平成23年度第4回講座:『論語』から読み解く人材育成(後編)

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾
岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成23年度シリーズ

【第4回講座】『論語』から読み解く人材育成(後編)

講師
青柳 浩明(安岡活学塾 専任講師、岩崎育英奨学会 岩崎学生寮・事務長)
インタビュアー
坂口果津奈(フリーアナウンサー)
放送予定日時
平成23年12月13日(火) 26:15~26:45 ※以降随時放送

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青柳 浩明

青柳 浩明

岩崎育英奨学会 岩崎学生寮 事務長
安岡活学塾 専任講師

1966年東京都生まれ 明治大学卒業
幼少時から論語、漢籍を学び、ビジネス現場で実践や指導をおこなう。
主な著書「論語説法」(講談社)、「ビジネス訳論語」(PHP研究所)など。

講義内容

坂口:
では青柳先生、後編もよろしくお願いします。

青柳:
よろしくお願いします。

坂口:
前編では論語とは何かと導入部分とそれから人材育成のポイントを少しだけお話を伺いましたけれども後編はどのような話になるのですか。

青柳:
後編はより具体的に人材育成の教えについて学んでいきたいと思います。その前に前編の振り返りを簡単にしたいと思います。まず論語とはということで私は3つ強調してお話をしたと思います。皆さん食わず嫌いの方が多い、それはいろいろな先入観をお持ちです。漢文は嫌だとか全部はとてもマスターできないやとか、そういうすべてにおいて皆さん勘違いされていますよというお話をしました。2点目が論語というのは意識しようがしまいが身近な存在なのだということをお話ししました。もう至るところに言葉があふれています。それを知らず知らず使っているというのが論語になります。もう一点、最後3点目が論語というのは2本柱で書かれています。自分に対する在り方と周りとの調和、周りとの関係についてこの2つが書かれているというところで論語の特徴を3つお話をしました。より具体的に人材育成の観点から見た論語の特徴ということでやはりそれも3つ挙げました。1つは雇用され得る能力、エンプライアビリティと横文字で言いますけれども当時の孔子さんから学んだ弟子さんたちは各国に仕官したわけですね。そのための雇用される、今で言う就職される。

坂口:
自分が使われるためにはどうすればいいかということですね。

青柳:
そういうことです。実際そこでポストに就いた後はいかにその能力を発揮できるかというのをお話ししました。もう1つは人材育成の観点で言うと論語を読みますと何か孔子さんが1人でつぶやいているように見えたりするところもあるのですが、基本的には孔子さんと弟子が必ず会話をしていた。

坂口:
その会話の記録ということでしたね。

青柳:
そういうことです。

坂口:
お弟子さんもたくさんいらっしゃるので。

青柳:
そうです、いろいろな性格の人がいましたね。今日はまた具体的に見ていきたいと思います。3点目として普遍的で合理的で実践的だと。普遍的な教えであるというのは皆さんだいたいイメージとしてお持ちなのですが合理的で実践的というのはなかなか…

坂口:
そうですね、ピンとこないというか。

青柳:
ですので今日はそれをより一層見ていきたいと思います。前回は人材育成の教えの3つのうちまず教える人の心得ということで、“人にして信なくんば可ならず”、信用が大事だよというお話をしました。

坂口:
教える方の立場としてどうやって信頼をつくるか、そこが大事という。

青柳:
あなたの言うことは耳に入らないよ(と受け止められるよう)では駄目だということですね。あとはもう1つ四悪(しあく)、四悪(よんあく)とも読みますけれども、やってはいけないことをまずストップしようと、それによってまた信用というのは得られるわけです。それを心掛けていきましょうというお話をしました。

坂口:
ではまずそのどう教えるかというのは具体的にどのようなことなのでしょうか。

青柳:
今日は時間も限られていますので3つに絞りたいと思います。1つが個を重んじる、個人個人その人らしさというのを大事にしようというのがあります。2つ目がモチベーションを見る、その教えるときの教える相手ですよね、その人のモチベーションは今どうなのだろうというのを見ます。3つ目がまたやはり同じように教えられる側の人が今どのような自信の状態、人によっては自信を失っている状態もあるではないですか。

坂口:
今やる気があるかどうかというところを見るということですか。

青柳:
そうです、それを見ないと効果がないよという教えもありますので。

坂口:
基本的にどう教えるかというのは相手の立場のことをまず考えるということなのですか。

青柳:
そうです、相手が受け止めてなんぼというのがいくつかの教えを見ていくとお分かりいただけると思います。では具体的にまず個を重んじるの教えを見ていきたいと思います。では読んでみてください。

坂口:
「君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是れに反す。」

青柳:
こちらは君子はと言うときはこういう人を目指してねというふうに理解してください。“人の美”、“美”というとビューティーというか美しさとか外見的に感じるかもしれないのですが、これが強みとか長所とか利点とかその人らしさという意味です。つまり相手、周りの人の強み、長所を生かそうと、それでその人がその人らしくあるようにもっていきましょうと。決してその“人の悪”、欠点とか対象をクローズアップするようなことはやめましょうねという教えです。小人というのは論語ではこの君子とよく対比されるのですがつまらない人、どうしようもない人、こんな人にはなってくれるなという意味で小人と書かれます。小人はこれに反すということですから、人の悪を成すことをやってしまうということです。

坂口:
全部反対をやってしまうということですね。

青柳:
そういうことです。特にこちらの教えがありますのは他人の欠点はよく目につくわけですね、どうしてもこれを直しなさいというのをやりがちになります。人から言われたらまず抵抗してとなるわけです。ここの教えをもう一歩踏み込みますとその人の美を成す、強み、長所を引き出すというのはつまり良さを見ていこうということですから一見すると短所に見える、欠点に見えることも持っていき方によっては長所になってくると読めるわけです。

坂口:
そこまで。

青柳:
例えば口下手な人であればよく企業ではプレゼンテーションは必ずうまくなるようにとか言われますけど、でもそういう人は仕事をしなくてはいけないわけですよ、お客さまに何かを説明しなくてはいけないわけです。その時は口でなんとかしようとするのではなくて資料づくり、いい資料をつくる能力を高めていけばいいわけです。それが人の美を成してあげる、悪を成さないということです。ちなみにこの教えを読んだのではないかと思われる人がいます。こちらを読んでみてもらえますか。

坂口:
成果を挙げる組織は人間の強みを生かす。彼らは弱みを中心に据えてはならないことを知っている。成果を挙げるには人間の利用できる限りの強みを使わなければならない。強みこそが機会である、強みを生かすことが組織の特有の目的である。

青柳:
先ほどの教えに似ていますよね。

坂口:
そうですね、似ていますね。

青柳:
これは誰の言葉か想像がつきますか。

坂口:
分かりません。

青柳:
これは西洋での経営の神様、経営という言葉、マネジメントを発明したといわれているピーター・ドラッカー、もしドラのドラッカーさんが言っていた言葉なのです。

坂口:
じゃあドラッカーさんも論語を読んでいたということになるのですか。

青柳:
論語を読んでいたというふうに知られています。
では続きまして2番目にいきたいと思います。モチベーションを見る。これは教え時があるということです。教える側の都合で教えても効果がないよと、教えられる側のタイミングを見るのが大事だというふうに見ていただければと思います。では読んでみてください。

坂口:
「子曰わく、憤せずんば啓せず。非せずんば発せず。」

青柳:
これが“啓発”という言葉の出典です。自己啓発という四字熟語として知っていると思うのですが啓発というのはここから生まれた言葉、つまり教える側とすると私が坂口さんに何か教えようと思ったら坂口さんがどうしていいのか分からない、一生懸命考えているのだけど分からないというときにこうしてごらんというふうに悩みの箱を開けてあげるというのが憤せずんば啓せず。非せずんばというのは何か言いたいのだけどのどまで来て出てこないとモゴモゴしている人に対してこういうふうに言ってごらんと開いてあげるというのがこちらの言葉になります。これはつまり相手がもがいているときじゃないと開けないよと言っているわけです。言い方を変えれば相手がそういう一生懸命努力してもがいている状態ではないときに何か心を開いてあげるようなアドバイスをしても…

坂口:
入っていかないと。

青柳:
そうです、本人は頑張ってない状態ですから。

坂口:
分かります。

青柳:
そういう点でこれは非常に合理的で実践的な教えの1つと言われています。続きまして自信を見るということで、先ほど言いましたように私もそうでしょうし坂口さんもそうでしょうがいつでも自信満々の状態ではないですよね、むしろ自信を喪失している状態の方が…

坂口:
もちろん長いです。

青柳:
そうですよね、それはもう私も同じなのですが、教える相手がまたそういう自信が今どんな状態なのか見てあげようという言葉があります、それがこちらになります。読んでみてください。

坂口:
「冉求(ぜんきゅう)曰く、子の道を説(よろこ)ばざるにあらず。力足らざればなり。
子曰く、力足らざる者は中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す、今女(なんじ)は画(かぎ)れり。」

青柳:
これは直訳しますと冉求(ぜんきゅう)さんという人がお弟子さんで、“孔子先生、私は先生の教え、道を否定しているわけではないのです、ただ私にはそれを達成するだけの力がないのです”と言うわけです。そうするとそれに対して孔子さんが“力が足りなかったら途中でぶっ倒れているよと、あなたはぶっ倒れる前に初めから匙(さじ)を投げているではないか。”。“今女(なんじ)は画(かぎ)れり”というのはあなたはもう自分で“画”というのは…

坂口:
限界ですか?

青柳:
そうです、自分で枠をはめているわけです。ちなみにこの冉求さんは冉というあの字を覚えていますか。論語を読んでいるとやっかいなことに本名で呼んでいたりニックネームで呼んでいたりするわけです。あのときに言ったのは冉求さんというのは非常に消極的な人だと、だから背中を押してあげたのだよというのを頭に置いてもう一度先ほどのを見てみますと何となく伝わってきますよね。ものすごく能力はあるのです。

坂口:
でも消極的なのですね。

青柳:
不思議なのです、実行力のある実力のある消極的な人なのです。ですから孔子さんはどんどん背中を押すのです。

坂口:
やればできるのだよということで。

青柳:
そういうことです。今ではこちらは消極的な人向けというのではなくてもうこの汝は画れりというあそこにクローズアップをして自分であきらめては駄目だというような教えとして読まれている章句になります。“今女は画れり”、これは私もよく限界を迎えてもうきついなというときにこの教えがスッとよぎって、“あ、今画っているな”と、駄目だ駄目だと思いなおすのです。

坂口:
先生、やはりそういうときにふと論語が出てくるのですね。

青柳:
それは私だけではなくて論語を愛読されている方はそういう傾向が多いですよね。では続きましておまけということで孔子さんとか論語といいますと最初に申し上げたように道徳的で博愛主義的で誰にでも優しいと、そうではなくて何度も言いますが合理的で実践的なのです。これをちょっと読んでみてもらえますか。

坂口:
「人にして恒(つね)なくんば、以(もつ)て巫医(ふい)を作(な)すべからずと。」

青柳:
これだけ読むと何を言っているかよく分からないですよね。

坂口:
はい、分からないです。

青柳:
直訳しますと、人である以上、信念や志や信条がない人には占いの先生もお医者さんも何もしてあげられないと言っているわけです。何を言っているかというとどんなに素晴らしいことを言っても素晴らしいアドバイスをしてもその人がコロコロ変わっているようでは言っても無駄だと言っているのです。“人にして恒なくんば”ということですから私はこうやりたい、だけど今もがいていますという人にはアドバイスするといいのですが、例えば私が分からないことがあって坂口さんに尋ねたとしましょう、坂口サカグチさんからアドバイスをもらいました、でも次の日全然違うことを考えていてもうあれはいいのだというようなタイプです。

坂口:
もう言うことがコロコロ変わったり。

青柳:
変わっているのです。いや、もうあれは目指すのをやめて今度はこっちにしたからとか、そういう人に一生懸命アドバイスしても無駄じゃないですか。

坂口:
なるほど、信念がない人ということですね。

青柳:
そういうことです。これはそれを言っています。ですからもしこういうタイプの部下、教えられる側の人間がこういうタイプであればまずは何をしたいか、何を目指したいかを一緒に…

坂口:
確認しなさいと。

青柳:
そうです、固めてから教え始めないと無駄なことになるねと言っているわけです。非常に合理的ですよね。それでは最後になりますが何を教えるか。

坂口:
大事ですね。

青柳:
はい、本当に大事でして論語には教えるべきことが山ほどあります。私も山ほどお伝えしたいのですが時間も限られていますので3つだけ言いたいと思います。もちろんテクニックなこととか技術とか、それはもう後で教えればいいと思うのですが、まず根本的に何を教えておくべきか、それはもう職業関係なく共通で使えることを今日は3つ選んでいます。まず1つ目が素直さ、2つ目が自分自身を省みる、自制するとかと言いますがそういうところ。3つ目が即思考を開始する、即アクションを起こしてくれるようにこの3つをなんとしても教えたたきこんでいきたいということです。

坂口:
素直さを教えるというのはちょっと大変なような気がするのですが。

青柳:
そうなのです。ただそれなくしてはとても“信なくんば立たず”というのと一緒で成り立たないのでそこを見ていきたいと思います。ではまず素直さということでこちらを読んでみてください。

坂口:
「子路、君に事(つかえ)んことを問う。 子曰く、 欺(あざむ)くことなかれ、而(しか)してこれを犯せ。」

青柳:
これは子路という人と孔子さんの2人の会話なわけですね。子路さんという弟子がこう言いました、上司に仕えるためにはどうすればいいですかと漠然とした質問をするわけです。そうすると孔子さんは答えるわけです。“子曰く、 欺くことなかれ”、ごまかしたり嘘をついたりしては駄目だ、“而して”というのはつまりそれをごまかしたりしたくなろう、怖くてこんなことを言ったら怒られるのではないかとか、そういうことがあってもそこは頑張って犯しなさい、それを実行しなさいと言っているわけです。

坂口:
それを実行しなさい?

青柳:
欺くことがないことを実行しなさいと。特に本当のこととか今何かこういう失敗とかミスとかあったときに報告というのは坂口さんもありましたよねきっと。

坂口:
もう一番嫌ですよね。

青柳:
それを報告するのは嫌じゃないですか。ただそれを怖いというのを勇気を振り絞って報告する。

坂口:
素直に正確に報告しなさいという教えですか。

青柳:
そうです、そういうことをまず最初に教えないとどんなに技術があって実力がある部下でも嘘をつかれる部下はたまったものではないですよね。というのがここから読み取れます。もともとこちらの教えは上司の暴走をいさめるということです。ですので“而してこれを犯せ”というのは基本的に中国の各国では上司に対して、国王に対してお言葉ながらとやるのは命懸けだったわけです。

坂口:
逆らうことになってしまうわけですよね。

青柳:
そうなのです。でも間違えていると思うのだったらそれは勇気を振り絞って言いなさいと言っているわけです。何度も言いますが上司にとって最も怖いのは言うべきことを言わないことです。

坂口:
何を考えているのか分からない部下というのが一番怖いと。

青柳:
そうです、これは黙っておこうとか、これは言ったら怒られるから聞かれるまで放っておこうとか、そういう部下は上司にとってはたまったものではないですよね。ですのでそこを教えてくれるのが私はこの章句だと思っています。
続きまして2ということで自分で振り返ると。よく反省するとか自分を省みるとかいうとマイナス思考だろうとかととらえる方がけっこういるのですが、前進するため、向上するために自分を振り返って、じゃあ今度はこうしようというのが省みるという字ですから、もうあの字を見ていただければよくお分かりだと思うのですが目を細めるわけです。普段私たちはテレビとかものとかを見る時に目を細めることがありますけど自分の心を細めて見てみよう、よく見てみようということです。

坂口:
目を凝らして見てみようという。

青柳:
それが省みるという字なのです。だから目が小さいと書くではないですか。細めるぐらいじっと見てみようと。でもこちらの具体的な教えを見たいと思います。ではこれを読んでみてください。

坂口:
「君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む。」何となく分かります。

青柳:
何となく分かりますね。諸というのがキーワードになるのですが自分の身の回りで起こるあらゆること、いいことも悪いこともありますよね、それを自分が原因ではないかと考えてそこから何か気付きとか反省するべきポイントを探してみようよと、つまらない人は何でもかんでも不幸なことを…

坂口:
人のせいにすると。

青柳:
そういうことです。省みるという字は出てきてないですが結局同じことですよね。何か起きたこと、そこからまた自分の糧にしていく、向上、発展させるためにそれを使っていこうというのがこの教えから読み取れます。実際また小人は諸を人に求む、何かあったときに人のせいにするのはその時は楽ですよね。あの人のせいでとか日本のせいでとか会社のせいでとか。

坂口:
何でもかんでも人のせいにしてしまう。

青柳:
そうです。でもそれで何か変わりますかということです。何度も言いますが孔子さんは合理的、実践的ですのでそれでは何も変わらないわけです。変わる可能性があるとしたら自分がどうなるかなのです。ですのでこれを己に求めていこうと。自分の言ったこと、行ったことを顧みてみよう、目を細くしてもう1回振り返ってみようと、そこに何か原因があるのだったらそれを直そう、良くしようという教えになるわけです。何を教えるかの最後になりますが即アクションを起こそうということについての教えを見てみたいと思います。では読んでみてもらえますか。

坂口:
「君子は言(げん)に訥(とつ)にして行いに敏(びん)ならんと欲す。」難しい。

青柳:
難しいのですよ。私も読んでいてなぜここは音読みなのだろうとか。ただ音読みでも訓読みでも大した問題はないので。

坂口:
意味が分かれば。

青柳:
そうです、漢字が大事なわけです。“君子は言に訥にして”というのは言葉が少ないということです。言葉を控えめにしよう、少なくしよう、その代わり行い、行動に、敏捷の敏ですよね。

坂口:
敏感に。

青柳:
そうです、もう頭をフル回転していこうと言っています。敏という字を見ますと敏捷とかということで、機敏だとかいうことで動きをイメージしますよね。ただこちらではまず何をするかということについて頭をフル回転させていこうと。実際なぜ私たちは機敏の敏というので動きが早いととらえるかというと結局頭の中でものすごい勢いで何をするべきかと動くのでほとんど条件反射のように何か行動するわけではないですか、それを機敏な人とか敏捷性があると言ったりしますよね。ですのでまず頭をフル回転させようと。これは何を言っているかというと何か指示とか命令とかを上の人からされたら、いや、それはこういう理由でできませんとできない理由を言うのではなくてどうしたらできるだろうということを頭をフル回転させてみなさいということです。

それを現代ではいろいろな作家さんというのですか、人を教えるという方々が例えばとりあえず“はい”と言ってみようとか、何かそういう教えを聞いたことがあると思いますが、そのルーツといえばこちらになるわけですね。つべこべいわずにまずもうどうすればできるか頭を使い始めなさいということです。よく言われるのが、できない理由というのはいくらでも挙がる。どうやったらできるかという方に頭を使い出そうと、それですぐ検討を始めてみようということです。勘違いされてはいけないのは行いに敏ということで今私たちが理解している行動に機敏にと読むと猪突猛進にすぐ行動というイメージがありますね。

坂口:
そうですね、考える前に動きなさいみたいなイメージもありますね。

青柳:
とにかく動くとか、そんなことは孔子さんは教えていません。短い時間ではありましたけれども孔子さんという方がいかに人間通で本質を貫いているか、またその論語という本がいかに人材育成に役立つものかという一端が垣間見えたのではないでしょうか。

坂口:
そうですね、ようやく理解できたような気がしますね。最初の論語のイメージとはもう今私はずいぶん変わりました。こんなに今の社会に実践的に役立つものが入っているのだというのにちょっとびっくりしました。

青柳:
そうなのですよ、論語はやはり漢字だらけというのがありますし、2,500年もたっているのでもうそんな言い回し今はしないよという言い回しだらけでしたよね。

坂口:
はい。

青柳:
ただ私から言わせると“するめ”であるとか“ふかひれ”と言った方がいいですかね。

坂口:
というとどういうことですか。

青柳:
1回干されているわけです。ただそれを戻すことによってどれだけおいしくてというのが分かるではないですか。

坂口:
また味が出てくるということですよね。

青柳:
そうです、ですから1回戻すという作業が必要になってしまうのですが、それは1回戻すことさえできれば本当に役立つことです。

坂口:
そうですよね、もしかしたら論語を知らなくてもこのまま生きていけるのかもしれないですが、知ったらより自分の人生の中での柱が1本立つという気がしますね。

青柳:
そうなのです、知らなくてもいいのです、知らなくても生きていけますから。ただ私はよく言うのですが知ると心のガードレール、過ぎるという字があるではないですか、このガードレールを過ぎるとそれは私たちは違う訓読みをします、過ちという読み方に変わりますよね。

坂口:
本当だ。

青柳:
ですので、論語は人が生きていく上で非常に普遍的な大切なガードレールがたくさん書いてあるのでより安心して進んでいける本ではないかなと思います。

坂口:
そうですね、もう本当に先生今日はたくさん楽しいお話を聞けてうれしかったです、ありがとうございました。

青柳:
ありがとうございました。