平成23年度特別講座~岩崎育英文化財団 故 岩崎福三理事長を偲んで~

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾
岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成23年度シリーズ

【特別講座】いま 地方が必要な人材とは

~岩崎育英文化財団 故 岩崎福三理事長を偲んで~

講師
岩崎 芳太郎 (岩崎育英文化財団 副理事長 兼 「政経マネジメント塾」塾長)
インタビュアー
坂口果津奈(フリーアナウンサー)
放送予定日時
平成24年4月28日(土) 12:30~13:30 ※以降随時放送

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岩崎 芳太郎

「政経マネジメント塾」塾長

1953年 鹿児島県生まれ 慶應義塾大学経済学部卒業
1995年 岩崎育英奨学会副理事長
2002年 岩崎産業株式会社代表取締役社長
現在 いわさきグループ50数社のCEOとして、運輸・観光・製造など幅広く事業を展開
著書:「地方を殺すのは誰か」(PHP研究所)等

坂口:
マネジメント不在という言葉が使われて久しくなります。現在の日本のような変革の時代には政治においても経営においても組織をいかにマネジメントするかが重要です。そこで岩崎育英奨学会、現在の岩崎育英文化財団では平成21年度より地方の自助、自立、自尊のための人材育成を目的に政経マネジメント塾を開設いたしました。この政経マネジメント塾を主催する財団法人岩崎育英文化財団の理事長を長く務めてきました岩崎福三理事長が本年2月29日逝去いたしました。そこで今回の政経マネジメント塾は故・岩崎福三理事長を偲んで特別編成でお送りします。

<ニュース映像>

ナレーション:
岩崎福三氏は1925年に岩崎グループの創業者、故・岩崎與八郎氏の長男として生まれました。立教大学卒業後に岩崎産業に入社した福三氏は父・與八郎氏を支えて岩崎グループの発展に大きな役割を果たしましたが、鹿児島商工会議所の会頭を11年余り務めるなど長年にわたって鹿児島の経済界のリーダーでした。

故 岩崎福三理事長:
この商工会議所を愛することにかけましては誰にも負けないという自信を持っていますし、鹿児島の商工業を発展させたいとそういう気持ちでいっぱいでございます。

ナレーション:
福三氏の足跡の中で一番印象に残るのは新幹線の建設促進活動です。新幹線の建設促進運動は官民一体、まさにオール鹿児島の運動でしたが、中央陳情を繰り返す一団の先頭には常に福三氏の姿がありました。九州新幹線の全線開通には多くの人がそれぞれの立場で汗をかきましたが、全線開通が実現した今当時の関係者の多くは福三氏の働きは特筆すべきものがあったと言います。福三氏は観光鹿児島の発展にも大きな足跡を残しました。中でも大型観光船の誘致には力を入れ当時不可能と言われたイギリスの豪華客船クイーンエリザベスやニューアムステルダムの鹿児島寄港を実現させました。一方、観光の夢は遠く海外へも広がり1984年にはオーストラリアの東部に大型のリゾート施設、キャプリコーン岩崎を完成させ現地で行われた竣工式には父・與八郎氏とともに臨みました。

故 岩崎福三理事長:
会長の岩崎與八郎が音声を痛めておりますので代わりまして私社長の岩崎福三でございますが一言ごあいさつを申し上げたいと思います。

ナレーション:
長年にわたってオーストラリアと日本の親善交流に貢献した功績が評価され2005年には日豪交流基金賞を受けました。

故 岩崎福三理事長:
オーストラリアの国民の人柄、今までやってきて良かったなと。だからもっとこれは皆さんの期待もあるから頑張らないといけないなということでしょうかね。

ナレーション:
また社会的ボランティア活動にも熱心に取り組み鹿児島刑務所の受刑者を支援する矯正事業講演会の会長を長年務めました。岩崎グループは戦後の間もないころから次代の鹿児島を担う人材を育成しようと東京に学生寮をつくるなど奨学会を中心に育英事業を続けていますが、福三氏は與八郎氏に続いて2代目の理事長を務めました。毎年2月に行われる岩崎育英奨学会賞の表彰式には毎回出席し賞を受けた高校生らに直接声を掛け励ましていました。

坂口:
理事長は岩崎育英奨学会が設立されてから約60年間理事を、そして18年間理事長を努めてこられたということなのですが、岩崎塾長は副理事長として一番近くからその存在を見てこられてどういう理念を持って運営されてきたというふうに今お感じになっていますか。

岩崎塾長:
そうですね、まず本人の経歴から言いますと東京の大学を出て、その間東京に住んでいましたが、残りは鹿児島に生まれて最期に亡くなるまで80年間ずっと鹿児島で生きてきた人間ですので、いろいろな方がそういうふうに評価されていますが、本当に鹿児島を愛して鹿児島のためにいろいろなことをしてきた人でしたので、やはり財団の経営に関しては愛する鹿児島のためになる人材をどうやって育てるのか、そういう視点で財団の経営がなされてきたというふうに私は考えております。

坂口:
本当にずっと鹿児島地方というものにこだわって運営をされてきたということなのですね。

岩崎塾長:
そうですね、ここで誤解してもらっては困るのですが、鹿児島にこだわるということは極めて鹿児島的なものを唯我独尊的に自画自賛することではなく、逆に目線もしくは価値観は極めて国際的というかいろいろな世界でいろいろな素晴らしいことが起こっているものをどうやって鹿児島に持ってくるのか、そういういろいろな地域で起こっていることと同レベルの鹿児島の素晴らしい力とか深みとかをどうやったら鹿児島が持てるのかみたいなことを一番真剣に考えて熱心に行動した人間だと思います。そういう意味でも18年間の財団の経営の中ではそういう趣旨での財団の役目というものに対して経営の目的を設定した財団経営を岩崎福三理事長はやってきたというふうに私は考えています。

坂口:
本当に周りの方の話を聞きますと周りの方の意見もちゃんと聞いて穏やかなお人柄という声が多く聞かれるのですが、岩崎塾長から見てもそういうふうにお感じになりますか。

岩崎塾長:
そうですね、人材という意味においてはやはり先ほど申し上げましたように例えば鹿児島の発展を考えたときも、いわゆる鹿児島へのこだわりを考えたときもそれが自分のところの唯我独尊的な主張ではなくて、逆に言えばいろいろな意見を聞き、そして外からのいろいろな考え方も持ち込み、そして1つのあるべき方向性というか求めるべきものを見いだすという意味ではそういう手法というかそういうやり方を非常に大切にしていた人間ですし、逆にそういうやり方をできる人間が重要な人材であるということはかなり意識していろいろなことをやっていたというふうに考えております。

坂口:
冒頭のVTRにもありましたけれども鹿児島商工会議所の会頭を11年間務めるなど鹿児島の経済界のリーダーとして、また観光振興にも非常に多くの功績を残されていますが実際にどのようなことをされてこられたのでしょうか。

岩崎塾長:
まず具体的な何を鹿児島商工会議所で会頭としてやったかと言う前にお話ししておかなければならないことがありまして、会頭になった時にいくつかの会議所の方向性というものを出したのですが、その中で極めて特徴的だったのが議(意見)を言う[鹿児島で使われる「議を言うな(意見を言わずに従え)」という言葉に対して表現されたもの]鹿児島商工会議所という1つのテーゼを一番重要なテーゼとして打ち出しました。先ほども申し上げましたがいろいろな人の意見を聞きお互い意見を交換してやはりコンセンサスをつくっていってみんなで行動し、そして実現していくということを非常に最も大切な価値観だと、そしてそういうことを鹿児島を愛するが故に鹿児島のためにみんなで何かやっていくのだという意識が個人的にも強い人間でしたから、やはり議を言う商工会議所と最初にその商工会議所のあるべき姿をまず規定したというところがやはり非常に理事長らしい方法論だと思います。

その中で挙げていけばきりがないのですが、だいたい衆目の一致するところがまず新幹線です。去年の3月12日に九州新幹線が全線開業したわけですが、これの全線開業に向けての努力の評価というものは衆目の一致するところですが、それは逆に言えば社会的な評価でいろいろな方がおっしゃっていますので私はあえてここでは申し上げません。ただ新幹線に関して非常に理事長らしい、そしてこのエピソードが今の岩崎育英文化財団の人材育成の在り方、また政経マネジメント塾がなぜ必要だということでこういう活動をしているかということに直接的に結び付くことがありますのでちょっとそのお話をさせてもらいます。

ちょっと時期的には定かではないのですがそれこそバリバリ現役の商工会議所会頭として新幹線を1日でも早く全線開業しなければいけないというために東京で政界、霞が関、そういうところでいろいろな陳情活動等をしている中で世論を形成する重要な役割を担っているマスコミ全部が九州新幹線が予算の無駄遣いだと、財政赤字の中でなぜ無駄なものをつくるのだと、そういう東京の人たちとあえて申し上げればその人たちが人口も多くて、そしてその東京の人たちの論理がいつの間にか日本の論理になってしまうわけですが、そういう世論自体をやはり少しは変えないとなかなか予算も付きづらい、こういう予算の付き方だったら永遠に全線開業できないのではないかという危機感を非常に持って理事長が行ったことが東京のいろいろな主要マスコミのそういう世論形成というか報道関係者のキーパーソンの中に岩崎学生寮出身者もひっくるめまして、また岩崎賞をもらった秀才だった人たちもひっくるめまして山ほどそのキーパーソンに鹿児島出身者がいるのですよ。

そして理事長はそういう人たちを東京で夜食事に招待しまして、6人か7人ぐらいだったと思いますが大手新聞の編集長とか論説委員とかそういう人たちばかりです。それで皆さんに、なぜあなた方は九州新幹線が予算の無駄遣いだと言うのですかと。あなた方が育ったふるさと鹿児島が良くなる九州新幹線をなぜ1日でも早くつくるような意見というのはあなた方は持っていないのですかというお話をしました。その時私は同席していませんが、やはりその中でいろいろなお話があったのだと思います。そしてマスコミというのは一応何か各社ごとの方針というものがありますので、そういう食事会がどれだけそういう大手マスコミの論調に影響を与えたのかは分かりませんが、少なくとも私が会合の後に理事長本人から聞いた限りで言いますと、個人的にはその食事会に出席された方はよく分かりましたというような意味でいけば十分理事長の行った一手といいますかそういうものは意味があったと思います。

坂口:
まさにこの政経マネジメント塾が掲げる地方を元気にするという考えに通じるこの理事長の熱い思いというのが伝わってきますよね。

岩崎塾長:
やはり地方にとって必要な人間はただ知識があるだけ、もしくはただ意見を言うだけではなくて行動に起こす人間をどれだけ育成するかというのが重要だというのもその後の財団の経営の在り方の中で、本人のそういう自分が実践家としてやってきたことの中でやはり地方が必要としている人材というのは実践家でなければいけないというところに深く影響を及ぼしているのだと思います。そういう意味ではいわゆるこれも世間的に会議所会頭として、もしくは経済界のリーダーとして既に一定の評価を頂いているクルーズ船に関してももともとは鹿児島商工会議所というのは昭和40年代に始めたわけですよね。そして当時日本はそういう外国のクルーズ船を寄せるなどという、そしてそれを観光振興につなげていくみたいなそういう発想というか戦略さえも誰も唐突感があって考えなかったわけです。その時に一番のシンボルとして当時世界一の豪華客船というのがキュナードというイギリスの船会社が持っているクイーンエリザベス2というクルーザーでした。そしてじゃあこのクイーンエリザベス2を鹿児島港に寄港させようということで活動を始めたわけです。その先頭に立ったのが理事長でした。

昭和40年代後半もしくは50年代の前半、多分誰も信じなかったでしょう、そんなことが起こり得るとは思わなかったでしょう。でも現実にロンドンに行きいろいろなところで努力すればクイーンエリザベス2が鹿児島港に入ると、見方によっては奇跡のようなことが起こるわけですよね。そして次にそういうクルーザーやいろいろな外国の豪華客船が鹿児島港に寄るようになった時にあることが分かるわけです。港の方が小さいという話になるのです。じゃあやはり今後そういう豪華客船をいっぱい寄せなければいけないという話になったときに港を整備しなければいけない。当時でいくと指宿寄りの谷山港の飼料が着くところが唯一大きな船が着くのでそこに着いていたわけです。そこから鹿児島市内までバスで1時間近く走ってこないといけない、これは鹿児島に寄港していることになりませんよね。

その時に会議所として理事長が何を言ったかと言うと、じゃあ皆さん、そんな飼料のにおいがするような繁華街とは遠いところにそのような世界のお金持ちが何千人も乗ったクルーザーを着けてそれで観光都市といえるのですか、世界中の観光都市を見てごらんなさい、鹿児島みたいにあんなところに着けているところはないですよ、香港を見てごらんなさい、台北を見てごらんなさい、ニースを見てごらんなさい、サンフランシスコを見てごらんなさい、全部ちゃんとしたところに着けている、だからやはり豪華客船を着けてないといけないでしょうということで一生懸命努力して埋め立てをして今で言う人工島、マリンポートというものを建設促進をしたわけです。

これも私が申し上げたいのは先ほど申し上げたように鹿児島から出ていったのは大学時代の4年だけですよね、あとは鹿児島で生まれ育っていてもそうやって逆に鹿児島で世界を知らない人だったらそういう話はしませんよね。でも鹿児島で80年以上生まれ育っていても世界を見ているから世界はこうですよと、そして当時でいけば鹿児島ではそんなことをする必要はないよと言う人がいても、いや国も赤字なのだから新幹線なんかできるはずがないよと言っても、いや、ここであきらめたら鹿児島はここで止まってしまうと、新幹線も努力して敷かなければいけない、そのためには何をすればいいのか、豪華客船が着くようにせっかく鹿児島の名前も船会社に有名になった中で港がなければまた着けてくれなくなるから港をつくろうではないか、やはりそういう世界を見て当時の鹿児島では、ええ、そんなところまでいらないだろうとかできるもんかみたいなものにチャレンジする、やはりそういう精神というものはこのクルーズの話1つにしても私は理事長の自分の経験とそしていわゆる今からの人材育成、すなわち自分の後継者の人たちに何を求めるかというのはやはりこういうところに1つのストーリーというか何かあるのだと思うのですよね。

もう1つクルーザーで申し上げたいことが日本郵船が飛鳥をつくり、そして商船三井客船がにっぽん丸をつくった時に海外に行く以外に国内では当時知床とか北海道しか行ってなかったのです。一応岩崎グループという会社は種子島、屋久島、奄美、沖縄という南西諸島をいろいろな意味で観光をひっくるめて開発するというのが1つの会社としての重要なテーマでしたので、やはり南西諸島クルーズというのを実現していかなければいけないということで考えたのが年1回にっぽん丸をチャーターして南西諸島に行ってから近くの外国に行くという1週間ぐらいのクルーズを5年間しました。

最初の年は屋久島に寄せまして、これも離島航路の港しかないですからお尻が半分出て、それでも寄せてそして降りて屋久島の素晴らしさを見てもらいました。そんな中で私が特筆したいのが2回目だったと思うのですが、じゃあ次どこに行こうかというので外国はどこに行ったか覚えていません、香港に行ったり大連に行ったり、2回目はまず鹿児島港を出てさっき言ったように屋久島に寄ったりどこか島に寄るわけです。理事長が奄美大島に寄ろうと、特に加計呂麻島という島と奄美大島の間に大島海峡という海峡がありまして非常に素晴らしい景色なのです。戦前にはそこに連合艦隊が入るぐらい深さも十分あって素晴らしいところですがそこを通そうということでにっぽん丸が行きましてそこを通ったら、残念ながら私は乗ってないのですが本当に素晴らしかったそうです。そして5年のうちに最後の年はそうやって船会社の人たちも客船に乗るファンの人たちもいかに南西諸島がクルーズの対象として素晴らしいところかということで、その5年間でその南西諸島のクルーズが認知を受けて今の時代があるというふうに私は考えています。

日本レベルだけではなくて世界レベルで十分通じるものだというのを知っていて、じゃあそれを評価させて、その素晴らしさを知らせるためには何をしていったらいいのかという、極めて具体的ですがその行動自体にいわゆる郷土愛というか、そしてその郷土愛というのがただ言葉に出したり文章にしたりするものではなくその郷土愛をどうやって形にするのか。そういう意味では郷土愛といっても鹿児島県全体というものに対する郷土愛もありますが、鹿児島県もさっき言ったようにいろいろな地域から成り立っているわけですから、その地域1個1個にやはりどうやって郷土愛を持つのか、そしてそれをどうやって実践していくのかみたいな話がある中で、たまたま奄美の話が出たのでそれ絡みのお話をちょっとさせてもらいます。

商工会議所会頭だった時代に鹿児島商工会議所が中心となって鹿児島文化デザイン会議というのを行いました。ある事情があってこの文化デザイン会議というものがいろいろな行政のお金で各県で行われていたのです。ところが鹿児島はある事情で行政がそういう文化事業にはお金が出ないみたいなお話があって1回流れかけました。その時に会頭として知事と市長に直談判をして1回断った、駄目になった行政側の予算措置を復活させて別に実行委員会を形成して、そこで1億数千万のお金を集めて文化デザイン会議というのを開いたのです。

その中で理事長がこだわったのは基本的には鹿児島市だけで行われた会議だったのですがその文化人の人を別途20人ぐらい奄美大島に連れていって奄美大島で2日間だけ文化デザイン会議をしたのです。すなわちやはり奄美の文化というものを1つ切り出して奄美振興はどうあるべきかみたいなのをテーマにしたという意味ではやはり鹿児島の郷土愛というのは1個1個のパーツパーツに対するある思い入れの集合体というような理事長の考え方のある種極めてシンボリックな出来事だと思います。

坂口:
鹿児島は十分世界に通用するような素材というものがたくさんあるのだけれども、今まではどうやってそれを外に向けて発信すればいいのか分からないという声も多かった中で、やはり福三理事長の行動というのは大きい意味がありましたよね。

岩崎塾長:
そうですよね、いわゆる財団として、そしてその財団の1つの重要な目的、それを実現するための1つの行動部隊としての政経マネジメント塾が目指すところは自助、自立、自尊という話で、おれは地方のために頑張るぞ、郷土のために頑張るぞみたいなそういう意識というのはやはり理事長ではないですけど自分が生まれ育った場所にこんなに素晴らしいものがあって、いいところだけではなくて悪いところもひっくるめてよく自分のことが分かっていて、それでほかの人にその素晴らしさに胸を張れる、そして自分が至らないところは素直に一生懸命それを取り入れようとする、いわゆる自尊の反対側にある他尊という辞書には載ってない用語があるのですが、これは福沢先生(福沢諭吉)が独立自尊という言葉を言い出して、そしてその時に同じようなことで言い出したのが共生他尊という言葉なのです。

だから独立して己にプライドがある人間であればあるこそ、自立しているからこそ、そして自分のプライドが高いからこそ相手の価値観も認められて相手をちゃんとそれなりに尊び、そしてそういう価値観の違いを共生できるみたいな、そういうところが非常に重要ですよね。自助、自立、自尊というものの哲学というかそういう生き方を大切にしている人間がやはり今地方に必要な人材であって、そして残念ながらそういう人材をなかなか今の地方のハンデの中では育成しきれないという中でやはりこの財団が、そして具体的にはこの政経マネジメント塾がいろいろな方法を使ってそういう人材を育成していかなければいけないという思いで財団の経営をしてきたのだと思いますし、政経マネジメント塾はやはりどういう方法があるのか、いろいろな方法があるのを今からわれわれは勉強してこれも実践しながらやっていかなければいけないのではないかなというふうに思います。

坂口:
財団法人岩崎育英奨学会はことし1月11日に旧財団法人岩崎芸術文化財団と合併して財団法人岩崎育英文化財団として新しくスタートしたということですが、その合併の趣旨と目的をお聞かせください。

岩崎塾長:
まず1番目に岩崎育英奨学会は東京都に登記された監督官庁が東京都教育庁の財団でした。そういう意味ではこの財団はやはり鹿児島及びそういう地方のための人材育成の財団ですので公益法人法改正の暫定期間中の合併による法人上の登記場所の移転というのが可能でしたので、鹿児島の財団である旧岩崎美術館、その時の名称でいくと岩崎芸術文化財団と合併しまして鹿児島の財団としての岩崎育英文化財団というふうになったのが1つの目的です。

それから2つ目が人材育成という観点において言えばやはりこの国の人材育成というのは文部科学省の監督下で各自治体の教育委員会、教育庁も関係公益法人を管理していた都合上、日本の教育制度である6、3、3制を外れた形の人間に対しての人材育成みたいなのは対象としてはならないみたいなのが今までの東京都教育上の指導の中でありましたので、1つは鹿児島に移転することにより、そしてもう1つは今で言うソフトコンテンツの関係の人材育成を主眼に置いた財団と合併することによってそういう知識偏重型の今の小学生、中学生、高校生、大学生という人たちだけを人材育成の対象として活動をしなさいみたいな枠組みを外して、本当の意味で地域のためになる、本当の意味で日本のためになる人材育成をするために合併したというのが2つ目の目的です。

それと3番目がこれは補足的な意味合いがあるのですが、やはり経営資源を一本化することによって効率的な財団経営を行いたいというのが3番目の趣旨で、鹿児島県もそういうわれわれの考え方に非常に理解を示していただきましてスムーズに合併等々をすることができました。当然今までの事業である東京での学生寮事業とか岩崎育英奨学会賞等、そういうものは今後とも続けていきますし、逆にそれにどういう事業を追加で強化していくかということは今からの課題だというふうに考えています。

岩崎賞という賞が前理事長時代からずっとありまして、すでにもう1,000人を超える受賞者がいるわけです。確かもう10回目になると思いますが、岩崎賞とは別に理事長時代に岩崎育英奨学会賞というのを始めたわけです。その趣旨は先ほど申し上げた新幹線のお話と絡むのですが、冷静に考えると確かに優秀な人というのはお勉強ができてそしていい高校に行って、そしていい大学、何をもっていい大学かは別にして知名度の高い大学に行くと、その一番頂点にあるのがこの国では東京大学ということになっているのですが、でもこの10年、20年を振り返りますと逆に偏差値教育ではないですけどお勉強ができるだけの人材が本当に社会のためになる人材なのですかと。逆に言えば偏差値が高い人だけを人材として尊ぶべきなのかという意味ではそれはそういう文化とか芸術、そしてスポーツ、そういう広範囲にもいろいろな才能があるわけで偏差値が高いかどうかはある偶然のきっかけの部分もあるわけです。そういう意味ではやはり岩崎育英文化財団という名前に今度変わりましたのでそういう言い方をすればこの財団はそういう今まで岩崎賞を出していたいわゆるお勉強ができる人たちもよく頑張りましたね、今後も頑張りなさいという意味では今後とも岩崎賞は出していきますが、芸術的に才能があってそしてできればその人たちが地方の振興、鹿児島の地域新興に頑張ってほしいという意味もあって始めたのが岩崎育英奨学会賞という賞だったわけです。

そういう発想というか人材とは何ぞやという意味においては繰り返しになりますがお勉強ができるという偏差値教育、これを言い換えれば知識偏重型教育というわけです。先ほどちょっと申し上げましたが理事長は知行合一といわゆる陽明学的な考え方を、また自分自身がそういう生き方というかそういうやり方を重視してきた人間ですから、逆に言えば今日本が衰退したりしていると言われる大きな理由は日本の人材の定義が陽明学とは違って朱子学的な知識を持つことが重要なのだみたいな、そういう方に価値観が置かれ過ぎているが故に実践家がいない、知識倒れの人間が多いみたいな意味では1つはやはり理事長のそういう陽明学的な実践家としての中で世の中というのは知識だけでは何も進まないわけですよね、行動やいろいろな見方があるわけではないですか。やはりそういうのが1つ財団の経営の中での岩崎育英奨学会賞のすごい意味であり、そういう文化デザイン会議で当時は行政からそういうものは地域新興とかそういう意味ではあまり価値を置いてなかったのをそういうのを予算措置をしてもらうみたいなことで前例をつくっていくことで文化とかそういうものが逆に言えばやはり地域の新興にとって重要なのですよという、これもそういうイベントを1回すると多くの人が分かるのです。

坂口:
そういう財団としての理念というものは十分引き継いだ上でその政経マネジメント塾としてこれからどんなふうにされていきたいというふうに考えてらっしゃるのか聞かせていただいていいですか。

岩崎塾長:
そうですね、今申し上げたようにじゃあ具体的にどういうことをしていったらいいのかというのはまだ今からどんどん勉強していかないといけないと思いますが、今もう2年近くなりまして1つだけ思うことは志を同じくする人がやはり鹿児島だけではなくて日本のいろいろなところにいっぱいいらっしゃるということですよね。そしてわざとこういう表現を使いたいのですが東京にもやはりそうしないと日本はこのまま東京中心主義だと駄目になるというふうに思っている方も少なくはないということがありますので、これをどうやって日本全体の力にしていくのか、具体的な方法論で言うとどうやってネットワーク化していくのかみたいなのがやはり財団の、もしくは政経マネジメント塾の非常に重要なことだと、今後の活動の中でキーになることだと思うのです。

最近私はよく言うのですが明治維新を起こした幕末の志士の人たちは政治的な思想とか立場とかがまちまちだったわけです。そして例えば開国かじょういかとか尊王か幕府側か、そういういうような人たちが入り乱れて結果的には徳川幕府の300年の歴史が終わって明治政府という中央集権官僚国家ができ士農工商もなくなりみたいな、そしてそれが故にとあえて申し上げましょうか、アジアのほとんどの国が欧米の植民地になったにもかかわらず日本だけが独立国家として、しかも一応欧米の当時の先進国の末席に位置する側の国として次に太平洋戦争で負けるまでの歴史があるわけですが、じゃあそういう明治維新をつくり出した、もしくは新しい明治政府という政治システムをつくり出した人たちはどういう人材として育成されてきてどういうふうになったかというとほとんどの人が当たり前ですが当時東京にある高等教育学校を出た秀才ではないのです。

ほとんどの人がその藩において身分が高い低いはありますがその地域で人材としてなにがしかの教育を受けたりした人たちですよね。そしてかなりの人たちが藩校というところで学んでいるわけです。やはり藩校に近いいろいろな考え方がいろいろな地域、鹿児島流の教育なり鹿児島流の人材が出てきて、北海道流の人材が出てきて、そういう意味では逆に言えば明治以降出来上がった帝国大学を頂点とする教育のヒエラルキーの中で、そのヒエラルキーの高い学歴の人が優秀でありこの国のリーダーシップを取るみたいな発想は明治のころは逆に根底から崩れていったわけですよね。

当時でいけば薩摩藩の田舎の侍がどうせ騒いだってあんな連中何もできるものかと徳川幕府のエリート侍は思っていたみたいな話になっているけど結果的にはどうなったのかという話ではないのかなと。そういう意味ではやはり今後政経マネジメント塾というのはやはり地域地域なりの人材育成の中で、そこで共通なのはやはり逆に言えば日本というのはいろいろな地域の個性とか価値観を磨いていって、それを普遍的に包含した国という大きな仕組みが諸外国に対して力の強い国になっていって初めてこの国の反映とこの国の国民の人が豊かになれるのだというふうに認識を根底から変えていく、そういう意味においては今の日本というのはいつの間にかそういう中央集権的なものに頼る、しかも当たり前のように頼っています。

確かに民主主義というものがあって民主主義の中でのいろいろな民主主義がありますが、最近民主主義の中でどちらかというと大勢の人の支持を受けているのはそういう一時の市場原理主義的な小さな政府の民主主義ではなくてどちらかというと大きな政府を言っていますが、やはりそれは相手が国だから何でもかんでも国がするのが当たり前みたいな話はやはりそんなことをしていると自助心がなくなって最後は自尊心さえ持てない地域になっていきます。もちろん僕はこう言うからといって一時の小泉政権のようなそういう市場原理主義的な弱肉強食を是とするような話はしません。でもこの国は極端から極端に振れ過ぎます。

今消費税のお話とか税制改革のお話とか年金のお話とかいろいろな話が出ていて、新幹線の話ではないけど財政の話がありますが、僕はそれを否定はしませんが、やはり根底は自助、自立、そして自尊心があるが故に自助心というのは当然持ち得ることだし、自尊心を保つために自助の努力というのが当たり前の努力としてするという意味ではやはり1人でも多くの人がそういう意識を少しでも持っていただきたい。そして次に考えていただきたいのはそういう意識を持ったときに往々にしてありがちなのがその逆でいくと、どうせ自分が何もできないのだから、そうではなくてだったら自分は何をするのか、そしてその原点はやはり自分が自助していてそれは自尊心、己のプライドを守るためだみたいな意識が1人でも増えて、そしてその人たちが何か1個でも実践をすれば僕は変わると思いますし、やはり財団が必要なことはそういうことが重要ですよという啓蒙を地域に、そしてネットワークを通じて日本中の地方、地域にそういう意識形成をしていくことであり、そしてそういう人たちが1人ずつ増えていったときにはその人たちがそういう人材としてより上の人材になるための教育とかそういうサポートをするとともに、その人たちが何か実践しようとしたときにその実践に財団が手を貸してあげるという、この3つをやっていかないといけないと思います。

そしてもう1つはここが重要なのですが、その対象者は先ほど申し上げたように決して学生という既存のイメージの人たちではなくて、老い、若き、全部が対象者ですし、日本人だけではなくて外国と日本のかかわりがある人もそうですし、そして岩崎賞と岩崎育英奨学会の違いでご説明したようにそれは決して知識偏重型の単なる偏差値教育的なエリートだけではなくて文化だとかもっとすそ野の広いとらえ方での人材というのをどうやってピックアップしていくのかという見方での今の3つの活動というものがやっていくべきことではないのかなと思っています。

政経塾自体はまだ始まって2年ですのでまだまだ試行錯誤でわれわれもやり方に関していろいろ勉強していかないといけないでしょうし、この機会に申し上げたいのは偶然この放送を見てわが政経塾に、もしくはわが財団にこういうことをしたらどうですかとかこういうことを一緒にしましょうよというような方がいたらどしどし連絡を取っていただければできることは積極的にアライアンスを組むなりやっていきたいというふうに思います。