平成22年度第2回 第2部:~スマートな人と企業~

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾
岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成22年度シリーズ

第2回 第2部:「考える海外進出企業』
~スマートな人と企業~

講師
柳井 雅也 先生(東北学院大学教養学部地域構想学科 教授)
開催日時
平成22年10月20日(水)15:30~16:30
場所
仙台商工会議所 7階大会議室(宮城県仙台市青葉区本町2-16-12)

柳井 雅也(Masaya Yanai)

東北学院大学 教養学部地域構想学科 教授

1958年 宮城県仙台市生まれ。
福島大学経済学部卒業、法政大学大学院人文科学研究科地理学専攻修士課程終了。
岡山大学助教授、富山大学経済学部教授を経て2005年4月より東北学院大学教養学部地域構想学科教授。
「中部地域経済産業の将来展望に関する検討委員会北陸部会長」(経済産業省中部経済産業局)、「国土形成計画北陸圏広域地方計画協議会委員」(国土交通省北陸地方整備局)等を歴任
専門:経済地理学
研究テーマ:先端技術産業の立地、地域経済論
著書:「企業空間とネットワーク」(共著、原書房)、「地域産業の再生と雇用・人材」(共著、日本評論社)等

講義内容

第2部

どうも皆さんこんにちは。ここでは考える海外進出企業ということで、人と企業についてお話をさせていただきます。最近海外に行く企業というのがあるのですけども、特に少子高齢化社会に入ってきてその傾向というのが必然的な流れになるのではないかというふうにいわれております。

はじめに

これはどういうことかというと少子高齢化社会というのは人口減なのですよね。人口減というのは、介護・福祉のような新産業が育つものの、全般に市場が縮小することを意味しています。一方、企業は自分たちの事業規模を少しでも大きくしていきたいわけですから、縮小する市場の中で戦っていこうとすれば、ライバル企業から市場を奪うしかないわけです。もし、負けてしまえば事業撤退あるいは事業規模の縮小となるわけです。もう一つの方法は、縮小する国内市場の隘路を断って海外へ企業進出することです。今回はそのお話をしてみたいと思います。

日本の企業はすでに海外にたくさん進出をしていますが、実際のところは東京、大阪、名古屋などに3大都市圏に本社機能を置く大企業や、それに関連する中小企業の海外進出が進んでいるわけで、地方はそれに比べると少ないといわざるを得ません。
また、このように海外進出が進んでいるのに、そこで働く若者が海外に赴任したがらないというミスマッチが深刻になってきています。この図を見ていただくと分かるのですが、わが国の新入社員のグローバル意識に関する調査です。2004年と2007年の比較で「あなたは海外で働きたいと思いますか?」について「どんなところでも働きたいという人」が24.2%から18.0%まで減っております。また「国、地域によっては働きたい」も47.1%から45.8%まで減っています。逆に「海外では働きたくない」という人が28.7%から36.2%に増えています。そして「もしあなたが海外赴任を命じられたらどうしますか」は「喜んで従う」という人は37.1%から29.3%に減っています。「命令ならば仕方なく従う」という人も減っています。もう1つは「できるだけ拒否をする」という人が21.8%から30.5%まで大きく増えております。そういったことで海外に行きたくないという新入社員が増えてきているということなのです。
影響は、製造業(大企業)で既に出ています。製造業(大企業)は既に3割近くが海外で事業活動を行っております。海外赴任でも先進国への赴任でしたら行く人も、発展途上国や新興国に行けと言われたら退職してでも行きたくないという、そういった若い人達が増えてきています。
国富を海外から稼ぐのが典型的な日本の経済モデルなら、それを誰が担うのか?特に新興国には誰が行くのか?地方の若者はその時どうするのか?痩せ細っていく東京や三大都市圏の経済力に頼ったままでいいのか? 考えさせられることが多々あります。

第1章 中小企業の海外進出(開発輸入)

ここでは、中小企業の海外進出について、特に地方から海外に行っている事例を取り上げたいと思います。今日は、独立系中堅企業の割合が高い富山県の事例を紹介したいと思います。最初は、木下食品という会社です。この会社はシラタキとかこんにゃくをつくっている会社です。業界有数の企業です。ここは大連に工場を立地しています。写真にございますように安価な労働力を使って労働集約的にシラタキなどをつくっております。日本のお金にすると月給は1万円前後です。周辺農村から出てきた女の子たちが一生懸命働いています。ここで3~4年ぐらい働くと、木下食品さんはごほうびに、富山県に研修に連れて行くそうです。研究と休暇を利用した観光をして、戻っていくと、やがて何割かは辞めてしまいます。「これはどうしてなのですか?」というふうに担当者に聞いてみたところ、だいたい3~4年ぐらい働くと貯金が結構たまるのだそうです。そうすると自分たちの地元に戻っていって、しばらくは生活ができるのだということなのです。シラタキを巻くのは、だいたい3~4カ月のトレーニングで、スピードを別にすれば、ほとんど同じ重さのシラタキが巻けるようになります。その時の映像を撮ってありますのでちょっと見てみたいと思います。

(映像の解説)
これはシラタキをつくっている様子です。皆さん手からしらたきを取り上げて手でクルクル巻いています。この技術は熟練工がやはりおりますので、その人たちが付きっきりでだいたい3~4カ月間指導するそうです。そうすると自分で1回グルッと巻くと同じグラム数でシラタキがつくれるようになります。これをパックの中に3つもしくは6つ入れて上からセロハンでパックを閉じてこれを日本に輸出します。ここで扱っているものはスーパーで、みなさんが普通に見かけるものでます。これは朝から晩までひたすらこの仕事を繰り返していくということになるわけでございます。そういった形でやっていくわけなのです。

これを企業のビジネスモデルという視点から見てみましょう。まず、3~4年ぐらいで定期的に人が辞めていくことは、人件費がほぼ一定で維持できるということです。物価の上昇はありますけれども、それを差し引いても、年々給与を上げるよりは、相対的に一定に収まっています。もし定着率が良くて熟練の技という形でずっと残っていったとしても、作業量の限界を迎えますのでやがてコスト高になります。だから、3~4年で辞めていくメカニズムをうまく利用することによって、シラタキは安くつくられるわけなのです。これは「開発輸入」という言い方をするのですが、中国で低賃金労働力を利用して安く生産し、それを日本に輸入する典型的な事例といえます。

この写真にありますように右下にこのスペースがございます。これは何をやっているかというと、工場の建て増しを行っています(2004年9月)。木下食品さんは、日本のペット市場を見ているのです。犬や猫の多くはマンションの一室で飼われ、運動不足になってしまう場合が多いというのです。つまり肥満になってしまうのです。そこでペットフードにこんにゃくを混ぜ込んでダイエットのペットフードをつくることを考えました。日本では、仮にそういう発想があったにしても、作るところまで行ったかどうかわからないというのです。中国なら土地がありますから可能になったのです。開発輸入をやるかたわらで、こういった「進化」も始まっています。

もう1つ事例を見せいたしましょう。それは丸和ケミカルという会社です。同じく中国の大連に進出しております。ここも開発輸入を行っているところで、日本で軍手をつくる企業としては日本有数です。今は難しくなったのですが、ここは、日本から中古の機械を持ち込んで軍手の生産を行っています。これから映像をお見せしますが、糸を1本で軍手を編み上げていきます。だから編みあがった軍手は前の軍手と糸1本でつながっていますし、後の軍手ともつながっています。この軍手、100円ショップなんかで何枚かで100円という形で売られているものです。

それで付加価値を付けていくために、この写真を見ていただくと分かると思いますが、水色に見える部分がありますね。これは滑り止めの為、ゴムでプリントしてあります。そうすると3枚で100円だった軍手が、1枚100円で売れるようになります。ここの木田社長さんは非常に面白い方で、自分が思っていたアイデアを次々製品化しています。例えば皆さんが知っている土嚢ってありますよね、あの土嚢というのは普通砂が入っています。そして洪水を防ぐために土手に積み上げていきますよね。木田社長がつくった土嚢袋というのは水の浸透圧をうまく利用した布袋で中には何も入っていません。だから、現場には布袋を現場に持っていくだけです。1人で10枚でも20枚でも持っていけるわけです。それでどういうことをするかというと、その現場に行ったらひたすら水に浸すそうです、すると浸透圧の関係で中にどんどん水が入っていって水枕のようになるのです。それを繰り返して積み重ねます。こちらの方が、洪水が起きたときの対応が早いというのです。ネーミングも面白く「土NO袋」といいます。土はいらないので「土NO」袋というのです。このほか、高機能手袋等も次々と作って、製品の陳腐化、つまり利益率の低下を防ごうとする戦略をとっているのです。つまり新しいものをつくっていくということは常に新しい創造的破壊を会社の中で行っていくということなのです。海外に行ってしまったら、それで終わりではないということなのです。こういった努力が会社を存続させることにつながっていくのです。

もう1つ事例をお話しましょう。これは藤堂工業という会社です。ここは蘇州に工場があります。日本の従業員150~160人規模で、主にベアリングをつくっている会社です。この会社は大手ベアリング会社に随伴していく形で進出していきました。まず、工場立地のための場所の選定についてです。自分の取引企業が上海にあったことから、上海~南京の間で土地を探したというのです。特に上海周辺地域を考えていたそうです。藤堂工業の社長さんは「蘇州はちょっと寄ってみよう」という軽い気持ちだったそうです。実際に蘇州に行って見たらえらく気に入ってしまうのです。なぜかというと、彼らは大きなプレスの機械を扱いますので、そのために地盤が強固でなくてはいけないのです。だから日本から工場を出すときはこの地盤の調査まできちっとやっていました。そして現地に行ってみたら、地盤が固いということが分かっただけでなく、日本人にとっては住みやすいことに気付いたのです。賃金も上海との比較でいきますと2~3割安かったわけです。労働力の調達にも問題がありませんでした。取引企業も30キロ、車で40分ぐらいに位置していました。ものづくりに問題がなかったのです。

ところが、そこから苦労が始まったのです。実際に工場の建屋をつくってみたら、壁にひびが入ったり、水道の水漏れがしたり、やり直しが必要になりました。中国製の機械を購入してもドリルとか買い込むのですが、いざ動かしてみると歯が折れてしまったり、トラブルに続きになりました。原材料の搬入なんかについても搬入できなかったりと散々でした。

このパワーポイントの右上の写真にありますように、お得意さんのところに部品を持っていこうとするのですが、途中で抜き取られたりして、仕方がないので従業員を使って段ボール箱に木枠を取り付けるわけです。これはコストに跳ね返ってきます。目に見えないコストがどんどん掛かってきたのです。

さらに、取引企業から取引減少、やがて取引停止という話が出てきました。さあ困りました。通常の随伴立地をした企業ですともうそこで完全にアウトになります。でも藤堂工業さんは踏みとどまったのです。なぜか、現地に行ってから「進化」を始めたからです。蘇州で日本人のためのクラブをつくっていきます。そこでいろいろなお付き合いをやっていくのです。そうすると日本だったらお付き合いできないような大企業の幹部クラスの人たち、あるいは日本に戻ったらおそらくは幹部になっていくだろう人たち、こういった人たちと友達になれるわけです。それでいろいろなお話をしていくと、例えば「こういった仕事があるけど、お宅でやれないないかな?」というような会話が、ゴルフのついでに出たりするようになります。そうすると、本社の社員が東京の方に出向いて行って営業をかける。デュアルマネジメント(並行営業)が可能になってくるわけです。

蘇州ですと世界中から企業が集まってきます。欧米の企業ともお付き合いできます。例えば会計基準、「君たちもしもヨーロッパで仕事をやりたければ国際会計基準をちゃんと取り入れないと駄目だよ」ということを欧米系企業から言われます。早速、日本本社に情報絵を流します。日本本社は会計基準を国際標準に合わせていくのです。そうすると海外企業、とりわけ欧米企業との取引がしやすくなってくる。さらにはEUを中心とした環境基準というのは非常に厳しいものがございますが、そういったものにも適合する取組がいち早く始まっていくのです。現地で進化が始まるのです。親企業に頼らなくても生きていける企業体質へ転換していったのです。

3つの事例からわかることはなにか?まず、木下食品のように固定費を増やさないようなビジネスモデル。丸和ケミカルのように新製品を投入して付加価値をつけていくやり方。そして藤堂工業さんのように自分の会社にリスクがどんどん降りかかってくるのですが、それを逆にばねとしながら、情報に対する感度を上げて現地で進化していく企業。こういった企業が現地に根付いていることがわかります。実は現地で残っていく企業は大なり小なり、なんらかの形でこういう取組をやっています。

それから、進出前に何も考えないでコンサル等の話をうのみにして進出していくと痛い目にあうことがあります。実際行ってみたら、言葉の壁、法律の壁、文化の壁にぶつかって、にっちもさっちもいかなくなって、間もなく撤退していくという企業もたくさんございます。特に地方の場合は情報が入ってこないために、海外に出ようと思うと、言葉ができるだけでビジネスのわからない留学生を採用したりします。ところが、その言葉ができるからといって採用した学生さんは、例えば中国の遼寧省の出身であった。ところが進出したところは上海だった。上海の人たちはいつも北京語を話しているわけじゃないのです。現地の人たちは上海語を話すわけです。ビジネスの深い懐に入っていこうとするとき、そこに入っていけないのです。進出前の慎重さ求められるわけです。

進出後でも慎重さが求められます。例えば中国人を採用して、実際に現地企業と取引を行うため出向きます。こちらから、日本人スタッフの為、通訳の中国人を連れていきます。ところがどういうことが起きるかというと、これはのちに発覚した本当の話ですが、交渉先と通訳が、中国語で互いのマージンの取決めをするのです。「何%おれの懐に入るか」こういう話をするのです。日本人は中国語が分からない人が多くいます。そういったリスクに対する管理、備え、海外に行く場合はこういったことが大事になると思います。

第2章 大企業の海外進出(国内外工場との連携)

次は、大企業の事例になります。宮城県にアイリスオーヤマという、プラスチックを主な材料としながらいろいろな事業展開を行っている企業でございます。最近はLEDなんかもつくったりしています。

このアイリスオーヤマ、業界では世界一の企業といわれております。従業員もだいたい2,500人ぐらいおりまして、うち約800人が宮城県の角田工場に勤めております。アイリスオーヤマはなぜ成長力のある会社なのかというと、実は大連に工場を持っているからなのです。アイリスオーヤマは製品アイテム数が1万4,000あります。だから僕たちが知っているアイリスオーヤマの製品というのはごく一部なのです。いろいろなものをつくっています。例えばペットフードをつくっています。これは、毎年1,000点の新製品と売れない製品の交代によって維持されています。

この1万4,000アイテムの製品のうち7,000アイテムを大連でつくって日本に輸出しています。これを物流倉庫付き工場で保管したり、直接ホームセンターに納品したりしています。この物流付き工場は全国8カ所に配置しています。北は北海道から、宮城県には角田、大河原、関東には埼玉と富士、そして名古屋圏と関西を押さえるために米原、そして関西圏をもう1つ押さえるために三田、そして九州の鳥栖に合計8カ所です。日本での残り7000アイテムのものづくりは、金型の重複投資を避けるために、工場から工場へ金型を移動させることがあるそうです。ニーズというのは常に一定に、そして同じ市場で発生しているわけではないので、それを見計らって移動させているそうです。これもアイリスオーヤマの強さの一つなのです。
1990年代にプラスチックケースが非常にヒットしました。一時期は40社ぐらいが乱立して同じものをつくっていたのです。そうすると最初2,500円とか3,000円で売っていたプラスチックケースが、乱売で最後には200円とか300円ぐらいまで値段が買いたたかれていくわけです。それでアイリスオーヤマは付加価値を付けなくてはいけないということで考えたのです。そのため、鉄や木材を使っていく。例えば金属のパイプを使えば強度も増し付加価値も付きます。これは製品に対する価値を高める取り組みでありました。

もう1つは輸送コストの問題がありました。1990年代は宮城県の大河原に工場がございました。そして角田工場をつくっていきます。しかし、製品を配送しようと思うと全国に持っていかなければならなくなっていたのです。コンテナの中にこういったプラスチックケースを入れてもほとんど空気を運ぶようなものですよね。輸送コストがかかるようになって来たのです。流通費の削減が至上命題になりました。それでアイリスオーヤマは角田の工場の次に、新しく鳥栖に工場をつくっていきます。一番輸送コストの掛かる九州に工場をつくったのです。こうして、国内8工場体制が出来上がっていきました。

輸送コストの削減には更に工夫が見られます。大連工場だったらこのコンテナを満杯にして日本に持っていくノウハウがあり、他社がまねできないということです。これをコンテナミックスというふうに言います。つまり1つのコンテナの中にケースであるとか乾電池であるとか、電球であるとかマスクであるとか、こういったものを詰め込む技術があるのです。そして満載して日本の8工場の物流センターやカーマとかムサシなどのホームセンターに直接納入します。このコンテナミックスですが、例えば鉄だけを積めばコンテナの3割ぐらいで一杯とみなされ、それ以上は追加料金が掛かります。逆にプラスチックケースだけ中に入れていくと、すぐ一杯になってしまいます。どっちにしても輸送コストというのが高くなるのです。ところがアイリスオーヤマは7,000アイテムをきちっと組み合わせて、ある一定の容量とある一定の重さ、つまりぎりぎりの重さまで仕上げていくノウハウがあります。ライバルのプラスチック企業はどうか。海外に工場を作っても海上輸送の安さを実感できないことになります。国内は陸上輸送ですから輸送代金もトータルでは高くつきます。アイリスオーヤマは、大連でものをつくって日本に持ち帰ってくるといったようないわゆる「開発輸入」とは全然違った、つまりロジスティックを持った国際分業体制というものを構築し、価格競争力をつけました。これがアイリスオーヤマの競争力の源泉になのです。

大連工場は非常に大きな生産能力を持つことになりましたが、今度は中国で直営のショップを構えることになります。自分たちがつくったものの一部をそのまま売りに出すわけです。これだとマーケティングも同時にできます。何が売れて何が売れないかというのが分かってくる。例えばペットフードとか園芸用品なんていうのはまだ中国の社会はそこまで対応していないことがわかってくるし、プラスチックケースは売れても奥行きのあるタイプは、返品やクレームが来ることなどがわかってきました。なぜかというと、日本の場合は押し入れがあるので奥行きのあるプラスチックケースが売れるのですが、ヨーロッパや、中国のマンションはクローゼットが多く、奥行きはあまりありません。プラスチックケースを置いてしまうと扉が閉められないのです。「製品開発にどう生かそうか?」など中国市場の攻略法を学んできました。

2010年にアイリスオーヤマは中国蘇州に工場をつくることを発表しました。これは完全に中国市場対応型工場になっています。特に大マーケットを形成している上海市場、あるいは長江市場を狙う戦略になっています。それは思い付きで工場ができたのではなく、このように大連工場で学んだノウハウが、上海工場には生かされています。以上、アイリスオーヤマのグローバル戦略の紹介でした。

今までのお話は中国の話をもっぱらにしておりました。なぜなら、日本と中国の貿易量というのは2005年に日米の貿易量と逆転して、今日本の中では一番の取引先になっています。だから中国に進出した企業を知っておくということはそれなりに重要かと思うのですが、最後にヨーロッパで、企業が現地化している事例を紹介しておきます。それがJTI(日本たばこ産業インターナショナル)という会社でございます。日本たばこ産業のグループ企業です。もともとたばこ産業はグローバル化が早くから進んだ産業といわれています。なぜかというとおいしいたばこをつくってしまえば、これは爆発的に世界中で売れるわけです。そしてたばこ自身はたばこの葉っぱを刻んで紙に巻いてということで非常に規格化しやすいということなのです。つまり大量生産がしやすいのです。そしてそれをパッケージに詰めて世界中に持っていけばどんどん売れるということでグローバル企業の先兵というふうにいわれてきました。

ところが日本のたばこ産業、日本たばこ、昔の専売公社です。ここは国内市場だけを相手にたばこを売っていたのです。それでも非常に大きな事業規模だったので世界ランキングではベスト3に入るようなそういう力を持っていた、そういったこともあったそうです。ところが1960年代の半ばを過ぎたあたりから社内にはある一種の危機感というのが生まれたそうなのです。それはどういうことかというと、日本の市場はやがて頭打ちになるだろうということなのです。それは過剰な生産能力を抱えることによって余った生産能力をどこに振り向けるかという問題だけではなくて、日本の長期的なトレンドを踏まえますとやがて高齢化社会、そして人口減になっていくということを察知していたのです。つまり国内マーケットは縮小していくというふうに踏んでいたわけです。そう一方で、国内のたばこ販売の自由化も進んでくるだろうと考えていたわけでございます。こうして海外に打って出なければならないということが議論されていたそうです。

日本たばこのグローバル化が本格的に始まったのは1990年代以降でございます。グローバル化ということなのですけども、このJTは自分たちがそのまま出ていくといろいろなリスクがありますので、その関連グループ会社をつくります。それがJTIという会社でございます。JTIという会社は、ギャラハーというイギリスの会社を買収いたします。そのお金は2兆数千億円というふうにいわれていますけども、おそらく日本の企業買収では最高額になっています。そういう企業でございます。このギャラハー社を合併することによってこのJTIは、スイスのジュネーブで現地化を進めていくことになります。
現在JTIの民族及び事業構成の最大のメジャーはロシア人だそうです。日本は第2位です。トップも2010年現在、フランス人が務めています。業務執行役員は12の異なる国籍で、17人で行われています。そのうち日本人は副社長と役員にそれぞれ1人が入っているだけです。日本人スタッフもジュネーブ本社には6人しかおりません。事業立ち上げのころは20人いたのですが、順次引き上げているそうです。

現地の経営のやり方ですが、この図に出ておりますように欧米流の企業経営の考え方、あとJTIのような日本流の企業経営の考え方、これが経営という側面でぶつかります。例えば、日本でいう短期事業計画というのは通常3年間、中期は5年間、長期で10年間ぐらいということですけれども、欧米流の事業計画というのは短期というのは1年間、中期は2年間、そして長期は3年間なのです。それいくと、日本の事業計画は長期、超長期、超々長期というような、あり得ない世界になるわけです。そのような、すり合わせが多々あり議論をお互いに闘わせながら、相互に努力することになりました。

最初はヨーロッパの人たちは日本人の考え方を認めようとしません。それでも、日本の考え方を理解してもらって、とりあえずはちょっとやらせてくれということで、設備投資などを計画的に行っていくと果たして黒字が出ました。納得してくれだしたのです。ヨーロッパの人たちは、なぜ3年間を長期、1年を短期ととらえるかというと、株主に対してベネフィットを与えなければいけないのですね。そうすると半期ベースでものごとを考えていかないと、あるいは最低でも1年単位で考えていかないと駄目なのです。そうなると彼らの考え方というのは、投資は、もしやるならば大規模に一気にやる。短期で効果が見込めない時は投資を行わない。つまり投資というのはコストなのです。彼らにとっては利益を減らす要因なのです。だから彼らはなるべく投資をしないでコストをカットして、つまり稼ぎの少ない従業員の首を切ってサラリーはなるべく安くして、そして自分たちの利幅を大きくして、それを株主に対して今期これだけの利益が上がりました。という説明の仕方をしたいわけなのです。

ところが日本の考え方はどうかというとそうじゃないのです、逆ですよね。短期的に赤字になっても、どうしてもしなくてはいけない投資はやるのです。当然、最初は運営のコストがかさみます。短期は赤字になります。ところが2年3年経ってきますとこれがだんだん収穫期に入ってきます。やがて、大きな利益を生むようになるのです。
JTIは日々そのような摺合せをしながら、事業経営を行っています。だから彼らにとってのグローバル化のプロセスというのは、常に欧米流の考え方との衝突だったといっても過言ではありません。

じゃあ日本流の「様子見」の経営方式が勝っているのか?あるいは日本の経営方式がJTIのすべてなのかというと実はそうではありません。このギャラハーという会社を買収した時、2~3年後には多くの工場を閉鎖しています。現地の経営陣に、その理由を伺うことはできなかったのですが、私がデータを整理してみたところはっきりしているのは、日本を例外として、その他の国で2つの工場を構えているところは、必ず1つの工場を閉鎖しています。もう1つは、ギャラハーはたばこの原産地に工場を構えているのですが、1カ所を除いてほぼすべて閉鎖しております。つまりこれはどういうことかというと、超広域的な市場立地型の再編成をこのわずか2~3年の間にやっているのです。2~3年というのはヨーロッパでいうと長期計画です。つまりこれは長期計画の中で工場の企業内国際分業体制の再構築をやってのけているのです。これは欧米流の考え方が強く出ている部分だと思います。
欧米など日本の経営の考え方や文化の異なる地域に出ていく場合は、異文化あるいは現地の考え方、こういったものと折り合いや、すり合わせをつけていかなければならないと思います。その中で経営の在り方や存続条件が形成されていくのだと思います。そういういみで努力が必要になると思います。

まとめ

中小企業の開発輸入の事例、開発輸入でも進化した形でのアイリスオーヤマの事例、そして完全現地化を目指しているJTIのような事例、こういったものを並べていくと、だいたい4つぐらいの整理が可能かと思われます。1つはいずれの事例もこのビジネスモデルは、日本国内だけではやがてやっていけなくなるという危機感があることです。それは市場の縮小だったり、親企業の国際化への下請けとしての対応だったり、ライバル企業との競争だったりします。その後、ビジネスモデルを進化させています。もう2つ目は異文化理解も含めて、工場の立ち上げ、生産、取引に対してリスク管理をきちっとしておかなければならないということです。3つ目は、海外で組み上がっていった経営ノウハウ、経営のやり方というもの、あるいは人脈の形成、あるいはそこで挙がってくる収益というものが国内の事業と連動していくことがあることです。これはアイリスオーヤマに典型的に表れていますし、あるいは藤堂工業もそういったことがいえるかと思います。4つ目は、これは特にJTIに関わってくるのですが、現地化の過程では考え方のすり合わせが必要になってくるということです。

開発輸入というのはおそらく国際化あるいはグローバル化していく場合、初期的な形態だと思います。その中からだんだん例えば中国市場、あるいは世界のマーケットを押さえていくというふうに進化していく可能性があります。

このほか、リスク管理、法律やビジネスマナーだけでなく、現地の文化や働き手の考え方などもよく知っておく必要があります。例えば中国ですと経理を扱う人はなるべくお金を取引企業に渡さないということがその経理の優秀性の証だといいます。そういう価値観がございます。だから資金回収については中国に進出した企業は皆さん苦労されています。これは中国で現地化している日系企業にも当てはまります。だんだん日本人スタッフが引き上げていくと、そこの経理に中国人が入ってくることがあります。やはり中国の企業と同じようになかなかお金を払わなくなってしまうそうです。そういった意味でも現地化した日系企業も含んだ形で、備えというものをきちっとしておく必要があるのではないでしょうか。

さて最後に、地方の若者や企業に向けて、メッセージを残しておきます。1つは、少子高齢化による人口減、つまりマーケットの縮小は地方の方が深刻だということです。つまり高齢化率が高いし、人口も皆さんご存知のように地方の人は高校、大学を出ると東京などの大都市に出てしまいます。問題は、その年齢層がなかなか戻ってこないということです。これは藤堂工業の砂原専務さんがおっしゃっていたのですけれども「地方の中小企業には変化に対応できる人材があまりにも少ない。特に若者が。だから結局、副社長クラスの人たちが現地に行って頑張らざるを得ないのだ。やはりこの人材育成を地方において、きちっとやっていかなくてはいけないのだ」ということをおっしゃっております。こういうことを地方や特に地方に暮らす若者は、どう考えていくかということです。

もう1つは外国あるいは海外を活用すればそれだけ人や企業の活躍の場も広がるといことです。単純に考えれば、日本に在った仕事が外国に行くわけですから仕事は減るというふうに考えますよね。つまり本来だったら日本人を雇ってつくっていた作業を中国や別の国でつくるわけですから、これは産業の空洞化だと考えるわけです。だけど、事例としてお話しましたように現地でどんどん対応して変化していく企業は、実は新しい仕事を日本の地域でもつくっているのです。並行営業や、国際会計基準によって取引先がグローバル化していく、あと新しい情報が入ってくるとそれが本社でも対応していける。そういったビジネスチャンスがむしろ増えて、企業自身が事業の再構築を行っていく場合があります。そういったビジネスモデルを作って海外に出ていく、そんな柔軟な発想に富む企業経営者や若い人たち。こういった人たちが、今後、地方の発展にとって大事になってくるのではないでしょうか?

東北地方、特にとりわけ宮城県は国際化が遅れているといわれております。他の県と比較しても対就業人口比で見ると非常に少ないです。出でよ!若者。そして出でよ!企業。そしてグローバル化の中で考えていける宮城県経済、あるいは東北経済、あるいは地方経済の構想、そういった構想力を、この21世紀の人口減社会の中で考えていく必要があるのではないでしょうか。次の時代を切り開いていくリーダーといわれている者は単にその人が優秀だからという性格によってつくられてくるものではありません。その時代の環境、あるいは時代の要請の中からリーダーというものは生まれてきます。グローバル化の流れは止めることはできません。これをうまく利用して進化していくことが求められているのではないでしょうか?問題はグローバル化を地方において私たちが感じ取れるかどうかなのです、そして、それを前向きに実践できるかどうかなのです。スマートな人と企業とは、そういうことだと私は考えております。時間になりました、私のお話はここまでにしたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。

質疑応答

質問者:
一部の四万十町の自然の学校についてなのですけれども、そこの部分でまきを割って五右衛門風呂に入る学校であるとか、エビを取る学校であるとか、森を見る学校というふうに学校の自然体験の教室がいくつも分かれていると思うのですけれども、こちらを一緒にすべてやった方が効率がいいのかなと感じたのですけれども、そこのところの先生のお考えをお聞かせください、お願いします。

柳井:
まきを割って五右衛門風呂に入るとか、こういう学校を1つのメニューに対して1つの価格を付けているのですね、1万2,000円とか1万5,000円という形で価格を付けております。これを1つのコースメニューにしてしまうとどうでしょうか。出口戦略として考えた場合、観光で訪れた人は四万十に「のんびりしに行く」わけです。「四万十はいいところですよ、あれもこれも体験でき、セット価格お安くしておきますよ」とやってしまったら、観光客の動機と一致しないことになります。従って、畦地さんはこれを1つ1つの企画に分けました。つまりまきを割って五右衛門風呂入って1回、また来てください、エビを取る学校にもう1回と、こういうふうにして来てもらえばその人たちはやがてリピーターになってくれる。そのたびに来てお金と情報を落としてくれる、そうすることが地域経済にとってはより豊かになっていくという考え方なのです。よろしいでしょうか。

質問者:
先ほどの考える海外進出企業という講演の冒頭で、若い社員が海外に行きたがらないというお話だったのですけれども、その理由についてお聞かせください。

柳井:
地方の企業の海外進出が遅れているという視点から説明します。実は地方の経営者が、10億円あったら事業投資にどう使うかということを考える場合、例えば海外に投資するか東京で使うかとします。東京なら言葉は通じるし勝手も分かっている。新幹線に乗れば仙台ですと1時間半ぐらいで行っちゃいますよね。そうするとお金は東京のほうに流れていくのです。ところがこれが海外ですと、先ほどのいろいろな事例でも分かっていただけるように、言葉の問題がある、ビジネスのマナーの違いもあるということです。もう1つは、例えば東北地方など地方に限定した場合ですが、交通体系がグローバル対応になっていないのです。例えば海外に飛行機が飛んでも週に1便~2便などです。あと貨物輸送をしようと思っても航路がなかったり、仮に使えても東京、大阪あるいは名古屋などの大きな港に比べると割高な運賃が設定されていたりなど、国際化できないバリアが国内にあります。ここがやはり問題なのだろうと思います。そういった中で育っていく若者たちというのは日本の経済で発想するよりは東北の経済、地方の経済で発想しますから、視野が狭くなり、だんだんと外国に行こうという気持ちもうせていくのだと思います。そこにやはり問題があるのだと思います。以上です。