平成25年度第4回講座:「南洲翁遺訓」に見る民主主義と人材育成

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾
岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成25年度シリーズ

【第4回講座】「南洲翁遺訓」に見る民主主義と人材育成

講師
野田 稔氏(明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科 教授)
田口 佳史氏(東洋思想家「東洋と西洋の知の融合研究所」理事長)
岩崎 芳太郎(「政経マネジメント塾」塾長)
場所
鹿児島県 [「リバティークラブ」4Fホール(鹿児島市千日町15-15 リバティーハウス)]
放送予定日時
平成26年4月15日(土)26:15~26:45他 ※以降随時放送

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野田 稔

明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
株式会社リクルートホールディングス リクルートワークス研究所 特任研究顧問

1957年東京生まれ
1981年一橋大学商学部卒業 株式会社野村総合研究所入社
1987年一橋大学大学院修士課程修了
2000年野村総合研究所経営コンサルティング一部長
2001年多摩大学経営情報学部助教授
株式会社リクルート新規事業担当フェロー
2008年明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
専門は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメントなど
また人材マネジメント分野の開拓者でもある

著書: 二流を超一流に変える「心」の燃やし方(フォレスト出版)、野田稔のリーダーになるための教科書 (別冊宝島) (宝島社)、「組織論再入門―戦略実現に向けた人と組織のデザイン」(ダイヤモンド社)等

田口 佳史

1942年 東京生まれ
東洋思想家 老荘思想研究者
一般社団法人「日本家庭教育協会」理事長
一般社団法人「東洋と西洋の知の融合研究所」理事長
中国古典思想研究40数年。永年にわたり研鑽された中国古典を基盤としたリーダー指導で多くの経営者や政治家を育てた。東洋倫理学、東洋リーダーシップ論の第一人者。
2,000社にわたる企業変革指導を行い、教育機関など全国各地で講演講義を続け、1万名を越える社会人教育の実績がある。

著書:「リーダーに大切な『自分の軸』をつくる」(かんき出版)、「孫子の至言」(光文社、「論語の名言」(大和書房)等

岩崎 芳太郎

「政経マネジメント塾」塾長

1953年 鹿児島県生まれ 慶應義塾大学経済学部卒業
2002年 岩崎産業株式会社代表取締役社長
2012年 岩崎育英文化財団理事長
2013年 鹿児島商工会議所会頭
現在 いわさきグループ50数社のCEOとして、運輸・観光・製造など幅広く事業を展開

著書:「地方を殺すのは誰か」(PHP研究所)等


左から、野田稔氏、田口佳史氏、岩崎芳太郎 塾長

講義内容

野田:
みなさんこんにちは。野田と申します。今日は、この西郷さんの生地鹿児島で、西郷さんの言葉をまとめた皆さんもよくご存じの南洲翁遺訓から、民主主義ですとか、人材育成、リーダーシップといった、そのような話をくみ取っていこうというところでございます。
田口先生は、東洋思想の研究家ということで、またこの西郷隆盛さんについても、大変詳しく調べていらっしゃいます。この西郷隆盛という人間はどのような人物で、また、われわれ分かっているようで、一体どのような貢献をしたのかということが、明らかではないのですが、先生の目からご覧になってどのような貢献をしたどういう人物でしょうか。

田口:
南洲翁を語る、いろいろな語り方があります。貢献のお話についてですが、三つあげさせていただかなければなりません。また、政治家としての南洲翁を語るときに、二つの大きな功績があると思うのです。
一つは、江戸城の無血開城です。この江戸城の無血開城は、ただ無血で終わったばかりではなくて、虎視眈々と狙っている欧米列強、決して外国勢力を入れませんでした。その末、江戸城を無血開城にしました。これを一つ目の貢献としてあげておきたいと思います。
もう一つの貢献は、明治維新で、明治の近代化、つまり近代国家にしたわけです。それには、3点セットがありまして、法体系の整備、そして政治制度、これは議会制民主主義です。

それからもう一つは、経済システムです。これは皆さんのご専門の資本主義ですけが、この三つをしっかりするということです。みんなそればかりを考えていたと思います。西郷南洲の頭には、そういうことよりも、もっと大切なこととして、民主国家の建設というのがありました。
これは、事実をもって、示せばたくさんいえます。岩倉使節団は、大胆不敵な行いでして、新政府を勝ち取ったその幕閣閣僚が、こぞってみんなで外国旅行に行ってしまうという、これはすごいことなのですよね。留守にしてしまい、その留守を預かったのが、役職としては、筆頭参議の南洲翁であります。
このちょうど留守の間の前後を入れると、明治4年から6年にかけて2年間に渡ります。実は、民主国家建設にとって大切なことは、この西郷南洲の筆頭参議時代に全部、かたがついているわけです。まずは、廃藩置県です。これは、それまで300余年間、幕藩政治に明け暮れたわけですから、大変なことだったと思います。
それから、廃刀令というものです。今は、刀を下げて歩いている人はいませんから、当然だと思いますが、武士にとって刀といいましたらもう心です。それを全部なくせ、つまり、丸腰でこれから生きろというのは、相当なことだと思うのです。これをやりました。
それから徴兵制度をやり、最後に、減禄処分というものをやめました。つまり、家禄をやめました。今までは、藩からお金をいただいていたのが、これからは、自分が稼いで暮らしを成り立たせなさいということです。ここで士分というものが完全になくなるわけであります。やるのは、それはすごいことなのですが地獄です。ものすごい反発があったと思います。
そして、リーダーシップとしての三つ目の貢献であります。西洋流のリーダーシップと、東洋流のリーダーシップの最大の違いは、西洋流のリーダーシップは、ご承知のとおり、白馬にまたがって、「俺についてこい」と言って先頭を切っていくということです。
ところが、東洋のリーダーシップはそうではなくて、背後から見守るということが非常に重要です。ようするに、戦国武将の本陣というのはどこにあるかといいますと、戦いの場にはいなくて、戦いの場を見通せる背後で見守っているということが、非常に重要なのです。ようするに見守る型のリーダーシップなのですが、ただ見守っていてもしょうがないわけです。そこに欠くべからざる要素として、その人の存在自体が説得力になっているかどうかです。古今東西、日本の中で1人あげろと言えば、なんといっても西郷南洲をあげるしかありません。ここまで東洋リーダーシップの典型例みたいな人は、他にいないと思います。

野田:
岩崎さん、今のお話を受けてになりますが、そもそもこのようなテーマを取り上げられた理由も、少しお聞かせいただきたいのですけれども。加えまして、岩崎さんからご覧になって、この西郷隆盛という人間をどのように見えているのか、その辺のお話を二つ聞かせていただければと思います。

岩崎:
我が「政経マネジメント塾」でこのようなテーマを取り上げたかった理由はというと、日本は戦後の『Japan as Number One』になるまでの右肩上がりの時代から、今は、アジアの諸国に追いつかれて、日本自体も制度疲労をしていることからして、やはり、急がば回れで、人材育成から入らないと私はだめだと思ったからです。
特に、今の日本は、富の偏在や、資本の偏在、そして人材の偏在の中で、われわれ地方は、どう考えても格差がついて、負け組のほうに入っている中で、私なりに勉強した結果、幕末の世界で希有な無血革命である明治維新を起こした人材はといいますと、実は、地方の藩校なり、私塾で育成され出ているということです。
長州と薩摩という二大勢力があって、長州のほうは、私は詳しくないのですが、吉田松陰他、うんぬんというような世界があります。薩摩が登用したのは、島津斉彬ですが、ベーシックな人材を作ったのは、「郷中教育」というものがありました。「郷中教育」の精神というようなものを、一番シンボリックに表しているのは、西郷さんなのかなと思います。東北に行ったときに長州、山口県の人と違って、どちらかというと歓迎されるというようなことがあります。遺訓は、庄内藩の人が書きました。150年近くたって西郷さんのすごさというものが、60歳になって、田口先生のおっしゃる、東洋的なリーダーシップというものがやっと分かる歳になったということでしょうか。

野田:
今日の主題でもございます、西郷隆盛さんの教えをまとめたものが、その南洲翁遺訓ということですけれども。現代語訳の書籍もあり、歴史作家でもあります、長尾剛さんによりますと、この民主主義的な思想が実はこの南洲翁遺訓の中に入っているとおっしゃっています。 そのあたりのお話を伺っておりますので、少し一緒にご覧いただきたいと思います。

長尾:
西郷という人は、10代のころから非常によく学問を積んでいた人です。幕末きっての教養人なのです。彼は、多くの学問を学びましたが、彼の民主主義的な思想を育むのに最も強い影響を与えたのが、陽明学という学問です。
ご承知のとおり、江戸時代の学問といえば、儒教が基本になっております。儒教というのは、古代中国孔子の教えでして、一言でいえば、中興の学問、「忠孝を尽くせ、孝行せよ」という、人間社会の上下関係を大切にする教えです。
ただ、この儒教が大きく二つの学府に分かれまして、一つが朱子学でもう一つが、陽明学といいます。朱子学は、この上下関係を宇宙の絶対真理のように捉えまして、下が上に逆らうことは絶対に許されないということをいっています。つまり、支配者に非常に都合のいい学問です。
これに対して、陽明学は、上下関係を認めた上で、下の人間の尊厳、権利も十分に認めようという教えになっております。西郷は、この陽明学に非常に傾倒しまして、そこから彼流の民主主義を確立していったわけです。

野田:
岩崎さん自身、やはり陽明学に何か、特別な思いを持たれている、もしくは利用されているというお考えでしょうか。

岩崎:
私は、先生方と違って、それを深く研究しているわけではないのですが、経営者として、どのような経営哲学を持つのか、今の用語でいいますと、コーポレート・ガバナンスをどのように確立するのかというと、先ほどVTRの中にありましたように、儒教的な倫理観というものが必要になって来ます。モラルが倫理的に高い企業でなければ、存続可能性は獲得できないわけです。今の日本というのは、どちらかといいますと、小泉時代にアメリカ資本主義が直接入ってしまって、企業の存続可能性に関して、今はだいぶ弱くなったとはいえ、営業キャッシュフローが極めて高ければよいというようなことがまかり通っています。その中で私としては納得のいかない物差しがあります。
やはり、どちらかといいますと、地方に密着しいて株主よりも地方との関係を優先する企業の存続可能性というのは、まずはモラルをどうやって維持するかということです。そのモラルの中で、利を上げていかないと会社も再投資していけないわけです。そのような意味において、言葉はよくないのですが、使える思想体系はやはり陽明学かなと思いました。

野田:
なるほど。田口先生、その陽明学とはというところになるわけですけれども。

田口:
これは、儒家の思想であることは間違いありません。儒家の思想というのは、そもそもは、実践論です。何しろ実践が重要ですと。証拠をあげろと言えば、儒家の思想の最大のバイブルである論語をパッと開いていただくと、「学びて時にこれを習う」というところから始まっておりますね。
これは今でいいます、学習ということの出典でありまして、私はよく言うのですけれども、「今の人たちはみんな学ぶだけ、だから学学だよ」と言っているのです。本当に重要なのは、習のほうでありまして、習うという字をそこに書いていただくとお分かりのように、羽が白いと書くわけです。これは、まだ色づいていない、幼い鳥が一生懸命飛ぶ練習をしています。なぜならば、鳥には武器が何もないのです。飛び立つしかないのです。
ですから、飛び立たなければ、毒蛇にやられてアウトです。ですから、自分の身を守るために一生懸命練習します。何回も何回も練習をするという意味が習うという字なのです。
ですから、学ぶというだけでは20点、実践して実行して、実習して、初めて80点取って、100点なのだよという精神がそもそも儒家の精神です。

野田:
そもそもの論語にはそれがあったということですか。

田口:
そうです。儒家です。それが1600年あまりたってきますと、悪くいえば頭の中で、こねくり回して満足をするというような状況になっていったというのが朱子学の最大の欠点といってもいいと思います。

野田:
そこに王陽明ですか。

田口:
そこで、陽明学の基本というのは何かといいますと、「事上磨錬(じじょうまれん)」事の上のまれん、磨く、それから鍛錬する、この発想です。それと、なんといっても「知行合一」です。知ったら行わなければいけない、実践的にもっと戻らないといけないと主張したのが陽明学です。陽明学の基本は、ここの部分です。

それからもう一つは、「万物一体の仁」というものを非常に主張します。これは、孔子が論語、その他で主張した仁を万物の領域まで広げていったということは、当然これは、人間にも、共存精神や同一の精神を持って、対さなければいけないということです。そこから陽明学をもっている民主主義的な要素というものが出てくるわけです。
これは、南洲翁が陽明学を学ばれたことによって、先ほど申し上げたような筆頭参議として、なにしろ民主国家を作らなければだめなのだと思われた根本が、ここにあるのではないかと思います。

野田:
そうしますと、日々経済界で戦ってらっしゃる岩崎さんが、実践知であるところの陽明学に触れられていくというのは、ある意味では理の当然というような。

岩崎:
最近はいわなくなってしまいましたが、例えば、お天道さまに恥じない行動をしているかとか、仏教的にいいますとバチが当たるとかいいます。第三者的に、自分の行動を誰かが見ているというような、極めて自分を高い次元まで持っていった人は、己自身にそのような物差しを見いだします。よくそうやって、大衆的な倫理観を担保するというシーンがあります。
話はそれますが、西郷さんであれ天意というようなものを、どんな皇帝でもやはり人間というのは、どこかで自分に甘くなるという意味では、基本的には、自分自身の倫理観である天や神をあえて置いて、自分自身を縛っていくというようなことが、今の日本にはないわけです。

野田:
今回、その民主主義、民主国家という言葉が出ましたけれども。民主主義という話を、次にしたいと思います。
この南洲翁の考えていた民主国家、もしくは、民主主義というものは、われわれが表面的に理解している「民主主義とは多数決のこと、終わり」のようなものではないですよね。西郷さんの考えていた民主国家であり、民主というのは一体どういう概念で捉えればよろしいのでしょうか。

田口:
私は、西郷南洲の民主主義の第一は、やはり己を制御できて、初めて健全な民主主義ができるのだということです。やはり、己が制御できる人間をもって、衆愚政治にしない健全な民主主義になるのだということです。
まず、第一の条件としましては、克己です。己に勝つということをこの遺訓の中でもものすごくいっています。ここは己に勝つことなのですけれども、もう一つの側面としては、先ほど、岩崎さんがおっしゃいました天という存在です。西郷南洲にとっては、天という概念が後年非常に生きてくる人なのですが、それを持っています。天の概念とはどういうものかといいますと、中庸という書物が史書の中にございますが、見えないところに戒慎し、聞こえないところに恐懼する、とあります。かいは戒め、しんは慎むです。両方とも恐れ、というものなのです。天は見えますかというと、見せません。それから声は聞こえますかというと聞こえません。聞こえませんが、いつも見ていて、チェックしているのだということを、表しています。そういう前提に立った、民主主義なのだということです。なんでも自己の主張をすればいいとか、自分の欲得を証明すればいいというものではないというところを、われわれは気をつけなければいけないのではないでしょうか。

岩崎:
西郷さんの敬天愛人というのは、聞きかじり的に言いますと、敬天愛民だそうです。西郷さんの愛民思想というものは、先ほど田口先生がおっしゃった、天のもとには民は全部平等だという思想で、これこそ民主主義の原点です。西郷さんの原点の哲学が民主主義だと思います。

野田:
西郷さんの言葉をまとめました、皆さんもよくご存じの南洲翁遺訓から、民主主義ですとか、人材育成、リーダーシップといった話をくみ取っていきましょう。それでは、次のVTRを見ながら、さらに深い議論をしていきたいと思います。

長尾:
「何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其の人を選びて之れを授ける。功あるものには俸禄を以て賞し、これを愛し置くものぞ」
これは、どれほど多くの手柄を立てた人間に対してでも、その手柄一つで高い地位を与えてはいけないということです。組織の中で、地位を与えるというのは、その人の人間性、能力、全体を見て与えるべきであるということです。手柄を立てたものには、その手柄に対して、褒賞を与えることはいいことだけれども、それを地位として、褒賞に替えることは、決して組織にはよくないのです。組織を末永くよく保つためには、その人間の人格、人間性全てから判断して地位を与えよという教えです。

野田:
私は、大学院などで、人事論も教えているのですけれども。功績があったからといって、論功行賞的に地位を与えてはいけないというのは、分かってはいるけれども、ついやってしまいます。
営業成績が良かったから、営業の課長にしてしまうことがあります。けれども、名プレーヤーは必ずしも名監督ならずで、そこで本人も悩んでしまうし、周りも苦しむということはよくあります。これでも岩崎さん、実際そういうことは難しそうですよね。

岩崎:
そうですね。少し先生のお話とは逆かもしれませんけれど、わが社の場合は、どちらかといいますと、西郷さんに近い人事をしているようなところがあります。いわゆる、上場会社のように経営トップが、毎期、毎期の損益決算書で配当を多くしないと、社長はクビになるというような期間損益よりは、もっと観念的な存続可能性というようなところを、私なりに判断しています。今の遺訓を見ていて、私はそれを知っていてやっていたわけではないのですけれども。

西郷さんの遺訓の思想を、もう少し上手にやって、逆説的にいうと営利企業の経営者としては、褒賞を組織内のポジショニングとして与えるのではなくて、どうやって営業力を高めるのかということを、別途考えなければなりません。

野田:
これこそが私たちの最大のテーマでもありまして、私も、地位は、それにふさわしい能力と、意欲と、マインドセットを持っている人間が就くものであって、それまでの論功行賞として与えてしまったら、これはだめだろうなと。そこだけは非常によく分かりました。
功績のあった人間に、西郷さんは、「俸禄を以て賞し」と言っていますが。だからといってお金ばかりあげるわけにもいきません。そこにやはり、人のマネジメントの難しさがあると思います。それにしても、この時代に、西郷さんは、このようなことをおっしゃっていたということは、結構人使いの名人ですね。

田口:
これは、今のくだりのもう少しあとまで読んでいただくとありますが、今のものは、書経にある五経の中の一つの仲虺之誥というところに出てくる文章なのです。そこには、同じことが書いてあり、今から8,000年ぐらい前の古い文章があるわけです。
ですから、簡単にいいますと、人間社会の重要な点、それはやはり「徳と礼」によって治めていくのが一番自然の治め方であり、それに欠ける人間をもって治めていくというのは、逆に無理があるのですよということをいっているわけです。

長尾:
「真に賢人と認むる以上は、直ちに我が職を譲るほどならでは叶わぬものぞ」今の言葉は、例え、自分のほうが高い地位であっても、もし下の者に本当に優れた人材がいたならば、自分の地位を譲るくらいの気概をもって組織を運営せよという意味です。
自分の地位にしがみつくな、本当に仕事のできる人間をその地位につける、そのために自分が犠牲になることも覚悟せよ、そういった内容です。実際に、西郷は、これを実践しております。彼が慶応4年に江戸に入ったおり、徳川の残存部隊である彰義隊と大きな戦がありました。
西郷は総大将でしたが、この戦いには、自分よりも長州藩の大村益次郎のほうが戦闘指揮官に向いていると判断して、西郷は退いて、大村にその戦闘を任せたのです。西郷の側近たちは、西郷さんが前面に出ないのは納得いかないと、ずいぶん反対したのですが、西郷は、「いや、大村のほうが俺よりも適任だから、この戦は大村に任せよう」と決断したわけです。そのおかげで、実際上野の彰義隊との戦いは、新政府軍の大勝利に終わったわけです。これは本当に西郷らしい決断だったと思います。

野田:
大村益次郎に、現場指揮官の地位を譲ったという話ですが、私は上下に関係なく、一番得意な人がやればいいではないかと思います。しかし、抵抗感がある人もいるのですよね。

田口:
もっとそのような話は同じようにありまして、あるとき、自分の弟に対して「弟のほうが、自分より兄貴としての器とある」と言い出すわけです。「今日からおまえが兄になれ」と言って、自分は弟になってしまうわけです。そのような発想が若いころからあったのです。
いってみれば、実力主義ですよね。実力主義という側面がものすごくあって、優秀な人間をストレートに表することができた人です。変な思惑をもって、計算をもってやっているのではなく、本当に純粋に「おぬしはできるな」といったら、やはりグッと自分が下に、部下になってしまうぐらいの思いがあった人です。

野田:
優秀な人間に対して、この人は優秀だということをなんら嫉妬心も、妬み心もなく言えるというのは、なかなかないことだなと思います。

田口:
これはやはり、総体を見ているので、そんな細かいところ、小さいことでやっていてもだめだと。過程を見て、当時はもう苦しかった、貧しかったのです。自分のところの庭の樹木を切って、薪に作り直して売って生計を立てるというような、そのような暮らしでありましたから。そういうときに、采配が振るえる人間のほうが、リーダーとしていいという。

 

野田:
全体最適だというので。

田口:
そうです。「弟のほうが賢い、自分はのろまだから、おまえがこれから兄になって、采配を振るえ」と言うわけですよね。そのように、総体をきちんと見て、全体にとってどちらがリーダーとしていいかということが、きちんと分かった人です。

野田:
企業の中でそれをやろうとすると、いわゆる、年功序列はやっていられなくなりますね。そのようなマネジメントはやはりご施行されていますか。

岩崎:
そうですね。やはり、先ほど先生がおっしゃった、実力主義です。企業の場合は、その実力を何で図るかといいますと、営利企業ですので、実はその辺が先ほどの政治の組織とは違う難しさがあります。
田口先生がおっしゃっているように、基本的には、長期的に見れば、短期的な期間損益を上げられる人間が、必ずしも部下の統率力、もしくは、今風に言いますと、ガバナンス力を持っているとは限りませんので、その辺の人材の登用の仕方みたいなものは、私なりに考えています。ただ、今、わが社の悩みは、運転士さんや船員さんが3,000人いる会社ですので、対象はもう少し少ないのですが、私が全部見るわけにはいかないのです。

野田:
そうですね。

岩崎:
基本的に、私から直接指示を受ける人間が、その下の人間を、そしてその下の中間管理職がその下を、どのように人事評価して、どうやって上げてくるかというようなところが、ある種、経営は戦いで、毎日戦っています。「登用してこい」と言っても、なかなか登用してこなかったり、私の目線から使いやすい人間を昇格させたがるということが起こります。先生のおっしゃる、人事でいうとハロー効果です。

野田:
ありますね。ある大手の自動車メーカーで、私はコンサルティングをしています。そこで、どのような人間が昇格しやすいかということを見てみましたら、上司と同じような趣味、思考、判断基準を持っているけれども、その上司より少し劣っている人間でした。

これをやっていますと、だんだん企業がダメになっていってしまうのです。本当は、自分と同じ、さらには自分より優秀な人間をピックアップするべきなのです。なかなかその勇気がでませんよね。

岩崎:
私からしますと、西郷さんみたいな人が30人ぐらいいますと、私の会社もピカピカになるでしょうね。

野田:
そうですね。今の岩崎さんの話の中で、トップがいて、トップと同じような思いをまたその次の下が持ち、また同じような基準を持ちという、マネジメント思想のある種のカスケーディングというのでしょうか。これは西郷さんもかなり施行されていますか。

田口:
これは、いい最大の例が、先ほどあげました江戸城の無血開城です。これは、明治元年の3月15日に、江戸で総攻撃をやろうと言っている2日前の13日に、海舟が面会を申し込んでくるのです。それで、「もう恭順している。戦いは治めてくれ」と言うのですが、池田屋の乱から始まって、もう恨み骨髄ですよね。さらに、劣勢でしたら聞いてもいいと言うかもしれませんが、もう六郷橋を渡って、江戸に入っているのですから。もう明日、憎き敵の江戸城に、錦の御旗を翩翻とひるがえして、親の敵、兄弟の敵を討ってやろうとみんな手ぐすね引いているときに、「撃ちかたやめ!」と誰が聞くかということですよね。

野田:
普通、暴走します。

田口:
普通、一兵ぐらいは撃ってしまうのです。そういうことがなかったというのがすごいのです。これをよく調べてみると、まず、どうして撃たないのかというと、一兵が撃ったとすると、南洲翁は多分腹を切ったでしょう。

野田:
一兵でも。

田口:
一兵でも。撃たないと約束しているわけですから、一兵でも撃ったら自分の責任だと、そういう責任感の持ち主なのです。そうすると、側近は、この南洲翁に腹を切らせてなるものかという思いで、その下に対して、「絶対撃たせるなよ」となります。そうすると、その下の人は、直属の上司に対して、「撃てば、西郷南洲は分からないけれども、直属の上司は絶対腹を切るだろう、絶対殺してなるものか」と言って、またその下に言って、徹底されていくわけです。つまり、理想的な組織というのは、このようなリーダーの石垣がきちんと成り立っているということを示した逸話です。

野田:
なるほど。しかし、それを現実にやるのはとても難しいです。まず、いかにしたらそのような全幅の信頼と、部下から大切に思われる上司になるのかというのは、これは永遠の課題です。

長尾:
「何程制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行はれ難し。人有りて後方法の行はるるものなれば、人は第一の宝」
これは、どれほど上の者同士が、議論を交わし、いろいろなプロジェクトを立てたとしても、それを現場で実行できる人間がいなければ、そのようなものは机上の空論で終わります。それでは意味がありません。何かのプロジェクトを立てる場合、現場で働く人間のことをまず第一に考えて、本当にやってもらえるのか、できるのかということを考えて、計画を立てなければいけないという教えです。人は宝です。現場で働く人間こそが、組織にとって一番の宝であると。それを忘れて机上の空論を繰り返しても、組織には何の益にもならないという意味です。

「人に推すに、公平至誠を以てせよ。公平ならざれば、英雄の心は決して攬(と)られぬもの也」これはまさに、西郷流民主主義の真骨頂の言葉といえます。部下を選び、使うのならば、常に公平な気持ち、誠意ある気持ちで人を選びなさい、人を使いなさいという意味です。
自分の好き嫌いで人を選んだりしてはいけないということです。もし、そういうふうにしてしまうと、英雄の、つまり優れた人材は決して寄ってきてくれません。良い人材を使いたければ、自分自身が、自分の感情を抜きにして、公平な気持ちであらなければならない。良い組織を続けるためには、常に公平でなければいけないという意味です。

野田:
人の上にたつ者はいかに難しいかということを、まざまざと思い知るようなところだと思います。田口先生は、西郷さんのリーダーシップを、一言で言うとどのようなものになりますでしょうか。

田口:
これは、たくさん語ることがありますが、あまり時間がありませんから、かいつまんで言います。上位に立つ者に対しては、非常に厳しい見方をしています。この遺訓の最初を読んでいただくと、そればかり書いてあるのです。つまり、ずっと戦いに明け暮れて、ようやく天下を取ったと。今こそ理想の国家を作るべきではないかと。それに対して全員が、特にトップ層が今やらなければいけないことは山積みではないか。それなのに、豪勢な屋敷を構え、それからいつも豪勢な四頭立ての馬車を乗り回して、何をやっているのかと。このようなことを見ていると、あの一緒に戦って亡くなった人に申し訳ないと言って、南洲翁はしばし泣きくれることがあるのです。
特に上位に対して、厳しい人なのです。権力にあぐらをかいて、いい暮らしをしているようでは、組織は治まらないのだということを言っているのです。

野田:
上のほうが頑張って働けよということなのですね。

田口:
上ほど働けというのが、これは、南洲翁の持論です。一番強く思っていることです。彼自体がそのように働きました。

野田:
ハードワーカーですか。

田口:
ハードワーカーです。ライフワークバランスなどはなかったのです。

野田:
なるほど。岩崎さん、実際リーダーでいらっしゃるわけですけれども。リーダーシップは、本当に観念的に分かることと、実際に発揮することはずいぶん違うものだなというふうに思いますが。岩崎さんご自身のリーダーシップ論を、お聞かせ願えませんでしょうか。

 

岩崎:
私が習った話によりますと、リードという動詞はもともと先に死ぬという英単語だったと聞いています。すなわち、イギリスの貴族が中世のころ戦争をするときに、一番死亡する確率の高いところで戦うということです。
いまだに英王室は、一応形だけでも、その伝統があります。先日、次男もアフガンでヘリコプターに乗っていましたけれど、このリーダー論とセットなのが、「noblesse oblige」ですよね。田口先生から西郷さんの話を聞いていると、基本的に、やはりリーダーたるものは、そのようなものとセットです。

野田:
あきらかに高貴なる義務を負っていますね。

岩崎:
そうです。リーダーたるものが、金銭やそのようなメリットではなくて、何かしらの己の誇りをセットし、誰よりも先に死ぬことができるというような、そこが社会的な制度として、日本ではいつの間にか存在しなくなったというようなところがあるのかなと思います。
この地域、社会に対して私は、リーダーたるものが、先に死ななければいけないといった責任感みたいなものは、教育や、コミュニティの持つ一つの風土や文化の中で、本当は形成できるのではないかと思います。

野田:
私は、人の能力というものは、その人だけのものと思ってはいけない、ようするに私用物と思ってはいけないという持論を持っています。
能力というのは、これはギフト、贈り物、天から与えられた贈り物です。当たり前ですが、誰かから贈り物をもらったらお返しするではないですか。ただ、天にお返しすることはできませんので、それは地にお返しをする、すなわち、能力を授かった人間は、その能力を世のために使うという義務を負うという考え方をずっと持っております。

田口:
それが敬天愛人ということなのです。敬天愛人というと、スマイルズの自助論になってしまうのですが、西郷南洲が言っている敬天愛人は少々違います。まさに今言ったことなのです。
私はもう一つ、この南洲翁遺訓の中であげたいのは、儒家の思想というのは、聖人君子になりましたかとは、一言も問うていないのです。聖人君子に向けて一歩踏み出しましたかということだけ、厳しくいっているのです。人間は、そう簡単に聖人君子などにはならないのです。ならないけれども、なんとしてもなろうと思って、一歩一歩、山を登っている人が、一番美しい、一番魅力があるのだということをいっているのです。このときに、重要なのが、先ほどの学習のときに申し上げた、反復練習をして習うことです。もう一つ重要なのが、頂上を知ることです。

野田:
なるほど。

田口:
頂上が分からなければ、今自分が何合目か分からないではないですか。ですから、頂上を知ることです。その頂上を西郷南洲は、この遺訓の中できちんとわれわれに示してくれています。少し読み上げてみますと、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」といっているわけです。
このような心境というのは頂上でしょうね。頂上に行くのはなかなか難しいけれども、そこへ向けて、一歩、一歩山を登っているということが、とても大切なことだということでしょう。

野田:
なるほど。そうなりますと、これは、かなり道が遠そうな感じですね。いかがですか、岩崎さん。命もいらず、名もいらずだそうですけれども。

岩崎:
今、先生に言っていただきましたように、そのような目標といいますか、こうあるべき論の中で、少なくともわが社はわが社の役員や、中間管理職にその立場であるべき論をやってほしいです。

私は、11月で鹿児島商工会議所会頭になりましたが、会頭というものが、どれだけの存在なのか分かりませんが、少なくとも地域、経済を良くするという意味で、会議所の中で、そして他の経済団体との関係において、もしくは、行政との関係において、国会の議員の先生方の関係において、少し不遜な言い方ですけれども、私の役割を果たすことによって、その地域自体があるべき地域になる。そして、その他の地域の方もそのような役割を担うことで、文化を持つ地域になっていけばよいと思います。今の日本においては、地方というものはどう考えても未来が見えにくい状況ですので、そうならないといけないと考えています。

野田:
岩崎社長を中心として、この鹿児島は、日本をリードする存在で、とはいっても先に死んでしまっては困りますが、リードする存在にぜひなっていただきたいと思います。今日は、南洲翁の遺訓を中心として、民主主義とは、リーダーシップとは、人を育てるとは、といった話をしてきました。私は、両先生の話を聞きながら、思ったことが一つございます。西郷隆盛といいますと、私にとっては、大きすぎて、とても手の届くような存在ではないです。手が届くような存在ではないので、ともすると関係ない存在だと思いがちでしたが、これは間違いであったと、あらためて痛感を致しました。
確かに、南洲翁のような人間にすぐなれるとは思えません。しかし、南洲翁は、できることから、何をやるべきかいくつも示してくれていると感じました。一人一人を本当に大切にして、その一人一人の能力を最大限に発揮させるということが、大学の教員としての私の役割の一つであると、しみじみと感じることができました。

皆さま方お一人お一人、この遺訓の中で響くところは違っていると思います。それぞれの方々が、それぞれの生きざまにおいて、ぜひ響く言葉を見つけていただいて、充実した素晴らしい人生を送るとともに、世の中を良くする、少しでも良くする、お役に立つのだと思っていただくと、きっとこの鹿児島も、そして日本も少しだけ良くなっていくのかなと思います。そのことが、日本が世界をリードするということにつながると思います。
大変つたないリードではございましたけれども、これで、この対談を終わりにさせていただきたいと思います。どうも先生方、ありがとうございました。