったんです。それがいま2,000万円ぐらいですという。その頃には銀座の土地の価格も2億円という形になってきたわけであります。2002年ぐらいには、それが5,000万円だったんです。銀座の銀座通りに面した土地が、それが2億円ぐらいになっている。これは完全にミニバブルの現象が起きていたわけであります。結果、日本の経済は、そこにございます通り2003年以降2006年、そして、2007年ぐらいまで比較的好調だったわけであります。

米国も住宅バブル

それがアメリカも同じようにバブルをやっていた。戦争経済とバブル経済です。サブプライムローンなどでどんどん住宅を作りすぎて、2006年末にアメリカの住宅価格が反転しました。そして、そのサブプライム問題で不良債権が出来上がってアメリカ経済は2007年に下降気味になって、ご存知のように2008年9月にリーマンショックを迎えました。その後アメリカの経済は10パーセントぐらい一挙に水準が低下した。日本も輸出が急減し、そのあと6パーセントぐらい低下するという状況になったということでございます。

バブル経済を看過と財政再建の好機逸失

日本で非常に土地の価格が上がっているときに、日銀の人が何を言っていたか分かりますか。市場との対話。いろんなところで資産価格が上昇しすぎているということに対して、日銀総裁はわれわれは市場との対話で随分注意して見ています。いま不動産価格の上昇は、戻りであり、通常の健全な状況に戻ってきていると言っていました。本来はそこで引き締めを行うべきであったわけであります。政府は2~3パーセントの成長になったときに、どういうふうに言っていたと思います。小泉・竹中内閣、あるいは安倍内閣は、もっと成長できたら財政再建・増税を本格的に考えましょうと言っていた。結局、日本はそのとき財政再建のチャンスを失ってしまったということでございます。

日本経済7つの転換期

ではなぜ日本の経済運営がそうなったんだろうかということでございます。これは非常に歴史の問題で、多分皆さん教科書で習われたような昔の日本経済史を読むような話になります。丁度わたくしが生まれましたのが昭和22年ですから、わたくしは戦後の日本経済の今日までとだいたい同じような歩みをしてきたわけであります。日本経済にいくつかの転換期がありますけれども、わたくしは7つの転換期を挙げてございます。第一に高度成長時代が1960年から始まったわけであります。それから1970年に高度成長が終わって減速経済期になります。そしてオイルショックがあって低成長期です。低成長期が非常に長かったわけであります。第四がバブル期。そして、そのバブル崩壊のあとの調整期です。そして最近の輸出依存ミニファンドバブル期があって、現在米国金融バブルが崩壊をして非常に経済が停滞している時期になっているということです。わたしはたまたま日本開発銀行の設備投資研究所長をやっておりました。その初代所長が下村治博士という方だったんです。極めて天才的な人で、わたくしのようなサラリーマンとは全然別格の方でございます。下村博士は非常に立派な方で、いま申しあげた4つ、1番最初から1・2・3・4、それから5に至るまでの経済の転換期をすべて予測していました。日本の経済学者・エコノミストの中でこの転換期を確実に予測できた人は、この下村治博士1人だけです。他の人はたくさんいらっしゃいますけれども、そういう方は誰もいません。ですから、わたくしはいまから少し下村博士の考え方を紹介しながら、日本経済が今こういうふうになった背景について、お話をしていきたいと思います。

現在の経済水準は有史以来最高水準

それでは今どういう経済水準にあるのかということです。1人当りの「名目国民総支出」がございます。1960年に日本経済が高度成長を始めるときの1人当りの国民所得水準がどのぐらいだったか、ここに書いてあります。年間171,000円です。多分これから就職される人がいるとしたら、少なくとも初任給200,000円ぐらいは貰います。それが171,000円だったんです。今は、だいたい400万円ぐらいになっています。名目で言えば23倍所得が増えています。でもこの間物価の上昇があります。デフレーターでそれを割り引かなければなりません。物価の上昇がだいたいその間4.4倍です。それで割り引きますと、日本のわれわれの実質国民所得は、1960年に比べるとだいたい5倍上昇しているんです。そして、今の経済水準は日本の有史以来最高の水準のところにあるんです。そこの中で皆さんが生活をされているということを、1つ頭の中に入れておいていただければと思います。

先進国はドングリの背比べ

1970年のところを見てみますと、高度成長が終った段階のとこであります。そのとき日本は高度成長の結果1人当りの所得水準が、丁度ヨーロッパ並みになりました。アメリカの半分という状況になりました。そのあと日本の国は成長を続けて、途中為替レートの変更とかございまして一番になったこともありますけれども、基本的には先進各国と同じ歩みをしています。世界各国と同じ高い水準の中にあるわけであります。

経済水準は、技術水準依存

経済は非常に興味深いですけれども、いまの所得水準はどうやって決まっているんだろうか。経済水準は何で決まっているのだろうか。重要なのは、技術です。そのときの技術水準と技術体系で決まっているんです。ではどういう技術体系で決まっているかというと、1番大きなのはエネルギーです。われわれは化石エネルギーを使っている。石油・石炭・天然ガスです。世界全体のエネルギー消費量の85パーセントは、化石エネルギーでまかなわれているわけです。これが地球環境問題との絡みで非常に大きな問題になっているわけであります。2つ目は、われわれはどういう生産を行っているか。工業生産です。工場生産でわれわれは生産性を非常に高いものにしている。3つ目、どんな方法でわれわれは物流を行っているのか。これは車です。そういうような技術体系の中で、わたしたちはいまの高い経済水準を維持しているということであります。ですから、この技術体系が、技術水準が変わらなければ、これから高い成長を望めるのかというと、それは意外に難しいと思います。そして、他の国がいい技術を開発して成長を行えば、先進国は当然それを真似て導入して同じ水準に行きますから、ドングリの背比べになります。これを「所得収斂説」というふうに経済学では呼んでいます。ですから、他の国もどんどん成長していけば、同じように所得収斂説で同じ先進国の水準になる。ですから、よく最近、中国は成長している、インドは成長するのではないか。それなのに日本は成長しなくて非常に残念だという話をよく聞きます。でも中国は、まだ1人当りGDPにすれば日本の10分の1ですよ。日本の国が高度成長にしたように、これから成長するのは当然です。ですから、中国とか他の新興国と比較して日本が成長できないからということでがっかりすることは、論理としては非常におかしなことでございます。それも少し念頭に置いていただければと思います。

2.バブル経済の実態
日本経済不安定の背景

ではなぜ日本経済はこんなに不安定な状況になっているのだろうかということを、少しお話ししたいと思います。高度成長期やそのあとの減速期、それから低成長時代のところは少し省いてお話ししていきます。
日本経済が道を誤ったのは、実を言うとバブル以降です。よくバブルの崩壊のときに、こういうことを言う人がいました。日本経済がそのあと低迷したのは、バブル崩壊後の金融政策の失敗である。財政政策の失敗である。規制緩和を十分しなかったからだ。日本型のシステムをうまく変えていくことができなかったからだ。そういう話があります。これは1つの見方でありますけど、根本はそうではないのです。バブル経済を作ってしまったということが、日本経済がおかしくなった最大の問題なんです。

レーガノミックス

ではなぜ日本はバブル経済を作ってしまったんだろうかというのが、1番のポイントなんですね。そこに書いてありますが、1980年当時アメリカの経済は、スタグフレーションという状況でした。どういう状況かというと失業率が7~8パーセント、物価の上昇も14~5パーセントありました。そして、成長率▲0.2%と殆どないという状況でございました。いまの日本と物価のところは似ていませんけれども、近いかもわかりません。そのときにレーガン大統領が登場しました。アメリカは、経済政策でレーガノミックスということを始めました。レーガノミックスは、当時は極めて有名で、下村博士を除いて多くの経済学者は、さすがアメリカはすごいと礼賛しました。ではレーガノミックスというのは、どういう経済政策だったのか。資料に書いてあります。レーガノミックスの最初のシナリオは次のようなことでした。アメリカ経済が停滞しているのはなぜか。それは生産性を上昇させるような設備投資がないからだ。そういう設備投資を作っていけば、アメリカ経済は良くなる。では設備投資をやっていくためにはどうしたらいいのか。当初の想定シナリオはこうでした。減税を行えば当然所得が増えます。可処分所得が増加する。そうすると貯蓄にまわるのではないか。貯蓄に回れば「貯蓄投資理論」というのがありますので、貯蓄に見合った投資が起きるのではないか。そうすれば生産性の向上につながり、成長がして所得も増える。それからインフレもおさまり税収も増加する。こういう政策をやってみましょうとなったわけです。これに対して、下村博士は、次のように指摘しました。ちょっと待てよ、その論理はおかしいのではないか。アメリカの国民は、どうも所得を貰うと全部使い切る国民である。日本人とは違う。それから貯蓄投資理論であるけども、本当に貯蓄があるから投資が生まれるのか。技術革新がないと、設備投資は起きないのではないか。はじめに減税をやって財政赤字を拡大しまうとインフレ要因になってしまうという話をしたわけであります。
結果はどうであったか。資料に書いてあります。大減税をしましたら消費が膨張します。経済も膨張はします。拡大はします。成長ではないのです。ところが財政赤字が拡大しますので、国債を発行すると金利が高くなります。アメリカは異常高金利になりました。そして、高金利になりますと、世界中の金が集まりますからドル高になります。ドルをみんな買うわけです。ドル高になれば、当然円高と一緒ですから国内の輸出競争力がなくなります。すべてのところで敗退していきます。そのときに非常に面白い話がありました。日本のセメント、あんなに重たいセメントですよ、それがアメリカに輸出されるような状況になったんです。アメリカのセメント業は、敗退しそうになったんです。そして、貿易収支も赤字になります。結果、双子の赤字ということで、アメリカの経済はガタガタになってしまう。そこに外国資金を流入させなければならないということで、日本政府のいろんな指導もあって、例えば日本はアメリカの国債を買ってしまった。その後ドル安があって、価格が下がって大損をするわけであります。それから日本の企業がアメリカの不動産を購入する。ロックフェラーセンターなんかを購入してしまう。そのあと成功していません。そういう現象が起きたわけであります。

レーガノミックスの失敗と政策変更

1985年になりますと、アメリカ経済はにっちもさっちもいかなくなりました。基本的な経済政策の見直しが行われました。まずドル高を是正しましょうということでプラザ合意が行われました。アメリカのプラザホテルは、いま高級コンドミニアムになってしまっています。そして、財政均衡もしなければいけないということで、グラム・ラドマン・ホリングス法を制定し、財政均衡・財政再建をめざしました。そして為替レートの調整だけで輸出が増えるかというと、そう簡単ではないわけです。そのためにスーパー301条をつくり輸入圧力をかけるという政策をとったわけであります。

そのときカリフォルニア州のセメントとか、化学とか、そういう企業が、どうもわれわれの輸出競争力がなくなったのはカリフォルニアの電力料金が高いせいだと主張しました。カリフォルニア州の政府に電力料金を下げるために規制緩和を要求したわけです。90年代に規制緩和を行いました。その結果はどうなったか。カリフォルニアは2001年に大規模な電力停電に見舞われました。輸出競争力低下は、アメリカのマクロ政策のところに問題があったわけであります。

58・59年日本経済は最高のパフォーマンス

そういうアメリカの状況の中で、日本は実を言うと非常に助かりました。昭和58年59年ごろです。皆さんは覚えていらっしゃると思いますが、エズラ・ヴォーゲル教授が言っていたように「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でした。ジャパン・アズ・ナンバーワン、日本は世界で最もマクロバランスのとれた国だったんです。失業率は低いし、成長率もあるし、物価は安定している。ただ財政のところだけが若干問題がありました。10兆円の赤字がありました。でもそれを除けば先進国の中では明らかにナンバーワン、そういう国だったんです。

ところがアメリカに対する輸出が多くなった。昭和56年に日本の貿易収支はだいたい92億ドルぐらいの黒字でした。それが昭和60年(1985年)に500億ドルぐらいの黒字になったわけです。アメリカはこういうことを言い始めました。どうもアメリカの輸入超過は、日本の輸出市場の経済構造の結果ではないか。日本はやりすぎではないか。日本の輸出構造を変えることが、アメリカから見た日本の責任ではないかと言われてしまったんです。これを日米経済協議の中で何回も言われると、日本人もそういうふうに思ってしまった。なぜかと言うと、皆さんも習っているでしょう、日本は輸出立国だと。日本は輸出立国でなければならない。日本は、資源のない国だ。輸出をして資源を購入しなければならない。アメリカの主張も確かに正しいそうだな。ちょっと日本は問題だなと。アメリカの主張も分かるし、日本の国内もこのままではなかなか成長性が期待できないので、内需拡大もしなくてはいけない。経済企画庁を中心に政府はそういうことを考えた。少しそういう方向に転換しようではないかということになったわけです。

前川レポート作成へ

1986年4月に「前川レポート」が出ました。目的は何か。経常収支均衡を国際的に調和のとれるように着実に縮小させることです。そのためにどうするか。内需拡大をしなければいけない。金融緩和を継続します。日銀は金利を下げていったんです。財政再建をやめる。それまでは中曽根内閣は、その前半で国鉄の民営化等で大変な功績のある内閣でした。ところが後半は財政再建を放棄したんです。そして、他に規制緩和・民活・3セクを活用してやたらといろんな投資をやりましょうという方向に突き進んだわけであります。
この前川レポートが出たときに、下村博士はこういうふうに言っています。昭和61年6月1日に「中曽根経済改革の非合理を叱る」という特集が中央公論で出ました。それから、昭和62年4月に「日本は悪くない、悪いのはアメリカだ。」という本を文芸春秋から出版しています。最近これは文春文庫で復刻されています。興味のある方は是非読んでいただきたいと思います。
そのときに下村博士は、前川レポートはちょっとおかしいんではないか。基本認識を誤っている。アメリカの輸入超過は、日本の輸出主導によるものではない。だってアメリカは世界中の国に対して輸入超過になっているではないか。確かに日本経済は必死に輸出努力をしています。しかし、世界中同じことをやっている。先ほどのレーガノミックスの調整が困難ということであると、アメリカでやったことを他の国に肩代わりしてもらおうと思っても、その国の経済が滅茶苦茶になるという以外にないと指摘しました。日本は財政支出を拡大し金融緩和しましたけど、西ドイツは利上げしました。これが結局その後のバブルのきっかけになったわけであります。
下村博士がそういう批判をしますと、日本のエコノミストというのはひどいんですよ。こういうことをみんな言い始めました。篠原三代平さんという一橋大学の経済史をやっている方です。この人はエコノミストに1985年5月21日「小国の論理を捨てよ」を書いています。「アメリカの政策が間違っているかどうか分からないけど、日本の経常収支は黒字が大きいから、世界経済全体をリードするように日本がどんどん内需拡大をすべきではないか。」鈴木正利さん、「日本責任論」をエコノミストに書いています。「日本西ドイツはマクロ政策で対米協調すべき。」日経センターの金森さん、「日本には潜在成長力がある。成長力アップで世界に貢献しよう。」赤羽さん、経済企画庁の局長ですけど、「経済摩擦解消をめざした内需拡大は必要だ。」宮崎勇さん、その後経済企画庁の事務次官をやった人です。「日本の輸出超過は日本にも責任がある。国際協力が大切だ。」鈴木淑夫さん、日銀の人です。「日米ポリシーミックスの相互転換こそが成長持続のシナリオだ。」前川さん本人ですね。「アメリカがやらないならこっちもやらないと言ったのでは、世界経済はうまくいかない。」香西さん、経済企画庁の人。「出火したのが隣家だからといって手をこまねいていて良いものだろうか。それなりの対応が必要だ。」加藤寛さん、「前川レポートは目前の貿易摩擦を回避するために作られたものではなく、21世紀に日本が世界において果たす役割へのプロセスを提示したものだ。」まったく違いますよね。経済学者が経済学的にこれはどうなのかというのが、経済学者の役割だと思うんです。何も政治的な話を言って、下村博士の言うことがおかしいではないかという必要は何もないですね。でもこれが日本の一流のエコノミストです。わたしは4流のエコノミストですから、そういう意味ではあんまり問題がないということであります。

バブル経済へ

バブル期というのがあったわけであります。ではバブルはどうやって作られていったのか。結局金融緩和が行われて財政出動が行われた結果、マネーゲームが際限なく行われたということであります。金はどういうところに投じられたか。当時設備投資をそんなにするという必要性はなかったわけです。そうすると、それが土地に投入される、株に投入される、それが上がると更に儲かるという構造だったわけです。そして資産価格が上昇する。人は豊かになると、消費を始めます。消費を始めますと、需要が生産能力の限界を超えます。そこで設備投資が1988年、1989年と異常な勢いで出てきたわけです。トヨタ自動車が最後に福岡に工場を作りました。今回のバブルのときにも宮城県に工場を作ろうという。どうもトヨタ自動車はバブル期の最後のところで工場を作る会社という感じをわたくしは否めないんです。結果、日本の企業の健全性が失われていくという事態になったわけであります。

バブル期の投資

ではどんな投資をやったんだというのが、ちょっと気になりますよね。いくつかの例を申しあげたいと思います。1つはスキー場。これはわたしも日本開発銀行にいて融資の現場にいました。これはよく分かっています。1988年バブルになっていましたけど、日本のスキー場はいくらあったと思いますか。丁度550でした。日本のスキー場は550です。そして、スキー人口と言うと、丁度1,200万人です。1988年に550のスキー場で1,200万人がスキー人口でした。前川レポートは経済成長率を3パーセントで考えていました。3パーセントというのは、10年間で3割増えるということですね。そうすると当然スキー人口も3パーセントずつ増えれば、1,600万人になる。それに見合ったスキー場が必要だということで、3セク・民活・保安林の規制緩和を行った。地方公共団体は3セクを作って一生懸命にスキー場を作り始めたんです。2000年にどうなったかと言うと、スキー場の数は730になりました。180増えて本当に3割増えているんです。やはり日本人の作る力は本当にすごいです。与えられたことに対して真面目にきちんとやっていくという国民なんですね。ではスキー人口は、そのときはどうだったか。1,000万人です。これはどうなりますか。作った180のスキー場はまったく需要がなくて、いずれ潰れるということです。これで3兆円、あるいは4兆円のお金が失われていく。わたくしもその現場にいましたので、せっかく作ったけれども客が来なくて結局閉鎖となる。これが不良債権なんです。

もう1つ典型的な例でゴルフ場がある。ゴルフ場は、1983年(昭和58年)に1,483でした。利用者数が6,300万人でした。2000年時点でゴルフ場の数はいくらになったと思いますか。2,443です。国内で1,000ゴルフ場が増えたんです。そして2000年の利用者数が9,000万人。いま8,500万人ぐらいです。結果700ぐらいのゴルフ場は作る必要がなかったということであります。これで数十兆円のお金が不良債権になっていった。

前川レポートのあとの投資というのは、こういう形で出てきたわけであります。わたしは開発銀行を辞めて新宿にある会社に勤めるようになりました。丁度2000年か2001年ぐらいのことだと思います。新宿に「十二社」という地上げでとっても有名なところがあるんです。最上興産という会社が地上げをしていたということで、テレビ朝日でもそのあとどうなったかというのが何回も放送したところであります。その土地ですけれども、丁度バブルのとき、道路に面した土地です。土地の値段は広い道路に面したところが高い。内側になると安いんですね。道路に面した土地がバブルのとき1億2千万円です。2000年にその土地はいくらかと言うと1,200万円です。わたくしの友だちの家はその内側にありました。地上げにあって2,500万円で売りました。しかし、2000年にその土地は、200万円ちょっとです。土地の価格の高騰に合わせて融資が流れ込んでいっている。

もう1つ貴重な経験をしました。これも是非皆さんに伝えておくといいと思います。西新宿のホテルの地下に商店街がありました。その地下の商店街にクラブみたいな、あるいはいろんなショーをやるようなお店が入っていたんです。その社長さんが撤退されるというわけです。その社長さんに、なぜ撤退されるんですかと話を聞きました。こういうことを、おっしゃっていました。バブルがなければ自分も着実に事業を進めていました。しかし、バブルの時代から銀行から借りて欲しい。この物件を買って1年持てばプラスアルファで売れる、故に融資を受けて欲しいと頼まれた。一度10億円で購入したものが17億円になるということがあった。しかし、キャッシュは何も残っていない。なぜかと言うと、税金を支払わないために、また次を買ってしまった。買い替え資産の特例です。そして、地価が4分の1以下になった。これは自分の勘定のところだから許せます。もう1つわたしは、ああ、やっぱりそうだったんだという話を、そのときに聞きました。どういうことかと言うと、更に主力銀行、自分のメインバンクから「飛ばし」を頼まれた。「飛ばし」って分からないでしょうね。それは何かと言うと、銀行が不良債権を隠すために、ある資産、例えば銀行から見れば債権が600億円、担保は、一応昔は評価額600億円あったけど、もう土地の値段が下がっているからない。それを銀行から離れた他のところに渡してしばらく置いてもらう。そうすると不良債権にならないわけです。そういうのを「飛ばし」と言って、それでまた次の人に渡していく。こういうことをやりながら、銀行は一生懸命不良債権の処理をやっていたわけであります。社長さんはその「飛ばし」を頼まれたわけです。銀行名は言いませんけれども、ところが肝心の2つの銀行が潰れてしまった。残ったのは借金のみ。土地の値段はもう10分の1ぐらいになっているわけです。結局600億円近い負債だけが残ってしまった。しかし、それを免除して欲しいと言うと、免除益に税金がかかってしまう。自分で税金を払わなければいけない。何で働いているのか分からないと言っていました。こういうことが現実にバブルと崩壊のときに起きていたわけであります。

バブル崩壊後の不良資産

バブルが崩壊しました。バブルが崩壊したときに日本の過大GDPは、だいたい20パーセントぐらいです。金融で押し上げられた生産力になっていました。設備過剰はだいたいどこでも30パーセントです。その当時自動車産業は1,500万台の生産能力になっていたんですけど、本来は1,000万台で十分であった。そういう勘定ですね。その調整が1990年以降始まったわけであります。

簡単に言えば、生産能力が現実化しても需要がなく、物の価格が下がります。生産設備を縮小させなければならい。それからいま申しあげた不良資産の処理で、銀行が不良債権を出しました。それを処理しなければならない。そのときに今回のアメリカのように、日本政府が100兆円か200兆円を出してくれれば非常に良かったんですけれども、残念ながらそのようにうまくはいかなかったということであります。

構造改革の虚しさ

そのとき日本の経済政策はどうなっていたのか。日本政府は、そのとき構造改革を始めたわけです。内外価格差縮小とか、高コスト構造是正とか、制度システム見直しとか、それで不良債権処理があります。しかし、よくよく考えてみれば、供給過剰になっているわけでありますから、物価は当然下がります。3~5パーセント供給過剰であれば、価格は10パーセント下落します。10パーセント供給過剰だったら、だいたい3割価格が下落するんです。3割供給過剰だったら、もう値がつきません。価格破壊ということが起きるわけであります。これがその後の対応が、うまくいかなかった理由のひとつです。

1つだけ言いたいのは、バブルを予測できた人、下村治博士は1989年に亡くなってしまっているんです。あと3年ぐらい生きていれば、対策も考えていただき、日本経済は今のようにならなかったと思うんです。

残ったエコノミストは、バブルを予測できなかった人だけです。この人たちにバブル崩壊とその後の政策をどうしたらいいかと考える力があったんでしょうか。自己否定はできないですよね。ズルズルその政策を続けてしまったというのが、現状だと思います。

3.日本経済の展望
日本経済の現状は、バランス欠如の状態

経済は、健全な経済が望ましいとわたしは考えております。国際均衡と国内均衡がとれていなければいけないということだと思います。国際均衡は貿易が黒字ですから問題はありませんけれども、国内均衡のところで見ますと、現在の需給状況は供給過剰です。企業収益はいま落ちています。雇用も若干問題であります。最大の問題は財政ですね。財政は、いま破綻状況にあります。これを何とかしなければならないということでございます。

成長の可能性

では日本経済は、成長の可能性がどの程度あるのかを考えて見ます。簡単に言いますと、技術革新次第ということでございます。ですから、これはよく分かりません。せいぜい0~1パーセントです。1パーセント成長しても大変なものなのです。1%は、5兆円です。売上ベースにすると15兆円になります。そこにはいろんなビジネスチャンスがあると思います。

オイルショックのあと過去35年間、そこに書いてありますように成長の可能性を模索してきました。潜在成長から始まって、最近は「改革なくして成長なし」と全然中味がないようです。金融危機対応があって、今グリーン革命期待になっているということです。

経済運営は、国民経済の考えで

ではどんな経済運営をやっていくべきなのか。そこに4つの考えをあげました。

1つは市場重視の考え方、これはミルトン・フリードマンの考え方であります。規制緩和・小さな政府、そして、市場重視です。しかし、これは今回失敗したわけであります。もう1つはレスター・サローのゼロサム社会の考えがあります。正しい規制と資源配分ということであります。要するに政府のいろんな介入・規制と経済的成功の間には何ら対立はないと言っています。なぜならば、1980年当時最も経済的に成功していた日本が最も規制の多い国で、最も規制の少ない国であるアメリカがスタグフレーションに悩んでいたわけです。あまり規制と経済成功は関係ありませんということです。

それから国民経済の考え方というのがあります。これは詳しくは申しあげませんけれども、結局は自分の領土で自国民が創意工夫・努力でもって経済を築いていくという姿であります。要するに経済の目的は、やっぱり雇用を作るということが1番だという考え方であります。これが下村治博士の考え方であります。

そして、最近は、経済ポピュリズムというのが横行しているわけであります。これは南米のチャペス政権が、それをやっていますよ。石油企業を国有化すれば、ベネズエラはすべて良くなる。でもよくなっていないわけです。小泉・竹中改革のときもそうでしたね。郵政改革をすれば日本経済は良くなる。道路公団を改革すれば日本経済は良くなる。特殊法人改革をやれば非常に良くなる。公務員改革をやれば非常に良くなる。結果はどうだったでしょうか。何らそういうことは、起きなかったわけであります。

日本経済の今後の課題

今後の課題について幾つかありますが、時間の関係で1つだけ申しあげます。財政破綻を回避できるかどうかというのが、最大の課題であります。簡単に言えば、25兆円増税しなければなりません。金額を聞くとみんな驚くんです。

よくよく考えてみて下さい。日本の所得水準は、いま世界最高水準なんです。それでわれわれの所得の内の丁度1ヶ月分を、財政健全化のために皆さん税金を納めて下さいという話であります。

戦後日本が荒廃したときに、どうだったでしょうか。われわれの所得というのは、一気に多分5割以上下がったと思います。それに比べれば、そのような負担をわれわれができないはずはないと考えております。

地域は、構想力と自立精神で

最後に数分でありますけれども、地域の問題についてお話ししたいと思います。

地域経済というのは非常に単純でございますが、より複雑に考えれば複雑なんです。われわれは生産を行って、その所得をいただいているわけであります。それを消費に使い、あるいは税金を通じて公共部門でいろんな投資を行っている。

過去地域開発の中心は、企業誘致とか地場企業の育成でした。これは成長があったから、こういう形で拡大策がとれたんです。ところがそれがなかなか難しい。そこで消費を増やしましょうということで、観光とかコンベンションとかをやり始めたわけであります。その努力の継続は必要です。

しかし、もう1つの核である財政のところは、国の財政がおかしければ地方もうまくいきません。ここのところは、どうしても直していかなければならないということであります。それから申しあげたいのは、これからの地域は、別に地方分権とか地域主権とか言わずにいまでも十分できることでありますけど、構想力それから自分たちの自立の精神を持って地域の展開を図っていかなければいけないということです。

そのためにはやっぱり地域の魅力を増すということが、1番大切なんではないでしょうか。昔アメリカで都市の美化運動・シティビューティフルムーブメント(City Beautiful Movement)がありました。わたしは昔から申しあげているんですけど、日本でも是非そういう運動を各地域で始められて、魅力のあるまちづくりをやっていくということが必要ではないかと考えております。是非皆さんもそこのところを考えていただければと思います。

当然の負担を行えば、日本は素晴らしい国に復帰可能

最後に日本は世界最高の所得水準にあるという国であります。税の負担さえきちんと行えば他の国に比べても非常にいい国になるという明るい展望を皆さんに持っていただきたいということを訴えて、わたくしの話とさせていただきます。以上でございます。

質疑応答

質問者:
1点お伺いしたいことがございます。先ほどのお話の中で、いわゆる経済力といいますか、経済成長といいますか、経済の水準を決めるのは技術体系であるというお話がございましたけれども。その中で最も重要なものはエネルギーだというお話で、これから石油の問題をはじめとしてエネルギー制約というものがあるんではないかというような議論があるかと思うんですけれども。これがこれからの日本経済にネガテイブな影響があるのではないかという気もするんですが、その辺についてはどのようなお考えなのかを教えていただければと思います。

飯倉先生:
エネルギーの問題というのはものすごく重要でありまして、石油ショックのときに石油が来なかったわけですね。昭和48年に下村博士が、これからマイナス成長になりますと言った。それまで10パーセント成長していたわけですから、11ポイントぐらい日本経済は水準が下がったんです。なぜ下がったかというと、石油の輸入量が昭和47年並みになったからなんです。ある生産水準を維持している技術体系は、直ぐには変えられないわけです。例えばCO2を25パーセント削減しますという場合です。来年から削減しますという場合、いまの日本のエネルギーは、化石エネルギーが80パーセントぐらいですから、25パーセント×8割部分相当で経済水準が1年間だけで考えたら低下します。時間をかけて徐々に他のエネルギーを使っていくということ、あるいは省エネルギーを行うとか、そういう形でもって切り抜ければ、その影響が少し小さくなるということだと思います。CO2の排出量を下げるということは、当然経済水準はいまの技術体系の中では下がります。その下がり方は、短期的に見ればそのCO2削減量×化石エネルギーの割合という、そういう形になるというのが現実だと思います。

質問者:
そうしますと、いわゆるエネルギー制約の中で新しい技術体系が生まれるかどうかというのが再浮揚の鍵になると、そういう理解でよろしいですか?

飯倉先生:
まったくその通りです。ではどんな石油に代わるエネルギーを使えるんだろうかということです。非常に重要なのは、木材から石炭に変わったときに産業革命というのが生まれたんです。石炭から石油に変わったときに、高度成長というのが世界各国で実現できたんです。では石油に代わるエネルギーというのは。エネルギーとしてどのようなことが必要かというと、安定的に、大量に、廉価にということです。経済のためには。それに見合ったエネルギーがあるかどうか。いま考えられるのは原子力ぐらいでしょう。ただ、石油は大変便利なエネルギーであります。生産するのも安い、それから流通もしやすい、それから貯蔵もしやすい、用途はその原料も含めたらいろんなところに使えるわけです。それに代わるようなエネルギーというのが直ぐに出てくるとは思いませんので、基本的にはかなり成長の制約は受けざるを得ない。将来核融合みたいなものが21世紀になるか22世紀になるか分かりませんけれども、出来て、非常に大量・安定・廉価にエネルギーを供給できれば、また成長の可能性は出てくると思います。それまではやっぱり我慢をしなければならないということだと思います。

質問者:
わたしもよく分からなかったんですけど、ようやくバブル経済というものがどういうものかというのが何となく分かったような気がします。先ほど講義の中でもあったんですけれども、日本の成長というのはかなりもうアッパーに来ているということで、中国とかインドの成長とは全然違うんだというのはものすごくよく分かりました。ただ、いまでも盛んに民主党さんでも成長戦略というのを盛んに口にされているんですけれども、やっぱり中国やインドの成長とまた違う話なんで。日本はこういう成長戦略、あるいは成長戦略という言葉すらいいのかどうかも、わたしはよく分からないんですけれども。今後ともやっぱり成長を続けていくべきなのか、あるいはまた戦略を変えていく必要があるのかどうかということで、もし分かればお聞かせいただきたいんですけれど。

飯倉先生:
さっき申しあげましたけど、国民経済という考え方は自分の国の領土で自国民の創意と工夫で経済を築いていくということなんですね。ですから、他の国に依存して経済が成長するというのは、昔で言えばやや植民地的発想だと思います。他の国に輸出することはできたとしても、日本だけが、ある1つの国だけが輸出を多くするということは国際経済上のバランス上は好ましくないんですね。ですから、ある程度国際均衡というところはバランスがとれていなければならないということです。輸出一辺倒で日本の経済が良くなるということは必ず他の国から文句が出ますね。ですから、日本の企業が外に出て行く分についてはまったく問題はないと思いますけれども、国内で考えなければいけない。ではそのときに何が1番原点になるかというと技術革新ですから、簡単に言えば技術革新で特にエネルギーとか他のものも含めてですけれども、どんなことが起きるんだろうかということです。文科省は「科学技術予測」というのを出しています。皆さんがご覧になっているかどうかは分かりませんけど、その項目を見ます。それから最近経済産業省が「テクノロジー・ロードマップ」を出しています。それらを見て、ではそれが実現したときにどの程度経済に対して寄与するのかなというふうに分析します。わたくしはエネルギーとの付き合いだけは長いものですから、見ますと殆ど難しいですね。ただ、基礎研究とかそういうのも含めて、そういうところに一生懸命に予算を配分して技術革新の可能性を追い求めなければならないということは事実だと思います。ですから、まず1番最初に技術革新の可能性というのを求めるために、一生懸命そういう資源配分をやっていかなければいけない。われわれは少なくともそこに智恵を集めて一生懸命に研究してもらうことをやらなければならない。だけどそれがでは実際に設備投資に移っていくかどうかと、そこに企業家精神というのが入るわけですね。ですから、ビジネスをやろうという、そういう気持の人が必ず必要なんですね。それで具体的な企業としての設備投資を行うということで、ファイナンスの問題があるんです。ですから、成長戦略といった場合には、まず技術革新にいかにお金を投入して、企業家精神を鼓舞するような政策をやり、設備投資を企業がやるような環境づくりを行い、そして、かつファイナンスの面でそれを支えるというようなことをすることが必要です。

ですから、いまの民主党の成長戦略というのは、実を言うとそういう視点はよくよく読んでみると欠けているということです。まだ小泉・竹中改革のほうは一応そこのところの論理は理解していた。だけども効果のないことをやっていたということだと思います。この技術がいつ実用化されるというのは意外に難しいですので、地道に付き合っていかなければならないということです。オバマ政権は基本的には今回の補正予算とか今回の予算措置でも、基礎研究のところに、ベーシック・サイエンスのところにものすごく金を入れていますね。可能性をそういうところに見出そうとしている。それから人材育成にものすごく金を使っていますので、日本もやっぱり研究とか、そういう人材のところにお金を使うべきなんではないのかなというふうに思っています。