【第1回講座】論語が教える人材育成(前編)
- 講師
- 安岡 定子氏(安岡活学塾専任講師)
青柳 浩明(安岡活学塾専任講師・岩崎育英文化財団 岩崎学生寮・事務長) - 放送予定日時
- 平成24年11月 7日(水) 26:00~26:30他 ※以降随時放送
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安岡 定子
安岡活学塾 専任講師
二松学舎大学文学部中国文学科卒業。
現在、「銀座寺子屋こども論語塾」他、全国各地で定例講座を行なっており、
幼い子どもたちやその保護者たちに『論語』を講義して話題を集めている。
著書:『親子で楽しむこども論語塾1・2・3』(明治書院)等
青柳 浩明
安岡活学塾 専任講師
岩崎育英文化財団 岩崎学生寮事務長
1966年東京都生まれ 明治大学卒業
幼少時から論語、漢籍を学び、ビジネス現場で実践や指導をおこなう。
著書:「論語説法」(講談社)、「ビジネス訳論語」(PHP研究所)等
講義内容
青柳:
今日はよろしくお願いします。日本の孔子ゆかりの地で、論語を通して人材育成について学べることを非常にうれしく思います。
安岡:
そうですね、思いがけない機会を得て私もうれしく思っています。日頃はこちらで授業もさせていただいているんですけども、なかなかこんな前に座って大成殿を背中にして孔子の話、論語の話しをできるのは初めてです。
青柳:
ある意味恐れ多いことでもありますけども。
安岡:
恐れ多いですけどなかなかない機会ですので、ぜひひと時楽しみたいと思っています。
青柳:
ご存知の方も多いと思うのですが、安岡先生のおじいさまはかの安岡正篤翁です。歴代首相の指南役として(有名ですが)それだけではなくて、実際にたとえば日本農士学校を設立され多くの人材を育成されてきた方でもあります。そういう方をおじい様にもつといろんな影響を受けたと思うんですけど、どんな影響を受けましたか?
安岡:
たぶん皆さんが思うような直接的な指導はなかった。日常の生活を通して、その生活する姿とかきっとこんなことを考えながら行動したんだろうと、私が創造する部分をたくさん与えてくれたので、はっきり言葉で教えというものはうけていないんですけども、やはり言葉や書物が身近にあったというのはとても大きかったと思います。
青柳:
論語が教える人材教育と題して3つについて聞いていきます。
「論語が教える人材育成」
・孔子が理想とする人材像とは
・孔子が考える人材育成とは
・教わる側の心構え
1.孔子が理想とする人材像 「君子とは」
安岡:
孔子が残してくれた言葉というのはとてもたくさんありますのでその方、その方によって取り方というのは違ってくるんですけども。こんな章句があります。
子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
孔子先生は、学ぶということをとてもたくさん語っていらっしゃるんですけども、君子というものはやはり、威厳がないといけないと言っています。威厳があってしかも、それは威張っているわけではないということ。慎重で重々しくて、それで威厳がある、それが君子のあるべき姿なのだというふうに言っています。でも、学ぶとどうしても自分はこうありたいとかそういう気持ちがわいてきて頑固になりがち。そのかたくなさは自分を成長させる意味では邪魔になる。人を、上に立つべき人ですから、人を使うときに頑固であってはいけないと、そういう意味もたぶん含まれていると思います。大切なのは自分の中に信があるかどうかということ。私利私欲のために仕事をするのではないし、政治をするのではないし、人のためにという気持ちを持ってしかも人と付き合うときに、人として自分より劣っている人とお付き合いするのはやめましょうと言っています。たぶん、孔子の時代には戦乱の世ですからいろいろな思惑の人が回りにたくさんいた。ですからその中で自分が信をもってちゃんとよき人物を見極めてその人とお付き合いしていきましょうということを言っています。
青柳:
決して、人を毛嫌いしなさんなということを言っているわけではないということですよね。
過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
安岡:
そうですね、いろんな人がいて、いろいろな付き合い方があるのはいつの時代の同じ、でもやはり人を見極める目を持つということもそうだが、自分がもし過ちを犯したら、それを直ちに、正していくというそういう素直さ。やはり間違えた時に認めて直していくというのは勇気がいりませんか?恥ずかしいとか
青柳:
躊躇したり、
安岡:
そうですねやはり、上に立つ人間だと、後輩からどう思われるかなとか、
青柳:
人目が気になります。
子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
安岡:
そうですね、それをはばかることなくやりましょうというのもこの章句の意味ですので。
青柳:
さっさと改善しなさいと。
安岡:
そうですねいろんな要素が含まれている、孔子が伝えたいことを全部盛り込んでいる章句かなと。
「君子は義に喩(サト)り、小人は利に喩る。」
安岡:
これはビジネスマンの方からお子さんにまで幅広く人気のある言葉やはり、いろいろな場面で迷うことたくさんありますよね、決断しなければならない、自分で答えを探さなければならないとかそういう時にとても自分の支えとなる一言だと思います。正しいか正しくないかで決める。損か得かが先に浮かんではいけませんよという、とてもシンプルなんですけども難しいですよね。
青柳:
難しいですよね、普段私たち生活していると自分の都合がいいか悪いかが真っ先に頭に浮かぶが、正しいかどうかというのは。
安岡:
難しいですよね。
君子(理想の人物)・・・学識・教養があるだけでなく、威厳があり かつ思いやりのある人
安岡:
(君子とは)たとえば地位が高いとかそういうことではない。理想の人物ということで、学識・教養があるということはもちろんだが重要なのは人としてどうであるかという思いやり、おもんぱかり、そういうものをもって、しかも美しい情緒も持っているというそういう理想の人ですね、最高の人ですね。
「仁者」・・・「仁」とは
安岡:
仁は、たびたび論語の中に出てきます。私はお子さんにお話しするときには、「仁が人にとって一番大切なんだと」いうような話し方をする。分かりやすい言葉に置き換えると、思いやりとか優しい気持ちとかそうことになります。ですから自分の気持ちと同じくらい人の心も思いやる。そのくらい、大事に人のことを思う、それが「仁」になります。仁者については、こんな章句があります。
夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て 己達せんと欲して人を達す。
能く近く譬(タトエ)を取る。仁の方(ミチ)と謂うべきのみ。(雍也)
安岡:
例えば、人は自分がこうしたい、こういう人になりたいとかそういう欲望もあるし、志であったり目標であったりする場合もある自分がそういう気持ちを持ったら、相手にまずそれをさせてあげる。とか人を先にそういう風にしてあげる。さっき仁で自分の気持ちと同じくらい人のことを大切にするとお話
ししましたけど、それを行動に表すとそういうことになる。自分がすることをしたいと思ったら、それを自分は後に回って人にそれを先にしてあげる。あるいは導くということもあるかもしれないがそれを実践してこそ本当の仁者なんだということだと思います。
青柳:
今仁者についてうかがいましたが、仁という言葉と「徳」「徳」について簡単にふれてください。
・これを無くしたら人間ではなくなる最後のものが「徳」
・「徳」正しい人生をまっすぐ歩いていく
・人は「仁」・「徳」を生まれながらにして持っている
安岡:
ひとつ、私の心に残っているのは祖父の言葉の中で、「これをなくしたら人間ではなくなるという、最後のものが徳だ」と。いう言葉を残している。どんなにほかに備わっているものがあっても「徳」がなかったら、駄目なんだ、人として駄目なんだというたぶんそういう意味だと思う。徳そのものは正しい考えに基づいて、正しい信念に基づいてまっすぐと人生を歩いていく。正しい人生を歩いていくというのが徳そのものの意味。ですから人間にはもともといい資質がたくさん備わってこの世に生まれてくるというのが孔子の教え・考え方。仁も徳ももともとみんな持って生まれてきているわけですが、特にその「徳」がないと特にないと、人としては一人前ではないと。
青柳:
徳という字のつくりのほうですね、あれがもともと直の心と。
安岡:
だからそのために人は学ぶ必要があるのです。
青柳:
孔子さんには個性豊かな弟子が何人かいたと思うのですが、例えばどんな弟子がいたんでしょうか?
顔回(顔淵)・・・謙虚で真面目な孔子最愛の弟子
安岡:
学問も人物としても人としてもぴか一だったのは、顔回、あるいは顔淵(がんえん)と言われるのですが、その弟子だと思います。とても寡黙で貧しい生活の中で学問する事を楽しんでいたと、先生があらわしています高い地位を求めるわけでもなくひたすら学問を修養することで自分の身にも納めていくと、先生に自分からは何も要求しないですし、あまり質問もしないので、先生が、こいつ私と一緒にいて何も質問しないからなんか本当に愚か者なのではないかという風に、彼のことをいう場面もあるんですけども、でも先生のところから下がって実生活を見ると、彼は言ったことを全部理解して、実践しているし、さらにそれを発展させているすごいやつなんだということを言っているんですね。唯一弟子の中で、怒られなかった欠点を指摘されなかった優秀な弟子で、彼の優秀さはほかの弟子も認めていて、別格でした。
子貢・・・外交に従事した有能な政治家。商才もあり、孔子のために得た財産を使った。
安岡:
もうひとり対照的な弟子は子貢。顔回と同じ優秀ですが、大きく違うのは雄弁家だったところです。頭脳明晰で雄弁家だったので、彼はまた違った意味で実践している。政治家としても成功してますが、商売をしても儲けたようです。商才を活かして、得た財産を孔子のために使っています。孔子の教団のために弟子たちを抱えて、貧乏所帯ですから。
青柳:
私利私欲のためではないということですね。
安岡:
そうですね、ですから経済的に先生の教えを守るために若い弟子たちの育成のために自分の財産を当てたといところが素敵なところです。
2.孔子が考える人材育成とは
青柳:
具体的に孔子さんは弟子に何を教えていたのでしょうか。
安岡:
私は、孔子の持つ魅力は教育者の部分がとても優れていたと思います。私はとてもそこが好き。たとえば、孔子の姿を教える教育者としての姿を現したものがありまして、
子、四(シ)を以て教う。文、行、忠、信。
(文=学ぶ 行=行う 学んだことは行わないと意味がない)
安岡:
4つ、たった4つの漢字が並んでいるだけなんですね。この4つを教えた「文」と「行」はセット。「文が学ぶ」「行は行う」学んだことは実践しないと意味がないというその考えがそのまま「文と行」という字に現れています。
「忠」「信」 信を尽くす
「子、四(シ)を以て教う。文、行、忠、信。」
安岡:
「忠」と「信」は似た意味だと思う。学んだことを行うというところまで来たので今度は「忠と信」は自分の精神世界。どちらも信ということだと思う。己に誠実である、己の力を尽くす、信を尽くす、 あるいは信というのは言葉にウソがないということですから、人に対して誠実であるかということになると思います。ですから、いくら学んで行いができたとしてもそこにそういうさきほどから触れている「徳」であるとか「仁」であるとか、そういうものが含まれていなかったら、人として駄目なんだということを4つ同じバランスで話してるということがスゴイと思います。ひたすら学べというわけではなくてちゃんと行いが伴って、そこにはちゃんとハートがなきゃいけないんだよっていうことを言っているので、とても簡潔で、でも意味が深い内容だと思います。
ビジネススキル 学ぶ 行動する
忠=真摯な気持ちで対応(誠実) 信=信頼関係
青柳:
今伺った内容は、ビジネスシーンでたとえますと、ビジネススキルを学びました。それを実際の行動としてアクションしますと次に忠ということで言えば、中途半端な気持ちでやらないと、真摯な気持ちで対応すると、
安岡:
本当に力を尽くすということと、誠実さって大切ですよね。
青柳:
最後の信は、さしずめ、お客様との信頼関係とか上司との信頼関係、そのままあてはまる。
目指すべき人物像とは
安岡:
具体的に述べている言葉もありまして子夏という弟子に対して、特定の弟子ですね、先生が言っている言葉がありまして、
(子、子夏に謂いて曰く、)女、君子の儒(ジュ)と爲れ、小人の儒(ジュ)と爲ること無かれ。(雍也)
子夏・・・謹厳な人柄で消極的、文学の才があった
安岡:
子夏という弟子はとても若い弟子だったんですが優秀で、たぶんとても学問にはげんでいたと思われます。いざ学問するとなると、熱中してしまって実践ができなかったり、そこに優しさが欠けていたり、たぶん先生が「君子の儒となれ」。「儒」の言葉自体は学者という意味ですけども、さきほど来お話している「君子の学者」にならなければならない、小人の学者になってはいけないというのは、小人の学者というのはたぶん、いろいろなことをよく知っているただの物知りということです。でもそこに忠であるとか信、あるいは仁がくっつくことによって、君子の儒となる。人として素敵になっていく、そして、学問もおさめていくことになります。
青柳:
学んだことを実際に出力アウトプットされる時に、バランスよく出せるということですね。
安岡:
そうですね。ですから、学ぶことがなければ身に着いたものを出すということはできませんけれども、学ぶことだけで満足してはいけないということですね。
青柳:
孔子も教えるにあたっていろんな弟子に対していろんな苦労があったと思うが、それはどうだったのでしょうか。
安岡:
教える立場として先生はとても熱心だったので、またひとつこんな言葉があるんですけども、
子曰く、黙して之を識し、学びて厭(イト)わず、人を誨(オシ)えて倦(ウ)まず。何か我に有らんや。
ちょっと難しんですけども、孔子らしさがとても出ているので、私は好きなんですけども。孔子はいろんな人にいろんなことを質問されるわけですよね。そうするといろいろ応えられるのでとても博識ですし、博学です。そうすると先生のことを天才ですか?と思う人もでてくる。努力しないで天才肌でなんでも知っているんじゃないか、というように質問されると私はただの学問好きだと昔から、生まれながらに何かを知っているわけではなくて、学問したことによって私は知識を得て、それをおしげもなく全部若い人たちにさらしていますよ、っていう言葉も論語の中にはあるんですけど、それが表れてるような気がするんですね。学ぶことを決してあきらめない、嫌にならない。そして教えることも教え続ける、飽きて嫌になっちゃうというそういうこともない。それが私のすべてなんですよというところなんですね。
青柳:
今の教えの中の「誨(オシ)えて倦(ウ)まず」というのは身につまされるというか、いろんな人がいると、もうこのひとにはこれ以上教えても無理なのかなとか、それがないということですよね。
安岡:
ないですね、なかなかうまく成長できないどこかで躓いている人には、教えるのを、それこそさきほど、「倦(ウ)まず」(嫌にならない)というのは、 なかなか難しいことです。
青柳:
できることではないですね。
安岡:
そこを手厚く、まだ未熟なものを導いてあげてあらためてあげましょうと、言っているのが孔子の考え方なので、先生が目指している理想の姿、教える立場として理想を目指しているのかと思いますね。
3.教わる側の心構え
青柳:
人材の育成教育は、決して一方方向では効果はでなくて、双方向、インタラクティブにやる必要があると思いますので、教える側がどんなに熱意を持っていてもそれだけではだめで、教えられる側もそれなりにキャッチしてくれる心が必要だと思います。孔子さんはそのお弟子さんたちに学ぶ上での心構えを期待していたのでしょうか。
教わる側の心構え
1)反復(繰り返す)
2)間違いを犯した時
3)あきらめない
安岡:
まずひとつは、反復すること、繰り返す。言い換えれば継続ということになるかもしれません。それからもうひとつは間違いを犯してしまったときにどうするか、失敗したときとか、そういう時。いろいろ仕事でも学びでも続いていくわけですから、あきらめないでやり続ける、この3つがポイントになるかと思います。
安岡:
「反復する」ということを1番にあげましたけども、
青柳:
「繰り返すということですね」
安岡:
「はい、それについての章句がありますのでご紹介したいと思います。
曾子曰く、吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか。
朋友と交て信ならざるか。習わざるを傳えしか。
曾子・・・孔子の道を伝えた第一人者
安岡:
曾子(そうし)は、孔子とは40以上、歳の離れた若い弟子です。孫に近い、その優秀な弟子が言った言葉なんですけども、きょう1日、己を尽くしたか、誠を尽くして過ごしてきたか、あるいは人と接するとき本当に誠実にその人に対応していたか、最後がとても肝心で、まだ自分の中に昇華しきれてない教えを理解してないだけの状態で自分なりの熟成というか、そういうものがないうちにそのままを先生から受け継いで若い人たちに話していないか、そういう心配を毎日毎日繰り返し反省していた、とてもまじめさがでている。人に対して誠実、もちろん、自分に対しても己を尽くしているか、最後は習ったことをそのまま昇華しきれないうちに言葉に出して伝えてしまっていないかというその3つですね。
青柳:
繰り返し、実践することが大切ということです。
安岡:
最後の一言はとても身に染みて、人に何かを話すときに、それこそ私は恩師から聞いた言葉、あるいは人から聞いた言葉を自分でうまく理解して昇華してないうちに人に伝えているのではないかと、私の戒めです。
青柳:
理解してないことを本当にしゃべっているんじゃないかと、怖くなりますね。
安岡:
そうですね、ですからそういう意味では反省というか、戒めるためにはいい言葉です。
青柳:
では、前編はここまでとしまして、この続きは後編でじっくりと伺いたいと思います。安岡先生どうもありがとうございました。