平成23年度特別講座:鹿児島編~鹿児島の観光の未来と戦略

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾
岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成23年度シリーズ

【特別講座:鹿児島編】鹿児島の観光の未来と戦略

開催日
平成23年11月5日(土)13:30~14:30
講師
浜田 健一郎氏((株)ANA総合研究所代表取締役社長、NHK経営委員会委員)
場所
鹿児島県(鹿児島商工会議所ビル・アイムホール)
放送予定日時
平成23年12月10日(土) 12:30~13:30 ※以降随時放送

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浜田 健一郎

(株)ANA総合研究所 代表取締役社長

1947年 鹿児島県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。
1971年 全日本空輸入社、 2001年 執行役員 調査室長、
2004年 常務取締役執行役員、2006年 現職。
2010年からはNHK監査委員も務める。

講義内容

岩崎育英奨学会 岩崎副理事長 挨拶

本日、鹿児島商工会議所会館において、鹿児島、東京の両桜島会により学生寮開寮六十周年記念シンポジウムが開催されますことをご同慶の至りに存じます。岩崎育英奨学会は昭和27年に設立されております。学生寮自体はその1年前の昭和26年に開寮となったため、学生寮のほうが財団より1年早く還暦を迎えることになったことは、ご高承の通りでございます。60年間で卒寮生も1,400人近くとなり、その卒寮生の有志の皆様でこのようなタイトルでシンポジウムが開催されますことは、設立者岩崎與八郎も天上でさぞや喜んでいることと思います。

今、この国は岩崎與八郎が理想として、その実現のために知恵や努力や私財の投下を惜しむことがなかった、郷里、すなわち地方がしかるべき有意な人材を確保し、それなりの発展と繁栄を享受するという状況とは真逆の状態であり、さらにはその状態がなんらの対策も講ぜられないまま、極限まで悪化しているといって過言でないと私は考えます。

岩崎育英奨学会は、平成24年度より財団法人岩崎美術館、現芸術文化財団と合併し、本拠地を東京から鹿児島に移し、郷土鹿児島や九州の発展と繁栄のための人材育成の活動に注力することとなりました。財団としても1,400人の卒業生の人的ネットワークの整備とその活用、すなわち学生寮の卒業生の皆さんにお手伝いをいただいて人材育成をしていくことについて怠っていたのではないかという反省があります。

このシンポジウムがいろいろな意味でキックオフのイベントになったのではないかと深く感じております。このシンポジウムがおおいに盛り上がり、卒寮生の皆様の絆と情熱がさらに強まり、そして、この国の未来のために、岩崎與八郎イズムのもとに郷土・鹿児島の中央集権への反抗がここから始まらんことを記念してごあいさつを終えたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

浜田 健一郎氏

今、ご紹介いただきました17期生の浜田です。諸先輩がいらっしゃってやりにくいのですけど、私の少し長めの自己紹介をさせていただきたいと思います。

私が学生寮に入りましたのは昭和41、42年だったでしょうか。当時、日本育英会の奨学金は、一般奨学生で月3,000円だったと思います。アルバイトはいくつかありましたけれども、一番安いアルバイトは、当時、映画の日活の撮影所が調布にありまして、そこに1日行って700円前後でした。一番高いアルバイトが土木工事で、24時間やって1万円でした。そういう時代でした。

私の父親の時代は定年が55歳でした。私が大学に入ったのは父親が56歳ぐらいでしたので、そういう意味では安い寮費のおかげで私は大学を卒業できたと思っていますし、岩崎寮には大変感謝をしております。もちろん金銭的な意味だけではなく、多感な青春時代、ある意味では、コンパとアルバイトと寮生活動ぐらいしかしていませんでしたが、いずれにしても、その多感な青春時代を多くの仲間と岩崎寮で過ごせたということは、私にとっては大変な誇りになっていますし、感謝をしております。あわせて、私どもの時代は、まだ岩崎與八郎氏がお元気で、私どもは謦咳に接することができましたし、そういう意味でも運がよかったと思っております。

私は昭和46年に全日空に入りました。最初に配属されましたのが、大阪の伊丹空港でした。当時、伊丹空港は全日空の主力空港で、私は初めて仕事で大阪に行き、客室乗務員のスケジュールを作ったり、訓練を担当して、最初は香水のにおいで鼻がくらっとするぐらいのところだったのですけれども、そのあと本社に転勤して、二十数年間、グループ会社の管理、企画、調査畑に勤務しました。

この課長、部長時代が一番仕事をしたと思います。当時の航空業界の航空運賃は総括原価方式に基づいて決定される公共料金でした。路線も運輸省航空局の裁定で決まるという意味では、運輸省の顔を見ながら仕事をしていました。ただ、皆さん最近お聞きになっているのではないかと思いますけど、総括原価方針という言葉は、今でも電力会社、新聞社などにまだ残っております。私は、護送船団方式は産業を強くしないのではないかと思います。関係者の方がいたら申し訳ございませんが、我が身を振り返ると最近はそう思っております。今、航空業界は運賃も自由化され、国際線はオープンスカイに近づきつつあるわけですけれども、様変わりの象徴として、羽田空港のことについて少し触れたいと思います。

十数年前の運輸省の事務次官は、羽田空港に4本目の滑走路はできないし、羽田空港からの国際線は認めないとおっしゃっていました。昨今の状況を見れば、羽田空港には4本の滑走路がありますし、国際線も飛んでおります。私どもは別の仕事で羽田空港に5本目の滑走路を作ったらどうかということも提案をしております。規制緩和で国も徐々に変わりましたけれども、海外からの影響が一番大きかったのではないかと思います。現在の航空業界は、自由は得ましたけれども、厳しい国際競争にさらされております。

ちなみに、JALさんは公的整理を受けましたけれども、現在は3つゼロだと思っています。減価償却がゼロ、債務がゼロ、50歳以上がゼロということで、非常にコスト負担の軽い立派な会社でいらっしゃいます。ですから、現在、瞬間風速で全日空とJALさんの断層写真を撮りますと、JALさんのほうがずっといい会社になっています。そういう意味では、忸怩たるものもあるわけですけれども、私どもは競争で負ければ退出するしかない危機感を持ちながら、現在は仕事をしているつもりでございます。

それから、観光や地域活性化に取り組むきっかけは、当時、JR東日本のマツダ会長から「君、これからは観光が大事だよ。一緒に勉強やれよ」ということで、委員会に誘われたのが1つです。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、山形県や東京で平田牧場という名前でとんかつ屋をやっている新田さんという方がいらっしゃいます。その方は、豚2頭から現在は20万頭ということで、大成功された方なのですけれど、自分が住んでいる日本海側の地盤沈下を見るに耐えない、なんとか地域の振興のきっかけを作りたいので、「北前寄港地フォーラムをやる。君、手伝え」と言われて手伝ったのがきっかけでございます。

また、今、NHKの経営委員と監査員をやっております。月4~5日やればいいのですけれども、感覚的には40パーセントから50パーセントがNHKに取られているような感じを持っております。私は、現在の日本の閉塞状況を打破するには、マスコミの役割は大というふうに思っております。NHKの鹿児島放送局長が来られていますけれども、NHKの方に嫌われてでもいいから、残り1年半の任期中、経営改革を含めて精一杯やっていきたいと思っています。このように、流れに逆らわずに時々決断をしながらやってきたのが、私のサラリーマン人生だったのかなというふうに思っています。

今日、こういう機会を頂いたわけですけれども、私は学者みたいに体系的に勉強をしているわけでもありませんし、評論家みたいに分かりやすく上手に説明もできません。事実を積み上げて問題提起として聞いていただければと思います。

まず、私が地方の問題に取り組むときの基本的な考え方を申し上げたいと思います。私は以前、東京一極集中は好ましいことではないけれども、経済合理性から言えばしょうがないのではないかというふうに思っておりましたけれども、現在は変わりまして、東京一極集中は、日本全体の活力、及び国力を損ねているので、経済合理性もないし、国のあり方としてもまずいのではないかというふうに思っております。そういう意味では、今回の大震災でもそれが明らかになったのではないかなというふうに思います。

今は死語になりましたけれども、以前は国土の均衡ある発展というのが国の国土計画の基本だったわけですけれども、結果的には失敗をしました。しかし、私は今こそ国土の特色をいかした均衡ある発展は必要ではないだろうかと思っております。そのような立場で少し鹿児島への観光ということで話をさせていただきます。少し前置きが長くなりましたけれども、あとはパワーポイントを使ってご説明をいたします。

まず、私が今勤務しているANA総合研究所は、3つの活性化を目指しています。1つは航空産業の活性化です。それからANAグループの活性化です。現在、グループ合わせて約3万人いますが、どうしても官僚的になってきていますので、その活性化をやっております。3つ目の柱が地域の活性化ということでございます。社員は58名おりまして、主に地方自治体、役所の仕事を頂いております。2人出向がおりまして、1人は国土交通省、あと東京都庁からの出向で、私の職場に来て一緒に仕事をしております。

調査研究のところに首都圏の空港容量倍増計画とあります。先ほど5本目の滑走路と申し上げたのは、財団法人運輸政策機構と共同研究という形で1年半かけてまとめまして、首都圏には、将来の需要を考えれば100万回ぐらいの空港容量がいります。しかし現在、羽田が40万回、成田が30万回ということで、30万回不足します。そのためには、あと1本は羽田に必要ではないかということでまとめた案でございます。

また、茨城空港の基本的なデザインのお手伝いをしました。これは約3年かけてやりましたけれども、先日、茨城空港がLCCの一番優れた空港だということで、実はシンガポールで茨城県が表彰されました。そういう意味では、私どももいい仕事をしたのかなと思います。

それから、教育研修事業ということで、東海大学、青学、和歌山大学、立命館と主に私立大学を中心に私どもの社員を講師として、常勤、もしくは非常勤の講師として派遣しております。また、地域の活性化事業については、あとで少しご説明をします。これは時間の関係もありますので、こんなことをやっているということで、沖縄の活性化の研究、そして産学連携ということで、いろいろな大学の研究室を共同で地方に派遣して、提言をまとめるという作業もやっております。

次は、私どもがなんらかの関わりで、今、地方自治体とお付き合いしているところで、北は北海道から南は鹿児島までということでございます。ちなみに、私は3.11の地震のときには、釧路の白糠町にいて、町長とのアポイントが5時だったのですけれども、町長から電話がかかってきて「来るな。今、大津波警報が出た。空港に避難してくれ」と言われて、結局、避難して、そのあとまだお会いしてないということでございます。

これは最近ほやほやですけれども、11月2日、つい先日、鹿児島県と市の中国友好のシンポジウムを私どもが企画、運営を受託してやりました。主旨は、日中友好を兼ねて中国人の観光客を増やしたいということです。2日は平日だったのですけれども、200人の会場に250~260人がお越しになっていたので、よかったのかなと思っています。

肝として、中国のマスコミの方、東京在住の大手マスコミの方5名に来ていただきました。この狙いは、中国に鹿児島というところはこういうところだ、日中友好についても議論をしている、合わせて温泉もある、焼酎もあるということを発信してもらいたいということです。あわせて、中国に精華大学という名門大学がありますが、ここの学生、教授12名に来ていただきました。精華大学は北京にありますので、北京から福岡に飛行機で来て、福岡から新幹線で鹿児島に入りました。昨日、帰りましたけども、帰りは鹿児島から上海に行って、上海から北京まで新幹線で帰りました。ある意味では、東アジアが高速交通で一体化されているということを実感していただくということです。

あわせて、鹿児島の坊津にも行っていただいています。坊津は鑑真が上陸したところで、日中友好の原点のようなところです。坊津で砂むしに入ったりしていると思いますが、それをブログやフェイスブックで情報発信し、鹿児島の状況を中国の若者に知らせるという主旨で招待しました。

次に、わが国の観光動向に移りたいと思います。小泉内閣のときから観光立国の方向が動き出したわけですけれども、2006年に観光立国推進基本法ができて、2008年には官公庁が発足しております。ちなみに、今年の異動で官公庁のNO.2の次長には、鹿児島の甑島出身の男性が就任いたしました。法律の中身は、要は外国人観光客の訪問を増やそうということでロードマップができておりまして、最終的には3,000万人を目指しています。現在は800万人ですから、かなり大きな目標だと思います。

さらに、かなり具体的な目標が数値化されています。例えば、現在、日本人が国内旅行をした場合、平均2.3泊です。これを4泊にしたい。また、日本人が国内観光で消費する金額は25兆円弱ですけれども、2010年度には30兆円にしたい。訪日の観光客は、現在、861万人ですけれども、2010年度までには1,000万人にしたい。それから、現在1,600万人弱の海外に行く日本人の数を2010年度には2,000万人にしたい。今の中間の段階では、必ずしも目標を達成しているわけではありませんけれども、ロードマップを作るなり、組織が動くなりした結果、ある意味ではSARSや3.11があったにも関わらず、大きく伸びたのではなかろうかと私は思っています。

次が観光立国の意義です。これは国の法律ですけれども、非常に分かりやすく意義が確認できると思いますので、簡単にご紹介をしたいと思います。まず、国際観光はわが国のソフトパワーを強化するものであるということです。諸外国との健全な関係の構築をするというのは国家的な課題です。これはご承知の通りですけれども、そのなかでいわゆる一般国民の草の根の外交は、国家外交を補完強化する役割もあるし、安全保障上も大きく貢献するのではなかろうかということです。

それから、観光は少子高齢化時代の経済活性化の切り札であるということです。現在、製造業を中心に海外展開が相次いでいるわけですけれど、外需を内需に取り込むという意味では、観光は1つの大きなツールだと思います。

また、3番目の交流人口の拡大による地域の活性化です。冒頭で少し申し上げましたように、地方で都市間格差が拡大しております。地方は一生懸命地域活性化を図っていますが、活性化の大きな柱は地場産業の振興もありますけれども、観光になっているわけです。観光による交流人口が拡大することは、地域経済にも大きな刺激になります。集客力のある地域ができるということは、ある意味では、地域の自主、自立の精神を促します。住んでよし、訪れてよしということでしょうか。

それから、観光立国による国民の生活の質の向上です。要は、われわれ団塊の世代を含めて、観光というのは、ある意味では間違いなくわれわれの生活をいやしてくれるし、質の向上にもつながるということでございます。

先ほど申し上げましたけれども、経済的な意義もこういう形で確認できるということでございます。現在、統計上は25.5兆円が直接効果で出た観光の経済効果ですけれども、直接効果と同時に波及効果もありまして、生産波及効果まで入れますと、ここにございますように53.1兆円と、雇用上は460万人の雇用に影響を及ぼします。はっきり申し上げて、観光は今まで必ずしも産業として認知されたという状況ではなかったわけですけれども、観光の産業的な意義が確認できるのかなと思います。

では、わが国の観光はどうなっていくのだろうということですけれども、これは皆さんのいわゆる意向調査をやりましても、基本的に国内観光というのは常時上位にあるということです。ただ、経済的には宿泊していただかないと数字は伸びません。当然宿泊すると夜ご飯も、朝ご飯も食べるということで、経済的にも効果が大きいわけですけれども、現在は先ほども申し上げましたけれども、まだ1人あたり平均すると2.3泊ということでございます。右端に少し触れておりますけれども、これを増やすには、これからの生活の先行きの不安とか、有休が取れないということがある限りはなかなか増えないのかなと思います。

震災後の観光市場はどうなるのだろうかということでございます。震災当時は、東北、関東、東京が急激に落ちたわけですけれども、9月には東京は少し戻ってきました。東北、関東がまだ遅れていますが、そのぶん関西、九州が非常に増えました。今後の3カ月については、東北の一部はまだ難しいところもあるかもしれませんけれども、基本的には戻っていくのではなかろうかというのがJATAの予測でございます。

次に、日本を訪れる訪日外国人の動向です。先ほど申し上げましたように、トータルでは860万いらっしゃるわけですけれども、国別にいきますと、韓国、中国、台湾、米国、香港ということで、米国を除けば、いわゆる近隣の諸国の方が日本においでになっているということです。ヨーロッパでもスペインとかフランスは観光大国といわれておりますけれども、どういう国の方がフランスやスペインを訪れていらっしゃるかというと、やはり多くは近隣諸国です。ヨーロッパは陸続きという問題もありますけれども、われわれが目指すべきはやはり近隣諸国の訪日外国人をどう増やすかということではないかと思います。 皆さんもよくお聞きになっている通り、中間層が拡大をしておりますし、中国においては富裕層も非常に増えています。そういう方々は、いわゆる観光予備軍と考えていいのかなと思います。

追加として、ここに観光目的も書いてございます。昔はとりあえず行ってから、どこから行こうか、豪華にテーマパークに行こうということが多かったわけですけれども、現在は、何をするのかというテーマ型観光やツーリズムという形で観光形態も時代にあわせて変化をしていることを見ておく必要があると思います。

次は、私どもの資料です。昔、航空券を予約するときには、多くの方が電話で予約をするか代理店に行かれていました。それが今かなりウェブに移っております。それから、旅行商品もそういう感じで移っているということでございます。

今までが日本全体の話だったわけですけれども、次に、鹿児島における観光旅行の現状について少しご説明したいと思います。これは、鹿児島県の観光振興基本方針ということで、私もこの委員として参画したわけですけれども、中身的にはそれほど問題ないだろうと思います。ある意味では、官僚の方は勉強されているので、全部網羅されていると思います。要は、実行できるかどうかだと思います。

ここに書いてございますけれども、かなり手順を追って、観光の基本方針を作られています。観光資源のさらなる活用、総合産業としての観光の確立は、以前から出ておりますけれども、農業、水産業との連携ということだと思います。あと観光と環境の両立、それから観光鹿児島のイメージの形成と情報発信力の強化、広域的な連携による誘客の強化、外国人観光客の受け入れ態勢の充実、おもてなしや地域の担い手の育成などを全部やればたぶん観光客は増えると思います。しかし、先ほど申し上げましたけれども、実行できるかどうかが1つのポイントだと思います。

例えば、広域的な連携による観光客の受け入れというのがあります。鹿児島で2泊3日される方もいらっしゃいますが、例えば、宮崎に入って鹿児島から帰られる、熊本に入って鹿児島から帰られるという日本人のお客さんもたくさんいらっしゃいます。また、外国人の方については、鹿児島という地名すらご存じない方もたぶんいらっしゃいます。僕は、九州全体になんとか外国人観光客を持ってきて、その先を九州各県が奪い合えばいいのではないかと申し上げますけれども、九州は1つとはいいますけれども、実態はまだ九州は1つ1つというところもあります。

それから、市町村の地図や観光案内図を見ますと、だいたい隣県、隣の市は真っ白になっています。鹿児島市の地図はまだ見ていませんけれども、真っ白になっています。それから、県の先も真っ白になっている。そういう意味では、そういうところを打破するのが一歩だとも思います。鹿児島県も、数値目標をお作りになっております。これは、見ておいていただければいいと思います。22ページですけれども、やはり現在の観光の受けの主力は、鹿児島と指宿、霧島、種、屋久です。僕は、奄美などはやり方によってはもう少し増えるのではないかと思っておりますけれども、現状はこういうふうになっているということです。

それから、どういうところから、現在お客様が鹿児島にお見えになっているかといいますと、新幹線効果で増えたのが、関西、中国、四国です。特に、岡山、広島の方が大変増えています。課題は、中国、四国のお客様を減らさず、関東をどう増やすかということだと思います。関東は大マーケットですから、関東からお客様をどう持ってくるかということは、やはり重要なテーマだと思います。

それから、鹿児島にお見えになっている外国人の方がどれぐらいいらっしゃって、どういう国々の方かといいますと、これは先ほどの日本の状況と一致しておりますけれども、韓国、台湾の方が今メインで、中国の方が5,000人弱、アメリカが3,000人、香港が3,000人です。アジアは中間層が非常に増えております。中国、韓国、インドとか台湾以外にも、タイ、マレーシア、シンガポールなどさまざまな国の中間層が増えているわけですから、ある意味では、外国人観光客をどう増やすかというのが、観光戦略では大きなテーマだと思います。

そういうなかで、いいところ、悪いところを少しご紹介したいと思います。まず地元の方のホスピタリティを感じたかということです。これはじゃらんの調査ですけれども、鹿児島はかなり高位にあります。去年が2位で、今年が3位ということですから、鹿児島の人は、総体的にとっつきにくい、口下手といいますけれども、意外とホスピタリティがあるということが、この調査でお分かりいただけると思います。

一方、鹿児島の方が自信を持っているけど、本当にそうかというものがあります。それは食事です。鹿児島はおそらく素材はいいのですけれども、全国から来たお客様が地元ならではのおいしい食事が多かったかということについて見ると、2011年度はランク外になっております。観光客の目的は、観光や温泉もありますけれども、食も大きなテーマになっております。そういう意味では、食の改善は真剣に考えるテーマだと思います。

それから、観光予算はどうなっているかということを調べてみました。中央の予算もシェアが変わってないなかで、おそらく鹿児島県もそうなのでしょうけれども、正直言って意外に率はかなり低いのです。0.23パーセントで、総予算に占める割合の1パーセントに達していないわけですけれども、絶対額としては意外と鹿児島は多く、ここで調べたなかでは17億ということで結構多かったと思います。ただ、予算の使われ方がどちらかと言うと、ハード中心になっていて、ソフトのほうには必ずしも予算がいっていないというのが鹿児島県の予算の特徴だと思います。

ということで、日本の観光、鹿児島の観光を概観したわけですけれども、私は自分で自分なりに思うところをまとめてみましたので、提案としてお聞きいただければと思います。その前に全く私の提案と一緒だったのが、鹿児島県の経済同友会の提言でしたので、その提言をご紹介したいと思います。

まず、問題意識として、人口減少がこれ以上続くと鹿児島の経済は衰退するということです。一方で、工場誘致は極めて困難だというなかで、県民所得の増加を図るには、県外、アジア圏からの観光客の誘致が不可欠という問題意識です。そのためには、県外、アジア圏からの観光客を誘致することによって、消費を増加させる。それから、農水産業をはじめとする鹿児島県のいろいろな産業に広範囲で経済効果を波及させて、結果として国民所得を向上させ雇用を増大したいというのが、鹿児島県の経済同友会の観光の問題意識です。

具体的には4つの戦略があります。実は、昨日の夜、これをおまとめになられました同友会の永田代表幹事と一緒にお食事をして意見交換をしました。そのときにも、地味だけれども僕はこれをやらなければいけないのではないでしょうかと申し上げました。最初に意識改革です。先ほど観光というのは産業として必ずしも認知されていないのではないかというお話をしましたけれども、鹿児島も観光が産業としての認知だけではなく、経済的な効果も含めて実益のある産業だという意識を持つことが必要だというふうに思います。この通りだと思います。

ある地方に行きましたら、地方の課長が私にこう言いました。「自分が県庁に入るとき、大学の学長の祝辞で、わが県は観光なんかで飯食っちゃいかん。工場立地で飯食うんだと言われたことを記憶しています」とおっしゃっていましたけれども、たぶん10年前、20年前はそんな感じだったのだろうと思います。ここの意識を変えていく必要があると思いますし、あわせて、鹿児島からどういう情報発信をするのか、観光と農業、商業がどう連携するのか、それを支える人材をどうやって育成するのかということが課題になります。ある意味では非常によくまとまっていると思いますし、あとはどうやって実現させるのかということでございます。

私は非常に実務家でございますので、5つの具体的な提言をまとめました。まず1つが観光ボランティアガイドの充実、強化ということです。長崎の実例を少しご紹介しますと、長崎も観光客がずっと減り続けていたわけです。そのなかで今の市長が課長のとき提案されたのが、さるく博です。要は、自分の町を市民が観光客に紹介、案内することによって、観光客の衰退を食い止めようとして、これは成功しました。現在560万人前後ということで、長崎は維持をされています。

先ほど申し上げましたように、観光の形態も質も変化しております。旅行者の方は、地元の生活文化に触れたい、地元の方と直接会話をしたい、ゆっくり時間を過ごしたい、団塊の世代は、知的好奇心も満たしたいというニーズがあります。今までの観光の形態は、バスで行って宴会をして終わりでしたけれども、今はそういう観光はほとんどありません。こういう形に変わっているわけです。

それを地元住民が受け止めて、地元の方が説明をするためには、地元の自分の町を愛して誇りがなければいけません。あわせて、歴史も知る必要があります。今、長崎はそういう問題意識でやっています。コースもグラバー邸など有名な観光地はあえて入れていません。私も行きましたけれども、ここに何々があったところなど、話を聞かないと何も分からないようなところをまわります。坂本龍馬が写真を撮ったところなどは、何も残っていないわけですが、地元の方の講釈を聞きながら歩くとそれなりに楽しいものです。また、ここは何代続いたおいしいお菓子屋さんですと言われて、買ってお菓子を食べたりとしました。

ちなみに、これは数字に効果が出ておりまして、2008年には2万2,000人の方が、このさるくに参加されています。2009年には3万9,000人、2010年には5万1,000人の方が参加されています。鹿児島のボランティアガイド協会は、西郷さんの下にあります。実は、私の弟はそこに勤務しているのですけれども、残念ながら非常に数字が悪いです。要は、鹿児島は2,500~2,600人がボランティアガイドを利用されています。私は市長に「市の取り組み方の違いではないでしょうか。ガイドを安くあげるためにボランティアガイドを使うという発想では駄目ですよ」と申し上げました。

それから、私は石見銀山にも行きました。石見銀山は世界遺産になりました。あれをガイドなしにまわれば、山の中に穴があいているだけです。説明が何もなければ、とてもではありませんが、1時間持たないです。校長をしていたガイドさんに説明をしてもらいながら1時間半かけてまわって、いろいろな歴史、文化のご説明をいただき、楽しい旅行ができたと思います。そういう意味では、ボランティアガイドも充実が必要だと思います。

それから、人材育成ということで少し触れたいと思います。何度か申し上げていますように、旅行ニーズが多様化しましたと。観光は、ツーリズムから知的好奇心や内心的な欲求を求める形に質的に変化をしています。それをどういう形で受け止めるかということですけれども、この下に書いてあるように、地域の魅力と見直すべき点を十分理解して、新たな価値創造が求められています。あわせて、そのなかで観光と食を中心とした地域ブランディングが推進できるような人材が必要です。

かみ砕いて言えば、観光経営には高度化と近代化が求められています。現場は、創意工夫、ホスピタリティの強化が求められています。また、鹿児島、宮崎、熊本は、どこも食が豊富ですけれども、宮崎へ行けば味噌汁をひっかけたようなもの、熊本に行けばからし蓮根と馬とさくらです。要は、食材がいいのだったら、もう少しいい形で出したらどうかと思うわけです。しかしある意味では、地方自治体がその気になればできるということを申し上げたいのです。宮崎にも公立大学があり、鹿児島にも県立大があり、熊本にもあります。その3つで、観光と食のための社会人用の大学院大学でも作ったらどうかと思います。お金はそれほどかかりません。やる気があればできるということです。

それから、これも私はずっと言っているのですけれども、鹿児島空港があります。空港は今でも交通の結節線になっています。離島への空と空、飛行機に乗るための陸から空、それから空から陸というのがありますけれども、なかには、それなりにバス路線があるので、陸から陸の乗り継ぎをされる方もいらっしゃいます。それを空港で見て私は驚いたのですけれども、そういう方もいらっしゃるわけです。

現状はどうかと言うと、そういう状況はあるけれども、今のままだと、単に旅客が乗降するだけの機能しか果たしていないターミナルビルだと思われてなりません。JRさんのアミュなどと比較するのは無理なところがありますけれども、高速の出口が近くにあります。あれを一緒に延ばすことによって、空陸一体型の空港にならないのかというのが私の提案です。そうすることによって、空の駅と道の駅が合体できるだろうし、地域の方が空港ビルに遊びに行こうということにもなります。レンタカーも、空港からおりてバスに乗り換えなくても鍵が受け取れるようにするといいと思います。アメリカはどこでもそうです。そういうことが可能になるという意味では、右下に書いてありますけれども、空港ビルと高速のサービスエリアを一体化したらどうかというのが提案の1つです。

ここは東アジア観光圏ということですけれども、日本を九州として置き換えればいいと思っています。観光特区のように、現在、中国の富裕層、韓国の中間層、日本の中間層は、ほぼ同じぐらいの経済レベルにあると考えていいと思うのですが、そういう方々がいろいろな形の制度を整備することによって、自由に気軽に行き来できるような観光圏を目指すのも1つかなと思います。

ただ、われわれが努力しなければならないのは、外国人の方が、日本、鹿児島に来てどんなふうに思われるだろうかということです。道路標識などは少し整備されております。テレビも海外放送がかなり入っています。私は、ハワイは異国情緒のある熱海ではないかと思っています。どこでも日本語が通用するし、まわりにたくさん外国人の方がいらっしゃるけれども違和感なく動けます。しかし、鹿児島はそこまでにはなかなか至っておりません。そういう意味では、まだまだ少し努力する必要があるのかなと思います。

あと情報発信です。これは高山市のウェブサイトですけれども、最大10カ国以上の言語でウェブサイトが書かれておりまして、高山市に外国人観光客が一番たくさん来る1つの要因になっているわけです。外国の方は、昔はガイドブックを見たりされていたわけですけれども、今はインターネットで検索をして来られます。そういう意味では、こういうインターネットを使った情報の整備も必要だと思います。

同じ主旨で、私は全然分かりませんが、見たらびっくりしました。要は、スマートフォンにGPSの機能がついていて、見るだけでどこに何があるというのが分かるような形になっているわけです。こういう近代的な情報機器も活用した観光も考えたらいかがでしょうかというのが、私の提案でございます。

最後は、少しわれわれも先人を見習ったらどうかということでまとめました。例えば、明治維新は、幕末の薩摩藩もそうですけれども、いわゆる商人の方々が密貿易をやってためた金でできたといわれております。一方、薩摩スチューデントは国禁を犯して英国に行きました。こういう形で昔の人は、言葉はしゃべれないけれども、(聞き取り不能)、結果は体を張ったのだと思います。そういう形で、明治維新の原動力になられたわけです。わが鹿児島も、資源はあるけど行政が悪い、宣伝が悪いというのも必要だけれども、ここは一踏ん張りして地域振興に頑張る必要があるのではなろうかということで、私のお話とさせていただきます。ありがとうございました。