平成22年度開塾オープニング講座第2部:~国と国民~

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾
岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成22年度シリーズ

開塾オープニング講座第2部:
「ネイションとカントリー」~国と国民~

講師
岩崎 芳太郎(「政経マネジメント塾」 塾長)(岩崎育英奨学会 副理事長)
開催日時
平成22年8月30日(月)14:45~15:45
場所
「リバティークラブ」4Fホール (鹿児島市千日町15-15 リバティーハウス4F)

岩崎芳太郎 (Yoshitaro Iwasaki)

「政経マネジメント塾」 塾長

1953年生まれ
1995年、岩崎育英奨学会副理事長
2002年、岩崎産業株式会社代表取締役社長
現在、いわさきグループ50数社のCEOとして、運輸・観光・製造など幅広く事業を展開

著書:「地方を殺すのは誰か」(PHP研究所)等

講義内容

では早速結論から申し上げます。地方主権の思想において、国はカントリーで国民はピープルであるべきだということを申し上げたいと思います。

1.国と国民
国と国民

「国」、もしくは「国家」という和英辞書を引きますと、「country」「nation」「common- wealth」、それと「state」。他に「land」とか書いてありますけれども、これは「国」というよりも「国土」という意味になりますので、この4つぐらいが書いてありまして、「common-
wealth」はもともと英連邦の国のことをいいますので、一般的には「common- wealth」とは使わないのです。

「国民」というのは、「people」「citizen」、それと「nation」ぐらいが確か出てくると思うのですが、先にちょっとわたしの偏見を申し上げますと、この国は「国」と「国民」を語るときに、「nation」と「nation」。すなわち、「国」も「nation」で、「国民」も「nation」だというふうに、どちらかというと雰囲気で議論されています。もちろんわれわれは日本人で日本の国だと、「国民」とかいう言葉しか使いません。ちょっと道がそれますけど、日本国憲法ができるまでわれわれは多分「国民」という日本語は使ったのですが、政治的に言った中でいうと「people」でも「nation」でも、それからそれ以上にもっとも「citizen」でもなかったわけでして、われわれは「subject」。「subject」というのは、実はその「国民」というところを引くと1番最後に出てきています。これは君主制における「臣民」のことです。当然大日本帝国憲法においては「国民」は「subject」だったわけでして、わたしも正確には知らないのですが、そういう意味においてはデンマークもイギリスもまだ君主制ですから、あの人たちは「subject」になるのでしょうか。よく分かりません。

リンカーンとケネディーの演説

われわれが民主主義を語るときに結構言われる言葉が、まずエイブラハム・リンカーンのゲテイスバーグの演説です。別にわたしの講座は英語の講座ではないのですが、われわれはアングロサクソンの政治システムとかそういうものを全部入れてきていますから、カレーライスではないですけれどもやっぱりそれも日本流にアレンジしているわけです。でもそのプリンシパルというか原理原則のところはそこを踏まえないといけないという意味では、どうしてもわたしはフランス語とかができないものですから英語から入るのでご勘弁下さい。最後の1行です。「government
of the people, by the people, for thepeople shall not perish from the earth」というところで、この「of
the people」、いわゆる「人民の人民による人民のための政府」というところが最も民主主義を象徴しているところだということになっています。ちょっとこれも余談にそれますけれども、この間携帯でこれを調べていたら最近新説があって、「of
the people」のところはこれを「人民の」という所有格ではなくて、「人民を」支配するみたいな目的格だっていう馬鹿げた解釈があるそうですが、アメリカではそんな解釈はありません。あくまでもこれは日本の解釈です。

それからもう1つはケネデイーの大統領就任演説のときの、まず日本語から読むと、「祖国が貴方のために何が出来るかを問うより、貴方が祖国のために何を行うことが出来るか問うて欲しい」というところです。ここでの「government
of the people・・・」というのはわたしも好きなフレーズでして、そういう意味ではここで「country」と「people」というのがセットですけれども「people」というのが出てきていますし、ケネデイーの演説のほうでいくと、この辺がアメリカらしいのです。「American
citizen」とはあえて言っていなくて「my fellow Americans」と。「Ask not what your country can do for
you-ask what you can do for your country」ということでして。やはり主権在民的な思想の中での国家観とか国民というのは、やっぱりもともとそこの住民ということではないのかなと思います。

nationとcountry

逆に「nation」というのは、いわゆる19世紀ぐらいの帝国主義とかいうところに始まった「国民国家」であり、そういうものが20世紀第2次世界大戦を経て少しずつ民主化されてモダンになっていったのですが、グローバルの前の時代はインターナショナルということで、やはり国際社会もナショナル観というところで捉えていたわけです。それが国境を経済やいろいろ
なものが越えて来た中で、今はグローバルってやっていますけれども、G8だってスポーツだって何だって全部、まだ国家が仕切っており、国家間の利害の中でなされているのです。

本当のグローバルスタンダードなんていうものは、実際は存在し得ない。利害が一致する国家のマジョリテイーがグローバルスタンダードと称してルールを決めているということではないのでしょうか。そういう意味では、「ポスト国民国家時代」、グローバルな世界においてはどうあるべきかということでいくと、わたしが作った言葉で「インターローカル」という言葉で表
現できると思います。いわゆる所詮「nation」も日本人の場合は実際単一民族ではないのですけれども単一民族に近い形であり、しかも宗教は殆ど無宗教ではなくても宗教が希薄な国ですし、国土というものが何とはなしに最初から形成されていたので、いわゆる「国民国家」の「nation」というよりは「country」だったり、そういうところと一致して不自然な感じはしないのです。「country」というのはご存知の「田舎」という意味もあります。「郷里」という意味もあります。われわれが生まれ育った歴史とか文化とかそういうものがある程度目の見える手が届く範囲内の1つのくくりを積み上げていったものが最後「nation」になるというようなイメージでわたしは国家を捉えています。

そのローカル・ローカルが自尊心の下に自立・自助を形成する中で、国家の枠組の中でものを考えるのではなくて、国家の中のある地域・地域、ローカル・ローカルの中でやっぱりいろいろなことを考えていくという時代ではないのか、それがグローバルな時代の基本ではないのかと思っています。そういう意味でも、やはり「country」「people」という国民、もしくは国家に対するイメージが「nation」というよりは、そちらのイメージの中でものを考えるべきではないのかなというふうに考えているので、最初にそういう結論を出させていただきました。

2.中央集権と廃県置藩
地域主権の中での国家観

フランスにトクヴィルという人がいまして、この人はアメリカの独立戦争の頃にフランスからアメリカに渡り、つぶさにアメリカを見て、そこにアメリカの民主主義の1つのいいところと悪いところを見て本を書いているのです。その中でいろいろなことを言っており、トクヴィルが予見しているのが、民主主義の社会においては多数の圧制と民主的専制というものが起こり、民主主義がイメージする理想社会とは逆に個人が抑圧される。もしくは大衆による専制政治みたいなものが行われるというふうに予見しているのです。

あと、例えば、地方分権・規制緩和と言われて実態は、われわれの皮膚感覚でいきますと、中央集権が強まり結局中央と地方の格差が空いてしまったということではないでしょうか。また鹿児島県の三島村は400人しかいないそうです。十島村は600人。十島ですから10島があるのですが、今5島が無人島です。そういう意味では「nation」というか、まず国家ありきで、さっきの財政赤字の話もそうですが、われわれは国という枠組の中で子孫に借金を残すとまずいし、社会保障も、中国に負けない経済を作るためにもみんな全て国・国・国とお話ししますけど、逆にそれで悪い方向にどんどん行っているのではないのでしょうか。

また、例えばシビルミニマムとかナショナルミニマムとか、先進国においては憲法で言う生存権、生活権に近いところの最低限の保障さえも逆に言えばされなくなっている。当然日本国民ですから平等なはずなのですけれども、東京の23区の殆どが、中学生の医療費は無料です。差額は例えば品川区とかそういう区が全部出しています。逆に貧しい医療機関でさえも整備されていない鹿児島の離島とかいうところでは個人負担も大きくて、これが国家の枠組の中で地方分権とかそういう規制緩和をよくすると良くなることですかと。では、財政赤字で消費税を上げてプライマラリーバランスが確保されたら、ではその財源は品川区と同じように鹿児島県の人たちも中学生まで医療費がただになるのですかというと、今の日本の政治や行政の思考回路だとそんなことを考えていないでしょう。挙げれば官僚化の問題から、ガラパゴス化の問題から、少子高齢化の問題からいろいろありますけれども、国としては行き詰っています。内側のシステムも外側に対する世界との問題に関しても悲観的な材料がいっぱいあるわけでして、ここは地方がどうやって自立していくかという目線で、本来は国の構造を変えるべきだと思います。

しかし、憲法改正でさえろくに法的整備されていない現状では、またどう変えるのかという議論さえも浅薄なところでしかできないこの国においては、まず重要なのはやはりわれわれが精神的にも地方主権という感覚の中でどういう国家観を持つのかであり、われわれはどういう国民であるべきなのかといったときに、まず「people」であろうとすることです。われわれは
日本という「country」の国民であり、日本という「country」は鹿児島という「country」、もしくは北海道という「country」、宮崎という「country」、そういうところのいろんな「民」の集合体であると。

nationからcountryへ

では、まず自分たちは鹿児島の「people」として何ができるのか、何をしていかなければいけないのか、とういうみたいなところから発想していくしかないのではとわたしは考えています。ところが今日本でされている議論はどちらかというと逆行しているわけです。例えば1番象徴的なのが、日本がどう経済的に復活するのかみたいな、マスコミの浅薄な用語の使い方で言うと、「成長戦略」という言葉が出てくるわけですけれども、基本的には戦後60年の成功体験の域を出ていない。即ちこれはいろんな人が全部指摘していますように、いわゆる製造業を中心とした大企業を輸出立国型で国と官民合わせて作り上げていき、そこの競争力優位性の中で第2次工業製品を中心として物財を輸出してそれで富を蓄積して、それを国が公共事業だとかいろいろなことで地方公務員の人の給料なんかでばら撒いて、地方と国土の均衡ある発展を遂げていくという「第4次国土計画」と言われたみたいな話に、ちょっとそれの目先を変えた中でしか国家戦略が定義されていない。

でも現実に為替を見ても85円では競争力、それ以上にアメリカ型の資本主義の中においてそういう分配論理自体が役人の無駄だと何だとかということで否定されており、しかも財政赤字ということで国がばら撒きだと言われている中で、かつ国際会計基準等々で大企業が儲けを社会的な責任の中でばら撒くというと変ですけれども、とにかく内部留保をして株主に第1次的に優先しなければいけないみたいな社会において、いくら従来通り日本の大企業を強くしても、実際はその人たちは日本で雇用しなくて外国に工場を作っていくという現状があり、それが成長戦略になり得ないわけです。ということで見れば、これ1つ見ても本当の意味で日本の現状は日本の抱えている問題をブレークスルーのためにすることに逆行していることばっかりだということだと思うのです。

その中で明治維新が1回目のアングロサクソンスタンダードの導入だというふうに申し上げましたけれども、あのときに何が起こったかというと、明治維新というとわれわれ日本人は一応明治レボリューションとかいって適当に外国人には言うのです。あれは革命だったと。ところが正式に和英辞書で引きますと、「Meiji
Restoration」と書いてあるのです。「Restoration」
というのは「王政復古」なんです。多分江戸時代は天皇家はいたのですけれども、徳川幕府があったという意味では「subject」、「臣民」ではなくて「people」だったと思うのです。逆に大日本帝国憲法ができて、日本中の「people」が「subject」になったわけです。廃藩置県、これも連邦制だったと思うのです。当時の日本でそういう政治学的な分析はなされていなかったわけですけれども、それが立憲とは言え君主制に戻ったわけです。それで「nation」になった。「nation」になって、国民は「people」から「subject」になり、第2次世界大戦で負けて日本国憲法が君主制ではなくなったので「people」に戻ったかというと、さっき言ったように「nation」になった。この国は「nation」で国民も「nation」だというのが、さっき申し上げたわたしの1つの雰囲気なのです。

逆にあのときに、いわゆる日本という国が内憂外患を抱えて勝負に出たわけです。いわゆる国のシステムを変えて。それで明治維新が起こって言葉では「王政復古」ですけれども、実態はレボリューションだったわけです。だから今度も基本的には「nation」からやっぱり「people」に戻すこと、それから君主制、いわゆる君主制というのは王制であって、官僚というのは実はどこから出てきたのか。「ビューロクラット」という言葉はどこから出てきたかというと、王様の下で王様の指示に基づいて統治を行う行政官のことを「ビューロクラット」と言ったわけですから、逆に言えば君主制でなければビューロクラットという話ではないという意味では、「nation」から「country」に戻して自治の中で積み上げていくしかないのです。

廃県置藩

結局今僕は何をずっと申し上げたいかと言うと、コンセプトとしての廃県置藩ですよね。さっきからずっとくどいように申し上げているように日本という国は「country」で、鹿児島という「country」とかそういうところの1つの集合体としてということでいくと、当時のいわゆる江戸時代末期まで、それは連邦制による「藩」と300ぐらいの「country」の連邦国家だ
ったという解釈ができてきて。何でここを今強調しているかといいますと、今「藩校ネットワーク」というのを始めた方がいるらしいのです。藩校。全部あったのかどうなのかは知らないですが、300の藩で自分たちの藩をマネジメントする人材育成のために、大概の藩がそういう人材育成教育機関として藩校を作っていたのだとわたしは思っています。

廃藩置県の逆の「廃県置藩」で。わたしが何でこんなことを言い出したかというと、やはり江戸末期に黒船が来て、それで各藩も財政赤字で幕府も赤字で、いろんな意味で飢饉とか来て大塩平八郎の乱ではないですけれども民も苦しんでおり、何とかブレークスルーしなければいけないときに、結局日本をレボリューションさせた人材というのは、実はその藩校だけではなく私塾もそうだったのでしょうけれども、もっと見える世界の中でそこをマネジメントするいろいろな人材が育成されていったというふうに、わたしは解釈できると思うのです。ここの1つの特徴は、少なくとも水戸藩だったら国学か何かだったのでしょうし、ある藩は朱子学だったかもしれないですし、ある藩は陽明学だったかもしれませんし、鹿児島みたいに極めて独特な郷中教育みたいな中で人材が育成されていったかもしれませんし、極めて各藩の事情の中で個性的な教育というか人材育成がされた。ただ1つ重要なのは多分そういう中で、ある種マネジメントする人間が求められている本質に関しては、やっぱりどの藩校もどの私塾もきっちり本質を押さえた人材育成がなされたのではないのかと思うのです

知行合一

わたくしは岩崎育英奨学会の副理事長としてこの10何年ずっと悩んできたことがありまして、いわゆる昭和28年に岩崎育英奨学会は財団法人として設立されましたが、当時の日本は本当に日本としてどうやって豊かになっていくか、いい国になっていくか。日本のための人材育成がそのままさっきの役割分担と配分のロジックではないですけれども、日本の輸出企業を成長させてインフラ整備をして公共事業が日本の国土が均衡ある発展をするときは、貧しい中で鹿児島の親が東京の大学に出して、そこでその人たちが霞ヶ関や大企業に勤めて鹿児島に帰ってこなくても、結果的にはそれで日本が良くなっていけば地方のためにもなるということで、何十年かやってきました。でも15年前から必ずしもそうではないのかな。逆に東京に行った人たちが、シビルミニマム、ナショナルミニマム、中央と地方の格差でいけば、東京だけ良ければグローバルスタンダードの下で地方を切り捨ててもいいのだ、一部の日本のために資源が使われるべきほうに加勢する。九州新幹線なんか無駄だみたいな話になっていくというので。でもその中ででは岩崎育英奨学会が日本のためではなくて一地方ためだけの人材育成をするということにどれだけ大義があるのか、そんなことを言い出しても通じないのではないかという
1つのジレンマがあったわけです。

そういう意味では、そのジレンマを正当化というか、そこに大義を見出すやっぱり1つの論理構成としてはやはり地方主権。逆に言えばこの国が「country」の集合体で、われわれがまず見える範囲の、感じる範囲の中の1つの地方の中で主権を行使していろいろなことをしていくということ、それが最終的には日本が良くなっていくことなのだっていう。そのロジックが体
制というか、そのロジックを構築して大概の人がそうだよねと、そう思うことが非常に重要なのではないのかと。残念ながら情報の量にしても、資本の力にしてもいろいろなことに関して、それこそ人材の質と量にしても、今地方はそういう意味で自助自立していくための本当の意味で力は本当にあり得るのかという中で、でも始めないことにはこのギャップは埋まらないと非常に強く感じているわけです。その中でそれに理論的な裏付けをするためにどういうふうにそういうことを考えなければいけないのかという意味でも、廃県置藩ではないですけどやっぱり独自の人材育成と、その人材が取りあえず地方をより良き地域にするためにマネジメントするために学んでいくという環境の整備・情報の提供、そういうものが重要なのではないかなというふうに思っている次第です。

今後の日本の方向性

取りあえず先に結論から申し上げましたので、ちょっと補足説明をさせていただきますけれども。非常にさっき日本がどういう国体だったのかみたいな、もしくは政体と呼んでもいいのですけれども、その明治の前をわたしは勝手に「連邦制」と言ったのですが。例えば日本は国だったのでしょうか。なぜなら「日の丸」という国旗はいつどういう経緯でできたか、特に鹿
児島の皆さんはご存知ですよね。それから国歌、これを作曲した人も鹿児島の人で、いつ作曲されたかご存知ですよね。アメリカ人ほどいわゆる星条旗と国歌を大切にする国民はないわけです。即ちそれは「ユナイッテド・ステーツ・オブ・アメリカ」という合衆国であるが故に最終的には統一国家としての統一性、精神的な中で、それのシンボリックな意味が星条旗であり、また国歌である。彼らは日頃はどちらかというとテキサス州の州民であったり、ニューヨーク州のカリフォルニアの州民だったり、人によっては何とか郡の住民だったりするわけですけれども、国歌を歌う時だけがアメリカ合衆国国民としてみたいなところがあるのだと僕は思います。

逆に日本というのはすごくラッキーな国だと思うのです。国歌もなくて国旗もなくてユニテイーというか、1つのユナイテッドな国家観を国民の殆どが持ち得ていた。だから19世紀にアングロサクソンに殆ど中国とか東洋の国が侵略されて植民地になった時に、よく言われることですけれども、あの時に幕府がフランスとくっついて薩長がイギリスとくっついて国を二分し
て戦争をしていたら、今の日本はない。でもあの時の日本人というのは国旗もなくても国歌もなくてもフランス人やイギリス人にこの国の統治権を得るために組しなかった。というような民族性というか、国の風土というものがあったとあえてわたしは申し上げておきたいです。そういう意味において、「nation」とか、国がどうだとかいう議論はわたしはすごく白々しく聞こ
えまして、逆に国の最終的な1つの国としての形成は、身近なところから積み上げていって初めて最終的な枠組である国家というものに対して1個人がすごく責任感を負えるというふうに思うのです。そういう意味で、リンカーンの演説や、それ以上にケネデイーの演説を読んでいただければ、先ほど申し上げたように「my
fellow Americans」というところが非常にアメリカらしくて。だから、そんなことにはならないのですけど、「ユナイテッド・カントリー・オブ・ジャパン」ぐらいが本来は今日本に、そういう日本人が意識を持つことが本当の意味で日本という国をどうしていったらいいのか1人1人が責任を持って考えられるのではないかと。

これも余談になるのですけど、今普天間の問題が出ているではないですか。廃藩置県があった時に、あの時に沖縄は藩ではなかったのです。琉球国だったのです。ですから廃藩置県の時に沖縄は琉球国から藩になりまして、沖縄藩に。それから3年後ぐらいに藩から県になったのです。イギリスの正式名称は「ユナイテッド・キングダム・オブ・イングランド・アンド・ノースアイルランド」という、あそこもユナイテッド・キングダムなのです。だから10年程前に沖縄に行ってわたしはあえて申し上げたのですけれども、日本国の本来正式名称は「ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパン・アンド・リュウキュウ・アンド・ホッカイドウ」ぐらいが本来は歴史的に見て正しい表現ではないかというふうに思うのです。何でこんなことを申し上げているかというと、そういうことをちょっと考えただけでも、普天間の問題や沖縄の負担軽減の問題とかそういうのも微妙に違う感覚で日本人がものを見れるのではないかと。その微妙な感覚が国民の感覚になったときに、今大衆に迎合しかしないこの国のマネジメントの人たちも、もう少し視点が違ったりしてくるのではないか。それ以上に後でちょっとお話ししますように、やっぱり大衆をある種浅薄に先導しているマスコミの中での新聞のトーンとかそういうものも、例えば新聞でいけば新聞が売れなければいけない、テレビでいけば視聴率が上がらなければいけないというところが本音の世界にあるという、商業マスコミの現状いうことを考えたうえで見れば、そこの微妙な差というのが大きく違ってくるのではないかと思うのです。

3.トクヴィルの思想権
民主主義の欠陥

トクヴィルのお話を再三再四していますけど、彼の思想・哲学というところをちょっと読みます「彼は著作の中で当時のアメリカは近代社会の最先端を突き進んでいると見なし、新時代の先駆的役割を担うことになるであろうと考えた。だが同時に、その先には経済と世論の腐敗した混乱の時代が待ち受けていることも予言している。さらに民主政治とは『多数派(の世論)による専制政治』だと断じ。その多数派世論を構築するのは新聞、今で言うところのマスコミではないかと考えた。現代のメディアの台頭と民主主義政治との密接な関わり合いをいち早く予想していたのである。彼は大衆世論の腐敗・混乱に伴う社会の混乱を解決するには宗教者や学識者、長老政治家などいわゆる『知識人』の存在が重要であると考えており、民主政治は大衆の教養水準や生活水準に大きく左右されることを改めて述べている。」ということで。その下に「道徳の支配なくして自由の支配を打ち立てることは出来ない。信仰なくして道徳に根を張らすことは出来ない。」と書いてありますが、ちょっとこれはかなり今風にアレンジしてありまして、もうちょっと違ったことを言っているのです。ただ、よくポピュリズムと言われている現状が衆愚政治的になっているのではないかという分析とマスコミとの関係においては結構トクヴィルが先を見通したことを言っています。その中でトクヴィルがこの民主主義がこういう隘路に陥らないために重要なことを言っているのです。まず地方自治、これが重要です。それから結社、それから陪審員制、こういうものが重要です。トクヴィルは民主主義を否定しているわけではありません。いわゆる民主主義を肯定しているが故にその欠陥を指摘していて、その欠陥が致命傷にならないためには、こういう地方自治とか、結社だとか、陪審員制というものが重要だということを説いているわけです。意外と今日本がいろんな意味で閉塞状態になっている時に、意外とこのトクヴィルの言っていることは使えるというふうに、わたしは考えましたのでちょっとご紹介させていただきました。

4.地方主権・自治のキーワード
道州制

それで、最後、地方分権の中の具体的な道州制のお話をちょっとさせていただきます。「道」という行政区画、これは実は漢の時代にできている区画でして、それから「州」という行政区画は唐の時代にできている区画です。道州制になって地方分権とセットで考えますと、このたまたま「州」という漢字がアメリカの「州」、いわゆる「ステーツ」と一緒になるので、何か道州制は自治の概念が、もしくは統治権の概念が第一義的にローカルガバメントに行くことだというふうに皆さん錯覚されています。しかし、今日現在憲法もそういうコンステチューションになっていないですから、結局は中央集権の官僚国家の中のわれわれが信託している自覚がない権力が、どちらかというと国会議員に信託しているつもりなのですけれども、間接的に霞ヶ関に信託されていまして、その絶大なる権限が一部移譲される先の行政区画を「県」からもっと大きなことにして、その呼び名を「道」とか「州」とかにしましょうというだけなのです。結局さっきから言うように、「連邦制」とか「共和制」とかそういう感じでの権力の移譲ではないというところがポイントでして、それは基本的には憲法を改正しない限りは今の日本国憲法では不可能だということになるわけです。30年かかっても50年かかっても100年かかっても、わたしはそういうふうに変えるべきだと思います。

その1つの根拠が現状の今の日本の民主主義でありながら民主的圧政、特にその圧政の対象者が地方であるということを考えた場合に、わたしは変えなければいけないと思っているのです。またその反面直ぐは変えられなくても、われわれのビヘイビアというか態度で学習しながら陽明学的にアクションを起していろいろなことをおこない、また学んでということで実態として変わっていかなければいけないですし、また幸いにしてわれわれを不幸のどん底に陥れたグローバルスタンダードなるものは、それは逆手にとれば国境とか国とか関係なくわれわれは中国のローカルな人や世界とつながることによって、国の枠組の中ではなくていろいろなことができていくということですので、そんなに悲観的になる必要はないと思います。ただ、急がば回れで人材を育成していくこと。しかもその人材というのは従来の単なる知識吸収型の人間ではなく、陽明学的に行動ができて、原点にやはり自尊心を強く持って、だから自立心や自助心が強くなってという人間を育てていかなければいけないですし、その人も一昔前だったらその人が鹿児島のためにわたしは頑張りますと言うと、お前日本のために頑張れよみたいに言われて、何か狭い人間だなって言われていたのですが、今からは鹿児島のために頑張るのが日本の
ためになるのですよといって、ちゃんとそれが反論できて、そうだねと言わるような、1つのロジックを作っていかなければいけない。あとは100年かかったとしても、今日からこういう道州制ではなくて、もちろん道州制をワンステップ入れてその次に例えば真の地方自治のコンステチューションを日本に入れるということも戦略的にはあるのかもしれないですが、最終的
に求めるものは廃県置藩という国家の体制というものを作っていかなければいけないのではないかなということを考える次第です。

経済的な独立

政経塾の経済のほうに関しまして、今日はあまり言及することができませんでしたけれども、逆に、政治のシステムというもののリデザインを実際するというのは時間がかかります。またそのいわゆる運用面で、例えば選挙で、もしくは日頃の政治活動でということで政権交代を実現させたり、いろんなことは理論的にはできるわけです。でも、わたくしは民主主義を個人的に冒涜しているわけではないですが、さっきトクヴィルの予見をご紹介したように、やっぱり民主主義ということ自体が構造的にこういう罠というか欠陥を持っていて、冷静に分析すると、この国はトクヴィルの指摘した民主主義の1つの罠にはまっている悪い意味ですごくいい例だと。その中では、だから選挙に行くなということを言っているわけではないのですが、いろいろなことをするという意味では、経済的な独立が必要です。福沢諭吉も言っていますけど、精神的な独立は経済的な独立なくしてはあり得ないと言っていますし、意外とわたしはキリスト教徒ではないのですが、キリストの言葉で、間違いかもしれませんけど、好きな言葉がありまして、「人はパンのみに生きるにあらず」と。これはすごく重要で、2つのことを言っているわけです。1つがまず福沢諭吉と同じで、人はやっぱりパンがないと生きていけないわけです。でも、パンのために己が心を売るかというと、そういうわけでもないわけです。バランスという言葉は適切ではないですけど、やはりわれわれは目的と手段が堂々巡りするのです。でもパンも大切で、でもパンはパンではないところを大切にしたいが故にパンが要るのであって、でもパンがなければ、大切にしなければいけないところも不本意ながら妥協しなければいけないという現実もあります。というこの世界を悲観しないでまず変えていくということが重要なのではないのかなというふうに思っている次第です。

その原点になるのが、ちょっと大げさに言えば皆さん1人1人の住民の、「people」というのを「住民」と訳せば、もしくは「市民」でいけば「citizen」なんでしょうけど、国民ではない住民なり市民がどういう意識で変えていくかということにポイントがあるので、今回第2部はこういうちょっと重苦しい題にしてみました。

質疑応答

質問者
まずお話を聞いていて、非常にわたしはこのローカルシティーに住みながら物事の定義とか本質を非常になおざりにした人たちが自分も含めて多くて、その辺が発展できない原因かなということを考えながら、今塾長のお話を聞いていてものすごく心強く感じていました。その中で、やはりわたしも「地方の自立」という言葉をよく聞くのですが、やはりこの国の形をちゃんと本質的にというか、どういう形にするかということをきちんと考えた上で、どこから変えていこうかなというのを考えたときに、例えば鹿児島県は難しいのかもしれませんけれども、鹿児島市を1つのモデルケースとして今言われた福沢諭吉さんが言っているように経済的な自立をするとかというそういうもののフィーズビリテイーというか、実現可能性みたいなものがひょっとするとあるのかなというふうに実は考えています。今塾長はそれが100年かかろうという話をしましたけれども、わたしはそんな時代は生きていないので、できれば自分が生きている内にそういうのを実現させたいなというふうに思っているのです。そういう実現可能性というか、そういうものに関してはどういうふうにお考えですか。わたしは一例としてそういう鹿児島市の自立とか、多分ここに関係者がいるかどうか。今の首長さんとか議会のインテリジェンスではちょっと無理かなというふうに感じているのですけれども。そういうものも全部ひっくるめて、そういう実現可能性というのはどういうふうにお考えか、お話を聞かせていただければありがたいです。

岩崎
非常に無責任に聞こえるかもしれませんけれども、どこから入るかは人それぞれだと思います。例えば国会議員になって国の枠組みから変えたいと思う人もいるでしょうし、地方自治とか身近なところからちょっと政治のあり方というか地域マネジメントの仕方を変えたいと思えば市政から変えるという人もいるでしょうし、県政から変えるということも言えますし。そういう権力構造に直接タッチしなくて、NPOか何かで人々のマインドから変えていきたいというふうに思う人もいるでしょうし、わたしはいろいろでいいと思うのです。だからさっき申し上げたように、トクヴィルがそういう中で例えば地方自治というものが重要だと言っている。残念ながら今の自治体というのはさっきのローカルガバメントではないですから、所詮中央政府の中での立法権もないですし限界があるのです。でも実際の地域マネジメントの実態は市がやっていたり県がやっていたりするわけですから、そこに参画していくというのも決して無駄ではないですし、そういう地方自治に関与することも十分あります。それから、その「結社」とう言葉が19世紀の時の言葉ですから馴染まないですけれども、今でいくとNPOもそうですし、いろんな活動、市民団体の活動もそうですし、そういう1つの価値観を一緒にする人が共同して何かアクションを起していくというのが結社でしょう。最後日本では三権分立といいながら、司法という世界が憲法では権力者、つまり信託を受ける人たちは代表者となっているのですけれども、わたしたちの統治権の内の司法権をつかさどる裁判官は選挙で選ばれないのはおかしいと思うのです。そういう意味では陪審員制というのは、アメリカでは基本的には本当の意味で三権分立をしていて、裁判官とかそういう人たちも選挙で選ばれるわけです。西部ではいわゆる警察だってシェリフだって選挙ですし、という意味ではそこに構造的な日本の欠陥があります。でも司法に関しても何がしかの積極関与ということができなくはないわけで、取りあえずできることをやっていくことです。あとは方法論というか、みんながそういうふうにある程度思えば、各論は別々ですけど、市長選挙や市会議員選挙の投票率だとか投票する候補者の質だとか、そういうものはだいぶ上げていくというとちょっと御幣があるのですが、より良き地域マネジメントをするにふさわしい人にちょっとずつ変わっていけるのではないのでしょうか。決してわたしは30年後や50年後で満足しているわけではなくて、ただそのぐらい重たいことでも、そのぐらい不可能だと思うことでも、日本人って往々にしてわれわれ主権者として、政治システムだっていつの間にか王権神授説じゃないですけど与えられたものだというふうに思ってしまうわけですが、実際はそうではないというところを、地方分権ということ自体で喜んでいる人たちのメンタリテイーはそこにあって、もともとわたしが持っている主権を誰に分け与えてもらうかというみたいな意識が非常にあるので、地方分権というのは嫌いです。すみません、答えにならないのですが、そんなところです。一応わたくしが皆さんにお伝えしたいこと、ちょっと不遜な言い方をすると皆さんに受け止めて明日から少しでもいわゆるチェンジ・ビヘイビアというか、チェンジ・アテイチュードをして欲しいことはある程度お伝えできたと思います。