平成25年度第6回講座: ~『論語』から学ぶ交渉力~

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾
岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成25年度シリーズ

【第6回講座】コミュニケーションにおける思いやり
~『論語』から学ぶ交渉力~

講師
青柳 浩明(岩崎育英文化財団 岩崎学生寮・事務長)
場所
東京都 [岩崎育英文化財団 岩崎学生寮(東京都世田谷区北烏山7-12-20)]
放送予定日時
平成26年5月3日(土)06:00~07:00他 ※以降随時放送

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青柳 浩明

ビジネス論語スクール 専任講師
岩崎育英文化財団 岩崎学生寮事務長

1966年東京都生まれ 明治大学卒業
幼少時から論語、漢籍を学び、ビジネス現場で実践や指導をおこなう。
著書:「論語説法」(講談社)、「ビジネス訳論語」(PHP研究所)等

外山 麻衣

株式会社 シー・シー・アイ
組織開発コンサルタント

講義内容

 

 

青柳:
皆さん、こんにちは。

一同:
こんにちは。

青柳:
本日のテーマは、「コミュニケーションにおける思いやり」ですが、今後、皆さんが社会に出たときに、コミュニケーションというのは本当に大事になります。今は学生さんですが、その時に忘れてはいけない心構えや心というものがあります。本日は岩崎学生寮の皆さんにお集まりいただきました。よろしくお願いします。

一同:
よろしくお願いします。

青柳:
本日は、まず、ブレーンストーミングを通して、心の気付きについて、論語の教えを学んでいきたいと思います。
ブレーンストーミングをやっていく目的は2つあります。1つは、もちろんブレーンストーミングそのもののスキルアップがありますが、もう1つは、論語の言葉にこういう言葉があります。

「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず」

啓発という言葉を聞いたことがありませんか。自己啓発です。それの基になった教えです。そして、「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず」というのは、どうしていいか分からないことです。今何か問題とか解決しなければならないことに出くわしたときに、どうしていいか分からず、もやもやしているというのが「憤」と言うのです。啓発の「啓」「発」は、両方開くという意味なのです。「教えてあげない」というのは、意地悪ではなく、もやもやしているときに伝えることです。そして、「悱せずんば発せず」の「悱」というのは、自分の思いとか考えを、何をどう言っていいか分からないときに、アドバイスをすると相手の心に伝わるのです。そのようなことが、「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず」です。

今日は、疑似的にブレーンストーミングを使い、皆さんにある意味もやもやしてもらいます。かっこよく言うと、カオスに入ってもらい、そこで論語の教えを伝えていき、ブレーンストーミングもやっていきますので、よろしくお願いします。今日は副題として、「論語から学ぶ交渉力」とあります。仲君は人生で初めて交渉というものをしたのはいつぐらいですか。

仲:
中学校3年生のときだと思います。ちょうど、私は部活動でキャプテンを務めていました。バレーボールをしていたのですが、審判の判定に対して何か疑問だったり、不服な判定があったりしたときには、どのようににしたらこちらの意見を分かってもらえるか意識しながら話をするようにしていました。

青柳:
それは中学時代になるのですか。

仲:
はい。

青柳:
中村さんはどうですか。

中村:
私は、2つ上の姉の英語の宿題をしてあげる代わりに、私の数学の宿題を解いてもらうということを中学校時代によくしていました。

青柳:
いわゆるバーターと言われるようなことで、取引と言ってもいいかもしれないです。しかし、よくよく考えると、私もそうですが、皆さんもそうでしょうけれども、交渉は、恐らく幼稚園のころからしていたはずなのです。欲しいものがあると、どうねだっていたかということです。それを言葉で言うか、もう地面に寝転んで動かないとか、それも交渉なわけです。ただ、ビジネスの世界では、会議室で寝転がってバタバタしても、誰も聞いてくれないのが大人の世界でして、それだけが違うわけです。というふうに思えば、交渉というのは、実は皆さんが物心ついたときから始めているものなのです。その時に、今日の主題である、「心」自分の心とか相手の心を思いやるということを今日は学んでもらいたいと思います。

ケース1 感情

(ケース選択に戻る)

青柳:
ケース1のテーマとしては、自分の感情をどうコントロールするかです。コミュニケーションにおいて、自分の感情というのをとてもコントロールするのが重要になります。特に打ち合わせとか相談で、せっかく自分が考えて温めてきた意見とか思いを、出したい、通したいという思いが強すぎると、それに反対してくる人たちに対し、言い負かそうとか、もしくは逆に言い負かされてしまうということがあると思います。そういう行動について、本来はどうしたほうがいいかということを、考えてみたいと思います。自分の感情の処理の仕方等を、早速ブレストをしてみてください。

東:
コミュニケーションは、相手との意思疎通を目的とした行動なので、やはり、相手の意見もありますし、自分の意思だけを通すことは、一方向しか情報伝達がないので、コミュニケーションとは言えないわけです。結局、コミュニケーションというのは、それを通して何か生まれていくものなので、そんなことをしてしまうと何も生まれず、わだかまりだけが残ってしまう感じが私はするのです。

徳:
東君が言ったように、話している中で共通理解をつくるために擦り合わせたりするのがコミュニケーションだと私は思うのです。やはり、言い負かすということは、それが共通理解になっているかと言うと、本当になっているとは言えないはずなので、コミュニケーションという場でしたら、勝敗とか優劣ではないので、言い負かす、言い負かされるという次元で考えては駄目だと思います。

仲:
確かに、言い負かすことが私は多いのです。やはり、言い負かそうとしているときに、このような話題を振られて冷静になり考えてみたときに思うのは、例えば、徳君とかと一緒に考えたアイディアを生み出そうというのではなく、いかに自分が徳君の持っている意見より優れているかを、私は周りのみんなにアピールする方向に走ってしまっている傾向があると思うのです。やはり、相手にある程度リスペクトして、お互いの相互理解の中で、その相手のことを聞いて、そして、自分の意見も言うわけです。そこの間で生まれたものを目指すのか、それとも相手に対し、一方的なアピールで攻撃するのがコミュニケーションなのか、それとも相手を言い負かそうとしている口論なのかの違いなのかとすごく感じます。

東:
言う、言い負かされるのは、ただの武力と変わらないわけです。そういうのをなくすためのコミュニケーションなのに、言う、言い負かすだけだと、武力を使っているのと同じで何も進歩をしていない感じなのです。やはり、相手の言葉で、意思疎通をしうまい具合の妥協点を見つけていく作業なので、言い負かすというのはあまりよくないし、本当に何も生まれないのです。

徳:
そうです。ですから、その言い負かすことをやめるために、たぶん自分の意見の中で、自分の意見の駄目な点を探りながら話すことが重要だと思うのです。相手の意見を聞いて、その相手の意見を取り入れることで、自分の意見を変えていき、相手の意見と混ぜた共通理解を深めることができるのかと思います。コミュニケーションでは、自分の考えのメリット・デメリットの両方を把握しておくことが重要かと思います。どうですか。

中村:
やはり、コミュニケーションというからには、相手のことをよく知ろうとする姿勢が大事かと思います。やはり、自分の考えを押し付けるばかりではなく、自分の意見の一長一短を理解し、その上で相手の意見も聞きつつ、自分の意見も出しつつ、よりよいものを生み出すための対話が必要かと思います。

青柳:
はい、ありがとうございます。今、皆さんにブレーンストーミングをしてもらいました中に、相手を思いやるとか、相手をリスペクトするとか、それが論語の中では礼儀の「礼」という一文字で表します。では、具体的に今のケースについて、論語ではどういう言葉があるかを見ていきたいと思います。では、一緒に素読をしてみます。
「人に禦るに口給を以てすれば」

一同:
「人に禦るに口給を以てすれば」

青柳:
「しばしば人に憎まる」

一同:
「しばしば人に憎まる」

青柳:
はい、ありがとうございます。
「人に禦るに」というのが、まさに口論のときに相手をねじ伏せよう、抑えようということになります。「禦る」という字は、珍しく、普段使わない字ですが、制御の「御」というものが含まれています。物事をコントロールする、つまり、人をコントロールする上において、「口給」というのは、つまり発言で言い負かせるということです。言い負かせることをもって、相手をコントロールしようとすると、だいたい人に憎まれる、相手に反感を持たれるということです。つまり、その場の会議などで、確かに自分の意見が通ったかもしれないが、相手に反感を持たれると、例えば、次回の会議は絶対に東君が出してきた意見をつぶしに掛かるなど、そのように招いてしまうことになります。では、自分の意見を通したいわけですが、これを実行していくためにはどうすればいいかと言うと、皆さん、今ブレーンストーミングの中で出てきた相手の思いを考えておくことや、相手にリスペクトをするということが重要になります。

【ブレーンストーミング】 基本原則

外山:
ブレーンストーミングとは、集団でアイディアを出し合うことによって、発想の幅を広げていく思考法の一つと言われています。4つの基本原則が重要です。まず、1つ目は、「批判は控える」ということです。アイディアを出すことが目的ですので、結論を出すのは次のステップにします。2つ目は、「奇抜なアイディアを推奨する」ということです。出したアイディアが刺激役となって、さらに次のアイディアが出てくることを期待しています。3つ目は、「質より量を重視する」ということです。多様な視点、多様なものの見方でアイディアを出すことが重要です。そして、最後4つ目は、「発想を組み合わせて発展させていく」ことです。参加しているメンバーがお互いに刺激をし合い、発想を広げていくことが重要です。

ケース2 聞いてもらうためには

(ケース選択に戻る)

徳:
分からないことを言ってもどうしようもないので、否定されることはまた別かもしれないのですが、聞いてくれないときは、たぶん相手方も分からないということが多いと思うのです。それを防ぐために抽象的ではなくかみ砕いて、具体的に一つずつ説明をしていくことが、相手に理解してもらうことになります。反論する余地も与えて、それを取り入れる余地を与えるために、具体的に説明をすることが重要かと思います。

中村:
私も説明の仕方がすごく大事だと思っています。どんなに熱を持って説明しても、感情的になってしまったり、根拠がはっきりしてなければどうしても相手を説得したり、理解してもらったりできないと思うわけです。こういう理由があって、自分はこう思っているという、その根拠の部分をしっかり話して理解してもらうのが大事かと思います。

東:
確かに聞いてもらえないという経験は、私もそうですが誰しもあるかと思うのです。だいたいそういうときに少し感情的になってしまい、自分は合っているのに、なぜ相手は聞いてくれないのか、相手が悪いのではないかと思いがちになってしまったときがあります。しかし、そういうときはだいたい冷静に考えてみると、たいてい自分の伝え方が悪いことが多いわけです。2人の方が言ってくれたように、きちんと相手のことも考え、かみ砕いて、先ほども出ましたが、相手のことを考え、リスペクトをしながら話していくことが大切になってくるのではないかと思います。

仲:
確かに3人が言っているように伝え方もすごく大切だと思うのですが、やはり、私は、一つ大切なのは物事の切り口を変えるのもすごく大事かと思っています。例えば、私はすごくプロレスが好きでよく見ているのですが、そのプロレスの良さを中村さんに伝えようとしても分からないと思うのです。しかし、例えば、プロレスを格闘技として伝えるのか、それともショーパフォーマンスの一面から伝えるかで、物事の見方も違ったりしてくると思うのです。その伝え方の経路を自分の側からだけではなく、相手も興味のある側まで広げて伝えていくわけです。伝え方だけではなく、出発地点を変えるのも重要かと私は経験としてすごく思います。

東:
そうです。そのまま伝えても、押し付けになる感じですので、別な方向から工夫してみるという考え方はすごく良いと思います。

徳:
そうなると、言葉選びが重要になると思うのです。自分の知っている言葉だけではなく、いろいろな自分の経験を基にして、相手の知っているような、または好むような言葉を選んで話したりすることが重要かと考えます。

東:
やはり、語彙力もすごく多く必要になってくると思うのです。本当に言葉をたくさん知っていると、いろいろな意味があり、使えるので便利になります。そのように考えると、私自身はあまり本を読まないのですが、普段から本を読むということはすごく大事かと思います。物書きは、論理的にきちんと人に読んでもらうために分かりやすいように文章を書いています。そういうのを見ながら、「あ、こういうふうに話を進めていくと人に聞いてもらえるのだ」と、言い方は悪いのですが、普段から盗みながら読んでいくと、会話にも応用できるかと思います。

青柳:
語彙力や切り口、内容の伝え方は、全て大事です。ただ、仮にその全部が正しかったとしても、自分の意見が聞かれないという場合が皆さんも経験上、きっとあると思うのです。それについて論語の教えがあるので見てみたいと思います。

「君子信ありて後、其の民を労す」

一同:
「君子信ありて後、其の民を労す」

青柳:
「未だ信ぜられざれば」

一同:
「未だ信ぜられざれば」

青柳:
「則ち以て己を厲(や)ましむとなすなり」

一同:
「則ち以て己を厲(や)ましむとなすなり」

青柳:
「信ありて後、諌(いさ)む」

一同:
「信ありて後、諌(いさ)む」

青柳:
「未だ信ぜられざれば」

一同:
「未だ信ぜられざれば」

青柳:
「則ち以て己を謗(そし)るとなすなり」

一同:
「則ち以て己を謗(そし)るとなすなり」

青柳:
いったい何を言っているのかと思うかもしれませんが、キーワードとしては、「信ありて後」というのがあります。君子というのは、論語ではよく出てくるのですが、為政者で、つまり組織の上にいるトップという意味もあれば、そういう人物を目指そうという理想形として、「君子はこうありたい、理想的にはこうだよね」と使われる場合があります。この場合は、この後者のほうになります。

「信ありて後」は、信用関係ができてからいろいろとやりなさいと言っている文章なのです。同じことを同じような言い方、ボキャブラリーを使っても、信用関係があるかないかで、相手の受け止め方が変わるわけです。180度も変わってしまうというのが、この教えです。

例えば、上司に対して、「諌める」と言います。目上の人、権力のある方に対して、「いや、私はそういう考えではありません。考え直しください」という行為が、この「諌める」という行為です。そして、信用があると、「諌める」というのを上司の人、権力がある方というのは、「なんて忠義な人間なんだ、私に物事を言ってくるとは勇気もいったろうに、でも、言ってきてくれた」というふうに受け止めるのです。例えば、東君が私に同じことを言ったとします。そして信用関係があるときは、「よく言ってきてくれた、ありがとう。ちょっと検討するよ」となります。しかし、もし不信関係だった場合は、「私は東君にばかにされた」と感じてしまうのが、「謗る」という意味なのです。同じことで、同じボキャブラリーを使い、同じ文節、文章なのに、信用関係があるかないかで、方やよく言ってくれた、方や私をばかにしているのか、と分かれます。
「民を労す」とあります。信用があってから、その民を労しなさいと言っています。厄介な仕事をお願いしたいというのが、この「労」という字になります。その時に、もし信用関係があれば、私が仮に仲君に無理をお願いするとします。その時に信用関係があると、「青柳さんは私を信用してくれて、こういうことをお願いしてきているんだ。大変だけどやってみるか、やってやろうか」くらいは感じてくれます。しかし、信用関係がないと、「またかよ。この人はいつも私に厄介な仕事を振ってくる」と、それが「厲(や)ましむ」という字なのです。つまり、信用関係ができていないと、自分の上の人に対しては、同じことを言っても、相手は「ばかにされた」と感じてしまうわけです。後輩とか目下の人にそのようなことを言ってしまうと、「また、こきを使われている」と感じてしまうわけです。

徳:
親友や寮で一緒に暮らしている関係においては、ある程度の信用関係ができていて、相手に話を聞いてもらえるかもしれませんが、初めて会う人や、大きな会議場で人と話すときは、やはり信用関係がないから、どうしても不信のほうに流れがちになると思うのです。それを防ぐためにはどうしたらいいでしょうか。

青柳:
それは、まさに皆さんが社会に出たら必ず要求されることになります。この人は名刺の渡し方も知らない、あいさつ、お辞儀の仕方も知らない、ドアの開け方も知らない、どうして私に会うのにこのような服装をしてきているのかなど、第一印象をどう演出するかが大事になります。そのようなことをいろいろやるのは何故かと言うと、「私はあなたと初対面ではありますが、信用がおける人物として見ていただきたいのです」ということを、いろいろな方法を使ってやっているわけです。そして、ある人は、もう最初から信用をしてもらうために、自分はこんなに頑張っていますと、朗々と説明する人もいます。方や、信用をいただくために、お客さまや初めて会った人の話を一生懸命聞こうとします。そのようなテクニックなどを使うことがあります。

ケース3 伝えるとは

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徳:
さきほどの話と少しかぶってしまうのですが、仲君がプロレスの楽しみ方を教えるのに別な方向から見る、教えるとありましたが、一つの物事の結論にも、たぶんいろいろな考え方のプロセスがあると思うのです。一つのプロセスが駄目だったときに、ほかのプロセスで相手に伝えると、それが相手にはまり、相手が理解できることがあると思うので、その多くのプロセスをつくるのです。そのためには、一つのものに対していろいろな見方をすることが重要かと思います。

東:
私自身はこのような経験は結構あったのですが、自分と相手は絶対に違う人間なわけです。生まれたときから全然違う考え方をしているので、まったく違う常識をもって育っているわけです。自分は、これが当たり前のことだと思っていることが相手にとってはそうではないということがあるのです。ですから、話をしていて自分の中で当たり前のことは飛ばして話してしまうわけです。いわゆる、相手にとっては論理の飛躍なのです。そういうことで伝わらないという経験が私自身、結構あったので、そういうときに一つずつ、「私はこうこうこうだからこう思っている」と言うと、相手は「それは分かる」という感じで、次に「私はこうだから、こう思うんだよ」といったときに、相手は違和感を持つのです。そこで相手との違いが分かってきて、どうしたら伝わるのかということを、いろいろ工夫をしたという経験があります。

中村:
私も今の意見にすごく共感ができます。自分の立場からしてみれば普通だと思ってしまうことでも、相手から、それはどうなんだろうと思われることがあり、そのときは相手の身に置き換えて例え話をします。例えば、「誰々にとって、こういうことがあったら、こうじゃない」という感じで、どういう話だったら相手に分かりやすいのか考えて、自分の体験談で、「こういうことがあって」ということばかりを根拠にするのではないのです。もし、「誰々だったらどう思う?こうじゃない」というように、相手の分かりやすい分野の話や例え話を用いて話すよう心掛けることがあります。

仲:
確かに東君が言ったように、たぶん価値観だけではなく状況も違うと思うので、そこに対しての配慮が重要かと私は思います。例えば、先ほど度々出てきたプロレスの話を、東君がテスト期間で忙しいときに、私が夜な夜な部屋に行き、延々と語っても、たぶん聞ける状態ではないと思うのです。ですから、相手の状況を考えてあげ、必要最低限の言葉で伝え、もしくは時間に余裕があるようなら、プラスアルファーでもう少しよりよい意見を生み出すための時間を設けるなど、相手の置かれている状況も考えてあげることです。そこはいくらやり方を工夫したところで、やはり伝わらないことが多いのではないかと私は思います。

徳:
もう一つ、仲君の見方とは少し違うのですが、相手の話を聞くことで信用関係をつくりつつ、自分の伝えたいことを最低限にし、相手に話してもらうのです。それをどう思うか話していき、相手は自分の意見を話すことで、自分の中で理解が深まると思います。学校でも、自分が質問をすれば理解するとよく言われるので、「自分で質問をしないさい」と子供のころよく言われました。ですから、中村さんの話を聞いて、自分で質問をさせるということが、相手に伝えることが重要かと思いました。

青柳:
このケースにおける論語の一つの教えをまた読んでみたいと思います。
「辞は達するのみ」

一同:
「辞は達するのみ」

青柳:
これは短いのですが、コミュニケーションにおける原理原則を解いています。論語というのは、2500年前の孔子の教えですが、その原理原則を言っています。「辞」というのは言葉です。例えば、東君が仲君に言葉を発するのは、何のために発するのですか。

東:
自分の意思を伝えたいからです。

青柳:
どうして意思を伝えたいのですか。

東:
共感してもらいたいからです。

青柳:
そうです。私たちが言葉を発するときは、決まって何かを相手にやってもらいたいときなのです。ですから、独り言は、ある意味もう一人の自分に言っているわけです。暗示を掛けるというのは、まさにそれです。お風呂に入っているときなど「もっと頑張れ」と、言ったりするのは、もう一人の自分を励ましているのです。私たちは、普通は他人に対して言葉を掛ける、文章を送る、メールを送るというのは、自分のある思い、願いをかなえてもらいたいからそれをやるわけです。

例えば、先ほどの例だと、共感してもらいたいわけです。「そうだよな。東の言っていることは悪くないよ」などと言ってもらいたいときもあれば、例えば、仲君が徳君に「これやっといて」というときも言葉を出します。それは、ある作業依頼なわけです。同感してもらいたいとか、共感してもらいたいとか、あとは逆に激励してもらいたい等あります。

そして「報・連・相」は聞いたことがありますか。

報告、連絡、相談などは、相手にその情報を知っておいてもらい、知った上で、今後私が行う発言とか行動をチェックしておいてくださいという思いが根底にあります。つまり、主導権は常に相手にあることを理解しておくことです。そして、「辞」というのは、自分が言いたい言葉、言いたい思いというのは、達しなければ駄目だと言っているのです。「どこに」と言うと、「相手の心に」、「達」というのは、到達という意味です。相手の心に到達しないといけないわけです。

先ほど、ブレーンストーミングで中村さんが言っていた、相手の立場になると分かるかもしれないのです。つまり、相手の理解力や、仲君が言ってくれた、相手の置かれた状況を踏まえて、どう伝えるべきかまで含んでいる教えです。そして、何がコミュニケーションの原理原則かと言うと、思いを伝えたときに伝わらなかったり、何か命令や指示をしたのに実行されない場合が世の中には結構あります。誰かにものを頼んでいたのにやってくれなかったなど、皆さんもありますよね。その時の責任はどちらにあるのかとなると、今、私の説明を聞く限り、仲君どちらに責任がありますか。

仲:
発言者側です。

青柳:
そうです。それを言っているわけです。ただ、論語の基本的な考え方は、相手に対して、ああだ、こうだと要求するのではなく、自分ができることをやっていくことです。それによって相手と協調してやっていく考え方がバックボーンにあるので、このような「辞が達するのみ」という教えが出てきます。

【ブレーンストーミング】 感情の取り扱い方

外山:
ブレーンストーミングを効果的に行うためには、アイディアを出す人も受け取る人も感情と向き合うことがポイントになります。アイディアの裏側には、必ずそれをいいと思う感情があるはずです。一般的に、ビジネスの場面などでは、感情を出してはいけないと言われることもあると思いますが、実は、感情的になるのと感情を出すのは違います。

例えば、自分のアイディアを出したに、周りに思ったような反応が得られず、いらいらしてしまったり、不安な気持ちで次の発言をしてしまうのは、「感情的になる」ということです。自分が過去にこんな経験をしてすごく悔しかったから、ぜひ、このアイディアを採用してほしいということを表現するのは、「感情を出す」ということで、感情的になっているのとは違います。アイディアを出して組織が何らかの行動に移していくためには、人が持っている感情のエネルギーを注ぎ込んでいくことがとても重要になります。よりよいアイディアを出していくためには、自分自身の感情をどのように取り扱うのか、注意をしてみてください。

ケース4 アドバイス

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徳:
一番いいのは、直接、「ちょっとおかしくない」と言えるのが理想だと思うのです。本当に仲の良い友達だったらそれができるかもしれないのですが、場の空気もあり、険悪になると考えると難しいかと思います。

東:
テーマ2であったとおり、信頼関係があれば、「ああ、そうだね」となります。

中村:
しかし、はっきり言ってしまうと、相手もいい気はしないと思うので、逆効果だと思います。はっきり言うのではなく、相手がすごくテンションが上がってしまっていたら、どうしてそう思うのか、相手の話を落ち着いて聞いてあげる姿勢が大事かと思います。やはり、「ちょっとおかしい」と、全面的に否定してしまうと、相手もかっとしてしまうと思うので、冷静に理解しようとする姿勢が大事かと思います。

仲:
しかし、相手に対してはっきり言うことは、重要かと思うのですが、はっきり言ってしまったときに、グループで何かを話し合っている内容から逸脱し、その分何かしらの新しいコミュニケーションが生まれてしまい、正直言うと面倒くさいことになってしまうわけです。そうなるぐらいだったら、なるべくもとの路線に戻すように話を周りに振るのです。そのように脱線し掛けているものを修正していくほうが、その場をやりすごす分には一番いいのかと思います。

徳:
自分がおどけるというか、その話を終わらせ、自分が引き受け、では次、この話もという感じで、また元に戻すことです。ですから、自分が悪者になるわけではないですが、自分が引き受けることが重要かと思います。

東:
この問題は少し難しいです。

青柳:
難しいです。

東:
私自身、同じ状況になることは確かにあります。やはり、分からないので、だいたい放っておく感じになりがちです。改めてどうしたらいいのかと言われると、難しいと思います。

青柳:
はい、ありがとうございます。

では、論語ではどう教えているのか見てみたいと思います。
「子貢、友を問う」

一同:
「子貢、友を問う」

青柳:
「子曰く」

一同:
「子曰く」

青柳:
「忠やかに告げて」

一同:
「忠やかに告げて」

青柳:
「これをよく道びき」

一同:
「これをよく道びき」

青柳:
「不可なれば則ち止む」

一同:
「不可なれば則ち止む」

青柳:
「自ら辱めらるること毋かれ」

一同:
「自ら辱めらるること毋かれ」

青柳:
子貢という人と孔子さんの会話なのですが、「友を問う」というのは、友達、友人というのはどういうものなのかということです。「友人」とは何ですか。つまり、「どう接すればいいのでしょうか」と質問するわけです。まさに、このケースで言う、放っておけない、何か問題があるわけです。先ほど、東君が言ってくれたように、得てして私たちはどうしていいか分からないから、時間がたってからいうのが多いのです。それに対して、「忠やかに告げて」忠やかというのは、「忠」という字です。

この「忠」という字は、上に「中」という字があります。これは、ハートを意味しています。ハートの中の中身が詰まっているという意味です。そのような心というのが、「忠」という字です。つまり、相手や周りの人のためにこれをやってあげようと思ったら、最後までやり通す心のことです。これが「忠」という字です。何か難しく感じるかもしれませんが、要は、心の掛け目がないという意味なのです。「忠やかに告げて」というのは、心の掛け目なく、つまり相手、友人だからこのままでは放っておけないというときは、その思いのとおりに行動をするのです。つまり、これではまずいと告げなさいと言っているわけです。そして、「これをよく導き」は、その人の話が脱線しそうなら本来こちら側をきちんと走るべきで、進んでほしいという方向に軌道修正をしてあげなさいというのが、「道びく」です。

ここまでは普通のアドバイスです。つまり、放置しては駄目で、大事な友人、同僚だったり、大事な人だったらきちんと言ってあげるのです。先程来、皆さんがブレーンストーミングでいろいろ出てきたように、相手がそれを聞いてくれたらとか、いうのがきちんとこの文章は用意されています。

「不可なれば則ち止む」
相手が、もし聞き入れてくれなかったら、さっさとやめなさいと言っているのです。言うまいか言ったほうがいいか、どうしようかと迷いがあるにしても、それをきちんと断ち切り、まずは言いなさい、だけど相手がとても聞き入れられる状態ではないと言ったら、すぐやめなさいと言っているのです。そうしないとどういうことが起こるかというのが、最後の行です。

「自ら辱めらるること毋かれ」というのは、あなた自身が、相手から侮辱されたりしないようにしなさい、ということです。ちなみに、「忠やかに告げて」から、忠告という言葉が生まれました。ですから、忠告の本来の意味は、単純に指摘するとか、そういう意味ではないということです。相手のことを思うが故に告げるという思いです。

仲君は、徳君のある問題行動や、問題発言を放っておけないといします。次回の会議まで直すように言いたいのです。そして言いましたが、徳君が仲君から言われ、納得できないとします。そして2回、3回言ってきたら、どう切り返しますか。

徳:
言い返すか無視をするかです。

青柳:
そうですよね。そうしたら、仲君はどう思うかということです。

仲:
たぶん、ものすごくむかつくと思います。

青柳:
つまり、徳君から仲君にされた行為というのが、辱めを受けたということになります。それが今度「辱め」という字になります。侮辱をされたとなり、「せっかく徳君のために、私はあえて言ってあげているのに、なぜこんな目に遭わなくてはいけないのだ」という目に遭わないようにと言っているわけです。でも実は、ここは、この言葉尻だけはそういう説明になるのですが、もう一つ、深い意味があり、仲君は、そういうふうに辱められたと思ったら、今度は徳君のことをどう思い始めますか。

仲:
たぶん、「何だ、こいつ」と、不信感や、こうしてやっているのにという感じになります。

青柳:
なりますよね。そうすると、もともと、最初は「忠やか」ということで、徳君のことを思えばこそ、大事だからこそ言った気持ちがあったはずなのに、辱められたことで、自分の最初に持っていた「忠」、忠やかな心が欠けていってしまうわけです。「恩知らずめ、なぜ、私にこんなことを言うんだ、私だって忙しいのに」とか、そうすると、本来、仲君が最初に思っていた心というのが、欠けていってしまうのです。そうならないようにしなさい、というところまで踏み込んでいるのが、この教えなのです。

ですから、先ほど東君が言ってくれたように、難しいわけです。しかし、ここで言っている教えとしては、まずは言うべきことは言ってあげます。もちろん、その時にタイミングとか、感情が落ち着く等、先ほどのブレーンストーミングで出ていました。そういう条件を見極めた上で、告げるべきことは告げてあげるのです。しかし、それがかなうかどうかは、また別問題なのです。その結果で、また、あなたの心が汚されるというか、せっかく人のためにしてあげよう、大事にしたい人の心が欠けることのないようにしなさいというのが、この教えです。東君、どうですか。

東:
勉強になります。

青柳:
ここで大事なのは、本当に「忠やか」ということです。あとは相手が聞き入れないときは、いったん引き下がり、そこで無理強いをしたら駄目なわけです。それは冒頭のケース1です。相手への押し付けになってきます。

【ブレーンストーミング】 組織活動で陥りがちなケース

外山:
ブレーンストーミングを行う際に、組織活動で陥りがちなケースについてお話をします。まず、1つ目は、そもそもの目的を見失ってしまうケースです。本来であれば、新しい戦略を考えようとか、起きている問題について解決策を考えようと、ブレーンストーミングを始めるのですが、だんだん白熱してきてしまい、自分のアイディアを押し通すことに集中してしまったり、逆に葛藤(かっとう)を避けるあまり、アイディアを出すことをやめてしまったり、消極的になってしまうということが見受けられます。

2つ目は、原体験を共有できていないというケースです。出たアイディアを伝えたいと思う背景には、必ず何かしらの原体験があるはずです。この原体験というものを、お互いに共有しないで話し合いを進めてしまうと、「こうあるべきだよね」といったいわゆる、一般論の話し合いで終わってしまいます。発想の幅を広げるためには、ぜひ、原体験の共有をしながらブレーンストーミングをしてみてください。

そして、3つ目は、具体的な行動や計画に落とし込めていないというケースです。ブレーンストーミングで、さまざまなアイディアがせっかく出ても、そのあとに具体的な行動や計画に落とし込めていないと、参加した人にとっては、あのアイディアを出したのはいったい何だったのかと、発想を広げることに否定的な気持ちがわいてきてしまいます。ぜひ、アイディアをスピーディーに、次のステップに生かしていっていただきたいと思います。

ケース5 気配り

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青柳:
ケース5は、気配りです。打ち合わせや相談をしているときに、私たちは、どうしても話が上手な人、特定の人の意見や見解にすごく影響を受けます。それはそれでいいのですが、そのメンバーの中に、口下手な人がいたときに、どうフォローしてあげるのか、言わないのが悪いのだからで済ませてしまっていいのかどうかについてです。特に皆さんが、その場のリーダー、司会役、進行役だった場合というのが、このケース5になります。
「それ恕か」

一同:
「それ恕か」

青柳:
「己の欲せざるところ」

一同:
「己の欲せざるところ」

青柳:
「人に施すことなかれ」

一同:
「人に施すことなかれ」

青柳:
人生で、一生涯守るべき教えを一文字で言うとしたら、何がありますか。孔子さんに結構むちゃな質問をし、その答えがこの教えです。「それは恕というものだろうなあ」と。「恕」というのは何かと言うと、実は、先ほど皆さんのブレーンストーミングの中で、中村さんが何回か言っていたせりふなのですが、自分のしてほしくないことは、人にしない。つまり、相手の立場になると言いましたが、実は相手がどんな人かというのは分からないのです。でも、自分がもしその目に遭ったら、いいか悪いか判断できるはずです。特に、やってほしいことというのは、難しいのですが、やってほしくないことは、たいていみんな一緒です。うそをつかれたくない、ばかにされたくない、だまされたくない等、だいたい同じなのです。ですので、自分のしてほしくないことを、まず人にしないことです、という教えがあります。

これは、先ほどのケース5で言うと、もし自分の意見が整理できてなく、発言ができない立場だったら、それをナビゲートしてくれるように司会が振ってくれればいいとありました。意見が出せないから無視される、放置されるというのは、そうされたら仲君も嫌ですよね。相手の状況を察して、発言を促してあげることが大事だということで、この教えを出しました。

ケース6 失言

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青柳:
失言というのは、誰かがその言葉を受け取り、心を痛める、傷つくというのが、失言と言われます。暴言というのもそうです。皆さんが今後、社会に出たときの上司と言われる人、大学で言えば先輩や教授です。皆さんのゼミとか研究室にいると思うのですが、そういう人とのコミュニケーションにおける、3つの間違いという教えがあるわけです。それがこれです。では、読んでみたいと思います。
「君子に侍るに三愆有り」

一同:
「君子に侍るに三愆有り」

青柳:
「言未だ之に及ばずして言う」

一同:
「言未だ之に及ばずして言う」

青柳:
「之を躁と謂う」

一同:
「之を躁と謂う」

青柳:
「言之に及びて言わざる」

一同:
「言之に及びて言わざる」

青柳:
「之を隠と謂う」

一同:
「之を隠と謂う」

青柳:
「未だ顔色を見ずして言う」

一同:
「未だ顔色を見ずして言う」

青柳:
「之を瞽(こ)と謂う」

一同:
「之を瞽(こ)と謂う」

青柳:
「君子に侍るに」の、「君子」は、この場合立派な人物です。皆さんが、これから、先ほどの上司と言われる人に、「侍る」というのは、お仕えするという意味です。ここから「侍」が出てきます。侍っている人、つまり、お殿さまの近くで、お殿さまをお守りしている武人たち、軍人たちというのが武士です。そして、三愆の「愆(けん)」は、タイミング上の謝りという意味を持ちます。3つのコミュニケーションにおける、タイミング上の3つの謝りがあるのです。

「言未だ之に及ばすして言う」
まだ、言ってはいけないタイミングなのに、言ってしまう、そういう人を騒がしい人と言い、騒がしい行為というのです。

「言之に及びて謂わざる」
言うべきときが来たのに、今度は言わない。それを、今度「隠」、隠す、黙っていると言うのです。

そして最後の、「未だ顔色を見ずして言う、之を瞽と謂う」
顔色(がんしょく)というのは、顔色(かおいろ)と読めば分かると思います。相手の状況を見ないで、自分の言いたいときに言うことを盲目の人、周りの状況が見えない人と言うわけです。タイミングだけでも、コミュニケーションで失敗を犯すときがあるといことです。全部正論を言っているかもしれませんが、「言未だ之に及ばずして言う」といのは、まさに言ってはいけないタイミングで正論を言っているときなのです。ポイントになるのは、思いやるというのは、相手を優しく思うとか、大事にするというレベルではなく、自分の心も思いやる必要があります。会議や打ち合わせの場で、今、自分はこういう感情の状態だから、こういう発言をするかもしれない、というのもあります。そして、相手もどういう状況なのか、相手の心というのは、本当に見えないわけです。ですので、できるだけ心を砕いて推測をしてあげるという思いやりが大事になります。

【ブレーンストーミング】 リーダーが意識する心構え

外山:
では、最後にブレーンストーミングを行うにあたって、リーダーの皆さんに意識をしていただきたい心構えについてお話をします。今、社会では正解のない中で、可能性を少しでも引き出す力というのが、リーダーの皆さんに求められています。そのときに、ブレーンストーミングという手法を使い、よりよいアイディアを引き出すためには3つのポイントがあります。

まず1つ目は、メンバーの皆さんが答え探しをしないように意識をしてみてください。特に、発言力のある方や、社会的ポジションが高いと言われている方の意見に影響されないように配慮をすることが重要です。

2つ目は、幅広いアイディアをいったん受容してください。

そして、最後3つ目は、リーダーの皆さんがそもそもの目的を忘れないようにしてください。この3つのポイントを意識しながらさまざまなアイディアが出るように、ぜひ、ブレーンストーミングという手法を活用してみてください。

講義を終えて

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東:
本当に論語は、普通に今まで勉強で少しやってきたぐらいですが、今こうして改めて見ると、2500年前にしても、今でもまったく通じ、しかも素晴らしいものです。今、分からないことでも答えのようなものが書いてあり、素晴らしいものだと思いました。原典を少し今から読みたいと思うぐらい、すごいものだと思いました。これから社会に出たときにも使えると思うので、勉強していきたいと思いました。

中村:
私自身、大学で悩んでいることがあり、まさにテーマ5で先生がおっしゃっていた、何も言わなく意見をしない人が後輩にいます。言わない人は、意見を持っていないことと一緒と、割と切り捨てがちな傾向が、大学の友達の中にあります。それに私はすごく悩んでいて、その後輩の顔を見ていると、すごく気に食わない顔というか、何か、もやっとする顔の表情が見て取れるので、何か思っているのだということを最近すごく悩んでいたのです。まさにこれだと思い、すごく勉強になりました。

徳:
自分はよくしゃべるほうだし、高校生のころ、生徒会だったのですが、先生と話をして、気に食わないことがあり、プチっときてしまい、生徒会長だった人に、「おまえ、生徒会室に戻っていろ」と言われるようなこともありました。そのような言葉に重みを持たない点があったので、論語のように昔から言われているようなことを、もう1回自分の中に収めて、言葉は大切にしないといけないと改めて感じました。

仲:
私は今、大学で経営学について勉強をしているのですが、経営学では、どういった組織構造か、どういう戦略か、自分の強みを生かすのは何か、どのように分析したらいいかといった、テクニカルな部分がすごく強いわけです。しかし、この論語は、テクニカルな表面の部分ではなく、それを生かしていくために、どうあるべきかという心の部分であったり、人格の部分を諭しているものがすごく多いという印象を受けました。やはり、将来は経営に携わっていきたいと思っているので、周りから信用を得られるような人間になるために、勉強をもっとして、こういった考え方をしっかり身に付けていきたいとすごく思いました。

青柳:
今日は皆さん、ブレーンストーミングでも活発な意見を出してくれて本当にありがとうございました。自分も心を持った存在だし、相手も心を持っていて、またそれは、常に一定なわけではないのです。お互いに不安定に心が動いているのです。その中で、自分の思いをどう実現していくのか、そういうときには論語のこういう教えを使っていってもらえればと思います。本日はどうもありがとうございました。

一同:
ありがとうございました。