平成28年度第5回講座:「クリエイティブであるために」 

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾

平成28年度講座内容

【第5回講座】 「クリエイティブであるために」

講師
佐々木健一氏(東京大学名誉教授/国際哲学会連合(FISP)副会長)
場所
大手町フィナンシャルシティ カンファレンスセンター(東京都千代田区大手町1-9-7)
放送予定日時
平成29年2月18日(土)12:30~13:30 ホームドラマチャンネル(導入編)
平成29年2月25日(土)12:30~13:00 ホームドラマチャンネル(考察編)
平成29年2月18日(土)06:00~07:00 歌謡ポップスチャンネル(導入編)
平成29年2月25日(土)06:00~06:30 歌謡ポップスチャンネル(考察編)
※以降随時放送
詳しい放送予定はこちら(ホームドラマチャンネル歌謡ポップスチャンネル)

佐々木 健一
(ささき けんいち)
東京大学名誉教授
国際哲学会連合(FISP)副会長

昭和18年(1943)生まれ。美学者。東京大学教授、日本大学教授を歴任。元美学会会長、元国際美学連盟会長。現在は国際哲学会連合(FISP)副会長。日本学術会議連携会員。
1982年『せりふの構造』でサントリー学芸賞受賞。主な著書『美学辞典』『美学への招待』『日本的感性―触覚とずらしの構造』等。

講義録

佐々木先生:
今晩は「クリエイティブ」についてお話ししたいと思います。 もちろんクリエイティブというのは形容詞で、もとは「クリエイション」ですが、「クリエイション」と言うと、かなり大仰なニュアンスがあります。それに対して「クリエイティブ」というのは形容詞ですから、いわば誰でも「クリエイティブ」であり得る、それから作られた物も「クリエイティブ」だと言われます。今日お話ししようと思うのは、「人」のクリエイティブなあり方です。
・クリエイティブ志向の状況社会の全般的な傾向として、事実としても、またそれから必要性の面から見ても、クリエイティブであることが必要になっている。あるいは求められている。あるいは人々が志向しているということがあると思います。

映っている画面に「ライオンからマルクスまで」と書きました。変な言い方ですが、説明します。時々テレビでライオンの生態を見ることがあります。かれらは百獣の王といわれていますが、その生計を立てるのは非常に大変で、なかなかエサにありつけない。ひもじい思いをかかえて獲物を求めてさまよっている姿をよく見たりします。

ライオンが自分で命をつなぐために必要なのは、まず第一に強靭な体力、腕力、それにほんのちょっとした知力が必要です。狩りの仕方を見ているとそれなりに知恵が働いていることがわかります。その知恵を欠いていると体力も活かせないでしょう。

「マルクス」というのは単に労働の理論化というだけの意味です。基本的に長期にわたる人間の歴史を見ても、ライオンと似たような状況、すなわち体力を使って状況を開拓していくことが必要だったんだろうと思います。

ところが状況はかなりドラスティックに19世紀から変化してきました。もちろんその最初は、いわゆる産業革命です。

パワーの源が、もともとは人間の自分の体力、それから水力であったり、あるいは馬の力を借りたりというようなことがあったものが、内燃機関あるいは蒸気機関が発明されることによって、その多くの部分が置き換えられました。それは非常に大きな変化であったということができます。

たとえば船を漕ぐのに人力が必要でした。それがガレー船などにおいて、かなりあとまで船の櫓を漕ぐだけに使われている奴隷のような人たちがたくさんいたわけですけれども、蒸気船が現れると、当然そういう仕事はなくなります。かれらは必然的に他のことをしないと食べていけなくなったはずです。それが機械化です。

さらにそれがオートメーションに変わると、そこに今日お見せするパワーポイントで唯一の画像ですが、チャップリンの有名な『モダン・タイムス』のワンシーンです。これは通例、機械化の進行によって人間が機械化しているんだというふうに解釈されていると思います。しかし状況を考えますと、機械化が進行すると人間はその機械が担ってくれるものとは違うものをしないと、存在意義がなくなっていくというのは必然的な流れです。だから人間は機械化するんではなくて、機械にできないことをやることが必要になってきます。

現代ではロボットがいろいろな生産ラインで多用されていると聞いています。そうしますと、たとえば自動車の生産ラインで、それまでボルトを締めていることを一生の仕事にしていた人がいたはずですが、その工程がロボットに置き換えられる。すると、その人は別のことをしなければならなくなります。初めは似たようなことをしたのかもしれません。しかし全体に機械化の流れが進行していくと、だんだん人間は筋力あるいは、体力から知力へと自分の足がかりを移さざるを得なくなる、というのはこの文明の歴史の必然だと思います。

つまり人の仕事は今やクリエイティブであるほかはない。そういう状況の中にわれわれはいるわけです。

それがAIになりますと、というかAIがおおいに使われるようになっていくと、最近耳にした情報では数百万単位で人の雇用が失われるということが言われています。その先にある社会では、AIがわれわれの知的労働さえ代替してくれることになると、今度は労働の問題ではなく、人が何をするかということは、自分の好きなことをして、そしてAI によって得られた富をどうやって分配するかという別種の問題が現れてくると思いますが、そういう状況になっても、われわれがクリエイティブであるということは必然的な欲求として残り続けるのではないかというふうに思います。

現実に戻って考えますと、若い人たちの間に職業選択の場合、例えば収入がよくて、しかも安定してずっと勤めることができるというような仕事のあり方よりも、多少給料が安くてもいいからクリエイティブな仕事をしたいという人が現実に出ている。そしてそういう人々の数が増えているというふうに聞いております。多分本当なんじゃないかと思います。つまり、今お話ししたような時代の状況に鑑みれば、われわれは創造的であることを求めざるを得ないし、又それがわれわれの生きている喜びの根源につながっていると考えられる限り、クリエイティブであることは必要だと言えるかと思います。

・クリエーターとは何者か

では、そのクリエイティブとは何かという問題ですが、最近使われている用語に「クリエーター」というカタカナ語があります。

この中にも自分はクリエーターだとおっしゃる方がいらっしゃるんじゃないかと思いますが、クリエーター――単語の意味はどなたもおわかりになると思いますが、一体クリエーターとは何者であるのかということについては、あまりよくわからないというのが事実ではないでしょうか。わたしもよくわかりません。

15年ほど前にオランダの大学に呼ばれて講義をしていた時に、その聴講者の1人が自分はクリエーターだと誇らしげに発言しました。それを聞いた時にわたしは仰天しました。当時わたしの頭の中にあったのは、そ画面にありますが、クリエイション、クリエーターというのは、神による天地の創造という意味が根本だ、ということです。

西洋語――何語でも同じだと思いますけども18世紀の終わりぐらいに至るまでクリエイションとかクリエーターという言い方をした時に、人間の活動を指すような言葉遣いは極めてまれであったと思います。ですから、美術を専攻している学生が自分はクリエーターだと言った時に、わたしは本当に意味を掴みかねていました。少なくともそのクリエーター、クリエイションという単語が人間に適用されるようになった時、それは大体18世紀の末から19世紀の初めぐらいのことなのですが、基本的には藝術家の天才的な仕事をクリエイションと呼ぶのが一般的でした。ですからその言葉を自分に向けて「自分はクリエーターだ」というような言葉遣いは、西洋の近代の19世紀的な言葉遣いにおいても普通にはあり得ないことだったのです。ところが15年たって、今、周りを見るとクリエーターというカタカナ語はごく普通に、日本でも、流通しています。

「クリエイティブ」というのは、最初にお話ししたように、「クリエイション」が超絶的な意味があるのに対して、ごく身近な出来事についてもクリエイティブだと言えるような、そういう意味の幅を持っていると思います。まずそのクリエーターというのはどういう仕事をしている人たちなのかということを見てみることにいたします。

オランダで出会った学生は、多分デザイナーだったと思います。これについて言葉の歴史を正確に辿るほど知識が蓄積されていないのですが、おそらく最初にクリエーターと呼ばれた人々は、広い意味でのデザイナー達だったのではないかと思います。ところがデザイナーの仕事の領域は、最初は今日で言うビジュアルデザインのことでした。その実質は応用美術と言いますか、あるいは商業的に活用された美術、身近な例で言うと、ポスターだとかテレビのCMであるとかそういうものを作る人がデザイナーだったと思います。

それがだんだん対象領域が広がってきまして、そこに枚挙してありますが、ベースとしてのグラフィックデザイナーからはじまってファッションデザイナー、インテリアデザイナー、ディスプレイデザイナー、パッケージデザイナー、エディトリアルデザイナー、フラワーデザイナー、Webデザイナー等という、いろんな領域にデザイナーと呼ばれる人びとが今ではおります。

これはわたしの推測ですが、このように対象領域が拡散した結果、それを、いわばひとまとめにする言い方としてクリエーターという単語が使われるようになったのではないかと想像しています。

このデザイナーの他に、今日クリエーターと呼ばれている仕事はとりわけITであるとか、Webに関わる仕事、CGの制作、ゲームクリエーター、CADのオペレーター、さらに古典的な昔からある仕事に遡っていくと、創造的な仕事と考えられていたものはいくつもあります。

例えば書籍、雑誌の編集者であるとか、コピーライターとかです。それから舞台とか映画の裏方、美術、小道具、照明、音響等を扱う人たち、それから伝統的な職人さんの仕事もクリエイティブだということができます。さらに金属プレス工、内装工、パン職人、驚くことにスポーツの審判員というのもクリエーターを紹介しているサイトにカウントされています。それは、クリエーターを養成するということを謳っている専門学校がどういう領域をカバーしているかを紹介しているサイトですが、このようにクリエーターと呼ばれる人たちの仕事の領域が非常に広くなっています。従って、そのクリエーターのクリエイティブな活動はごく身近なものに及んでいるということが容易に理解することができるかと思います。

・クリエイティブとは

では、クリエイティブとは何か。クリエイションの基本的な定義は、新しいものを作り出すということですが、その新しいものを何と比較して新しいかということによって、「クリエイティブ」の意味も様々です。

今のクリエーターの仕事の領域をベースにして考えますと、クリエイティブであるということは、そこに書いたとおりです。《自分の知識や技能すなわちスキルを活用して、やっている仕事に変化を加え(そこが新しさの元になるわけです)、そのことを通して自身の痕跡をその仕事に残す》、それがクリエイティブであるということだろうと思います。

これは天才の“創造”とは違います。天才の創造も、今あげた定義らしきものに従って理解することは可能です。しかしこれだけでは天才の創造は済まない。例えば何世紀に1人現れるかどうかわからないような超絶的な能力、ほかの人が束になっても到底かなわないような超絶的な頭脳とスキルの持ち主。そういう人が19世紀の初め頃から天才と呼ばれてきました。その天才の仕事がいわば平準化され、誰もがクリエイティブであり得るような状況がわれわれの生きている時代だと思います。天才は近代美学の主要な概念の1つですけれども、今や過去の言葉と言って過言ではありません。

・創造性と個人主義

ここからが本論ですが、まず最初に「創造性」。

創造性というのは「クリエイティビティ」、クリエイティブであることを抽象名詞化したものです。その創造性は個人主義と結びついている。つまり創造的であるのは、天才とは言わないまでも、誰か優れた人の仕事だと考えられています。藝術作品の場合はもとより、重要な発明とか発見には個人の名前が付いています。藝術作品に作者の名前が結びついていることは言うまでもありません。さらに、科学上の発見、技術上の発明についても、例えば「オームの法則」「パスカルの定理」のように固有名詞がそれを発見した人の名前と結びついて、その定義、定理あるいは法則が語られ、そのような由来のものとしてわれわれは認識しています。

これは個人主義という点では天才の思想と一致します。天才は例外的な個人です。クリエーターの仕事にもそういうところがないかというと、決してそういうことはありません。例えば最近、スーパーマーケットへ行くと、この白菜は誰々さんが作ったものですという野菜が売っています。ある意味では過剰ではないかと思われるところがないわけではありません。どうして過剰かというと、その生産物にそれほどの個性があるのかということをいぶかしく思うからです。しかし他の生産者にはないようなクオリティを持った野菜を作っているという自負のある人が名前を付けているのではないかと思います。

それから美容師さんも指名制がとれられていて、他ならぬこの人にやってもらいたいというファンであるとかリピーターが増えると、門前市をなすような美容師さんもいるらしいのです。一般の街の美容室においてもそういう指名制がとられているということは、同一労働、同一賃金というのとはちょっと違って、その人の仕事のクオリティに従って、多分収入が違う。そういう状況が現れていて、それはその人の仕事がクリエイティブであるかどうかということによっていることだろうと思います。

・個人の力の限界と集団の寄与

このようにクリエイティブであるというのはまずもって、特定の個人の資質や仕事ぶりの問題ですが、しかしそのクリエイティブな活動には個人としての限界があります。例えば今日わたしは、このパワーポイントに則ってお話をしているのでテキストを書いているわけではありません。しかし、これを文章に書き下ろせば、わたしはそれに対してコピーライトを主張します。つまり、それは他ならぬわたしの作品だということを主張します。しかしながら、きょうお話ししていることすべてについて言えることなのですが、これはわたしだけがお話し出来るような内容であるという面と同時に、ほとんどすべてが借り物だという側面もあるわけです。

例えばクリエイティブについて考えるということ自体が、わたしの場合でいうと美学という学問の中でそういうテーマがあるということを前提にしています。それからきょうお話しする際に、ほとんど固有名詞をあげませんけれども、取り上げて紹介している歴史的なデータはもとより、ものの考え方にしても、おそらく誰かがすでに言っている。そういうものの集積としてわたしのテキストはあらざるを得ないわけです。

ここで、発明の場合について考えてみます。

発明というのはごく常識的な理解では、誰かがある時、それまでになかった新しい物を作り出したということだと考えられています。しかし、ほとんどの発明の実体は、いわゆる「発明」というのではなくて、改良の連続だったということが言われておりますし、実際そうなのだと思います。

例えば先ほど産業革命の引き金になった蒸気機関の話をしましたが、その発明者とされているのはジェームズ・ワットという人です。これについてはここにいらっしゃる皆さんどなたも中学校かなにかで習ったと思います。しかし、そのワットの蒸気機関は、発明と言うより改良だったということが今日では定説であるようです。

彼の最初の考案は1765年、最初の特許は1769年です。彼は最初のシステムを改良し、特許を取り直して実用にこぎつけたのは1789年です。言い換えると最初の65年の考案や最初の特許の69年のアイディアは実用化されなかったわけです。その65年の考案にしても、先行形態として1698年にトーマス・サイヴァリという人の鉱山で使う排水ポンプであるとか、1705年のニューコメンの気圧機関というのがより蒸気機関に近い物として紹介されております。つまりジェームズ・ワットの発明は、実態としては古代から少しずつ積み重ねられてきた様々な人の考案を前提として、それに或る、場合によっては決定的と言ってもいいような改良を加えた、ということだと思います。

・20世紀における研究の組織化

今、個人の仕事という性格と、その個人の仕事が、実はかれ/彼女ひとりのものではなく、いろいろな人の成果を土台としてクリエイティブな仕事が成り立っているということをお話ししました。

個人と集団ということを考えてみますと、これは藝術家の場合ではありませんが、20世紀における研究の組織化に注目しなければなりません。研究というのは、この場合は、科学的な発見であるとか、あるいは技術上の発明であるとかそういうものにつながるという意味で、研究ということをご理解いただければと思います。

ノーバート・ウィナーという人がいます。あとでお話ししますけれども「サイバネティックス」という新しい学問を考え出した人として知られています。その人の著書に『発明、アイディアをいかに育てるか』という名著があります。ウィナーによると研究の主体が個人から研究所という組織に替わった。それは20世紀における大きな変化だと、かれは言います。ウィナーによればこの変化をもたらした最大の功績者はエジソンです。かれはエジソンを発明家としてはほとんど評価していませんので、エジソンの最大の功績がこの研究所組織を作ったことだと言います。

研究所という巨大な組織というのは、この場合は大きな企業が併設している研究機関です。なぜそれが必然になるかというと、特許の獲得競争において、巨大な資金を持っている大きな組織は個人の力を遥かに凌駕する力を持っているということにあります。

その例としてウィナーはいくつか例をあげていますが、その中の1つをご紹介します。AT & Tというのはアメリカ・テレコム、アメリカの電信電話会社ですが、この組織とヘヴィサイドというイギリスの研究者との間の特許に絡む抗争です。その発明の実態についてわたしはよくわかりませんが、その内容は次のようなものです。長距離通信においてケーブルを通して信号を送ると、そのケーブルの抵抗によって歪みが生じますが、その歪みを軽減するための考案をまず最初に考えたのはヘヴィサイドというイギリス人だったそうです。アメリカ・テレコムは自分のところでそれと似たような、しかし違うシステムを考案しつつあった。テレコムは自分のところの考案を生かすためにヘヴィサイドの特許を葬ろうとしたわけです。初めはヘヴィサイドを抱き込もうとしたのですが、この人はかなり頑固な人だったようで、テレコムの申し出に対してこ、の発明が全面的に自分のものであるということを認めよ、ということを強く主張し決裂します。そこでテレコムはヘヴィサイドの考案、特許の効力を葬るためだけにピューピンという学者に無用の特許を取らせて、それを使ってヘヴィサイドの考案といいますか、特許の効力をないものにした、ということをウィナーは紹介しております。

・個人の逆襲

これと正反対の事例を、例外的なものとしてわれわれは身近に知っております。青色の発光ダイオードの特許を巡るいわゆる“中村裁判”と呼ばれているもので、皆さまご記憶にあると思います。

ノーベル賞をこの発明によって獲得した中村修二さんと、かれが以前勤めていてそこでの仕事としてこの発明を行った日亜化学工業という会社との間の裁判です。

この特許は“404特許”と呼ばれておりますが、中村さんの主張はこの特許が自分に帰属することを認めよ、ということで、先ほどのヘヴィサイドの主張とそっくりです。自分に帰属することを認めないのであればそれを会社に譲渡した対価として200億円払えというのが彼の訴状でありました。これに対して第1審の判決は、中村さんのこの発明に関わる寄与を50%と認めて、その50%は604億円に相当するとカウントしました。中村さんの請求額は200億円ですが、実際はそれ以上に604億円の価値がかれの発明にはあったと、裁判所は認めたわけです。しかし求められているのが200億円なので200億円払えというのが第1審の判決でした。第2審になった時、裁判所は和解を勧告して最終的に8億4000万円の支払で決着したということです。

・ウェットな思想風土

中村さんはこの決着に満足していなかったようですし、またわれわれはこういう訴訟に慣れていないせいもあると思いますが、わたしなどは変な科学者だなあという印象を非常に強く持ちました。科学者としては何か欲が深すぎるのではないかなというような印象さえ受けました。しかしながらこの話題をお話しするためにWebサイトで情報を検索してみますと、中村さんの立場に対する共感を、つまりわたしでもそうしただろうと思うような背景が見えてまいりました。

まず、中村さんは、(天才であるかどうかというのは今では非常にデリケートと言いますか、比喩的な意味以外に天才とは言わないので“天才型”と言っておきますが)、極めて天才型の研究者であったと思われます。たとえば会社の中のドレスコードだとか、時間の規定だとかそういうものを一切守らないというようなところに典型的に現れてくる。つまりわれわれが普通に天才として思い描くような、ちょっと奇人に近い振る舞い方をしていたのだと思います。

この人の才能に注目してかれに仕事を与えていたのはこの日亜化学工業の創業者なのですが、その創業者が亡くなると後ろ盾をかれは失います。社内では非常に軋轢があって周りの人びとは快く思っていなかったようです。そこで、会社はこの人を追い出してしまいます。加えて他社に会社の機密を漏らしたという廉で告訴までしているのです。中村さんの立場からすれば、自分は非常に重要な発明を行い、それによって会社は非常に大きな利益を得た。その自分に対して踏んだり蹴ったりの扱いをしている、ということになります。もしそういうことがなければ、つまり平和な関係であったならば、おそらくかれの訴訟はなかったのではないかなという印象を持ちます。

面白いのは、会社は一応中村さんの発明の功績を認めたことです。ボーナスとして2万円支払った。2万円というのは604億円に比べるとジョークとしか思えない、お小遣いにもならないような金額だと言わざるを得ないでしょう。念のために比較しますとアメリカ・テレコムはそのライバルとなる特許を葬るために自分では使わない特許を取らせた研究者に50万ドル払った。50万ドルというのは今でもすごい額だと思いますけれども、20世紀初頭の50万ドルいうのはわれわれが想像できないぐらいの巨額の報奨金だったと思われます。

さらに面白いのは、和解後の日亜化学のコメントです。つまり裁判が決着したあとでこの会社は、この青色発光ダイオードが個人ではなくて、というのは中村さん個人ではなくて、多くの人の工夫と努力によることを認めてもらって満足であるという、そういうコメントを出しました。言い換えると会社のほうは残りの50%の方を強調したわけです。多くの人の工夫と努力というのが、中村さん以外の日亜化学工業に勤めている研究者、それからスタッフ達の仕事を指していることは言うまでもありません。

・組織のイデオロギーとしての「社会主義」

2万円と会社の利益としての1208億円を比較した時、2万円はジョークとしか見えないのですが、それだけに逆にこれは比較の対象ではなくて、ものの考え方が根本的に違うんだということを考えざるを得ないと思います。

日亜化学工業の考え方は容易に理解することが出来るでしょう。それは、組織に属する個人はいかに天才型の研究者であろうとも、例外なく組織あってのものであって、個人プレーは無用である、ということです。こういう組織観の中から、2万円のボーナスが現れたのだろうと思います。

先ほどパワーポイントの記事を飛ばしましたが、この裁判のあとで政府は特許法を改正します。改正された特許法は昨年施行されました。ポイントは2つあります。研究者が会社に入ってきた時、最初の契約を結んで、将来わたしが獲得する資格を持つかもしれない特許をあらかじめ会社に全部譲り渡しますという契約をすることができる。これが1つ目です。それに対して発明者はしかるべき対価を受ける権利があるというのが2つ目です。これは何のことかあまりよくわからないという方がほとんどだと思います。

1つ目の点について申しますと、わたしの知っている工学系の研究者たちは、聞くとびっくりするぐらいの特許を持っているんですね。発明者なんですね。例えば数百とか千とか発明を持っている。しかしその発明の中で実用化されたものはないというふうにおっしゃる方が何人もいます。とすると発明というのはわれわれが想像つかないぐらいにたくさん生み出されていて、しかしそれはほとんど実用化されない。実用化されないのですが、発明――つまり特許を取るためにはそれなりの費用と手間がかかります。従って多くの方は会社がそれを代わって取得してくれることを喜んでいらっしゃる。そうすると、この改正特許法の1つ目のポイントは、現に行われていることを追認しているに過ぎないのです。追認しているに過ぎないのですが、追認した法律ができると今度は大っぴらにというか、堂々と会社は新規に採用する研究者に対してこういう了承を求めるようになると思います。

2番目の項目、つまりそれに対して対価を払わなければいけないということを認めていることは、研究者を保護しているみたいなのですが、しかしどのようにしてこの対価を測るかということについて何も書いていないわけですから、実際には会社の言い値、それはまさか2万円ということは多分ないのではないかと思いますが、しかし多分604億円ということもない。そういう対価が支払われてそれに不満であれば、結局この対価が不当であるという訴訟を起こさないと研究者は自分のいわばプライドを守ることができないということになります。そういう性質の改定ではないかと思います。

これは、結局のところ日亜化学工業の考え方といいますか、組織についての思想をバックアップしていると言わざるを得ないのではないでしょうか。

こういう考え方が日本の社会全体に浸透しているとすると、それが非常にマイナーなレベルでのクリエイティブな活動には支障がないにしても、非常に大きな重要な、たとえば青色発光ダイオードのような発明を生み出すことに貢献するかというと、決してそういうことにはならないだろうとわたしは思います。そこには、たとえ新しい発明や発見や藝術創作が、それまでの仕事の蓄積を前提にしたものであるにしても、誰もが同じ仕事を出来るわけではないので、そこにはやはり傑出した創造力の持ち主の存在が不可欠です。

それをこの組織の「社会主義」と書いたのは、組織が優先するという意味です。個人主義に対して社会主義という言い方をここではしておりますが、創造に元々結びついている個人主義に対して、社会主義を主張できるのかというと、実際の効力はないのではないか、つまりこの社会主義的な風土の中では、重要な発明は行われないだろうとわたしは思います。一体、日本の社会は独創的なアイディアを好んでいるのかどうだろうかということを考えざるを得ないのです。

・日本の創作論――「句作りに成るとするとあり」

先ほどもご紹介したように、西洋における創造の概念の始まりは、もちろん神様の創造のあとに人間の創造がきて、その人間の創造の中心は藝術にありました。そこで日本における創作論を参照してみることにします。

「句作りに成るとするとあり」というのが日本の藝術創作についての考え方を極めて的確に言い表している言葉だと思います。画面ではその下に、あとの部分を含めて引用してあります。芭蕉の言葉で、弟子の服部土芳という人が『三冊子』という本の中で紹介しているものです。

「句作りに成るとするとあり。内をつねに勤めてものに応ずれば、その心の色、句の色と成る。内を常に勉めざるものは、成らざる故に私意にかけてするなり」。大体意味はおわかりいただけるでしょう。

タイトルのところに引用した「句作りに成るとするとあり」というのが根本です。すなわち2つの作り方が対比され:ています。ひとつは「成る」。句が成るというあり方で、もうひとつは句を「する」という、私意にかけてするというふうに下のところで言われています。

この対比は実は西洋の藝術論の中で、も昔からあるものです。“art”と“nature”という対比がそれです。artというのは人間の技、人に属しているものです。natureのほうはもちろん人に属しているのですが、その人が自分で努力した結果として身に付けたものではなく、生まれつき持っているもの、簡単にいうと“天分”、それが“nature”です。“art”に相当するものはここで言われている“修業”であって、修業というのは「内を常に勤めて」と言われていることです。それに対して西洋においてnatureに相当するのは昔は霊感と言われていて、近代になるとそれを個人主義的に言い換えて「天才」と捉えるようになりました。

芭蕉の言っていることは、俳句をよむ時に無理矢理自分で作ってはいけない。俳句がひとりでに生まれてくるようにしなければいけない。ひとりでに生まれてくるようにするにはどうしたらいいかというと、内を常に勤めなさい。つまり修業しなさいということです。修業抜きにしていきなり何かを作ろうとしてもそれは問題外。こつこつと修業し、お師匠さんに添削してもらって、そうしているうちに自分でわざわざ作らなくてもひとりでによめるようになりますよ、というのがこの思想の根幹です。

その次に藤原定家の言葉をご紹介します。たまたま2つの著作とも書かれた年代がはっきりしています。約500年の差異があるのですが、言っていることは瓜二つと言っていいぐらいそっくりです。

『毎月抄』という歌論の一節です。藤原定家はいろいろなスタイルを区別していて、その中の「有心体」、心があるスタイルというのを歌の最高の形と考えていました。その心というのは、意味とか情趣に相当し、それが豊かで深い、それが有心体の基本的な性格です。これについて定家は次のように言っています。

「これをば、わざとよまむとすべからず。稽古だにも入り候らへば、自然に読みいださるゝ事にて候」

つまりわざとよんではいけない。稽古を積むならば(芭蕉の「内を常に勤めれば」というのと対応します)「稽古だにも入り候らへば」、それはひとりでに読みいだされることである。ちなみにここで赤と青で書きましたが、「わざと」というのと「自然に」―(われわれは“しぜんに”と読みますが、多分、定家の時代には“じねんに”と読んだのではないかと思います)が対比されています。その対比はわれわれの日常の言葉遣いの中にも生きていて、たとえば子供が何か悪さをして親に叱られると、「それはわざとしたんじゃないよ」というような言い訳をして、「わざとしたんじゃなければいいか」となって許されたりする、という形でわれわれのものの考え方の中に今も浸透していると言えます。

パワーポイントの画面に「art を超える art」と書きましたが、どういう意味かというと、「内を常に勤める」というのも、「稽古」というのも技です。art――つまり修業に相当します。しかし、「わざとよむ」という場合の“わざ”というのも技です。そうするとこの2つの技は区別しなければいけないので、わざと(私意的によむという場合の技)を超えるような技、つまり目立つような、はっきりと人に教えることができるような、ものの本に書いてあるようなそういう技を超えるような、そういう意味での真の技、それを定家も芭蕉も要求しているということができます。ちなみにこのartを超えるartというのは、例えばパスカルの一節にも、「本物の雄弁は雄弁を馬鹿にする」というよく知られた言葉があります。だから西洋の考え方でも似たところが、あるいはほとんど同じ考え方があったということができるかと思います。

日本のこういう藝術の創作論のものの考え方に注目し、その根底を考えてみることにします。

・丸山眞男と「歴史意識の古層」

〈丸山眞男と「歴史意識の古層」〉というタイトルを付けてあります。「歴史意識の古層」というのはこの次のページに出してありますが、長編論文です。

「歴史意識の古層」というタイトルそのものがわかりにくいかと思います。まず歴史意識とは何かというと、何か変化が起こったとします。何か変化が起こった時、その変化のことを歴史と言っているのですが、その起こった出来事がどのようにして、何ゆえに起こったのかというのが歴史意識です。その歴史意識に古層があるとはどういうことかというと、日本人のものの考え方にいろいろな層があって、昔からの古い層もあれば割合最近に、例えば西洋から借りてきた新しい層もあるわけです。古い層は基層をなしています。歴史についての考え方に古い層がある。つまり言ってみれば日本の土着の思想、土着の歴史観があるというのがこの論文のタイトルの意味しているところだと思います。

この論文の中で彼が取り上げているのは、宇宙創世神話です。宇宙創世神話というのはこの宇宙がどのようにして出来たかということを語る神話ですが、世界が出来るというのは歴史の中で最大の歴史だと言って過言ではないでしょう。ですから各民族がこの世界がどのようにして出来たかということを神話として語っているか、その神話を見れば、物事の起こり方、出来方についてのそれぞれの民族のものの考え方、つまり歴史意識がわかると考えられるわけです。

この歴史意識について、丸山は3つの基本的な類型があると言います。それは「つくる」「うむ」「なる」という3つです。「つくる」というのはまさに人が作るということです。創造神がいて何らかの目的があってこの世界を作ったという考え方です。真ん中を飛ばしてもうひとつの「なる」を考えますと、何か霊力のようなものがあって、その霊力がおのづから自己を形成してこの世界が生まれてきたという、そういう考え方であると言うことが出来るでしょう。「うむ」というのがその中間です。「うむ」というと、男の神様と女の神様がいてその交わりからこの世界が生まれたと考えるわけですが、作り手ではないけれども生み手がいるという点では「つくる」の論理と似ている。しかし意図して何かを作ったのではないという点では、「なる」と似ているというので、中間的です。

宇宙創世神話のこの3つの類型について、「つくる」の典型がユダヤ=キリスト教の神話であるのは明らかです。それに対して「なる」の典型として丸山は日本神話をあげます。

「なる」というのはどういうことかと言うと、この時丸山は、本居宣長の『古事記伝』を参照して英語の単語をあげているのですが、日本語に直すと「生まれる」「変化する」「出来上がる」というのが、「なる」という日本語の意味の成分だと言います。つまりこれを合わせたような意味での「なる」というのが日本における歴史意識の古層だ、言い換えると何かが起こった時、それは誰かが作った、荻生徂徠が考えたように聖人が作為した制作したというのではなくて、いわばひとりでにできてきたんだとわれわれは考える。それが日本の神話の中に具現されているわれわれの歴史意識の古層だ、われわれの心の底にはひとりでに事柄がなるという考え方がベースとしてある、と丸山はこの論文において主張し、かつそれを見事に証明していると思います。

・自動詞の「論理的な力」

これから先は丸山の思想ではなくてわたしの考えです。

日本語の自動詞の仕組みの中に示されている、とわたしは考えます。われわれは日本語を使ってものを考えています。ものを考えていると思わない時でも日本語を使っています。その日本語の構造にある意味で支配されているところがあります。もちろん日本語の論理構造を否定することは可能です。可能ですけれども自然な向きとしてはわれわれはそれを受け入れているところが多々あるでしょう。そういう意味で丸山が言った歴史意識の古層は、われわれの言葉遣いを通して、われわれの意識を方向付けている、底辺において方向付けているというふうに思います。

自動詞の持っているそういう意味合いをギルバート・ライルというイギリスの哲学者の言葉遣いに倣って「論理的な力」と呼ぶことにします。

ギルバート・ライルに『こころの概念』という名著があります。例として、これはどなたも中学校で英語を習って以来、LookとSeeの違いは何なのか、あるいは、Listenとhearの違いは何なのかということをずっと疑問に思ってこられたのではないかと思います。わたしが非常に納得したというか嬉しかったのは、ギルバート・ライルはこの2つの概念というか動詞の意味の違いを、イギリス人たちもずっと間違えていたと言っていることです。

かれは動詞を2種類にわけて、「仕事動詞」と「達成動詞」というふうに言います。仕事動詞というのはその結果を含意しないで仕事――何をしているかということだけを言う。それに対して達成動詞というのはその行為の結果として何が行われたかということを同時に意味する。そのように2種類の動詞をあげます。

「見る Look」というのは仕事動詞で、それに対して「見えるSee」は達成動詞であるというのがかれの基本的な考えです。ちょっと面白いのはSeeを“見える”と訳しましたが、ギルバート・ライルの日本語訳、これは優れた訳だと思いますけれども、そこで“見える”と訳してあるのです。ある意味では非常に優れた訳であると同時に、ある意味では間違っている。というのは、Seeの主語はあくまで人です。ところが「見える」という日本語では対象が見えるのです。そういう意味では「見る」と「見える」というのは、仕事動詞と達成動詞の違いをよく表しているのですが、日本語は残念なことにと言うべきか幸いなことにと言うべきか、英語と構造が違うので、その達成動詞は「見える」という自動詞によって表わされる。見たけれども見えなかったということは十分あり得るわけです。日本語の場合特にこの対比、他動詞は仕事動詞で自動詞は達成動詞であるというこの対比が非常にはっきり現れてくるのは、「見る」と「見える」のように自他対応動詞と言語学者が呼んでいるもの、言い方を変えると、有対自動詞とか有対他動詞と呼ばれているもので、対になる自動詞があるもの、対になる他動詞があるもの、そういうペアの動詞の場合です。

例えばそこにあげてあります、「折る」に対して「折れる」、「切る」に対して「切れる」、「壊す」に対して「壊れる」、「決める」に対して「決まる」、「取る」に対して「取れる」というような類いのもので、これは基本動詞ほど多いという事実があります。

ところで、先ほどの丸山眞男が問題にしていたケースですが、歴史意識の2つの極端なタイプです。「つくる」と「なる」というのがその対比になりますが、「つくる」というのを「なす」と言い換えてみます。そうすると「なす」と「なる」という対比が現れます。これはまさに自他対応動詞の1つと見ることができます。普通はそういうふうには、「折る・折れる」「切る・切れる」のような印象をわれわれは持っていないのですが、「なす」と「なる」は基本的に自他の対比として考えることができます。もちろん「なす」は他動詞、「なる」は自動詞です。根本的な問題をもう一度ライルのところに戻って言うと、仕事と達成です。他動詞は仕事を表しているだけであるのに対して、自動詞は――日本語の場合ですよ、日本語の場合、自動詞は達成動詞。言い換えると達成を表すためには、少なくとも有対自動詞/他動詞の場合には、自動詞のほうが達成を表している。たとえば「切ったのに切れなかった」という言い方ができます。面白いのは機械についてまでそういうことが言えて、「写真を撮ったのに撮れていなかった」という言い方はわれわれの言葉遣いでは全く自然です。撮ったというのは仕事を表しているだけであって、それが実際に撮れているかどうかは、「撮れた」「撮れる」という自動詞を使わないと表現することが出来ないのです。

「撮ったのに撮れていなかった」「切っても、切っても、縁が切れない」という例をあげました。その他いろいろ例文をお考えになることができると思います。

さて、この自動詞的なものの考え方、丸山の言葉を使えば歴史意識、つまり何かが起こった時、それはどういうふうに起こるのか。それは、実行を伴っているのかどうかというようなことについての理解のし方、それを自動詞性、自動詞についての考え方というふうに総括します。

・クリエイティブの構造

最後、一番重要なところですけれども「クリエイティブの構造」。

もう一度、ベースになっていることを簡単におさらいしますと、西洋的には、あるいは西洋語的には人がいて、誰か傑出した人がいて、その人が何か優れたものを創造する。クリエイティブな仕事は常にある個人に属しているという考え方がある。これは「なす」の論理です。

それに対して日本の藝術論に現れているのは、「なしてはいけない、成るにまかせよ」です。ただしもちろん、「成る」の主語は人ではなくて作品のほうです。作品がひとりでに出来てくるためには、まず内に勤めなければいけない。だから、藝術家なり発明家なりもまったく無意識というわけではなくて、特別な努力が必要です。しかし出来てくるのはひとりでに出来てくる。西洋的なものの考え方では、こういう考え方はクリエイションとか、あるいはクリエイティブであるということとは非常に違うと考えられると思います。

ただし、西洋の藝術論の中にも、この自動詞的な創造を主張している人が、実はいないわけではない。ひょっとすると西洋人も、それを創造活動においては非常に重要なことだと考えているのではないか、と考えてみることも出来ます。

管見の限りでは、そういうことをはっきり言っているのは、ニーチェと、それからメルロ=ポンティ。メルロ=ポンティは何人かの藝術家の言葉を引用しています。そういう意味で西洋の言葉の論理から言うと、主語があり、つまり誰か人がいて、その人が作るということになりますが、作品がひとりでに出来てくるという考え方も実は西洋人は持っている。そこで、藤原定家や芭蕉が考えたような創作論、つまり努力して修業に励むならば、そのうちいい作品が出来てくるようになるという考え方が、クリエイティブであるために間違った考え方なのかどうかということを反省してみる必要があるではないかと思います。

優れた構想とかアイディアは、求めて得られるものではありません。誰でも優れたアイディアが欲しいと思います、自分の仕事において。けれども、優れたアイディアが欲しいといくら念じたところで、優れたアイディアが生まれてくるとは限りません。それは一種の恵みのようなところがあるでしょう。

そこで証拠として、“Es denkt”というドイツ語のフレーズを皆さんと一緒に考えたいと思います。これはエルマー・ホーレンシュタインさんというスイスの哲学者、この人は世界的によく知られた哲学者ですが、その人がこのEs denktに相当する日本語があるかと聞いてきたのです。つまりEs denktをそのまま日本語で表現することが出来るかというと、文句無しにそんな日本語は存在しない。ちなみにEsは英語で言うとItに相当します。普通は「わたし」だとか「かれ」だとか「彼女」だとか「あなた」だとか、そういう人称代名詞が「考える」の主語になります。denktは「考える」という動詞ですから thinkに相当します。

I thinkのIの代わりにItという非人称の主語をたてたのがEs denkt。つまり、わたしが考えてる、あなたが考えてる、かれが考えてる、というのではなくて、何かわからないEs、It、「それ」というのが考えている。そういう言葉です。

ただ聞いただけでは納得がいかないというか、なんでそんなことを言い出すのかという感じがすると思います。でも何でもいいのですが、例えば富士山のことを考えてみて下さい、と言われたとします。そうすると皆さんは富士山について何か考えます。皆さんがお考えになることは、多分ここに50人くらいの方がいらっしゃるんですけれども、50通り、多分違うのではないかと思います。例えば富士山に外国人が殺到しているという話だとか、富士のご来光のことを考える方もいらっしゃるかもしれないし、北斎の絵のことを考える方もいらっしゃるかもしれないし、風呂屋の壁に描いてある絵のことを思い出す方もいらっしゃるかもしれない。そうすると、富士山のことを考えて下さいというのは外から与えられた刺激ですけれども、皆さんがお考えになる時にそのお考えになったこと、例えば風呂屋の絵のことを考えられたとします。その風呂屋の絵のことはどこからきたんでしょう。皆さんが考えようとしたことは富士山に関することです。それは、言われたから考えたわけです。だけどもその次に皆さんが具体的にお考えになったこと、例えばお風呂屋さんの絵のことをお考えになった時、その絵のことは皆さんが意思をもって自発的に考えたことではないでしょう。何かひとりでに浮かんで来たことなのです。

われわれがものを考えるということ―、何か考えるというだけでもその考えはどこからともなくひとりでにやってくる、という不思議な事実があるからです。けれども、わたしのところにやって来る考えは、多分、他の人に来る考えとは違う。それを優れたものにするために「内を勤めよ」というふうに言った、あるいは「稽古に入れ」ということを言った。それが日本の昔の詩人たちです。

・修行の狙い

これから先は謎です。

しかしこの修業をしなければ優れたものは出てこない。優れたのでなければ日々われわれが経験していることです。Es denkt。何かやってくるんです。修業の創作論というのは救いがあります。つまり修業していればいつか師匠の芭蕉に認められて、1句くらいこれはいいよって言ってもらえるかもしれない。でも天才論には救いはないのです。天才はもちろん救われますけれども、天才でない人は救われない。どんなにがんばってもダメなんです。その救いとなるところの修業においてわれわれは、一体、何を修業するのかということが問題になります。

「仕事の実態はフィードバック」だと画面に書きました。先ほど名前をあげたウィナーという人の最大の業績と言われているのは、「サイバネティックス」ですけれども、それは、一直線にわれわれの仕事は進むのではなくて、結果を見ながら、その元の方針に修正を加えながら仕事を進めていくという考えです。「サイバネティックス」の元の言葉は水先案内人という意味の単語ですから、つまりわれわれの方向をリードしてくれるものがあるという考え方です。

彼の説明、本当にそういう病気があるのかなという感じがしますけれども、例えば目の前にあるこのテーブルのふちを掴まえようと思うと簡単に出来ます。だけど掴まえられない病気があるんだとかれは言います。本当でしょうかね。でも、彼がそれによって説明しているのは実は、手がどういうふうに動いているか、目的に向かってどのように動いているかということです。あと何センチ、さらにそれが半分になったということをチェックしながらわれわれの行動は行われている。だから一直線に進むのではなくて絶えずフィードバックしながら進んでいくのだと言います。そうするとわれわれの仕事は何によらず、つまり机のへりを掴む、あるいは科学的なリサーチを行う、小説を書く、あるいは社内のある課題に対応するというのでも、まず何かやってみる。やってみないと始まりませんね。やってみるということと、その結果が良いか悪いか、その結果が目的に合っているかどうかということの判断という、その2拍子で進むわけです。

普通、創造が一挙に行われるというふうに神話的に考える場合、われわれは最初の「作り出す」ということを強調して、非常に何か優れたものが一挙に出来るものと思いがちなのですが、実はその2拍目の判断をするということのほうが遥かに重要なのです。

ものの創造とか発見に関して「セレンディピティ serendipity」という単語が、最近、よく使われます。「セレンディピティ」というのは偶然の発見をする、という意味です。求めたのではないのに、偶然にある発見をするということを「セレンディピティ」というふうに言います。

その例としてフレミングという科学者のペニシリンの発見がよく繰り返し、繰り返し例としてあげられます。

これはですから皆さんすでにご存知のことだと思いますが、この人は細菌学者で、ロンドンの病院に勤めていた。ブドウ球菌の研究をしていて、ブドウ球菌を培養した皿をたくさん作って、それを放置してあった。ある時休暇が終わって帰ってみると、ある培養皿には青カビが生えていて、その青カビの周囲にはブドウ球菌が消えていたということを発見したわけです。面白いのはその事実をかれが同僚の細菌学者に紹介したところ、誰も感心しなかった。誰も興味を示さなかった。つまりその変化に関心を示したのはフレミング1人だった、という事実です。

なぜかれが関心を示したかというと、簡単には答えられませんが、それまでにかれの中にその発見に向かう、つまりその変化に意味をみつける素地があったとしか言いようがない。その素地はまさに芭蕉が言うような「内に勤める」というそれまでの経験の集積です。そうすると、なるべく広い関心を持つことが重要です。他の細菌学者はそれに関心を持たなかった。フレミングだけが関心を持った。かれには、細菌そのものに対する関心から、それを殺す薬へと関心をスライドさせる用意があったわけです。だから初めからある特定のことを目ざしてそのことだけに知識を集中するのではなく、様々な可能な興味の対象をたくさん広げていく。そして繊細に変化を捉えてその変化の意味がなにかということを捉えようとする。そのことがフレミングのペニシリンの発見につながったということが言えるのではないかと思います。

繰り返しますが、重要な創造というのは、目的が初めから決まっているわけではない。エジソンの発明の多くが、ウィナーによれば発明の名に値しないと言われているのは、目的が初めからはっきりしているからだと思います。それに対してフレミングはペニシリンを発見しよう、あるいはブドウ球菌を殺す薬を見つけようとしていたわけではない。だからそれは偶然の結果のように見えるのですが、しかし、ある意味では偶然ではない。他の人は誰も認めなかったものの価値を、あるいは意味をかれはそこに認めた、という厳然たる事実があります。

そこから得られるヒント、表題にあげた「クリエイティブであるため」にどうすべきかということは、極めてバナールな、芭蕉の教えと同じことになります。その際、〈ある特定のことを考えるのではなく、発明はどこから来るかわからない。そのどれにも対応できるように自分の繊細な直感力を鍛えていく〉ということにしか、クリエイティブであるための秘訣はないのではないかと、わたしは考えています。

ご清聴ありがとうございました。

©2017 Ken-ichi SASAKI (禁無断転載)

MC
素晴らしい講演ありがとうございました。

それではこれからわずかな時間ではありますが、参加者の皆様から佐々木先生へのご質問をお受けしたいと思います。スタッフがマイクをお持ち致しますので挙手をお願いします。

Q.
先生お話どうもありがとうございました。

お話を聞いていて、日本の天才とか、天才的な技術の芽が出ないことがあるじゃないですか。たとえばコンペだったら選ぶ人が悪くて、いいものが選べないとかですね。

あと、革新的な技術を上下関係でつぶされるとか。

そんな芽が出ないことについて、特に日本の状況についてどのように憂慮されていますか。

佐々木先生:
非常に難しいご質問です。

すなわちわたしの関心とちょっとずれているんですね。わたしは芽が出ようと出まいと、クリエイティブなものはクリエイティブだというところで考えています。

たとえば日亜化学工業のマネジメントの思想、たとえば、発案者が気に入らないからつぶしてしまえ、極論するとですね。そういうふうに働くケースはあると思います。それに対して対応することは出来るかというと、わたしは何もアイディアがありません。

経営学とか、あるいは、社会学とかそういう専門の方ならあるいは強い知見がおありになるかもしれませんけれども、残念ながらわたしにはお答えできる用意がありません。

Q.
ありがとうございました。

わたしの考えていることが先生のお話と合っているかどうかを確認したかったのですが、たとえば語学をやっていたりすると、リニアにどんどんうまくなっていくんじゃなくて、あるところまで全然のびなくてずっとうまくいかなくて、ある日突然気がつくとポッとものが出来上がっているというような感じがする。段階的な、飛び上がるっていうかジャンプアップするというようなことがあると思うんですが、それは先ほど先生がお話しされた修業を積んでいると、ある日何かが起こってこう自分のステージが変わるというのと似通っていると思っていていいのでしょうか。

佐々木先生:
と、思います。あまり、具体的な事例に則してお答えできないんですけれども、そのジャンプアップする時というのは、その人が何かに気付くんだと思います。たとえば、さっきの鉛筆削りでも、鉋を掛けるでもいいのですが、教えられてもなかなかうまくならないんですよね。でもある時、教えられているのはこういうことなんだという、力の入れ方とか左右の手のバランスだとかそういうことをその人が知覚した時にジャンプアップするんだと思います。

つまり知覚することによって手の動きをコントロールできるようになる。外国語の習得においてもそういうところがあるんじゃないかと思います。

これはわたしが教師として教えている時に学生がどうしても納得しないというか、マスターしてくれない。最大のネックと言いますか、そのヤマの部分というのはシンタックスに対する意識なんですけれども、きっとそこをなんか1つの事例でもいいのですが、きっかけを掴むとコツがわかるというのがそういう意味なんじゃないかと思います。

コツがわかるというのは生産力に目覚めるということなんじゃないでしょうか。それは自分のやってることがわからないと、自分が何をやっていて今までどうだったのかということが、ある時、見えるようになった時ジャンプアップ出来る。先ほどのお話でいいますと2拍子の2拍子目ですね。

ま、それでお答えになっているかどうかわかりませんが。

MC
それではお時間になりましたので、これで佐々木先生へのご質問を終らせていただきたいと思います。

どうもありがとうございました。