平成21年度第1回:地域経済振興に科学を

岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾
岩崎育英奨学会 政経マネジメント塾 平成21年度シリーズ

<!–講座についての感想、ご質問はこちらから

平成21年度シリーズのご感想・ご質問の受付は終了いたしました。

–>

第1回:地域経済振興に科学を

講師
山本恭逸 先生(青森公立大学経営経済学部教授)
日時
2009年12月22日 10:00am~11:00am
場所
岩崎学生寮1Fホール(東京都世田谷区北烏山7-12-20)TEL: 03-3300-2600

山本恭逸 先生(Kyouitsu Yamamoto)

青森公立大学経営経済学部教授

青森市生まれ
明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻修士課程修了
77年、(財)日本生産性本部入職
98年、同職離職、青森公立大学地域研究センター主任研究員に就任
01年より、青森市雪国学研究センター主任研究員併任

担当科目: 地域キャリア形成論、調査と統計Ⅰ
専門分野: 交通計画、産業振興、観光等々の各分野の調査ならびにコンサルティング

講義内容

山本先生:
皆さん、こんにちは。
今日は地域経済のお話しをしたいと思います。地域の景気がいいとか悪いなどと、よく言われますけれども、これは一体どういうことなのでしょうか。今、「景気が悪い」というふうに言われますけれども、どうしたらいいのかということについて、今日は皆さんと一緒に考えたいと思っています。

1.景気の良し悪しとは?

最初に、今景気がいいとか悪いとか申し上げましたけれども、景気がいいというのはどういうことをいうのでしょうか。最初に皆さんのお考えを聞かせていただきたいと思います。
どなたかいかがでしょうか。天野さん、いかがですか。

天野さん(以下敬称略):
わたしの家は静岡でシイタケの栽培を行っているのですけれども、品質のいいシイタケが採れて、それがいい価格で売られるということが、わたしの中では景気がいいことだと思います。

山本先生:
ありがとうございました。
林さん、いかがでしょうか。

林:
うちの父は盛岡でサラリーマンをしています。父が勤める会社の業績が伸びて、給料やボーナスがたくさんもらえたら、景気がいいのではないかと思います。もちろん、リストラはとんでもないですね。

天野さん(以下敬称略):
ありがとうございました。
今、おふたりに景気の良し悪しについてお話ししていただきましたけれども、その通りです。つまり、働く人にとっては、どんどん仕事が増えていく状態が「景気がいい」状態と言えるでしょうし、あるいは生産者にとっては、生産物が増え、しかもそれが高価格で取引されるということが大事だろうと思います。

ですから、一口に景気といいますけれども、それぞれの立場によって違うはずですし、あるいはどの産業に属しているのか、どの業種に属しているのかによっても違うはずです。

そこで、一般に、便宜的に景気の良し悪しをGDP(国内総生産)という概念で説明します。このGDPの変化率、正確にいうと対前年比の増減でもって「景気がいい」「景気が悪い」というわけです。

ここでいうGDPといいますのは、各産業が日本の国内で、1年間の経済活動を通じて得られた付加価値の合計のことをいいます。このGDPが使われるようになったのは1993年からです。その前はGDPではなく、GNP(国民総生産)という言葉が使われていました。

GDPとGNPの違いはおよそ次のようなものです。

GDPは、日本国内での経済活動を通じて生み出された財・サービスの付加価値の合計をいいます。日本国内での経済活動がベースになっています。そこには当然日本人の経済活動だけではなく、外国の企業、外国人の経済活動も日本の国内で活動したものであれば、GDPのベースになっているということです。

これに対して、昔いわれていたGNPといいますのは、日本人が経済活動を通じて得られた付加価値です。昔は日本人の経済活動というのはほとんど日本国内でした。ところが、グローバル化が進みますと、日本人が外国で活躍する、日本企業が外国でビジネスをします。同じように、外国の企業が日本でビジネスをするということが当たり前になってきましたので、「日本人が」ということではなく、「日本の国内での経済活動」を通じて生み出された付加価値の合計をGDPと呼んでいるわけです。

GDPの変化率が代表的な景気指標として使われるのは、GDPという概念があらゆる産業を網羅しているだけではありません。GDPによる付加価値といいますのは、かなりの部分を占めているのが実は人件費であるということもその理由です。

おふたりは今、就職活動の真っ最中ですけれども、今は就職難であるとか、場合によっては就職氷河期かもしれないなどといわれるのはなぜかといいますと、まさにこのGDPというものが伸びていない、場合によっては減少しており、だから不景気だということなのです。

つまりGDPが増えないと、雇用の拡大も期待できませんし、賃金の上昇も期待できないということです。

それでは、このGDPにしても、GNPにしても、ベースになっています付加価値というものはどういうものなのかということについて考えてみたいと思います。

2.付加価値とは?

GDPを構成している付加価値というのは一体どういうものでしょうか。簡単にいいますと、売り上げから仕入れを差し引いたものです。つまり粗利のことをいいます。小売り・商業をやっておられる方は「粗利」というと、すぐピンとくると思いますけれども、最終的には、この「粗利」が増えないことには、賃金を上げることもできませんし、従業員を増やすこともできません。新たな採用もできないということです。

この付加価値を、全部の産業について1年間の活動として合計したものがGDPといわれるものです。

例えば、農家の人がおそばを作ったとしましょう。玄そばを40キロで製粉業者に8000円で販売しました。玄そばを買った製粉業者は、それをそば粉にしまして、今度は製めん業者に売ったとします。8000円で買ったものを1万円で売ったとします。製めん業者は製粉業者から1万円で買ったそば粉を生めんに加工し、2万円でおそば屋さんに売ったとしましょう。おそば屋さんは、今度は最終的にはお店に来るお客さま、消費者の方々に盛りそばを1枚400円で売ったとします。

厳密には、農家の方は全く無から有をつくり出したというわけではありません。そばを栽培するのにいろいろなコストがかかっているでしょうけれども、ここでは単純化するために、コストは一切かかっていないと考えます。

同じように、おそば屋さんもおそばだけではお客さんに提供できません。そばつゆも必要ですし、ネギも必要でしょう。そば以外のコストがかかっているはずですけれども、ここでは簡略化のために無視します。

こうしたケースの場合に、最初に農家が生んだ付加価値は8000円になります。次に農家から買った製粉業者は2000円の付加価値を生んだということになります。製めん業者が生んだ付加価値は1万円になり、おそば屋さんが生んだ付加価値の合計は30万円ということになります。

それでは、この過程で、経済社会全体で生んだ付加価値の合計になりますと、これを合計しますと32万円になります。つまり最後のおそば屋さんの売り上げと同じことになるわけです。

GDPといいますのは、こうした付加価値1年間分を合計したものです。サービスの場合もあるし、物の場合もあるでしょうけれども、全部の産業について、そういったものを合計したものをGDPといっています。

ここまでは、日本経済やアメリカ経済といったように、国を単位とした国民経済についてお話ししてきました。それでは、地域経済にとっての景気の良し悪しというのは、どのような経済指標をもとにいうのでしょうか。

3.地域経済にとっての景気の良し悪しとは?

例えば、鹿児島県や長崎県といったような都道府県を単位とした地方経済を考えてみたいと思います。

国の景気の良し悪しをGDPの変化率で表わすのと同様に、地方の景気の良し悪しについては県民所得統計という統計指標で景気の良し悪しを判断するのが基本です。ところが、多くの県で県民所得統計が発表されるまでに2年以上かかっています。

国のGDP統計は四半期ごとです。つまり1年間を1月から3月、4月から6月、7月から9月、10月から12月と4つのクオーターで区切ったときに、国のGDP統計はこの四半期の速報値がわずか50日足らずで発表されます。

ところが、都道府県の景気の指標は2年たってから、「2年前の景気はこうだった」という結果が出るだけです。従って、今のところ地方が独自で景気判断するだけの経済指標はありません。

ところが、地域経済の現状をなんとか打破しようという政策になりますと、どうも経済学の裏付けの乏しいものになっているのではないかと思います。私は経済現象を説明する経済学が科学として完ぺきだというふうに主張するつもりはありませんが、いざ政策ということになりますと、科学としての裏付けがないと効果が乏しいものになるのではないかと思うわけです。

以下に紹介します類語が、この地域政策の混乱を象徴しているように思うわけです。

一つは、「地域開発」という言葉があります。同じような言葉に「地域振興」という言葉もあります。あるいは「地域活性化」という言葉もあります。さらに「まちおこし・むらおこし」という言葉があったり、「まちづくり」という言葉もあったります。

こういう言葉が果たして明確に区別されているのでしょうか。マスコミだけではなく、本来科学を追究すべき私ども学者・研究者までもが、実はこうした言葉を勝手に使ってきたのかもしれません。

例えば、今財政再建団体として全国から注目を集めています石炭王国・北海道夕張市もかつては地域活性化地域として当時の自治大臣から表彰を受けています。つまり、国もこの用語を勝手に使い、本来整合性が求められ、科学的な対応が求められるべき地域政策を混乱に陥れて、今日に至っているのではないかと思うわけです。

今紹介した「地域開発」「地域振興」「地域活性化」「まちおこし・むらおこし」「まちづくり」―こうした地域政策用語について、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。

天野さん、いかがですか。
○天野:わたしの中でこの3つについては、国が行っているというイメージがあります。具体的に事業や金もうけのイメージがあります。地域活性化については、人が盛り上げているというイメージをわたしは持ちました。
○山本先生:ありがとうございます。

林さんはいかがですか。
○林:「まちおこし・むらおこし」「まちづくり」はひらがなで表記されているので、ほかの政策用語よりも親しい(親しみがある)というイメージがわきました。また高齢者が中心となっていて、町全体というよりは一部の人が勝手に盛り上がっているというイメージを持ちました。

以上です。
○山本先生:ありがとうございました。

今、おふたりが説明されたことは、皆さん方も共通したイメージとして持たれているかもしれません。

ここでは、こうした一つ一つの用語の概念と言葉の起源について説明したいと思います。

4.地域政策用語の整理

最初に「地域開発」という言葉です。実は「地域開発」という言葉は、英語でいいますと「Regional Development(リージョナル・デベロップメント)」です。1970年代以降、「地域開発」という言葉は急速に使われなくなりました。若い皆さんはご存知ではないかと思いますけれども、70年ごろといいますのは、日本の国内のあちこちで公害に対する反対運動が起こりました。従って、「開発イコール悪」というイメージが非常に強かったわけです。

先ほど天野さんが「そういうイメージだ」「ビジネス、金もうけのイメージが強い」と話されたのはまさにそういうイメージを表しているのだと思うわけです。

ところが2番目の「地域振興」という言葉も、英語に直しますと「Regional Development」です。先ほど言いましたように、1970年ごろ公害問題などが出てきた時に「地域開発」に対する反対運動があちこちで起こりました。それまでの「地域開発」というものは経済的にはメリットはあったかもしれないけれども、「環境破壊につながる」「地域社会を壊してしまう」など、マイナスのイメージが強くなったわけです。

しかし、基本的なコンセプトは変わりませんが、「地域開発」という言葉を使うことをやめて、「地域振興」と言い換えますと、反対する人は極端に少なくなったのではないでしょうか。皆さん方も「地域開発」と「地域振興」という2つの言葉のイメージを比べてみますと、「地域振興」のほうが地域にありがたいことをやってくれるようなイメージがあるのではないかと思います。

3つ目は「地域活性化」です。英語でいますと、「リバイタリゼーション」になります。ちょうどアメリカでレーガン大統領が登場した時に経済の再活性化ということで、「リバイタリゼーション」という言葉が、日本の国内でいろいろな形で使われるようになりました。まさにレーガノミックスといわれる経済政策を象徴するのがこの「リバイタリゼーション」という言葉でした。

日本の中央省庁の白書などでも、「再活性化」というよりも「経済の活性化」という言葉が頻繁に使われるようになったのはちょうどそのころからです。しかし、こうした言葉が明確に区別されているのかというと、必ずしもそうではありません。

難しいのは、4つ目の「まちおこし・むらおこし」という言葉です。「まちおこし・むらおこし」という言葉について、例えば高知県でこういうお話をしますと、「自分たちは寝っころがっているちゅうことですか」との質問が返ってきます。「寝っころがっているから、なんとか自分たちに起き上がってほしいということなんですか」という質問がよく返ってきます。

そうではなく、「まちおこし・むらおこし」の言葉のルーツをたどってきますと、実は沖縄にあります。沖縄では、本土に返還される前のまだ米軍統治下の時代、「シマおこし」という運動をしていました。その場合の「シマ」といいますのは、アイランドの島ではなくて、カタカナで書く「シマ」です。つまり縄張りなど、共同体と同じような意味で使われてきたわけです。

ちょうど沖縄が米軍統治下から本土に返還される時期に、沖縄でやっていた「シマおこし」という運動をなんとか日本の国内本土のほうにも定着させようということで「まちおこし・むらおこし」という言葉に生まれ変わったわけです。1970年代の前半のころですから、この当時のことをご存知の方もだんだん少なくなっているように思います。

最後の「まちづくり」という言葉になりますと、今度は今までとはやや違った概念が加わってきます。林さんがお話ししたように、「お年寄りがやっている」「町をなんとかしたい」ということ。つまり、今の地域コミュニティーをどうやって再生するかという視点が非常に強くなります。ですから、「まちづくり」という言葉をあえて英語に訳すと、コミュニティー・デザインや都市計画に相当する言葉がコンセプトとして出てきて、非常に広い概念になると思います。

このように一つ一つの用語のコンセプトと、言葉の起源を見ていきますと、言葉の使い方が急速に変わっています。特に最近は、これらすべてをひっくるめるような形で、包括的な概念として用いられ、「まちづくり」というひらがなの5文字を使うと何でも通るようになってきています。

しかし、経済学の裏付けからいえば、先ほど話しがありました「地域経済をなんとかしなければならない」ということは、最終的には国の経済でGDPをベースに考えることと同じように、都道府県民所得をベースにこれをいかに増やしていくかということになります。県民所得をいかに向上させるかということが景気とつながらなければならないと思います。

ところが今、国によって活性化としてやられている政策でも、例えば地域によっては綱引きをやることが活性化ととらえられることがあります。それはそれでいいのでしょうけれども、経済的な効果はどうなのでしょうか。景気に対する配慮がどれだけ考慮されているかというと、必ずしも明確になっていないのではないでしょうか。

私が今問題に思っているのは、まさにそうした経済効果というものが本当にあるのかどうかという視点で、今までやられてきた地域政策についてもう一度明確に整理し、再定義しながら見直していくことが必要ではないかと思うわけです。

5.経済成長と経済発展

今「Development」(デベロップメント=開発)ということについてお話ししました。デベロップメントというのは開発という意味と同時に発展という意味もあります。

例えば、経済の世界では、「経済成長」(Economic Growth)と「経済発展」(Economic Development)は明確に区別されています。経済成長というのはまさに景気が良くなることです。GDPの対前年比が増えていくことをいいます。要は、GDPというパイ全体が増えれば雇用も増えますし、賃金も増やすことができます。

それに対して、地域の経済はどうするのかということを考えたときには、もう一つ「経済成長」だけでいいのかどうかということがあります。「経済発展」というものが必要でしょう。今まで地域の「経済発展」を考えるときには、工業化が一つのキーワードでした。いろいろな産業がありますが、製造業は大変付加価値が高い産業です。付加価値の高い産業が入ってくることによって、その地域の経済が新しいステージに入り、新しい段階に発展します。これがまさに「経済発展」でした。

ところが、冷戦後のグローバル経済の中で、今発展途上国といわれる国も急速に工業化を進めつつあります。そうすると、日本国内でも工業の集積の高い地域と、工業の集積が低い地域があります。例えば、私が今教えております青森県などは工業の集積が遅れている地域です。工業の集積が遅れている地域は、工業化を進めることがいいことなのかどうかという問題があります。つまり「経済発展」というのは農業社会から工業社会へという形で、工業化を進めることが「経済発展」とされていました。

ところが、これだけグローバル経済化が進み、しかも日本の中でも製造業というものが行き着くところまで行き着いてしまい、最先端のものをやっています。そうすると、工業化が遅れた地域もさらに工業化を進めることがいいことなのかどうかということです。今求められているのは、地域経済にとって「デベロップメント(発展)」とはどういうことなのかについてもう一度考えるべき時期に来ているのではないかと思います。

先ほど言いましたように、発展というのは産業構造論として今まで説明されていました。古くは狩猟社会から農業社会に移ることです。さらに農業社会から工業社会に移ることです。工業社会に移った後、そこから先はどこに行くのでしょうか。人によっては情報化社会だとか、いろいろな有識者がいろいろな見解を述べています。

しかし経済発展ということについて産業構造論として見たときには、具体的な地域のあり方、地域経済のあり方はなかなか見えてきません。

例えば、1年前から日本と世界の自動車産業が大変な状況に陥りました。ところがわずか数年前までは、地域の発展にとって自動車産業を誘致することが一番大事なことだといわれていました。トヨタがこれほど赤字になるとは誰も予想していませんでした。

いずれ時間を経て、回復するでしょうけれども、それが今までの自動車産業という形で回復するのか、あるいは場合によっては、蓄電技術のようなものが急速に発達して一気に電気自動車のようなものに変換しながら進むのかもしれません。あるいはハイブリッド車がそれまでのつなぎで市場に対してまだまだ大きな影響力を持っていくのかもしません。これはまさに分からないことです。これからの社会が今までの自動車社会通りにいくのかどうか、ハイブリッドでいくのか、一気に電気自動車にいくのかもしません。あるいは水素ガスが急速に進むのかもしれません。これはなかなか分かりません。

つまり、発展とは何かということをもう一度原点に返って考えるべきではないかと思うわけです。

今日私が紹介したいのは、実はこの発展というものについて明確に定義した、第1次大戦以降の20世紀初期の経済学者がいます。ジョセフ・シュンペーターというドイツ・オーストリーで学んだ経済学者です。後年アメリカの大学に移りましたけれども、彼が1912年に「経済発展の理論」を発表しました。

彼が言っている「経済発展」の一番のポイントは何かといいますと、「イノベーション」です。日本語では「技術革新」と訳していますけれども、決して「技術革新」という技術のことだけではありません。

シュンペーターが言う「イノベーション」は、まず「新しい商品を作る」ことが1つ目です。2つ目は「新しい生産方法を開発する」ことです。3つ目は「新しい市場を開拓する」こと。4つ目は「原材料の新しい供給源を獲得する」ことであり、最後の5つ目は「新しい組織を実現する」ことです。

つまり、シュンペーターが言う「イノベーション」は単なる技術ではなく、マーケットであり、組織であり、流通経路であり、ありとあらゆるものを新しいものへと革新していこうという動きです。

ちょうどシュンペーターが生きていた19世紀の後半から第1次大戦までのヨーロッパの社会、ドイツ・オーストリー経済といいますのは、日本の1960年代と同じような高度成長を実現していた時期でした。

現在、ドイツ企業でグローバル企業となっている企業のほとんどが、実はこの時期に急成長して大きくなった企業ばかりです。化学産業しかりです。いろいろな産業で新しいものが次々と生まれてきました。そういうものを背景に「イノベーション」に満ちあふれた経済を見た中で、経済社会にとって大事なことは、まさに「イノベーション」です。新しいものをどんどん作っていくことです。既存のものをどういうふうに壊し、新しいものを作っていくのかということです。シュンペーターはこれを「創造的破壊」と言っています。

6.発展を支えるイノベーションとその担い手

その「イノベーション」の担い手は誰でしょうか。これが今日の一番大事な点です。

一般的に考えると、「イノベーション」の担い手は経営者と考えがちですが、シュンペーターは決して「経営者=企業家ではない」と言っています。経営者とは限りません。いかに経営者であっても、彼の全生涯を企業家であり続けることはいかに困難なことであるか。もう少し具体的に言いますと、経営者・トップでありましても、後ろ向きになったり、前向きでない守りの姿勢に入ったりしてしまうと企業家とは言えません。

それでは、どういう人が企業家なのでしょうか。トップの経営者でなくても構いません。一従業員であっても構いません。改革や、新しいものを創造しようという意欲に燃えた人が企業家だと言っています。

つまり、「自分は一社員だから」と考えるのではなく、組織の一員かもしれませんけれども、組織の一員こそがむしろ企業家として十分なり得るのだということです。必ずしもトップである必要はありません。

今、ベンチャーという形でまさに企業家論が花盛りですが、トップでなくてもいいのです。組織の中でベンチャーを起こすこともできます。そうすることによって新しい組織が生まれます。これが、シュンペーターが言う企業家です。

こうした「イノベーション」の担い手となる企業家というのは、何がモチベーションになるのでしょうか。何が動機になるのでしょうか。

経済学の多くは、経済的なインセンティブ、つまり事業が成功すればたくさんの報酬がもらえるという経済的な報酬を目的に新しいものに挑戦するという主張ばかりです。しかし、シュンペーターの主張はそうではありません。

むしろ大事なのは、経済的な動機ではなく、創造そのものの喜びのことを言っています。

これを考えますと、例えばホンダ技研をつくった本田宗一郎さんは金もうけのためにやったのでしょうか。いいものを作って、消費者に喜んでもらえる「ものづくり」の誇りというものがベースにあったのではないでしょうか。

現在、もしかしたらこうした考え方が急速に薄れているのかもしれません。経営者も、事業を自分の息子に継承することばかりを考えている人が増えているのかもしれません。特に地方の経営者はオーナー企業が多いものですから、守りの姿勢に入ります。こういうふうに経済が縮小している時に、守りの姿勢に入りますけれども、むしろ経済が縮小しているこういう時だからこそ新しいビジネスチャンスになります。これはトップマネジメントにいる経営者でなくても、組織の一員としても十分にできることです。そういう人材が地方で育ってくれば、地方は本当に元気になるのではないでしょうか。

つまり、今まで資本主義を突き動かすエートスというのは、お金だといわれていました。しかし皆さんは「時代が違うからそういう考えは古い」とおっしゃるかもしれませんが、シュンペーターが考えた資本主義というのは、一人ひとりのそういうエートスというものを持った企業家精神、そういうものが社会の中にどれだけいるかです。

「自分は一社員だから関係ない」と思うのではなく、どうやって新しいものをつくり出していくのかということです。技術だけではありません。マーケットの創造もそうです。新商品もそうです。新しいサービスもそうです。新しい組織だってそうなのです。まさにこうした経済社会を突き動かすのはエートスとしての企業家精神です。こういうものが今、次第に見失われているのではないかと思います。

そういう意味からいうと、戦後の一時期のほうが、はるかにみんなが「日本を何とかしよう」「地域を何とかしよう」という志に燃えていたのではないでしょうか。

今、日本の経済は大変な不況だといわれています。確かに政府の政策も大事です。しかし、それだけではなく、ビジネスの第一線におられる皆さん方がどういうふうに今の危機的な状況をチャンスと受け止め、新しいものを創(つく)っていくのか―それが企業家精神であります。

ただ単に「トップがなんとかしてくれるだろう」「政府がなんとかしてくれるだろう」ということだけではなく、「自分たちでできることはないか」と考えることです。地域の経済を支えるのは、みんな一人ひとりの人たちです。そういう人たちが一人でも多く企業家精神を持つようになれば、地域の経済はもっと元気になるではないでしょうか。

そうはいっても、大都市圏と違って地方にはいろいろなハンディがあります。しかし、今情報通信がこれだけ発達したりしてきますと、いろいろなチャンスは地方でも大都市圏でも同じです。「いや、大都市圏のほうがチャンスが多いのではないか」とおっしゃるかもしれません。しかしそうではなく、むしろ地方にこそビジネスのチャンスはあるでしょう。地方は今まで大都市圏ではやったものをそのまま持ってきているだけというケースが多かったのではないでしょうか。

地方発の新しいビジネスモデルをどういうふうに創っていくのか。それは何も大都市圏だけを念頭に置く必要はありません。鹿児島は、今急成長している成長のアジアと連携することもあるでしょう。アジアと静岡が連携することもいいでしょう。そういう仕組みをいち早く作ったところが、国内の地域間競争で一歩抜き出た地域になるのではないかと思います。

特に今、グローバル化し、高度に産業化した今日の日本経済の中で、地方はどういう役割を果たすのでしょうか。国が作ったものを見ても、「大都市圏が頭脳の役割で、地方は手足でいい」と考える構想もありました。

とんでもない話しだと思います。むしろ地方こそがそういうブレインの役割を果たすべきでしょう。地方の役割というのは、そうした積極的な思考をしないと、今のままでは負けてしまいます。大都市圏に負けるのではなく、アジアの国々にも負けてしまいます。一人ひとりが働くのは個人の経済的な利益を求めています。それはそれで正しいのかもしれませんが、ビジネスを突き動かすものは必ずしもお金だけではないはずです。お金ですべてが買えると豪語したIT企業のベンチャー経営者もいましたけれども、本当にお金ですべてが買えるのでしょうか。

お金のある生活は確かに望ましいことかもしれません。ないよりはあったほうがいいのかもしれません。しかし、お金しかない生活というのは、もっと悲惨ではないかと思うのです。

地方の経済がこれからどういう方向に行くのか。ただ単に「困った、困った」というだけではなく、大都市圏とは違ったもの、新しい組織、新しいビジネス、新しい仕組み、新しいマーケットなどをどのようにつくっていくのかが、一層大事になっているように思います。

地域経済についての話しをもう少し加えたいと思います。先ほどお話しした地域政策をめぐる「地域開発」「地域振興」「地域活性化」「まちおこし・むらおこし」「まちづくり」という言葉についてもう少し詳しく説明したいと思います。

「地域開発」「地域振興」「地域活性化」「まちおこし・むらおこし」「まちづくり」というこれらの政策の中で、実は国の政策として明確にそれぞれ裏付けられているのは、「地域開発」「地域振興」「地域活性化」の3つの政策になるわけです。

「地域開発」という言葉自体は、戦後の日本経済が、戦後復興していく中で、どうしても地域を開発しなければいけなかったという危機感が生まれました。1950年に国土総合開発法ができました。当時の社会資本の状況を見ると、企業がものを作っても、それを運ぶことができませんでした。港湾整備も不十分で、鉄道も十分整備されていませんでした。貨物鉄道が主力でしたが、鉄道輸送は大変時間がかかりました。高速道路はほとんどない状態です。

そういう時代には、国の政策として空港を整備し、(一般)道路・高速道路網を整備し、鉄道を整備し、新幹線網を整備することが国の発展に不可欠でした。

これらはインフラ・ストラクチャーといい、経済の動脈を形成するものです。そこで作られるもの、つまり動脈を通る血液に相当するものがどんどん動かないといけなくなってきていました。戦後復興の時期には、まさにこうした社会資本の(未)整備がネックになったために、せっかくものを作っても、全国流通させられないものがたくさんありました。

こういうものをいかに流通させるかが「地域開発」の時代の課題でした。「地域開発」の時代にはそれでよかったわけですが、先ほど言いましたように1970年代に入って公害問題が出てくるようになったりしますと、今度は「地域開発」という言葉から「地域振興」という言葉に言い換えるようになりました。

国立国会図書館で「地域振興」や「地域開発」という言葉を検索しますと、時代とともに変化が見られます。1960年代までは「地域開発」という言葉が大変多く使われておりましたが、70年代以降になりますと「地域振興」という言葉が使われるようになり、80年代、90年代になると「地域活性化」という言葉に変わります。最近は「まちづくり」という言葉が主力になりました。

これはただ単に言葉の使い分け、時代の流れということではないはずです。そこに流れている考え方が違うはずです。

今必要とされていますのは、まさに地域をどのように豊かにするかということについて考えることであり、そのために今、地域が何をすべきかが問われているのだと思います。このことを明確に定義し、イメージしない限り、地域の発展はあり得ないのではないかと思います。

地域の経済を支えるのは、地域に生きる一人ひとりの皆さん方です。その人たちが単に受け身の対応をするだけではなく、シュンペーターが言う企業家精神を持つ人として行動する人が一人でも増えることによって、地域の経済は元気になるのではないでしょうか。

これが今日の講義の最後のポイントになります。