平成26年度第3回:~①意味ある教養とするために~

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾

平成26年度講座内容

【第3回】リベラルアーツ概論(前編)これからの教養の考え方
~①意味ある教養とするために~

講師
川上 真史氏 (ビジネス・ブレークスルー大学大学院教授)
場所
岩崎育英文化財団岩崎学生寮 (東京都世田谷区北烏山7-12-20)
放送予定日時
平成27年4月28日(火) 26:15~26:45 ホームドラマチャンネル
平成27年4月29日(水) 25:30~26:00 歌謡ポップスチャンネル

※以降随時放送

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川上 真史 (かわかみ しんじ)

ビジネス・ブレークスルー大学教授
明治大学大学院 兼任講師
株式会社タイムズコア 代表取締役

京都大学教育学部教育心理学科卒業、産業能率大学総合研究所研究員、ヘイコンサルティンググループコンサルタント、タワーズワトソンディレクターを経て現職。2005年4月よりビジネス・ブレークスルー大学院大学専任教授、ボンド大学非常勤准教授。2013年4月より明治大学大学院グローバルビジネス研究科兼任講師。数多くの企業の人材マネジメント戦略、人事制度改革のコンサルティングに従事する。

講義内容

川名:
こんにちは。本日はリベラルアーツ概論というテーマで、川上真史先生にお話を伺っていきたいと思います。川上さん、よろしくお願いいたします。

川上:
よろしくお願いいたします。今回、リベラルアーツの概論ということでお話をさせていただければと思います。早速なのですが、こういったリベラルアーツ、日本語でいうと教養とよく言われているものが求められてきている。これは一体なぜかということなのですが、どうも2つのポイントがあるように思います。

まず1つが、グローバリゼーションというものがどんどん進んできています。そういった中で必要な知識が急速に拡大してきていて、そこにキャッチアップしないといけないという状況が今、起こっている様です。これは、明治維新の頃に同じような傾向がやはりあったと思います。それまで日本は国を閉じていましたが、江戸時代の日本人は教養が結構ありました。例えば、侍であれば四書五経などを勉強していましたし、教養がなかったということではなかったのですが、開国をして明治維新になって、世界の中の日本という国になったときに、やはり世界全体のいろいろな教養を身に付けていかないといけなくなったという時期がありました。ですので、ヨーロッパなどに留学生を送って、いろいろな向こうの知識を持ってきたりしたことが時代的にありました。どうも今はそのときと似たような感じがします。

川名:
そうですね。戦うフィールド、戦う相手が変わってくると、必要になってくるツールも変わってまいりますね。

川上:
そうです。ですので、やはり世界で今、グローバルというものがどんどん広がっていく中で、ちょっとキャッチアップは必要になってきているかと。創造性ということがここに書いてあります。どちらかというと、私はこちらのほうが大事だと思うのですが。今、ITなどがどんどん進化してきます。ITが進化してくると何が課題として起こってくるかと言いますと、私が若いころは簡単な仕事が結構あったのです。

川名:
はい。

川上:
例えば、コピーを取って資料をホチキスで留めて製本するなど、こういう仕事がいっぱいありました。ところが今はそんなことをやる必要はありません。その他もろもろ、ITやスマートマシンと言われるものがどんどん進化してくることによって、簡単な仕事がなくなってきているのです。今まで人間がやっていたことを機械がどんどんやるようになってきています。となると、人間に残される、最後に求められる能力とは何か。これはやはり創造性です。創造性を高めようと思うと、やはり、こういったいろいろなことに関する洞察や知識、そういったものを広めていかないといけません。こういった2つの部分があって、日本の中でも教養というもの、リベラルアーツというものが広がってきているのではないかと思います。

川名:
はい。

川上:
このリベラルアーツなのですが、言葉として聞かれたことはおありかと思いますが、これは日本の中でかなり誤解されています。リベラルアーツ。まず、リベラルとはこれです。変化に寛容で、個人の自主性を重視していく、自由である。いろいろな意味合いがあるのですが、いずれにしても自分の考えで自分の人生を生きていく、自分を生きていくというところがリベラルという言葉になると思いますが、アーツという言葉、これは「芸術」ではないのです。マーシャルアーツと言いますが、マーシャルアーツは武芸です。芸術の話ではありません。技術、技、そういったものがアートという言葉になります。ということは、リベラルアーツとは何か。こういうイメージでとらえていただくと分かりやすいと思います。自由に自分で生きていく。そういうふうになるために必要な実践的な技術であるととらえていただければと思います。結構、リベラルアーツや教養というと、知識偏重型のような感じが少ししませんか。

川名:
はい。

川上:
単に「いろいろな知識を知っています」、「常識的なことが分かっています」ではなく、やはり動いていくということが基本になります。でも、過去のリベラルアーツの領域があり、こういうものも意外と今でも通用するような感じがあります。これは何百年前からという話ですが、ヨーロッパなどで言われていたリベラルアーツが7項目あります。まず、文法学。これは何の文法だと思われますか。

川名:
そうですね。ヨーロッパでよく使われていた言語となると、フランス語か、もしくは古いラテン語になるのでしょうか。

川上:
さすがですね。ラテン語です。ラテン語の文法のことを言っています。要は、おっしゃるとおり、昔は学術的なことにしても何にしても、全部ラテン語で書かれていたのです。ですので、ラテン語が分からないといろいろな情報を取れません。自分で使える情報を取れないので、文法学を身に付けていない人は、人から聞き伝えで情報を取るしかなかったということなのです。次に修辞学です。ややこしい言葉を使っていますが、修辞学というのは簡単です。要はプレゼンテーション能力だと思ってください。自分の考えを人に、いかに分かりやすく、インパクトを持って、説得力を持って伝えられるかです。次に弁証法。これは先ほど言っていたような論理的思考と考えていただいていいと思います。物事を論理的に考える力を持っていないと、騙されたり、間違ったりして、自分の力で生きていけなくなります。あと、算術というものがあり、これは単純にお金の計算です。これができないと、やはり生きられません。あとは、幾何学ということで、昔は今のように何でもかんでも作ってくれません。例えば、今は頼めば家などでも作ってくれますが、昔は自分でいろいろなものを作っていかないといけないのです。ちゃんとした製図で図形を書けて、その図形どおりに物を作っていける。こういう技です。そして、天文学。これは星に興味があるということ以上に、天文学の基本は回転運動ということにはなりますが、もっと言うとカレンダーです。

川名:
はい。

川上:
気候や気象、そういうものが分からないといけません。例えば農業で言うと、いつごろ種をまけばいいのか。そういうことを自分で判断できるようにします。それから、最後はどういうわけか音楽が入っています。なぜでしょうね。

川名:
音楽はなぜなのでしょう。

川上:
これは、ヨーロッパと申し上げたのですが、音楽というのは元々、神のものということで、神とつながる道具であるという宗教的な意味合いが一つあると思います。もう一つは、もっと後世になってくると、音楽は人が集まって歌ったり、ダンスしたり、人間関係を作る中での一つの技というか、そういうものと考えてもいいのかもしれません。いずれにしても、こういうものですが、今でも通用すると思いませんか。

川名:
はい。

川上:
例えば、文法学は英語なのかもしれませんし、もしかすると、先ほどおっしゃったコンピューターに関する言語など、そういったものかもしれません。プレゼン能力は絶対必要です。このように、もともとリベラルアーツというのは、自分で生きていくための技であるととらえております。

日本で言うと、教養はこういう定義があるのですが、知識×人格。要は知識のみを向上させても、それは教養ではありません。知っていることで自分は偉いと思うことも教養ではありません。何か鼻につくような、こういう人がいませんか。いますよね。

川名:
「あなた、知らないの?」みたいなことですね。

川上:
ええ、そうです。自分は知っているのだけど、「こんなことも知らないの?」と言ったり、あるいは、テレビでも「こういう場合のマナーの正解は?」と、よくやっていますよね。そういうものでもないです。要は知識を豊富にして、その豊富な知識が自分の人格をより高めていき、安定させていきます。もっと分かりやすく言うと、周囲から信頼されるということ、そこに使えるかどうかということです。ですから、グローバリゼーションなどでは、こういう教養の考えはすごく重要になります。この人は信用できる人だ、信頼できる人だと思われること。特に外国の人にそういうふうに思われるということは結構大変です。そういったものにつながらないと、これは教養ではないということです。

川名:
ありがちな間違いというか、落とし穴というのが、自分の知っている知識を一方的に、ドッジボールのようにひたすらぶつけてうんざりさせてしまう。

川上:
ドッジボール、分かりやすいですね。

川名:
相手にとって、今、どの知識が必要とされているのかを読み取る力というものもセットで必要なのかと。

川上:
ええ。おっしゃるとおりです。やはり、そこをしっかり読み取っていくという力は大事です。ドッジボールはもともとデッドボールだということが言われていますが、だから、野球のデッドボールもボールをぶつけるということで、デッドボールという言葉になっていますが、こういう知識を語っていても全然面白くないじゃないですか。やはり、そういう中で深く読み取るということは重要になります。まず、簡単なところから申し上げたいのですが、グローバリゼーションという中で必要になっているということを申し上げると、私はこのように分類しています。

川名:
はい。

川上:
「守りの教養」と「攻めの教養」。あまり言葉が練れていないのですが、こういう分類をしています。守りの教養は、こういうものが典型です。

川名:
はい。歴史、宗教、政治。

川上:
はい。これは、なぜ守りか。

川名:
はい。

川上:
ダイバーシティ、要は多様性、異質性が含まれているものだと思いませんか。例えば、歴史は事実として起こったことは1つです。

川名:
はい。

川上:
それは、イベントとして、こういうことが起こったという事実はあるのですが、それが国によって、その事実をどう解釈していくか、どう受け取るかは全然違うと思いませんか。

川名:
そうですね。例えば、何か争いが起きた場合というのは、必ず両側の言い分がありますね。

川上:
ありますよね。例えば、攻めたほう、攻められたほうとなると、それはもう180度違ってとらえてきます。

川名:
はい。その正義という概念すらゆがんできます。

川上:
ええ、そうです。宗教は国によって、民族によって、いろいろ違います。政治形態も全く違います。ということは、これがなぜ守りの教養かといいますと、こういった3つの領域はわざわざこちらから話を出す必要はありません。

川名:
はい。

川上:
わざわざ出しません。でも、押さえておかないと、ちょっと危ない。話題に挙がったとき、危険なのです。それに対して、攻めの教養というのはこういうものです。

川名:
はい。科学、芸術、スポーツ。

川上:
これは世界共通だと思いませんか。

川名:
はい。

川上:
科学は国によって違うということがありません。こちらの国は太陽のほうが回っていて、こちらの国は地球が回っているとか、そういったことはありません。天動説、地動説は世界中どこに行っても地動説、天動説ではありません。地球のほうが太陽の周りを回っているということは科学的にはどこの国でも変わりません。芸術もそう思いませんか。美しいものはどこの国で見ても美しいではないですか。

川名:
はい。もちろん、好き嫌いはあるのでしょうけれども。

川上:
ええ。どちらかというと個人差のほうが大きいですよね。

川名:
ええ。

川上:
あとはスポーツ。これは世界中全て統一ルールでやります。特に世界的に広まっているスポーツはそうです。ですから、オリンピックは政治には一切関係なく、紛争にも関係なく、世界統一のルールでスポーツをやっていくという催しです。いずれにしても、スポーツにしても、芸術でも科学でも、誰とでも話ができるので、こういうものを押さえておくと、海外の人と話をするときでも、こういう話題で話をすると、お互いに盛り上がったりすることができるということで、これは攻めの教養。こちらからどんどん出しましょう、というものです。

先ほどの創造性のところです。なぜ、教養と創造性が重要な、密接な関係があるのかということですが、実はこの創造性というものは随分昔からいろいろな研究があります。これを押さえておいていただきたいと思います。これは人間の判断軸というふうにとらえておいてください。ただ、基本になっているこのモデルは今から100年以上前ぐらいに活躍された精神分析家のユングという精神分析家が言ったもので、この枠組みはユングのタイプ論と言われるものです。でも、ユングのタイプ論は、私もそちらが専門ではあるのですが、無意識論が入るなど、ちょっとややこしいので置いておいてください。

川名:
はい。

川上:
この枠組み、軸だけを使わせていただきます。思考タイプ、感情タイプ、直観タイプ、感覚タイプという4つの判断軸を書いています。結論で申し上げますと、創造性の高い人はこの4つの判断をフル稼働させられる人なのです。簡単に申し上げていくと、思考的な判断は論理的判断です。先ほどから出ている、正解は何であるか、間違いないものはどうであるか、論理的に物事を考えて判断していこうとするものです。ところが感情的判断は、これはもう好き嫌いです。論理は入りません。感情的に、何か嫌とか、何かこれが好きとか、そういう感情による判断で、これは人間の中にあります。あとは、感覚と直観。これは気を付けておいてください。左側の直観的判断、これはひらめきです。パッとひらめいてくるというものです。論理も好き嫌いも関係ありません。何かひらめくということです。右側に観察と、感覚的判断で書いているのですが、日本の中では、これは気を付けておいてください。感覚的判断というのはイコール直観的判断のように使われていませんか。

川名:
はい、使われます。

川上:
「感覚的に判断してはいけない」、「それは感覚的な判断なのではないか」など、全部、直観です。

川名:
はい。

川上:
どこでどう混乱したのかはよく分かりませんが、実は感覚的判断はこの図に書いているとおり、感覚的判断は直観的判断の対極なのです。

川名:
はい。

川上:
反対側の判断なのです。要は、感覚というのは分かりやすくいいますと、感覚器です。目や耳、鼻、感覚器を通じての判断なのです。分かりやすく言うと、観察。目を通じて色を正確に見極めていく、耳を通じて音を正確に聞き分けていくなどです。もっと言いますと、論理は入らないです。感情も入りません。ひらめきや直観も入りません。ただ事実として何が起こっているかを見ていくということですので、データを大量に集めて、それを統計的に処理することで判断していくことも感覚的判断に入ってくるということになります。

川名:
はい。

川上:
ですので、ここのところを誤解ないようにお願いします。この4つのフル稼働なのです。川名さんは、どの判断が得意で、どれが不得意ですか。

川名:
できるだけ、この感覚と思考で科学的にいこうとは思うものの、やはり感覚でデータを集めるには時間もかかります。普段の生活の中でそこまでできないことも多いので、科学的と推論的を使い分けて生きていきたいと思っているというところです。

川上:
なるほど。そういうことを意識されているということは、反対のほうがむしろ不得意ということになるかもしれませんね。

川名:
はい。

川上:
今、おっしゃられたように、思考と感覚を合わせると科学的判断になります。

川名:
はい。

川上:
要は、感覚ということでデータをしっかりと見極めていく、ものをしっかりと観察することから何が起こっているかということをベースにして論理的に考えていきます。これは科学です。左上、これは推論ということになります。直観的にひらめいたこと、これは正しいのではないかということを、こうで、ああで、こういう論理で、こういう理由だから直観的にひらめいたものは正しいのではないかということをやっていくのが推論です。左下は信条です。直観的にひらめいて、何か、そのほうが好きだから。そういうものが信条というもので、別に理由があるわけではありませんが、自分はこう考えたいとか、こうやって生きていきたいというものです。右下は芸術的です。要は耳などで音をとらえて、とらえた音を論理に持っていくのではなく感情のほうに持っていくと音楽という芸術になります。目で見たものを、これも論理ではなく感情に持っていくと、例えば美術などの芸術になっていきます。この4つの領域を2つずつ合わせるとあるということです。

これは、例えば企業で働くにしても、ビジネスをやっていくにしても、この4つの判断、4つの領域は全部重要になると思いませんか。日本の企業を見ていると、大体、推論的判断がほとんどなのです。これはこうじゃないか、ああじゃないかと、自分が思いついたことを、例えば経営者の方は「これから先はこういうほうに進まないと駄目なのだ」というようなことを言って、それに理屈をつけ、「こういう論理だからそうなのだ、反論あったら言ってみろ」と、そういう傾向があります。そこに科学判断、これはものすごく重要だと思います。今、ビッグデータと言われますが、徹底的にデータを集め、その集めたデータから自分の思い込みや考えを置いておいて、それを統計的に分析したら、こういう結果が出てきているという判断もやっていかないといけません。

川名:
はい。

川上:
企業で信条的判断が合うところは何か、お分かりになりますか。

川名:
何でしょう。社風など。

川上:
そうですね。社風はまさに信条です。それをもう少し具体的な言葉で言うと、ビジョンというものでしょうか。企業のビジョンは信条の世界だと思いませんか。うちの会社は直観的にこんな会社じゃないかと。そういうものが好きな人が集まっている会社なのだから、これをビジョンにしようというほうが魅力的だと思いませんか。

川名:
はい。

川上:
芸術的ということも大事だと思います。例えば、自動車を買うときに、科学的な判断で自動車を買う人はあまりいないと思いませんか。

川名:
はい。

川上:
何かこの自動車がカッコいい、自分は何かこれが好きということで買いませんか。私などもそうですが、そういう中で、より多くの人が共通して好きと感じそうなものを感じ取れるという力がなかったら、あまり面白くないものばかり作ってしまいそうです。

こういった4つの領域をフル稼働させられるかどうか、ここに広げられるかどうか。これはもう創造性の基本になります。そうなってくると、これがなぜ教養と関係があるかと言いますと、先ほどの、右上の科学的な領域です。自然科学、社会科学、両方ともここに入ります。左上、歴史などはまさにここだと思います。歴史は全部が分かっているわけではありません。でも、その中に推論を入れていくことが面白いと思いませんか。例えば、本能寺の変が1582年6月に起こりました。これは間違いありません。それで明智光秀が織田信長を討ったことは事実として確認されています。でも、なぜ、明智光秀はあのとき織田信長を討ったのかということは、もう推論以外にないのです。過去のことですから、事実として既に観察できないのです。タイムマシンがない限りは。

川名:
はい。

川上:
そうなってくると、推論です。ですから、歴史なども、そういうほうから教養として身に付けていくと、非常に意味が出てきます。信条の世界には、まず宗教があります。宗教は信条ではないでしょうか。まさにこの領域ではないでしょうか。神はいると。自分はその神を信じていたほうが心地いいし、すごく気持ちが落ち着くからという世界が宗教世界です。政治というところにはクエスチョンマークを付けているのですが、私はそろそろ政治は早く科学に行ってもらいたいと思います。

川名:
そうですね。本来的には感情と直観では判断してほしくないものですね。

川上:
判断してほしくないですよね。これだけインターネットなども発達しているわけですから、もっといっぱい科学的にデータを取れると思うのですが、どちらかというと、信条によって政治が行われているような気がします。

川名:
よく見るマニフェストなども、抽象的な言葉が並んでいます。

川上:
ええ。まさに先ほどのビジョンです。

川名:
根拠がついてこないと、結局この人たちがこのマニフェストを達成できるかどうかという判断すらできない状況になると思います。

川上:
おっしゃるとおりです。ですから、やはり信条的なものから科学的なものへ、という必要があると思います。右下は当然、芸術領域で、美術、音楽、文学、いろいろあります。こういったものに触れていくこと。こういうことによって、いろいろな教養領域が、やはりこの4つに分類できて、偏りなくいろいろ経験していけば、この4つの判断のところに使えるようになってきます。そうなってくると、創造性も高まってきます。これが創造性と教養の基本ということになります。

川名:
はい。鍛えればいいと思うものの、どうやって鍛えたらいいのでしょうか。

川上:
聞いたことを言語化していくということを鍛えていくとうまくいきます。アナウンサーの人たちにもよく言うのですが、食レポというものがあるではないですか。食べたもののレポートです。私がよく知っているアナウンサーの人には必ず2つのことをやるな、と禁止しています。何かというと、「甘いですね」と「柔らかいですね」という2つの言葉は絶対言わないようにということです。甘くて柔らかければおいしいのなら、赤ちゃんかと。味覚はもっといろいろあります。だから、それを言語化していくことを鍛えていくわけです。食べてみて、いろいろ感じた。それを言語化すると、こういうふうになる、こういう味がある、食感としてこういうものがある。そういうものを言葉に直す訓練をしていくと、感覚器はもっともっとセンサーとして鍛えることができるようになります。

これも教養に求められるレベルということですが、ここに4段階のものを書いています。これはもともと専門性を評価するときのレベルになります。これは本に例えていくと分かりやすいのですが、一番下、知識として記憶して理解しているということです。これは専門性で言うと、ある領域について、専門書を読んで理解できるというレベルです。2段階目、その知識について自分の論理も入れて、応用や周囲について興味深い解説もできると書いていますが、これは専門書を読んで理解できているだけではなく、他の人にも解説できるというレベルです。他の人にも分かる、あるいは専門書で読んだ理論を自分の仕事に応用する、活用できるレベルです。もう一つ上になると、新たな理論、方法を打ち立てる。これは専門書を自分で書けるというレベルです。専門書を書いてしまったら終わりではないかと思ってしまうのですが、もう一つ上は何かと言いますと、自分の専門書がいろいろなところで引用されるというレベルなのです。いろいろなところで使われると。このような4段階があるのですが、実は上2つはプロレベル、下2つはアマチュアレベルです。このときにリベラルアーツは下から2段階目。これが基本であるということを押さえておいてください。

川名:
はい。

川上:
上まで行く必要はありません。逆にそれはリベラルアーツではなくなります。その領域のプロになってします。

川名:
はい。

川上:
要は、知識として記憶し理解しているだけでは全く意味をなさないということです。ただ偉そうになりたいだけのリベラルアーツではなく、それを自分の仕事にちょっと応用してみるなど、何か他の人と語ってみて、他の人も楽しくなり、「それは面白いですね」というようになってお互い盛り上がるとか。そういったことに使っていく必要性があると思っていただければと思います。

ですので、こういう教養を高めるためには、何でもいいです、別にこういう領域を教養として必ず持っておかなければいけないなどと考えるよりは、いろいろなことに興味や疑問を持つことが、まず基本です。それを思ったら、次は即座に調べてみる、発見する。こういったところが必要になります。幅広く、いろいろなことをただ知識として持っているよりは、それについて経験してみて、体験してみて、それを自分なりに考えて感じ取ってみて、こういうことでこうなっているのでないかということを考えて、それを語ってみることです。こういうところに持ち込めると意味のある教養になってくるのではないかと思います。

川名:
はい。ありがとうございました。