平成26年度特別講座:鹿児島編3: 西郷隆盛に学ぶ21世紀のリーダーシップ

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾

平成26年度講座内容

 

【特別講座:鹿児島編3】 西郷隆盛に学ぶ21世紀のリーダーシップ

講師
田口 佳史氏 (東洋思想家「東洋と西洋の知の融合研究所」理事長)
場所
リバティークラブ (鹿児島県鹿児島市千日町15-15)
放送予定日時
平成27年3月7日(土) 6:00~ 7:00歌謡ポップスチャンネル
12:30~13:30 ホームドラマチャンネル
※以降随時放送

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田口 佳史(たぐち よしふみ)

老荘思想研究者

昭和17年東京生まれ。一般社団法人「日本家庭教育協会」理事長。一般社団法人「東洋と西洋の知の融合研究所」理事長。「杉並師範館」元理事長。株式会社イメージプラン代表取締役社長。昭和47年株式会社イメージプラン創業。以来30数年2000社に渡る企業変革指導を行う。中国古典思想研究四十数年。永年にわたり研鑽された中国古典を基盤としたリーダー指導は多くの経営者と政治家を育てた。東洋倫理学、東洋リーダーシップ論の第一人者。企業、官公庁、地方自治体、教育機関など全国各地で講演講義を続け、1万名を越える社会人教育の実績がある。

講義内容

田口先生:
私が47年間やってまいりました儒家の思想というのは、どういうものでしょうか。皆さん、論語などでおなじみだと思うのですが、儒家の思想を貫く一つの理念がございます。それは、人間の救済は神によってなされず、「人間の救済は人間のみ可能」ということです。ご承知の通りに、中国古代の王朝は全部、黄河、あるいは揚子江、長江で起こりました。水の被害というものは、すごいものがあります。そういう苦難の中で、最初は神に祈ったり仏に頼んだりしたのでしょう。しかし、そういうことをやっても一向によくなりません。それは徒労に帰すと。やはり治山・治水にたけたリーダーが出てきて治めてくれないと駄目だということを悟ったわけですね。それで、禹(う)という人の父である鯀(こん)という人がやったのですが、これが「九歳功用不成」といって、9年かかってもうまくいきませんでした。それを学んだ息子の禹が、全くお父さんと反対の方法、お父さんは力で封じ込めようとしたのですけれども、禹は全部流していく、自然の力を放流するという方法で、めでたく全土、ほぼ今の中国と同じくらいの面積を治めていったわけです。

そういう歴史上の経験から編み出されたのがこの理念でありまして、リーダーに対する、あるいは人間に対する大きな期待と信頼に基づいているわけであります。

絶対無比にいい人、立派な人が出てきて、国王になってくれないと、われわれの幸せは非常に不確かなものだと。結局、リーダー育成のカリキュラムとテキストというものが完備していないと、無責任なのではないでしょうか。

これは今の社会でも全く同じことで、たまたまいい人がいたから次の社長に恵まれたというようなことではいけません。やはり的確に、間違いなく、そういう人を育てていくメカニズムがないといけないということに至ったわけですね。

孔子の時代に、四書五経というものがあります。まあ四書は朱子の時代で、1150年代、60年代ぐらいにまとめられるのですが。結局この四書五経によって、これが打ち立てられました。従って、私は47年間ひたすら四書五経を講じてまいりましたけれども、それは別の言葉でいえば、リーダー育成のテキストとカリキュラムの説明をしてきたといってもよろしいわけですね。

これが非常にうまくいきましたのが江戸時代であります。江戸時代、津々浦々どこにも藩校というものがあって、その藩校で教えておりましたのが、この四書五経であります。

では、なぜこれが今、重要なのかといえば、現在ここにおいでの方々は、江戸の徳川幕府と同じぐらいの情報収集力をお持ちではないかと思うのですね。当時、外国の状況が今のように入ってくるということは、まずありませんから、そういう意味では、今のわれわれの暮らしというものは、地球的規模で情報が入ってきます。経数の情報も入ってきます。詳細な情報も入ってきます。さらに今、TwitterやFacebookというもので、世界中に自己の見解を開陳するということもできてきます。つまり、徳川幕府並みの情報収集力と発信力を、われわれは身に付けているわけですね。

そういうふうに考えれば、われわれ一人一人がリーダーシップを心得ていないと、大きな影響力を持ったがために、いろいろなトラブルが起きます。そういう意味で、今日は大きな集団のリーダーのためだけのリーダーシップ論ではなく、いってみれば、お父さん、お母さん、そういう家庭のリーダー。あるいは地域のリーダー、会社のリーダー。一人でも部下ができれば、もうリーダーでありますから、そういう観点でお受け取りいただくとありがたいと思っております。

では、なぜそういう観点で西郷南洲を取り上げるべきかという話に、だんだん入っていきたいと思います。実はリーダーシップには、リーダーシップの構造、コンストラクションというものがありまして、この一番土台になりますのが土壌風土なのですね。今、私も欧米のビジネススクールとかそういうところへ招聘(しょうへい)されてリーダーシップ論を話し始めました。ちょうど10年ぐらいであります。

しかし、何と日本人の多くが、この土壌風土を無視して、西洋流のリーダーシップばかりを学んでいることかということなのです。これは、どう見ても無理があります。欧米人の方から、われわれは欧米人だから欧米のリーダーシップを学んでいるのであって、アジアには、東洋には、リーダーシップ論というものはないのかという指摘が非常に多いのです。

ようやく最近は、それを乗り越えて、東洋のリーダーシップ論も聞いてみようじゃないかという状況になってまいりました。ここにおいでの方は、おおかた東洋の方だと思います。さらに言えば、日本の方だと思いますね。それからまあ、鹿児島の方だろうと思うのです。そういう土壌風土で培われた、伝統のリーダーシップということを、もう絶対無視できないのが、これからの社会ですよということを、まず確認したいと思います。

ちなみにこの上はどういうふうになるのか。土壌風土が土台でありまして、その上に普遍的なリーダーシップ。リーダーが得なければ、持っていなければいけない知識とか、そういうものがくるわけです。今、だいたいのビジネススクールなどでは、ここから始めてしまうわけです。ですから、土台というものをつくらせないで、非常に軽薄といったら言い過ぎですが、非常に軽いリーダーシップ論になってしまうわけですね。

さらに言えば、この上に、時代性というものがあります。これも時代によっては非常に変わってきます。私はちょうど学校を出ましたのが高度成長期でありましたから、成長期のリーダーシップ論でした。今は何だというと転換期であります。成長、安定、それから転換。転換、成長、安定と、大ざっぱにいうと、この3つをトライアングルしているわけです。そうやって回っております。ですから、今は転換期のリーダーに学ばなければいけません。安定期のリーダーシップを学んでも意味がないということですね。

さらに、ここに個性というものがあります。例えば、立て板に水のようなNHKのアナウンサーの話し方を聞いて印象に残りますか?やはり方言も入って、自分なりの表現能力が出てくるというのが個性で、それが一番、説得力があるものなのですね。ですから、リーダーの一言一言というのは、外してもらいたくない。もう誠心を込めて説いているところがありますので、印象に残らない話などというのは、しても意味がないわけです。ですから個性というものを磨かなければいけません。

この個性というのと土壌風土は、どこかで似通ってくるということがあって、いってみれば、これがぐるぐる回っているわけです。そういう意味で、われわれ日本人は、もう一回、日本人、人間としての土台としての土壌風土というものを見直す必要があるのだということを、私はずっと主張しておりました。

そうしましたら、DNAという観点からの研究が非常に進みまして、今そちらの医学の分野の方々との交流がものすごく多くなってきました。このDNAは、7代の蓄積があります。皆さんも、DNAの中には7代あるわけですね。当然、江戸時代の方も入っています。では、江戸時代の方は、何で勉強されたのですかといえば、今日お話しする四書五経で学ばれたわけでありまして、そういうものが、とっさのときに出てくる。もっと言えば、緊急のときとか追い詰められたときに、火事場の馬鹿力とよく言いますが、そういう形で出てくるのですね。それはご先祖さまが助けてくださっているといってもいいぐらいのもので、今もう一回、そういう観点から、いわば自分のご先祖が、どのような人物鍛錬、人間をつくる、そういうリーダーシップの確立ということをやってきたのかということを、振り返っていただく時期ではないのかなということでございます。

別の言葉でいえば、東洋、日本の伝統的な知恵や見方を、もう一回、大切にする、東洋思想・哲学、あるいは日本伝統精神・文化というようなものに、もう一回、目を向けるということが、今どうしても必要なのだということです。

その東洋思想・哲学、日本伝統精神・文化そのものに触れるのも一つでございますが、要するにこれは日本人の精神基盤となっているわけですから、そういうものを精神基盤にして、優れた行いをした方の、そのまるごとを顧みてみるということも、非常に重要なのではないでしょうか。

今これからどんどん促進されるのがグローバライゼーションであり、どこからきた言葉かといえばグローブであります。グローブというのは球体という意味で、要するに今までは西洋一点張りでやってきましたが、これからは東洋という半球と、それから西洋という半球が、合体した球体としての思想・哲学をもって、地球を救っていくというときであります。

そういう観点からいえば、もう一つ言わなければならないのは、グローバルな時代になればなるほど重要になるのが、アイデンティティでありまして、皆さんも外へ出れば必ず聞かれるのが、「どこのお国ですか」「どこから来られたのですか」「その国はどういう国なんですか」、もっと言えば、「どういう伝統精神・文化を持っているのですか」とか、そういうことを非常に多く聞かれる時代が来ているのだということを忘れてもらいたくないわけですね。

そういう意味で、今日はテーマとして考えていただかなければいけないのが、今現在、大転換期の中にいると。大転換とは何の転換なのかといえば、文明の転換といわれているわけですね。いろいろな転換があると思うのですけれども、文明自体の転換は生易しい転換ではないわけです。つまり、西郷南洲がやりとげた西洋近代思想への転換というものをなぜ学ぶ必要があるのかというと、この西洋近代思想がまた転換期を迎えているからです。残すべきは何で、残してはいけないものは何だということを、やはりしっかり学んでいかなければいけないわけですね。そういう時代に来ているのだということなのです。

リーダーシップの基本は、後で出てまいりますが、儒家の思想の基本は「放勲欽明文思安安」という言葉でございまして、放勲というのは、放つ勲(いさお)は欽明して、誰の目にも鮮やかと。これは何かというと、問題というものは常に危機として迫ってくるわけです。そういう迫った問題を、快刀乱麻、解決することができないリーダーは駄目なわけですね。リーダーとしては、やはり今、差し迫って、みんなが困っている問題を鮮やかに解決してくれなければいけません。それによって多くの人に安心感を与えるというのが、リーダーであります。

では、それだけのものでいいのですかというと、「文思安安」というのが付いております。これは何かというと、文と書いて「あや」ですね。心のあやも読んだ思いやりということが安定的にある人。腕っぷしも強い、業績も上げる、しかも無類の優しさを持っているというような人物が、東洋思想でいう理想的なリーダーシップなのですけれども、このもう一つの方でいえば、問題解決をしたら、それで終わるのではありません。これからの大きな可能性を、地域あるいは会社の、それから国家の可能性を切り開いて、多くの人に夢と希望を与え続けるというのがリーダーシップなのです。大きくいえば、問題を解決するのを役割として背負っているのと同時に、夢と希望を与えていく、将来を切り開く。こういう2つの役割を持っています。

さらに、そこに転換期というものが入ってくると、もう差し迫って早くやらないといけないということに、今なっているわけですね。われわれも、うかうかしていてはいけないときであります。今、内憂外患の極致に日本はあるように思うのですね。内憂でいえば、何しろこれほどの巨大な借金大国は、まず世界中にないわけでありまして、いったん狂うと、この大金の借金が全部国民に覆いかぶさってくるという危険性がまずあります。さらに、その日本の経済のポイントとして、今あまりにも中国とアメリカに依存し過ぎています。あるいは食料の自給率も非常に低い。全部、エネルギーだって食料だって、外側から運んでくるということです。そういう内憂外患に迫られて、さらに、早く新しい日本をつくってくれという時代の要請にも応えていかなければいけない時代なのですね。

これは国家を例に言っておりますが、皆さまの会社とか地域とか、そういう集団はみんな同じ要求をされているわけです。さあ、そのときに誰に学んだらいいのか、何を学んだらいいのかですね。それこそが、明治維新に学ぶということで、ひとつ前の転換期が明治維新でありました。今、申し上げた現在と、うり二つです。

当時の方がもっときつい内憂外患の問題がたくさんあったと思います。内憂としては、幕藩体制というものが、転換期を迎えています。外患としては、西洋列強の支配からの独立といっても、中国もアヘン戦争によって西洋列強に蹂躙(じゅうりん)されてしまっているわけで、アジアの各国がこぞって西洋列強の餌食になっています。ただ唯一、わが国だけが残っていると。ですから要するに、アメリカだってフランスだってイギリスだって、もう各国が、あと残す大国日本を手に入れようと思って押し寄せてきているわけですね。

さらに、西洋列強の国々は近代国家への脱皮をもう果たしているわけですから、わが国も一刻も早く近代国家建設をしなければいけません。内憂一つ取り上げても大変で、外患を防ぐのも大変で、さらにそのうえ早く近代国家をつくってくれと。こんな無理な注文はないわけです。しかし、これをやり遂げたのですよ、われわれのご先祖さまは、150年前。それを学ばないで何を学ぶのかということになります。

(スライド:1.新体制への移行 2.西洋列強からの国家守護 3.最短期間による近代国家建設)

まず、この3つの観点は、何と全て西郷南洲がやり遂げた仕事なのですね。どういうふうにやり遂げたのか。

まず第1の新体制への移行。この最大のネックはどこにあったかというと、幕府は崩壊へ進んでいるわけですが、しかし何といっても265年間ずっと巨大な権力を保持し続けてきたのです。衰えたとはいえ、それは強大な権力なのです。そういうものへ引導を渡して、もう終わりですよといって新しい方向へ変えるためには、ときの幕府を上回る勢力が結集しなければ駄目だったわけです。対抗する力がないのに、旧体制をぴしゃっと制覇して、それで新しい方向へ行くなどということはできないわけですね。これはもう皆さん、歴史が語っていることですから、ご承知のように、何といっても薩長同盟というものなくして、頑強な幕府の体制に対する結集の勢力というものはなかったわけですね。

この薩長同盟すらも、長だけではできません、薩が入って。当時は征長、長州を討つというのが、要するに日本全国のコンセンサスでありましたから、そういう意味では長州にはそれだけ力がないわけです。従って、薩摩に対して長州は、助けてくれといって、武器・弾薬を自分のところでは買えないから、薩摩が買って長州へ流すという援助をしてくれということで、この決断も、西郷南洲なくして、薩摩藩はできなかったと思いますね。そういう意味で、まず反対勢力の結集というものができたから、頑強な幕府体制が終焉(しゅうえん)したのだという、このきっかけこそが、西郷南洲の偉業の第1であります。

第2は何かといいますと、西洋列強はもう鵜の目鷹の目で、暇さえあれば、手伝ってやるよ、手伝ってやるよと。ご承知の通りに、官軍にはイギリス、幕府側にはフランスが付いて、いってみれば代理戦争へ持ち込もうとしているわけです。それからの戦争の歴史を見ていただいても分かるように、世界的巨大国家の代理戦争になって、その巨大国家が手打ちをして、それで結局その国の領土にしていくというのが通例だったわけですね。ですから、イギリスもフランスも両方で、ロンドンとパリで頻繁にやりとりをして、早くそちらはそちらで代理戦争に持ち込め、こちらはこちらで代理戦争に持ち込むからといっていたわけです。

そういうときに、江戸城無血開城というものが起こるわけです。あれが無血にならないで江戸城が火の海になっていたら、どうなったかということですね。つまり、決着をつけるということを官軍がもっと積極的に考え、幕軍が反抗し勢力を倍増しようというと、どうしてもフランスとイギリスに助けてもらうしかありませんから、代理戦争へ入っていってしまうわけです。そこを我慢して、西洋列強に手出しをさせずに自分たちだけで解決をしていくということは、並々ならぬ人間力がなければできなかったわけですね。これが西郷南洲の2番目の偉業であります。

3番目、結局あと残すところは、最短期間による近代国家をつくってくれという、いってみれば時代の要請であります。これもまた大変な話で、今挙げた西郷南洲の偉業の1番、2番だけでも大変な働きだったと言ってよろしいと思うのですけれども、これも実は西郷さんに、いわば国家はすがったわけです。西郷さん、何とかしてくれ、ということですね。

これは、まずどうしなければいけなかったかというと、何といっても武士というものが残っていて、民主国家ができますか。幕藩体制の一部が残存しているのにもかかわらず、議会制民主主義などというものが開けますか。全くうまくいきません。ですから、一掃してしまわなければいけないのです、旧体制を。一掃すると、私は非常に簡単に言っておりますが、これこそものすごく一人一人の士族の生活から何から、全部かかっているわけですから、そう簡単にはいかないわけです。これも何と、西郷南洲が全部きれいに片付けたのですね。

どういうふうにしたのでしょうか。西郷南洲がやった、要するに国家の転換、あるいは大掃除をして、それで新しい近代国家をつくった。どういうことをやったか、もう書き切れない、出せないのです。もうこれ一つ取ってみても大事業です。例えば廃藩置県というものは、旧幕藩体制転換の象徴であります。幕藩体制がなくならない限りは、まだ風景は同じなわけですね。あそこにお城があって、そこに藩主がいて、みんなそれが国だと思っているわけです。

この風景が何も変わらないのに、新しい近代国家になったなどといっても意味がありません。意識が変わらないのですから。まず、あれは非常に古い、昔の名残としてあるのだという意識に変えさせなければいけません。ということは、何の足しにもならない存在にしてしまわないといけないわけですね。

ですから廃藩置県、藩をもう廃して県になるということをしなくてはいけないけれども、藩主は莫大な能力、あるいは莫大な権力を持っているので、そんなYesなどとは言わないわけです。そこで考えましたのが、御親兵というものを創設して、それで武力でもって押さえつけ、いざとなったら御親兵が動くよと。この御親兵も、薩長土肥の薩長土の兵士が集まったわけで、まとまりがつかないわけです。そういうときに、キャップとして上にいて、みんなが治まるといったら、西郷南洲しか当時はいなかったのです。そのおかげで廃藩置県がずーっと進むのですね。これが進まなかったら、もう100年、手こずったと思うのです。

さらに一方では、旧幕府軍として官軍と戦った大どころの朝敵大名を、みんな大赦してしまうわけです。大赦というのは恩赦ではありません。もう無実、つまり簡単にいえば、罪に陥れたことが間違いでしたと言い切ってしまうのです。この辺も全部、西郷南洲がやったことで、もう挙げればきりがありません。

国家の近代化という前に、旧体制を一掃し、それで近代化を成し遂げたのです。今日はあまり細かく一つ一つをご説明する時間がありませんが、一つとてもすごいことがあります。職業の選択・信教の自由です。これは国民みんなが自由・平等な国家というものを前提にした行為なのです。つまり、西郷南洲の頭の中には、自由・平等による、本当の意味での主権在民という民主国家の建設が前提にあったということが、これでよく分かるわけです。

なぜこれだけのことが全部一挙にできたのですかというと、岩倉使節団というのが、この期間、留守だったわけです。新政府首脳が1年10カ月間も。これも大胆不敵なお話ですけれども(笑)。要するに、内閣総理大臣はじめ、もう全員が外国旅行に行ってしまうということで、留守を任された留守中筆頭参議が西郷隆盛でした。この1年10カ月間の中で行われたことだけを挙げましたのが、これですよ。ですから、筆頭参議の肩書きをもって、権力をもって、だーっとやってしまうわけですね。

西郷南洲の頭の中には、自由・平等、民主国家、主権在民というものが、確かに明確にあったと申し上げていいと思うのですね。ですから、近代国家の根幹の整備ということをやりました。今、明らかに申し上げたように、この期間の国家としての内憂、外患、新しいテーマという、3つの最大の案件をこの人はほとんど一人で片付けてしまったというものでありました。

ここでぜひ皆さんがお考えいただきたいのは、こういう一連の偉業は、なぜやり遂げられたのかということです。これは、よく伝えられているのは、「何でも西郷さんに頼もう」「西郷さんに言えばいいのだ」「西郷さんから言われたらみんなNoと言えないような状況になるから、言いにくいことは西郷さんから言ってもらおう」それから、「西郷さんのためだったら何でもやろう」という人が多いという、人物像、人格ですね、こういうものがあったからでした。だから、いってみれば人望力と、それから流行の言葉であまり好きではありませんが、人間力、それから大局観です。

何といっても西郷南洲という人は、大局観を持っていて、当時の人としては珍しい、地球規模で全てものを見ていた人なのですね。ですから彼の発言あるいは行為、行い、そういうものを日本というこの小さな島国の中だけでお考えいただくと、とても理解できません。しかし、ちょうどそのときの地球規模の世界情勢を考えて、彼の発言や行為を考えていただくと、ああそうかということになります。

この大局観というものは、江戸時代から非常に重視されておりまして、立派な人間になるためには必須のものとして、リーダー必須の要件として、大局観というものが言われてまいりました。これは、まず根源的にものを見る、それから長期的にものを見ることです。根源というのは深い思考、長期的というのは広い思考でありまして、そういう意味では、深いというのは、人間にとって何が重要なのかということです。それは命ではないか、自由ではないか、平等ではないかということを、西郷南洲は突き詰めて、突き止めていたのです、深い思考。それから長期的というのは、要するに広い思考。つまり、日本へ来ているフランスやイギリスではなくて、イギリス本土、フランス本土では、どういう国家を形成しているのかということも、十二分に、西郷南洲の頭にはあったと思います。そういう危険きわまりない国が、「お手伝いするよ」「言ってくれれば助力するよ」と。これには乗らない方がいいという判断が、ちゃんとついたわけですね。

従って、深い、広い思考を持つと、多様性が生まれてくるのですね。ですから、ここもやっておかなければいけない、ここもやっておかなければいけないといって、いろいろな、普通人ではカバーしきれないぐらいの広さの要点を、全部彼はカバーできました。いったいどういう彼の精神構造から、こういうことが行われたのかを、今日は解明して、終わりたいと思っております。

ご存じの『南洲翁遺訓』は、最初に「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也」という名文から始まるわけです。つまり、廟堂というのは朝廷あるいは国家ですね。国家の、今でいえば国会議事堂。そういうところに出入りをして、政治というものを運営する者は、何といっても天の働き、天道というものをこの世に移し替えて、天の働きをこの世に実現させるということが責務なのですよ。ですから、そんなところに私利私欲、「私」というものが挟み込まれたら、とても国民が迷惑するよということを言っているのです。自分もその一員でありながら、他の国家の重鎮たちに対して、国民のことをもっと思えと言っているわけです。

まず、「天道を行うものなれば」というところが、非常に感銘深いですね。これは『易経』という書物をぱっと開きますと、「天道健也」というところから始まるわけです。天道健と書いて、健康の健。人間であれば、どこの地域に住んでいる人間でも、どの民族であろうとも、職業の違いも関係なく。天が破裂するとか、天が何か意地悪をするということはない。天の計らい、天の働きの中で子どもがどんどん成長します。田んぼの作物もどんどん成長します。みんな天道なのですね。そういうありがたいこと、それをこの世に実現させるのが政治ですよと言っているのです。

こんなスケールの大きい政治家は、まあいないわけですね。さらに2つ目、「賢人百官を総べ、政権一途に帰し、一格の国体定制なければ、縦令人材を登用し言路を開き、衆説を容るる共、取捨方向なく、事業雑駁にして成功あるべからず」と言っているのです。ここの最大のポイントは、「一格の国体定制なければ」だと思います。

「賢人百官」とは、何といっても人材ですよと。人材を野からどんどん上げて、一人として駄目な人間がいないという状況をつくるのが、政権を構想するということ、政治体制をつくるということなのですよ。さらに「政権一途に」ということは、何としても国民の自由と平等、発展、繁栄、暮らしぶりがそこそこでいいから平安な毎日を暮らせるようにするというのが、「政権一途に帰し」です。それから、「一格の国体定制」、つまり日本には日本の伝統というものがあって、ずっとそれを何千人、何万人の先人が、命を的に守ってくれたわけでしょう。だから今こうやって、私もここにいるわけで、そういうものを無駄にしてはいけません。ありがたいものだといって、それを引き継いでいくというのが、「一格の国体定制」。どうですか。今の政治を顧みると、もう涙が流れてしまう。もう一回、こういうところに返ってもらえないだろうかと思ってしまうばかりであります。

さらに、もう2つ挙げてみたい。「政の大体は、文を興し、武を振い、農を励ますの三つにあり」。西郷南洲という人は、先ほども言ったように要点主義なのです。リーダーというものは、限りがあります、エネルギーにも時間にも。そういうときに枝葉末梢の細かいことばかりをやっていたら、これはもう、あっという間に時間が過ぎてしまいます。エネルギーがなくなってしまいます。従って、ばっと要点を、この3つとか2つと見つけだす能力がなければ、リーダーとしては失格なのですね。ですからぜひ、この要点主義でやらなければいけない。

そういう意味で、政(まつりごと)、政治というのは何ですかと、今の政治家に問うてごらんなさい。いろいろなことを言いますよ。TPPだ何だかんだと、たくさん言います。そうではないと言っているのです。西郷南洲は、文を興すのだと。文とは何なのですか。それは要するに、文化、文明、そういうものですよね。

それから人間の教養。人格、教養といってもいいです。そういうものをしっかりさせて、それで武を振う。しっかり国家が成り立っていくように。世界にはいろんな国があるわけですから、私利私欲のかたまりの国家だってあるのですよ。そういうところにピシッと、こちらに入ってこさせてはいけません。従って、「武を振い」です。それから「農」。何といっても食料が基本であります。食べられない、飢える、そんなことは、政治がなっていないことになります。

これがポイントなのです。つまり、たくさんある省庁は、全部この三つに帰するのだということを忘れては駄目ですよ。役人がたくさん増える、さらに部門がたくさん増えれば増えるほど、何が本体だか分からなくなるのが通例ですよという警告を、これは発してくれているのです。

もう一つ、「万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり」、この次が重要で、「下民その勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行われ難し」。万民の上に立つ人間は、己を慎み、品行を正しく。この辺はよく言われているのですけれども、その程度がどのぐらいかといえば、下の人間、トップに仕えている部下が、「われわれの上司はあんなに過酷に休みなく、国家国民のことを思って不眠不休で働いていると。ああ気の毒だ。」と思うぐらいでなければ、国民全般に出した政令などというものが行われることはありませんよ。そういう範を垂れていかなければ、リーダーは駄目ですよということを表してくれているのですね。

こういう西郷南洲は、どうやってつくられたのか。彼が島へ流されているときに持って行った『言志四録』というのは、佐藤一斎という人が42歳から82歳まで書き綴った1133の文章からなる、こんなに分厚い書物です。そこから彼は全部読了して、これこそ重要という101カ条を抜き書きして自分の本をつくるのですから、そのぐらい読み込んだわけですね。『言志四録』とは、どういうものか。西郷南洲が抜き出ししたところから、特に特筆すべきところをご紹介して終わりたいと思っております。

「凡そ事を作すには須く天に事うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず」。仕事などというものは、人に示すために、よくやったと言われたいからやるのではありませんよと。何といっても、天に仕えて、天のために、天から褒めていただいた方が、よほど人に褒めてもらうより自分はうれしいという心境で仕事をやらなければ駄目だということでありますね。

それから、「当今の毀誉は懼るるに足らず。後世の毀誉は懼る可し。一身の得喪は慮るに足らず。子孫の得喪は慮る可し」。これもいい言葉ですね。この「毀誉」というのは何かというと、そしりと誉れ。そしりは要するにひどく言われる、誉れは褒められるということですね。「当今の」というのは、自分の人生における毀誉などというものは、そんなものを恐れているようでは駄目で、一番恐れなければいけないのは後世の自分に対する評価だということなのです。

どうしてかというと、その次に書いてあることが、それを表しているわけですね。「一身の得喪」、何かを得た、名誉を得たとか金銭を得た、それをまた失ったなどということは、慮るに足らない。苦慮する、それから配慮する、そんなものではありません。一番配慮しなければいけないのは、「子孫の得喪」、つまり、われわれがどう生きたかというのは、われわれのところへ返ってくるのではなくて、子どもとか孫に返ってくるのです。全部つけは子ども、孫。だから一生懸命やってあげれば、いいことは自分に返ってこないけれども、子どもに返ってくる、孫に返ってくるのだと。それこそが一番の遺産ではありませんか。遺産というのは、要するに、評判として、子どもや孫に、それが返ることなのだと言っています。いいですね、こういうのは。

それから、「今日の貧賤に素行する能わずんば乃ち他日の富貴に必ず驕泰せん。今日の富貴に素行する能わずんば乃ち他日の患難に必ず狼狽せん」と。今、貧賤にある方がおられれば、道を行って安んじてください、あたふたするなと。正しい人間としての行為を絶対に踏み外すことなくやっていれば、貧賎からすっと抜けられますよと。貧賎になると、やけのやんぱちになってしまうようだったら、ずっとそこにいるしかありませんよと言っているわけですね。そして、その後にたまたま富貴になると、驕り高ぶり真っ逆さまに墜落してしまう人間になりますよと。

それから今、富貴にいる方は、そこで道を行い、安んじて毎日を行っていかなければ、他日、患難というものに、先ほどの内憂外患ですね、そういうことにあったときに、もう慌てふためいてしまいます。一番いいときにも、身を慎まなければ駄目なのですよと。自分一人がやったからこうなったのではない、天に助けていただいたから、富貴のところに今はいるのだと、天に感謝して、慎んで暮らしていかなければいけないよと。そういう人は、後日、他日、患難があっても、どっしりしているわけですね。

さあ、いろいろ申し上げましたが、時間も後1分に迫ってまいりましたので、終わりにまとめにしたいと思います。いろいろ西郷南洲を当たってみますと、今の『言志四録』101カ条、これを一回ぜひ皆さまもよく読んでいただく。お読みになっている方は多かろうと思いますが、もう一回、今日の観点からお読みいただきたいということと、それから『南洲翁遺訓』との擦り合わせですね。これをやっていただくと、いろいろな西郷南洲の精神的な状況というものが、非常によく分かってまいります。

終生、西郷南洲が好んだ漢詩、言葉というのは何ですかというと、今、ここに表しているこの言葉でございまして「推倒一世之智勇(一世の智勇を推倒せよ)」。これは28歳のときに斉彬公に連れられて江戸へ行ったときに、水戸藩の藤田東湖という方を訪問します。そこへ行って、玄関を開けたら、この字が墨痕鮮やかに書いてあって、この言葉に衝撃を受けたのですね。「ああ、そうか」と、「何ということだ」というのが西郷南洲。

28歳ぐらいの西郷さんは、「君は優秀だね」「勇気があるね」「すごいね」といわれ、「そうでしょうか」などと言って得意満面だったのでしょう。ところがこれは、そんなものは張り倒せと言っているのです、推倒というのは。問題視するなと。問題にしなければいけないものは一つしかないのだぞと。

それは「開拓万古之心胸(万古の心胸を開拓せよ)」。いいですねえ。「万古之心胸」、これは何か。人間が生まれてからずっと人間が追い求めてきた、その心境、心のあり方、境地です。広く、要するに何物にもこだわらない、広い人間の心ですよ。そういうものを開拓して、これまでの日本の歴史の中に、いや世界の歴史の中で、そういう心境に至った人間と、「ああ君もそうだったか」「君もそうだったか」と言い合うところに、人間のゴールはあるのだぞということを、この言葉はいっています。

終生、西郷南洲が惚れ込んで、大切にした言葉でございます。先ほどちょっと触れましたが、中国古典、あるいは儒家の思想の理想的なリーダー像として、『書経』をぱっと開くと、堯典というところで述べられておりますのが、この8文字でございまして、「放勲欽明文思安安」。先ほどご説明した通り、問題は徹底的に解決する。しかし「文思安安」、多くの人たちの平安な暮らし、あるいは平和でいいねえという、そういう自由・平等、民主的な、主権在民の世をつくるのだというのが、この言葉でありました。この言葉を体現している人を一人挙げろといえば、西郷南洲以外にないと、私は思っているわけであります。

すでに2015年ともなれば、もう21世紀が開かれているわけであります。21世紀はグローバル時代。グローバルというのは何ですかといえば、西洋という半球と、東洋という半球の、人間の英知の融合であります。そういう意味では、皆さんのこの風土から、土壌から、西郷南洲という人が育ち、それから開花しました。その同じ風土の中で、皆さん毎日、日々の暮らしを営まれているという、すごさがあるわけですね。一回ぜひ、そういう観点から、グローバルな時代の東洋という半球と西洋という半球の、東洋と西洋の知の融合ということを、ここ鹿児島から世界に対して提供をするという役割が、皆さまにはあるのではないか。ぜひそれを果たしていただきますよう、お願いを申し上げて、私の非常に拙い講演でございました。これをもって、終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。